詩人商店街

@kakenn

第1話

書けない。

書けない。書けない。こんなもの、違う。いつからこうなった。私は、前は、ちゃんと……書けたはず。なのに……いや、あれも違う。あの時書いていたあれも、あれも、あれも、違う。

全部、偽物。“私の詩”じゃない……!!


◆ ◆ ◆


目の前に、ぼんやり、真っ白な霧が浮かぶ世界。気づいたら私は雲の中のようなところにいた。

「………?」

私はさっきまで何をしていたんだっけ??…思い出せない。

とりあえず辺りを見回してみる。でも、右も左も前も後ろも、霧がかかっているだけで、何もない。

少し、歩いてみようか。今向いている方向に進んでみる。何もない。けど、何10歩か歩く。

ほんとに、ここは何だろう……?そう思った時だった。

「あっ!」

突然、女の人の声。前から聞こえた。

すると目の前の霧から、一人の人影が現れた。

「やっぱり、足音がすると思ったわ。お客さんね、嬉しい!」

ようやくはっきり見えてきた。人影の正体は、可愛らしい顔つきの女性。前髪を丁寧に分けて、後ろ髪はおしゃれな髪飾りでまとめて、しま模様の着物を着ている。

驚くことに、その女性は、私がよく知っている人だった。

でも。

「えっ………?!あ、あなたは…!!」

……会えるはずなんて、微塵もない人なのに。

「ん?どうしたの?」

私が目を丸くしてその人を見ていると、その人は優しく微笑んで私を見つめた。

「……あ、いえ………その………私…あなたのこと……知って、ると…思います……」

「まぁ、ほんと?ふふ、服装からして、“現代の人”ね。私のことを知ってる人、たくさんいるのね」

私の服装は、地味な白Tシャツと中学の頃着ていた体操服の長ズボン。まぁ確かに、 “彼女が生きていた時代” では、こんな格好をしている人はいないだろう。

「知ってる人がたくさんいる、どころじゃないです、全然」

私は少し口調を強くした。だって本当に、それどころで済む話じゃないから。

「あなたのことを……名前だけだって!知らない人は滅多にいないんですよ?!」

そう、少なくとも私の周りの人間で、貴女のことを知らない人はいない。

「会いたかったです……」


みすゞさん。


「ーー…ありがとう、私も今日、あなたに会えて嬉しいわ」

感激のあまり涙ぐんでいる私の手を、みすゞさんは強く握ってくれた。

思っていた通り。とても、とても優しい顔で笑う人。

写真でしか見たことがなくて、何度会って話してみたいと願ったか分からない人。

私は彼女と同じ女性だけど、“恋”に似た感情を持った人。

「私のこと、いつから知ってるの?」

「………4歳くらいから…?……ってなると、もう12年もみすゞさんリスペクトですね、あはは」

「り、りす……?」

「あ、そ、尊敬してるんです!みすゞさんの作品が大好きなんです!!」

「なるほどね、ふふふ。あなた、詩が好きなの?」

「はい、書くのも、読むのも!」

私の言葉を聞いて、みすゞさんは後ろを振り返り、上の方を指さした。

すると、霧が少しずつ晴れていき、みすゞさんが指さしているものが見えてきた。

《詩人商店街》

…と書かれたアーチ看板が立っている。

「ーーそんな詩好きなあなたを、特別にご招待します。《詩人商店街》へ!」

そう言って彼女は、私の手をとり、一緒にアーチをくぐってくれた。

私は、名詩人・金子みすゞに会えたという衝撃が抜けきっていないまま、聞いたことのない商店街へ案内される。


私がずっと尊敬している、あの、みすゞさんに。


◆ ◆ ◆


「この商店街には今日は、私を入れて6人の詩人がいるの。少ないでしょ?でも、普段はもっといるのよ。まぁ…今日ちゃんとお店を開いているのは5人だけだけれどね。私はお店を持っていないし」

「みすゞさんは何をしているんですか?」

「この通り、お客様を案内する仕事をしてるのよ」

「《詩人商店街》専門のガイドかぁ…素敵だなぁ」

私はもちろん、みすゞさんの他にこの商店街にいるという5人の詩人が誰なのか、ものすごく気になっている。

そして、それを知る時間は、すぐにやって来た。

「おぉ、みすゞちゃん!やっとお客さん来たのかい!」

「はい!それも若くて可愛らしいお嬢さんですよ!」

右手に見えた、分かりやすく『カエル屋』と書かれたお店には、丸い眼鏡をかけた男性がいた。

はあ…。

私はほっぺが少し赤くなった。

「あら、久しぶりのお客様ね!」

「はい!私もお仕事久しぶりで嬉しいです!」

左手に見えた、とてもおしゃれな和菓子屋さん。そのお店には、くるくる曲がったくせのある黒髪の女性がいた。

はあぁ…。

私はほっぺが真っ赤になった。

「やぁ、よく来たね。現代の子?」

「はい!とても詩好きな子なんですよ!」

次に右手に見えた、「石細工作ります」と書かれた張り紙のあるお店には、髪を短く刈った洋装の男性がいた。

はあぁぁ…。

私は顔全体が赤くなりだした。

「あー……仕事の時間かぁ……」

「ええ!お店綺麗にしておいてね?」

次に左手に見えた、たくさんの本棚が並ぶ本屋さんには、黒い帽子に黒い服の男性がいた。

はあぁぁあ……。

私は顔全体が真っ赤っ赤になった気がする。

「やれやれ、不審に思われて逃げられなくて良かったな、金子。現代の民は疑い深いからな」

「うふふ、確かにそうですね!でもこの子は詩が好きだから、きっと楽しんでくれますわ」

最後に…右手に見えた、野菜や果物が綺麗に彩る八百屋さん。そのお店には、楕円形の眼鏡に、きっちり髪を分けた礼儀正しそうな男性がいた。

はあぁぁあぁあ……。

私はついに耳まで真っ赤になり、耐えきれず声をあげた。

「……なんっっで!!こんなっっ都合よく!!私のお気に入りの詩人さんばっかり!!」

「「「「「「???」」」」」」

……誰か、ここを仕切っている人か何か、私の好み知ってるんじゃない?だってさ、うん。じゃなかったら、この顔ぶれ、この組み合わせ。すごいよ、ほんと。

なぜ、なぜ今。私の前に。こんな人達がいるのだろう。

「あ、ご、ごめんなさい…!急に大声出して。……すごく…嬉しくて……」

「ふふふ、いいのよ。あなたの好きな人ばかりなのね?」

「そうそうそうなんです…!」

私はみすゞさんを一度見た後、改めて集まった5人を見回した。

丸い眼鏡の男性は、草野心平さん。私の知る限り、様々な生き物に関する詩を多数生み出した人だ。……特に、カエルの。

くるくる髪の女性は、与謝野晶子さん。基本的に歌人として知られる人だが、私は彼女の遺した数々の詩を読んで、“詩人としての晶子さん”に惚れ込んだ。

丸刈りで洋装の男性は、宮沢賢治さん。説明するまでもなく、誰もが知る名詩人だ。おまけに小説家としての能力も凄まじい。

黒い帽子の男性は、中原中也さん。私と同じ年頃から詩人として活躍していた。私は、明らかに彼の書く詩は他のものと何かが違うと感じ、大ファンになった。

そして、楕円の眼鏡の男性は、島崎藤村さん。甘酸っぱい恋の詩から美しい自然の詩まで、数々の名詩を生んだ人。“若菜集”は名作だ。

「まぁ、のんびりして行けばいいよ。後でうちのお店おいで」

「ぜひ僕の所にも」

晶子さんと賢治大先生が話しかけてくれた。ひぃぃ。

「はい、行きます行きますとも…!えっとなんか…晶子さん髪の毛可愛いです!」

「か、可愛い…っ?そぉ……」

晶子さんが少し顔を赤くした、可愛い。

「賢治大先生はさすが石好き!さっきお店で見えた動物の置物、綺麗でした!」

「あはは、ありがとう。…………『大先生』……??」

「そりゃ大先生です。文学界のレジェンドですから。あ、褒めてるんですよ?」

賢治大先生は それは良かった、と笑っている。私は今レジェンドと会話している。感覚がおかしくなってきたかもしれない。

「確かに、賢治さんの詩は素晴らしい。現代の人間もその良さが分かるんだな。俺が本気で惚れただけある」

次に話し出したのは中也さんだった。………私より背低いとは…。

すると隣にいた草野さんが中也さんの肩に手を置いて言った。

「中原ー、俺の詩にももちろん惚れてくれてるんだよな?」

「……………まぁ」

「『まぁ』って何だよ素直じゃないなぁー!」

中也さんが賢治大先生の詩を愛読していたのは知っている。草野さんと仲が良かったというのも。

「草野さんと中也さんは同人誌“歴程”で一緒だったんですよね?」

「一緒だったどころか俺達が“歴程”を作ったんだぜ?」

草野さんが得意気に言う。

「同人誌か……私も“文学界”というものに参加していたな…」

島崎さんが眼鏡をかけ直しながら言った。

島崎さんは今このメンバーの中で一番早く生まれた人だ。そういえば、生まれた年も別々……。みすゞさんと草野さんは同じ年生まれだけれど。

「…一体皆さん、どういう組み合わせなんです?」

「それは君に聞きたいところだが?」

私が直球な質問をすると、島崎さんが逆に聞き返してきた。

「え?わ、私……?」

「うちらは“神様”に言われて今日お店開けてるのよ」

「今日、一人の客を現世から呼んだ。お前達6人のみ今日店を開くことを許す。ってな。まぁ大勢いたら客も混乱するだろうから…」

晶子さんと中也さんの説明だけでは、まだよく分からなかった。でも、やはりこの6人に限定されたことには、私が関係しているようだ。

「神様……って人がいるんですか?本当に……?」

「いるよ。それにこの商店街にも、普段はもっとたくさんの詩人仲間がいるんだ」

賢治さんはひっそりしている商店街をくるりと見回した。

「……私、ただの偶然だと思ってました。でも…たぶん、皆さんは……私がずっとお話したかった6人です…。しかも、私が一番強く記憶してる写真の姿です、6人とも…」

すると、みすゞさんがこくこくうなずいた。

「なるほど。やはりそんなところね。……じゃあ、遠慮しないで、ここにいる全員に好きな質問をするといいわ。ゆっくりお店を見て回りながらね?」

「……はい!」

誰だって、尊敬しているけどなかなか会えない人に一度でも会って、色んなことを聞いてみたい。そう思ったことがあるだろう。私は、そのチャンスを貰えた。

だったら……遠慮せず聞かせて貰おう。


◆ ◆ ◆


「改めて。こんにちは、草野さん!」

「はい、いらっしゃいませぇ~!」

私はまず草野さんのカエル屋に訪れた。

私はとりあえず入り口のそばにあった水槽を覗いた。そこには、二匹のカエルがいた。そして、スミレの花びらが散っていた。

「この子たち、“ぐりま”と“るりだ”ですか?」

「ああ、そうだよ」

草野さんの名作の1つ、『ぐりまの死』に登場する2匹のカエル。ぐりまとるりだ。

「……でも、スミレの花は死んだぐりまの口にるりだがさしてあげた花だから、どちらかというと“悲しい”思い出で、良くないんじゃ…?それに、るりだも一緒にいる…??」

「あはは、それはね。可愛いカエルを2匹見つけたからぐりまとるりだの名前をつけて飼い始めただけで、スミレがあると あの詩のカエルだ って見た人が気付きやすいかと思ったんだよー」

そう言って草野さんは、水槽に指を添えて中のぐりまとるりだをじっと見めた。

「……子供と自然は残酷で、カエルはちっぽけでも人間と同じように誰かを想う気持ちのある、れっきとした生き物だよ。あのまま2匹が会えないのは可哀想だったんでね」

「……そうですよね」

私は、草野さんの詩をいくつか思い出した。

…私は初めて読んだ草野さんの詩に、文字というものが一切なくて、違和感を感じた。その大きな違和感は、たくさんの詩に触れるごとに減っていったが、全て消えた訳ではない。

「あの、草野さんは……『冬眠』のような、文章のない詩だったり、カエルの言葉の詩だったり…少し、変わった詩を書いてらっしゃいましたが。あれは…草野さんが見た通り、聞いた通りのものを詩に表した、って感じですか?」

草野さんは私の言葉を聞いて少し考えた後、にこりと笑って言った。

「ま、そうだな。自然を自然のまま書いた。“変わってる”というのも、俺にはよく分からないな。だってあれは、人間がいつも聞いてる音だ。自然なものを書いたのに、なんで不思議がる?」

草野さんは至って真面目な表情で私を見た。

そうだ。普通。自然のことだ。草野さんは、誰もがいつも見ているものを、聞いているものを、描いていた。私の言い方は間違っていた。何故、自然を自然のまま書いて、「変な詩だ」と言われなきゃならないんだ。

「……ごめんなさい、その通りですよね。何もおかしくないです」

「いやいや、いいんだよ。きっと現代の人には理解されにくいだろう。でも君は、他の人ほど、俺の詩を異常だと思ってはいなかったみたいだ」

「は、はい。たくさん詩を読んだので、あ…詩って自由だな、と思ったんです」

「……そんな人が少しでもいるなら、嬉しいよ」

草野さんは、本当に嬉しそうな顔で笑った。

私の周りにある、“自然”。草野さんの詩をひとつひとつ、思い浮かべると。

風も空も草も花も、生き物も。ーー全てがきらきらしていて、綺麗だ。

草野さんの店を出て歩いている間、私はしばらく後に会うつもりの人に、“あのこと”を聞いてみようかな、と考えた。



私は、洋菓子はもちろんだが大の和菓子好きで、晶子さんのお菓子屋さんに入ってすぐ、甘い香りを思い切り吸い込んだ。

「はぁぁ~、いい匂い……。晶子さんの実家は和菓子屋さんだったんですよね。こちらでもやってたんだ」

「そうなのよ!家族との思い出でもあるし。皆よく来てくれるよ」

やはりここはあの世に近い世界らしい。では、私は一体……?

ダメダメ。今はたとえあの世でも夢でも、こんな人達に会えたんだから。そんなことを考えるのは後。

「晶子さんは、私の住んでる今の日本だと、短歌が国語とかでよく紹介されていますけど、1つだけ、ずっと変わらず習い続ける 詩 があるんですよ」

「あーー…。…『君死にたもうことなかれ』…?」

「そうなんです!皆知っているんです」

晶子さんが、戦争に行ってしまった弟を想い、どうか無事に帰ってくるようにと唄った詩だ。

昔の日本。戦争に行った人は戦って死ぬのが当たり前、一番格好いい姿、無事を祈るなんて大馬鹿の考え、なんて言われていた時代。晶子さんの書いた詩はたくさんの人に共感されたと同時に、ひどく反対もされた。

「私は、晶子さんが書いた詩を悪く言った人のこと理解できなくて……家族を大切に思うことのどこが間違ってるんだろう……って」

「……ありがとう。うちも、何が間違ってるのか分からなかったから、そこまで深ーく気にしてはいなかったわ」

「はい。なぁぁんにも気にする必要ないです。………籌三郎、さんでしたっけ。弟さん」

「えっ、よ、よく知ってるねあの子の名前まで…!」

「伝記で読みました」

『君死にたもうことなかれ』で唄われている弟、籌三郎さん。晶子さんの作品を好んで読んでいて、姉を深く尊敬したと言われている。

「……確かに色々言われたよ。でも、うちは…あの子に誰も殺してほしくないし、誰にも殺されたくなかった。うちの他にも、そう思ってた人、いたはずだよ」

……いないはずがない。でも、言えなかっただろう。周りの人間達がそうさせていたんだ。“無事を祈る優しい気持ち”を、封じ込めなければならなかった。

「周りの声は無視して、ずっと祈り続けてた。……うちは、詩には特別な力があると思うの。ずっとずっと祈ってたら、ちゃあんと叶ったんだから…!」

籌三郎さんは、無傷で無事に帰って来た。晶子さんは、その時の様子を思い浮かべているのか、静かに、綺麗な瞳で外の空を見上げた。

「…嬉しかったなぁ。周りの声なんて関係ない。ほんとうに…嬉しかったなぁ…」

晶子さんが目を潤ませた。

「……弟さんも、無事に帰って来たかったんでしょうね。本当は、怖かったんでしょうね……」

「うん……」

私が晶子さんの背中をゆっくりさすりながら、想った。

家族がすぐそばにいること。それはとても幸せなことで、当たり前のことではない。

争いなんて、“幸福”は絶対に生まない。生むのは恐怖や悲しみだけ。そのせいで、昨日まであった大切なものも、誰かがなくしてしまう。

「晶子さん。私……現代のたくさんの人も、あなたにとても大事なことを教えてもらいました」

「!」

「ありがとうございます」

私は、晶子さんの本当の笑顔を、初めて見た。どの写真も……この世界というものに少し呆れているようだったから。



「賢治大先生、失礼いたします!」

「…うーん……『先生』はよく言われてたけど、『大先生』は慣れないなぁ……」

私が店に入ると、さっそく賢治大先生は困ったような顔をした。

賢治大先生は学校の教師をしていた。その生徒たちも、賢治大先生のお話が大好きだったようだ。

私は、石を削って何かの形を作っている賢治大先生をしばらく眺めることにした。

「それは誰に渡すものを作ってるんですか?」

「黒田くんにだよ」

「え、く、黒田……三郎さん?」

「そうそう、よく分かったね!」

黒田さんの作品では、やはり娘さんと過ごした日々を描いた詩が微笑ましくて好きだ。この商店街にいるのだろうか。

「黒田くんは写真屋さんをしているよ。家族とこの世界で会えた人達が撮りに来るみたいだ」

家族。賢治大先生にも、家族との様々なエピソードがあったはず。

「賢治大先生の名前を広めてくれたのは、弟さんなんですよね」

「ああ……よくできた弟だよ。やはりやってくれたんだね……」

賢治大先生は、生前に書いた作品を弟さんに全て渡し、後は任せたと言ったとか。賢治大先生の名が現代の日本にもずっと語り継がれているのも、弟さんのおかげと言える。

そして何より、賢治大先生の才能の凄まじさが、誰もが認めるものだったからに違いない。

「………あの、私が賢治大先生に聞きたいのは………」

「ん?」

「その……聞いて…いいのか……」

「なんでもいいさ、言ってみて」

私がどうしても知りたかったこと。それは……。

「賢治大先生が、自分の作品を一番見て欲しかったのは、誰ですか?」

合ってなければいい。その方がいい。そう思った。もし合っていれば、きっと賢治大先生にとって辛い思い出の話になるだろうから。

「……もちろん、たくさんの人に読んで貰えるのは嬉しい。でも、褒められて嬉しかったのは、父からかな。父は僕の生き方には反対していた方だったけれど、最後の最後に、褒めてくれたんだよ。…お前は大したやつだ。……って」

良かった。私はほっとしたし、優しいお父さんの表情を思い浮かべ嬉しくなったし、賢治大先生も柔らかい笑みを溢している。

「そしてもう1人は、妹かな」

良かったけど良くなかった。もう1人を言うとは思わず、私は申し訳なさと気まずさで大いに慌てた。

「ごめんなさい…!そんな気はしてたんですけど……どうしても…確めたくて……。ごめんなさい……」

「いいんだいいんだ。僕はもうそんなに辛くないよ」

さすが賢治大先生は、私の思考をすぐに読んだ。

賢治大先生が人生でもっとも辛い別れをした人の話を、私は持ち出させてしまった。

「……妹は僕の書いた小説を面白いとよく読んでくれたよ。僕が選んだ道をいつも応援してくれた人でもある。僕が物書きと教師をずっと続けられたのも、としさんのおかげだ」

そこまで話されると、もう聞くしかなかった。

「……賢治大先生が、妹さんが亡くなったその日に書いた詩を読みました。それで、私…思ったんです。そりゃ、詩人は何かあれば詩を書いてしまうものだと思います、それでいいと思います。でも、……あんなことがあった日くらい、全て忘れて、ただ悲しむだけで良かったんじゃないでしょうか。詩人ではあっても、やはり、1人の人間なんです。なにも、ずっとずっと自分の役目を意識してなくても良いのでは………ないで、しょうか」

「違うんだよ」

私が中途半端に気を遣った喋り方をしていたら、賢治大先生が少し強い口調で言った。

「逆なんだ。僕はあの時、自分が何物であるかも大して意識してなかった。僕のあの悲しみを残しておくために書いたんじゃない。職業柄無性に“詩”が書きたくなった訳でもない。僕は」

賢治大先生は固かった表情を柔らかくして、温かくなりきらない笑顔を浮かべた。

「僕は……としさんに幸せでいて欲しかったんだよ。あれ以上 生きる ことはできなくても。あれから先…ずっと………」

ーーー“願い”。……だったんだ。

私はどうしてか、自然と涙が出てきた。

そういう者に、私はなりたい。そう言いつつ、本当にその通りの人間だった賢治大先生が、大切な妹より、自分のことを強く考える訳がない。私はなんて浅はかだったのだろう。

『私の全ての幸いを賭けて願う』

そう言い切れるほどに。大切に思っていたんだ。

「……幸せだと思いますっ……としさん……こんな…素敵なお兄さんがいて……」

「………ありがとう」

最後に賢治大先生は、優しい顔で、少しだけ、泣いていた。



「目が赤いな?どうかしたのか?」

「あ、だ、大丈夫です…!」

私は賢治大先生のことを考えながら歩いていて、気付いたら中也さんの本屋さんに着いていた、という感じだ。

「何から読む?ランボー?」

「いや、私実は日本の詩専門で」

「はぁ~?」

中也さんが、心底ありえない、というような顔して言った。実際私は、海外の詩人の作品は、何と言うか、合わない。幅広く読むのが大切だと分かってはいるが、読む気がしない…。

「すごいですね、中也さんは。幅広く読んで学んできたから、天才的な作品がどんどん作れたんですかね。他の本もお好きだったみたいだし」

「別に…何も読まなくたって、きっと俺は書けた。ランボーや賢治さんの力は素直に認めているがな」

中也さんは本棚から賢治大先生の『春の修羅』を取って開いた。

その様子を見ながら、私は中也さんへの質問を頭でまとめた。そして、実際に口に出す。

「中也さん。知ってますか?…草野さんが書いた、『空間』」

「……」

「中也さんに向けて書いて下さったもののはずなんです」

「…ああ、知っている。詩は、祈りがこもっていれば必ず 届く ものだからな」

中也さんは年こそ草野さんより若いものの、早くに亡くなった。その時、草野さんが大事な後輩のために書いた詩が、『空間』だった。

「とても短い文章だったけど、私にもしっかり伝わるような……大きな想いが込められてるって感じるような…詩でした」

「そう、あれで十分だ。彼も“遠回し”な詩をよく書いてたから、あんなもんだろ。と思ったら普通に「さよなら」って言葉を入れてたりしたけどな」

「あ、確かにそうですね」

……私は今こそ、“地球は寒くて暗い”と感じている。冬だけじゃない。確かな、人の温もりというものが、少しずつ失われている。そう思って私は、詩を書こうとした。

ーーーあれ?

「私……昨日の夜…………」

「…なんだ?」

私が急に真顔でぼーっとしだしたので中也さんは私の顔を覗き込んでじっと見た。

……私は何をしていたんだっけ。思いだしかけた記憶が、またどこかへ消えてしまった。いつもそう、何か思いだしかけるとなぜかすーっと一旦消えてしまう。

「なんでもないです!ただ、私…今の日本というか、世界は……平和な世界とは言えないような気がしてるんです」

「今の世をどう思うかはみーんな違うさ。お前と同じ意見の奴もいるんじゃないか?」

「はい、いますよ。同じ詩好きな友達がね……」

私がよく一緒に詩を読んで楽しんでいる友人を思い浮かべた。

すると、中也さんの方から質問をしてきた。

「お前は、春をいい季節だと思うか?」

「え?あ、はい。なんか……春でようやく新しい一年が始まるようで、それを花やあったかい日差しがお祝いしてるようで……」

「……ふーん」

中也さんは開いている本に目を落としているが、文字を読んではいないようだった。

あ……っ。

私はそこで、中也さんの書いた、1つの詩を思い出した。

「……中也さんにとっては、……いい季節じゃないんですよね…?すみません……」

「いや、あの頃だけさ。あの子にいつでも会える世になってからは、それなりにこっちに満足してる」

あの子。ーー人は春が来ることを喜ぶけれど、春が来ても、

帰って来ない。

「誰かの考える幸福や正しさが、全ての人間にとってその通りではない。絶対に。……お前も、分かるか?」

そう言って中也さんは私の目を真っ直ぐに見た。

……分かる。

「…分かります。私の趣味、変わってるって…何回か言われたことがあります」

そんなことだけじゃない。価値観の違いなんて、日常に、当たり前のようにある。

「……ということは、本当の正しさなんて1つもないんだよ、きっと」

中也さんは短い人生の中でたくさんの大きな出来事を経験してきた。だからこそ、何を信じるべきかも、彼にはよく分からなかったに違いない。

何よりも、彼は…。

「中也さん。あなたは立派に生きたと思います。何があっても、諦めなかったんだから。生きることも、 書く ことも」

私がそう言うと、中也さんは見下ろしてした本をゆっくり閉じて、ふぅ、と息をついた。

「諦めてたまるかよ。これからだって」

自信や希望に満ちた顔で、言った。

ーー大切な、大切な息子をほんの2年でなくして、春も青空も綺麗な花も喜べないほど打ちのめされても、諦めなかった人だ。

やっぱり。詩の力強さから感じていた通り。

この人は、強い人だ。


◆ ◆ ◆


私が島崎さんの八百屋さんに行くと、店先で島崎さんとみすゞさんが会話していた。

「するとりんちゃんが、魚を料理したはいいけど何を材料にしたか分からなくなるほどとんでもないことになったから、隣のうちの人にあげちゃったーって!」

りん……。

「いやはや、もったいない。しかし、村野くんが知人に贈るために育てた花を、本人に渡す直前にすべって川に転落し全部ダメにした、という話も面白いだろう」

「ふふふっ!何ですかそれぇ!」

村野……。

私は二人の会話から思い付く詩人の顔を思い浮かべて、二人のお店を想像しながら、八百屋に入った。

一番手前にあった果物の台から、赤く新鮮なりんごを手に取った。

「……優しく白き手をのべて、林檎を我に与えしは…薄紅の秋の実に、人恋初めしはじめなり?」

私は最後少し疑問形で頭の中の詩を読み上げて、島崎さんにそのりんごを手渡した。

「…覚えたのか?………これうちの商品なんだが」

「私は詩をただ読んで、その詩についてじっくり考えてみるだけで、暗唱しようとは思いませんよ。これは、たまたま覚えただけです」

実際、私がそらで言えるのはこの『初恋』か、『雨ニモマケズ』か、『朝の歌』か……他いくつかしかない。

「私、島崎さんに特別聞きたいことはないんですよ」

「? そうなのか??」

島崎さんは、てっきり自分も何か聞いて貰えるかと思ってた、というような反応を見せた。

「はい、同じ詩好きな友達と二人で、島崎さんもお気に入りの詩人さんの1人ですけれど、ふふふ、ただのお気に入りなんです、ふふ!」

「た、ただの、お気に入り…??」

島崎さんは明らかにガッカリな顔をして、りんご片手に佇んだ。

「島崎さんの、どういうところがお気に入りなの?」

みすゞさんが相変わらずの可愛らしい笑顔で尋ねてきた。

「そうですね、書く詩は素敵で、なんだか誠実そうなイメージがあるのに、普段はちょっぴりお遊びが過ぎちゃってるところがお気に入りですかね!ギャップ萌えってやつですよ♪」

島崎さんは理解したようなしきれてないような睨んでるような目で私を見ているのでした。

「……みすゞさん」

「なぁに?」

私がどうしても、みすゞさんと話したかったこと。

「みすゞさんは…優しい詩を、たくさん書いていましたね。その中には、嬉しいとか、悲しいとか、不思議とか、色んな感情が伝わります。どれも、誰にも書けないような、素晴らしい詩です。どれも、優しくて暖かみのあるものばかりでした……」

みすゞさんの書いた詩を、いくつか頭に浮かべてきた。

「でも、私……だんだん分かってきたんです。みすゞさんは、無理矢理暖かい雰囲気にしようとしてた時もあったのかなって。どうしても、優しい気持ちになりきれないこと…人間なんだから、何度もあったんじゃないかなって」

みすゞさんはじっと私の目を見ている。隣で、島崎さんも店の外を眺めながら、私の言葉を聞いているようだった。

「みすゞさんは……どうやっても辛い気持ちから立ち直れなかったから…だから…」

「えぇそうね。もう、どうしようもなかったの…」

みすゞさんはそう言って、斜め下を見た。

「みすゞさんに比べたら、私の悩みなんてちっぽけなものだろうけど、でも……私は…もう詩が書ける気がしません……」

その時、さっき一度消えた記憶が、少しずつ、脳みそに戻ってくる感じがした。

「……それ、で………世の中がとても、心配で、いつもみたいに…明るく過ごせる気がしないし……もう、何書いても、“私の詩”じゃなくて…誰か、今まで読んだ別の人の詩を真似してるとしか思えなくて……それで…」

私は夜、ふと頭に浮かんだ文章を紙に書かずにはいられず、詩作用のノートを広げ、鉛筆を持った。でも、……目の前の白い紙にぐちゃぐちゃとぐるぐると線を書き殴り、鉛筆を床に投げ落とした。

そのまま、机に突っ伏した。

もう嫌だ。

と、口にした。

「もう……私……詩を書く資格なんて、…ないですよね………」

いいんだ。自分で満足のいく詩が1つも書けないなら、やめてしまーーー

「君。この商店街にいる全ての詩人が書く詩、様々な作家が書いた小説、歌人俳人の短歌や俳句まで、全て。ーー人から教わった文字を書き並べたものだぞ」

島崎さんの声だった。島崎さんはゆっくり私に歩み寄り、私の前で立ち止まった。

「金子。君が詩に書いた単語や文章の作り方、全て、君が生み出したものか?」

「いいえ。どれも何かを読んだり、教わったりして覚えたものですわ」

みすゞさんはきっぱりと答えた。私が暗い話をしてしまったが、可愛らしい笑顔に戻っている。

「全て、自分の作り出すもので詩を作ることはできない。ならば」

島崎さんは私の肩に優しく手を置き、微笑んだ。

「君は、思い付く通りに詩を書けば良い。周りはきっと、君が思うほど誰かの真似事だとは思うまい」

みすゞさんも、私の背中をさすりながら言った。

「あなたが見たこと、聞いたこと、感じたことを“詩”に書き起こせば、それはもう、“あなたの詩”になるのよ」

気付けば、草野さんも、晶子さんも、賢治さんも、中也さんも、八百屋さんの前に集まって来ていた。

「つまらないことを気にするな。君ならきっと、これからも良い詩が書けるよ」

「そんなに気にしてるってことは、それほど“詩”を、よく考えてるってことだもんね」

「僕達の詩をたくさん読んでくれてありがとう。読んだからこそ、君は今まで詩を書けてきたんじゃないか」

「誰にも書けない、その人だけの詩。それは、誰でもきっと書けるさ」

皆さん……。

「この世には、とてもたくさん人がいるのよ。同じ詩なんて2つも生まれないわ。絶対に。だからね…ーー」


もう一度、書いてみて ーーー!


「っ!」

私は顔をあげた。真横にある窓から、朝日が差し込んでいる。…私の机だ。

時計を見ると、6時20分とある。

やはり、夢だった。ということは……全部私が頭のなかで勝手に作った物語…?

ふと顔に触れると、頬が少し濡れていた。

ーー自分の妄想に近い夢で、涙まで流すとは考えにくい。

…きっと、言った。あの人達に本当に会って、話したら、きっと皆、本当にあんな風に答えた。

なら、信じていいかもしれない。

私は立ち上がり、窓を開けて、朝の空気を思い切り吸って、全て吐いた。

「………うん、私、書いてみます。また」

私は勉強椅子に座り直し、ノートを見た。ぐちゃぐちゃに書き殴られたページをはがして、捨てた。

右手に、詩作用鉛筆を持つ。

「よし」

ーーー書こう……!

































ーー頑張ってね




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