女神の後始末

「私が世界管理機構の神事人事部長、ダイワ・デンだ」


 翌日。ソフィによって神界に繋げられた電話越しに丸沢は、世界管理機構の神事部長と直接交渉に臨むことになった。退職代行を依頼した者は殆どの場合、翌日から会社に行くことは無く所定の手続きを行う際に会社との間に代行業者が中間で入り、書面でやり取りしながら退職手続きを進めていくようになっている。


 しかし、同僚に迷惑がかかるということで、退職手続きのみ丸沢は任された形だ。つまり彼女は今日も過酷な現場で女神の務めを果たしている。


「退職代行会社『ザ・グレートエスケープ』の丸沢と申します。実はそちらの機構でお勤めになられている見習い女神のソフィ様から退職代行の依頼がありまして——」


 機構の本部職員から神事部に取り次いでもらうと、運よく部長を引きずり出すことに成功した。

 これからが丸沢の腕の見せ所だ。ソフィの為にしくじる訳にはいかない。


「退職代行? ああ、下界で最近よく聞くアレね。本人の代わりに退職手続きを会社に願い出るってやつだろう?」


「お話が早くて助かります。それでは早速本題に——」


「じゃ、君がその資格を持ってるか先に聞いとこうか? 弁護士資格は?」


「東京弁護士会に所属する弁護士です。弁護士バッジも持っております」


「口だけじゃなんとでも言えるよねぇ。どうやって下界からうちに連絡取ったのか知らないけど、神の事情に人間が口を挟まないでくれるかな?」


「そうは行きません。ソフィ様は弊社に依頼されたお客様です。お客様の要望にお応えする為に働く——。その行為に神も人間も関係は無いと思いますが」


「それが大有りなんだよねぇ。とにかく、本人から退職の申し出が無い限り赤の他人からの申し出で、はいそうですかと辞めさせる訳には行かないよ。お門違いてやつさ」


「——勘違いをされているようですね」


「何?」


 丸沢の挑発するような口調に、ダイワ・デンの語気が荒くなる。何のことは無い、今まで相手にしてきたブラック企業のクソ上司がクソ神に取って変わっただけだ。


「労働者には退職の自由が就業規則で保障されております。しかし、一部では脅しや嫌がらせによって退職を撤回させようとする愚劣極まりない企業があるのです。私達はやむを得ない事情で退職を申し出せない労働者に代わって、企業に退職の申し出を行っているだけです。弁護士法第72条に則ってね」


「だから、話が通じないやつだねぇ? まぁぁるぅぅさぁぁわぁぁくぅぅん? うちら神様なの、人間じゃないの? 分かる? ドゥーユーアンダースタぁぁぁン?」


「それこそ、関係無いでしょう? 神だろうが人間だろうが仕事を辞める自由は誰にだってある! それを企業の勝手な都合で縛り付ける! 労働者は企業の奴隷ではありません! あなた神ですよねぇ? 人間にこんな当たり前のこと言われておかしいと思わないのですか?」


「貴様ぁぁぁ! 人間風情が……調子に乗るなよぅぅぅ!?」


「はっきり申し上げましょう。あなたでは話になりません。もっと上の権限を持っている神に代わっていただきたい。建設的に話が進められません」

 

 電話の向こうのダイワ・デンはフゥフゥと荒い息を吐いていたが、クックックッと不気味な笑い声を響かせた。


「……いいだろう。魂処分場のオペレーター女神の退職は認めてやる。その代わりここまで啖呵を切ったんだ。それ相応の補填をして頂かなくてはねぇ?」


 丸沢は心臓を素手で掴まれたような感覚に陥った。否、比喩や誇張表現無しに本気で胸が苦しい。ゼェゼェと呼吸が乱れる中、丸沢は信じられないものを見る。電話機から半透明の腕のようなものが伸びて胸に突き刺さっていた。


「君の命は文字通り私に握られている。ソフィ君から聞いただろう? 今、神界はソウルショックという未曾有の大不況の真っ只中。けれどねぇ、うちの機構だけは増えすぎた魂の処分を上位神達から請負ってるから潤ってるのさ。そこでだ。君には下界の下賤な魂を神界に送る役割を果たしてもらおう。何、普段通り退職代行のお仕事をしてくれるだけで良い。その代わり依頼者の個人情報を全てこちらに流せ。君が協力さえしてくれればもっと、効率良く不要な魂を集めることが出来る。暴走させたトラックで社会のゴミ共を纏めて神界にご招待してあげるからさ」


「そんなこと……できるわけ無いでしょう!?」


「では、ソフィ君の退職の話も無しだ。どうするんだい? お客様の為に働くのが君の信念なのだろう? まぁぁるぅぅさぁぁわぁぁくぅぅん?」


 ギリギリ……と心臓を締め付けられ丸沢は口から血を吐いた。こんなのが神……だと!?

 ただの悪人では無いか! と折れない心でなんとか心臓の束縛を解こうとするがどうすることも出来ない。


 薄れゆく意識の中、視界も霞んで何も見えなくなりかけた時——。雷が鳴った。

 オフィスの目の前の道路にドーン! と落ちた落雷は停電を起こし電話機の電源も落ちる。

 丸沢の心臓を掴んでいた半透明の腕も無くなり、心臓が正常な動きを取り戻した。


「なっ……。何が起きた!?」


「語るに落ちるとは、正にこのことですわね? ダイワ・デン神事部長?」


 昨日、電話で聞いた少女のような可愛い声が耳元でした。息も絶え絶えに後方を振り返る。

 そこには長い黄金色の髪を左右で縦巻きにし、絵画で見るような天使が羽織る白いローブを着た少女が心配そうな表情で丸沢を見つめていた。


「もしかして……ソフィ様ですか?」


「念のために盗聴魔法を仕掛けておいて正解でした。申し訳ないですわ、丸沢さん。わたくしの為に命まで張っていただいて——」


「ここへはどうやって?」


「逆探知で下界の座標を記録しておりましたの。あなたの命を張った交渉のおかげで神事部長の悪事を暴くことが出来ましたわ」


「なんだっ!? 貴様ら!? 誰の許可を得てここにいる!?」


 神界と繋がったままの受話器からダイワ・デンの情けない金切り声が聞こえる。どうやら、向こうの警察に当たる何かが奴をその場で現行犯逮捕したようだ。

 

 間に合ったようですわね……とソフィが安堵したように告げた。

 ゲホゲホと咳き込む丸沢にソフィはミネラルウォーターを差し出す。ありがたく受け取り口に含むと痛んだ心臓が優しく癒されていくような気がした。


「この水は?」


「神界で採取出来る生命力を高める水です。心臓もこれで大丈夫なはずですわ」


「えーと、一体何がなんだか……」


「実際わたくし一人だけではダイワ・デンの悪事を暴くことは出来ませんでした。全て、丸沢さんが救い、私を救ってくれた皐月さつきさんのおかげですわ。彼女は奴の悪事に気づいたのを知られて、口封じの為に私の担当世界に送られたのです」


「そう……でしたか。彼女が——」


 丸沢は三ヶ月前、直接このオフィスに出向いて退職代行の依頼をしてくれた彼女のことを思い返す。丸沢自身も彼女の仕事に対する姿勢に感銘を受けたのだ。だから、どんなに手酷いことを言われようが自らの仕事を全うすることを心に誓った。


「皐月さんに感謝しないといけませんね」


「——その通りですわね。これでわたくしは……機構からやっと退職できますのね」


 こうして、女神から依頼された退職代行はなんとか完遂することが出来たのだった。



 

 時は流れて三年後。丸沢は弁護士として仕事を続ける傍ら、退職代行業を今も続けていた。

 世の中は徐々に労働者に優しい社会になりつつあるが、やはりまだまだ退職代行業は必要とされていたのである。


 そんなある日。増えてきた業務を効率良く捌く為に、新たに秘書を雇うことになった。

 今日はその面接日。時間通りに現れた彼女の姿を一目見て丸沢はあんぐりと口を開けた。


「貴女は……」


「ご無沙汰しておりますわ、丸沢弁護士。ソフィ・リンネ、秘書希望として求人に応募させていただきました。面接お手柔らかにお願いしますわね?」


 

 こうして面接に合格したソフィは丸沢の秘書として働くことになった。

 記憶に残る姿より素敵なレディに成長したスーツ姿の彼女との、摩訶不思議な日々が始まりを告げたのを、この時の丸沢が知るはずも無かった。


終わり

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もう限界ですぅー⋯⋯って女神様から退職代行の依頼がきたんだが? 大宮 葉月 @hatiue

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