口なしタイピストと魔物に愛されナレーター
衣谷一
声を取り戻す
ほんの数分前まではシャッターの目立つ商店街だった。物を売り買いする場としての力を失って、残るのは駅への通り道か、あるいは新しい商売の場への通り道。住宅街と駅との間にある歴史の名残だった。
しかしどうだろう、目の前に広がる惨状は。
まともに建物と言えるもののはわずかだった。数年前からシャッターをおろしている吉田文具店と、さつま揚げでテレビやら何やらで時々話題になるたまき鮮魚店だけだ。だがひどくひび割れた壁は今にも崩れ落ちそうで、正面のガラスやらショーケースやらは粉々だった。
産業廃棄物としか思えない瓦礫のせいで、ある人にとっての通学路、ある人にとっての通勤路は見る影を失った。ただ一面のコンクリート片。まるで大空襲にでもあったかのよう。
崩壊した河原をバランスを崩しながら走るのは高町洋祐である。濃い緑色の制服にはべっとりと血のような粘り気がまとわりつき、その色が制服の色と思えてしまうほどだった。よく見れば手や顔にもべったりと浴びている。
足元のコンクリート片にも赤いペンキがてらてらと光っていた。一つや二つではない。見渡す限りずっと、である。
高町が駆けるは海の中心だった。
女が一人倒れている。ただならぬ有様だった。全身が真っ赤だった。衣服はボロボロでもはや布切れだった。布切れからのぞく肌もまたボロボロで、赤黒い質感がひどい。血抜きをされていない肉だ。最も悲惨なのが腕だった。右腕はちぎれて左足の下敷きになっていた。左腕は繋がっているが、指の半分は明後日の方向を向いている。指先にはキーボードが転がっていて、人差し指でIのキーを何度も押していた。
せきこめば血が飛び散った。
「ゆー、ゆー」
発せられる言葉は日本語の形をしていなかった。ただの音だが、しかし高町にとってはっきりとした意味を持つ言葉に聞こえた。
――洋祐、洋祐。
「しっかりしろ、相手は全部倒してきた。後は三和を回復すれば終わりだから」
「ゆー、ゆー」
「いいから黙ってろ! 俺の目を見ろ、俺の言葉をちゃんと聞け」
駆け込んだ高町は三和に馬乗りとなって見下ろした。ふいに起きる咳で血を浴びようが気にも止めなかった。高町にとっては些事である。生きるか死ぬかの崖っぷち、それどころか脚を踏み外しているのを無理矢理に拾い上げようとしているのだから当然だった。
腕があったところからはリズミカルに血が流れ出てくる。
「いいか、お前には無限の力があるんだ。いくらでも何度でもわきあがる力。腕がどれだけ千切れようと、指がどれだけひしゃげようと問題になんてならない。だってすぐに復活する。不死鳥なんだ。燃えて灰になって、それから再生する不死鳥。灰が腕に変わっただけ。いいか、諦めるな。死ぬんじゃない。俺を置いていくな」
高町が言葉を紡いだ途端、周囲に光が漂い始めた。
かと思えば一瞬、三和の体が気味悪くうごめいた。皮膚の下をムカデやヤスデがゴキブリのごとく素早さで駆け巡る。皮膚のない腕の切り口はどうなったか? 肉が直接波打った。
「力はもっと湧く。お前の力はそんなもんじゃないだろう? 辛い逆境だってはねのけて来られたのだろう? 俺と違って、乗り越えられたのだろう? だったらこの時だって乗り越えられなくてどうする!」
生肉がのたうち回る。折れた指までもが反応して動き回って、ますます骨が折れてしまっているようにも見えた。
「ゆー」
「復活、復活、復活、回復、回復、回復、回復! 三和はこんなところでだめになるようなクチじゃないだろう。お前はまだやることがあるだろう? 気づいていないだけでやりたいことがあるかもしれないだろう? ここで終わっていいはずないだろう」
しかしどうしてだろう、うごめく肉は次第に膨れ上がってゆき。肉は互いに結びついて。骨はぶくぶくと泡立ちながらも棒として伸びていって。
クシャクシャになった指もまた、慎重にアイロンをかけられたかのように、少しずつまっすぐに伸びていって。
「お前は死ぬな、俺を置いていくな」
周囲に漂う光はより一層明るさを増した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます