『卒業の春に』

たかもりゆうき


仰げば尊し 我が師の恩…… 

 教えの庭にも 早や幾歳…… 


 広い体育館に生徒達の歌声がこだまする。鈴木奏すずきかなでは級友達と声を合わせながら、こみ上げる涙を必死でこらえていた。


(うっわ、この歌やっばーい。さっきまで全然平気だったのに、歌い始めた途端にウルウル来たー)


 卒業式マジックとでも言うのだろうか。普段は涙とは無縁、どちらかと言うとガサツなタイプの奏でさえ、目頭が熱くなるのを抑えることができない。

 周りの友人達も皆一様に目を赤く染め、あるいは人目もはばからず大粒の涙をポロポロとこぼしながら一生懸命に惜別の歌を口ずさんでいた。


 ふと前方に目をやると、二列先に高梨颯太たかなしそうたの姿があった。


(あっ、高梨君みっけ)


 その背中を見つめているだけで、少し落ち着きを取り戻すことができた。

 颯太とは、1年生の時からずっとクラスが一緒だった。

 成績が近く話も合う二人は、クラス内でも何となく同じグループに属していた。

 テストのランキングはまずまず上位、だが志望校を目指すにはギリギリといったところだった奏が何とか合格できたのは、高梨颯太のおかげだと思っている。

 いや違う、そうではない。


(おかげなんかじゃなくて。あいつの、せいだ!)


 学年でもトップクラスの成績を誇る彼は、奏にとっては目標でもあった。

 いつも自然体で秀才という感じがちっともしないのに、テストでは常に5位以内をキープしている。

 対する奏は10位前後。彼女なりに一生懸命勉学にいそしんだ結果のその成績は褒められて然るべきものだが、だからこそ、いつも身近にいてもう少しで手が届きそうなのに3年間ただの一度も勝つことが出来なかったこの男を、意識するなという方が無理な話だ。

 志望校を決める際、奏は決心した。

 何がなんでもあいつと同じ高校に行ってやる。たとえ勝つことは出来なくても、ついて行くことくらいなら。少しでも傍にいられたら……、と。

 とはいえ、それを態度に出すほどの度胸はない。密かな思いを胸に秘めたまま今日この日を迎えてしまったことに、少なからぬ後悔を抱かずにはいられない奏だ。


 それでもたった一度だけ、アプローチのような行動を起こしたことがある。

 それもつい最近のことだ。

 試験が間近に迫ったある日の深夜、勉強疲れと不安で眠れなくなってしまった奏は、つい颯太に電話をかけてしまった。

 そんなことをしたのは、初めて。ケータイの番号はずっと以前に教え合っていたけど、実際にかけたことなんか一度もなかった。

 颯太も始めは驚いた様子だったけど、いつもと変わらぬ声で話しをしてくれた。

 ほんの数分間。普段通りの他愛ない会話が、心の乱れを掻き消してくれた。


(やっぱり合格できたのは、あいつのおかげかな)


 だがあの夜以降、二人の間にこれといった進展はない。それどころかその翌日でさえ、颯太は実にそっけない態度で接してきた。


(それはまあ、私がそうお願いしたんだけどさ)


 一緒に窓の外の満天の星空を眺めながらの、二人っきりの深夜のおしゃべり。耳元に響く颯太の囁き声に、いつもとは違う甘え声になってしまう。

 恥ずかしさのあまりつい「誰にも内緒、二人だけの秘密だよ」などと口走ってしまったけど、後から思えばあんなセリフを吐いたことの方がずっと恥ずかしい行動だった。

 そのせいで翌日もその翌日もまともに目を合わせることすら出来ず、颯太以上にそっけない態度を取っていた奏だ。


(あーあ、やっぱりバレンタインはもっとちゃんとすれば良かったかなあ)


 何もしなかった訳ではない。一大決心をして、確かにチョコを渡したのだ。ただし、1個20円の駄菓子チョコを、女子も含めたクラス全員に。


(だって、本気だなんてバレたら恥ずかしいもん)


 当然ホワイトデーのお返しも飴玉1個だったが、奏がそのたった一個の飴玉を引出しの奥に大切に大切に仕舞い込んだのは言うまでもない。


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