三十五話 樹上の道

 一旦、研究所へと戻り、食料調達のため街へ行くことをアルゲニブに伝えた。侵入者対策にアルフェが残していった札を渡そうとしたが、「無くとも分かる。お前が持っていればいい」と言うのでその通りにした。「それは他の利用手段もあるはずだ」とも言われたが、何のことか聞いても答えてはくれなかった。

 そして、僕は腿のホルダーにかけられた二丁の銃を、部屋のサイドチェストにしまった。

 イーフィは気にしなくても、銃があるだけで他の住民たちにとっては「ただの余所者」から「玄の国から来た人間」として捉えられてしまう。店によっては物を売ってもらえなくなることもあるらしい。昔ほど排他的で、かつ緊迫した空気ではないものの、その感覚を今でも持ち続けている者たちは存在する。できるだけ「ただの余所者」として歓迎されるための努力をせねばならない。

 努力、とは言ったが、実のところそこまで努めて何かをしなければならないことは無いはずだ。何せ僕のこの髪色を見れば一目瞭然、砂河で商人のスティンに翠の国の樹人族だと勘違いされる程度には、見た目だけは翠の国の出身者である。実際には出身地は違うし、育ちも違う。しかし、ある程度誤魔化しがきくはずだ。もちろん、そんな嘘をつかなければならないような事態は始めから避けていくべきである。

 研究所の外へ出ると、リアンとイーフィの二人だけがいた。


「ノンはどうした?」

「リストを取りに行かせた」リスト?「キッチンの食糧庫に、食材管理のリストがあったの。それを参考に買えば、大体揃うと思う」


 なるほど、それなら買う物を迷わずに済みそうだ。

 少し経って、ノンがリストを持って戻ってきた。


「ほい、これだよな?」


 紙には様々な食料の名前が記されている。並ぶ文字は丁寧で、ところどころに野菜や果物の絵が書かれていてどこか可愛らしさを感じる。

 リアンの横で、イーフィが「ふむふむ……」とリストを読んでいる。


「イーフィ、これを全部揃えたいんだけど。案内してくれる?」

「は、はい!これなら湖の方まで行かなくても、クァティの露店街で揃えられると思います」

「露店街か、賑やかそうなところだな。その、クァティっていうのは街の名前か?」

「そ、そうです。街の名前というか、ひとの名前というか……」

「ひとの名前?」

「えっと、この土地に生えているほとんどの木は、樹人族と生命で繋がっているんです。なので、ある程度樹齢の高い木と繋がっている長命の樹人の名前が、そのまま街の名前としても使われているんです」

「へえ……」


 樹人族は生まれた土地を離れられない。その理由がこれなのだろうか。少なくとも僕は、樹人族のふりだけはしない方がよさそうだ。絶対に嘘がバレる。

 リストとにらめっこしながら、フワフワと先を歩くイーフィの後をついていく。まずは樹上橋に登らなければ、露店街には辿り着けない。

 道中、僕は日の当たる道にだけ、半透明の白っぽい長い茎と花のようなものが天に向かって伸びていることに気が付いた。木の陰を歩くようにしていれば、ぶつかることはない。翠の国には不思議な植物があるものだ。

 しばらくして、樹上橋の入り口へ着いた。ひとまずは、イーフィは案内人としての役割を果たしてくれそうだ。


 樹上橋は文字通り、木の上に人工的に造られた道である。

 橋の造りは頑丈で、材料として使われている木材は切られても尚、少量の生命力を持っているのだと言われている。だから、腐り落ちることは無い。そのはずだった。


「うお、また橋が崩れてる」

「この程度なら、ジャンプすれば届く」


 クァティの露店街へ向かうまでに、既に崩れかけた箇所を三度通るハメになっていた。全壊しているわけではなく、ところどころ抜けたように崩れていたり、片端を残して橋の幅が半分以下になっていたりという有様である。

 飛び越せばどうにかなる程度なので、道が断たれて立ち往生するような事態には発展していない。


「このあたりは、古い橋ばかりなのか?」僕はイーフィにそう訊く。

「……これ、やっぱり……」


 イーフィは僕の言葉が聞こえていないのか、少し青褪めたような顔で遠くを見ている。「イーフィ?」と呼びかけると、はっとこちらを振り向いて返事をした。


「大丈夫か?顔色が悪いぞ」

「あ、す、すみません、なんでもありません!」


 そう言いながら、イーフィはこちらを向いたまま後ろに下がろうとした。背後にはあの不思議な半透明の茎が橋を貫通してのびており、僕は咄嗟に声をかけた。


「ぶつかるぞ」

「え?」


 イーフィが振り返って、その茎を見た。やはりこれも、見上げると先端に花の蕾らしきものがついている。

 イーフィは目を見開き、僕とその植物を何度も交互に見た。どうしたのかと思っていると、ノンが訝しげに僕を見る。


「おいおい、からかうのはやめてやれよ」僕は首を傾げた。

「からかってなんかいない」

「何言ってんだよ、何も無いのにぶつかるぞーとか言うから、イーフィ混乱してるじゃん」ますますよく分からない。

「……見えないのか?あの茎みたいなやつ」

「茎……?」


 ノンは目を細めたり見開いたりして、そこにあるものを見ようとしている。しかし見えないのか、頭に疑問符を浮かべている。

 僕はイーフィに近付いて、背後のそれに触れてみた。実体に触れているような感覚は無く、見えない層が僕の手に押されて、それに連動するように茎がゆらりと動いた。


「ほら、これだ。本当に見えないのか?」

「……お前、大丈夫か?」


 とうとう可哀想なものを見るような目を向けられてしまった。森でも、樹上橋でもたくさん見かけているので、これは幻覚ではないと思うのだが……

 リアンに助けを求めると、黙って首を振られた。幻覚ではないという自信が揺らいできた。

 イーフィにも見えないのだろうかと、彼女の顔を見ると、呆けたようにこちらを見つめていた。そして、「リン……」とつぶやいた。僕のことだろうか?


「本当に大丈夫か?」

「あ……は、はい。ぼーっとしてしまって……あの……リンさんは、これが見えて、触れるんですね」イーフィは何故か緊張した面持ちだ。

「え、イーフィにも見えるのか?一体何があるんだよ?」


 僕の手の近くにノンも手を出す。しかし、ノンの手は茎をすり抜けてしまった。茎は全く動いていない。


「ここには、導の光という花が咲いているんです。ふつうのひとには、夜にならないと見えないものなのです」

「ふーん?けど、倫には見えてるんだろ?」僕はうなずく。

「リンさんは……」何かを言いかけて、イーフィは首を振る。「そ、それよりも、もう少しで露店街の入り口ですから、行きましょう!」


 イーフィが指差した方向からは、かすかに草木の匂い以外のものが漂ってきていた。彼女が何を言おうとしたのか気になったが、あまりのんびりしすぎて暗い森を歩くことにはなりたくない。今は買い物を済ませることが先決だろう。

ノンが鼻から深く息を吸い込んだ。


「おお、なんか良い匂いがするな」

「お腹が空きそう」

「おい、買い足してすぐ全部食べたりするなよ?」

「多めに買えばいい。全てアルフェマネーだし」

「いいのかな……まあいいか」

「た、たくさん買うなら、良いお店知ってます!」


 イーフィは元気を取り戻したようで、慌ただしく樹上橋を行く。

 なびく緑の髪を見て、ふと僕は郷愁に駆られた。連想したのは母の後ろ姿で、今は亡き故郷の姿が同時に浮かぶ。

 僕の母親は、翠の国の出身だった。陽の国から来ていた父と知り合い、母はこの地を後にした。生前は「倫にもいつか、お母さんの生まれた場所を見せてあげるね」と何度も言っていたが、それは果たされることなく今日に至る。

 もし許されるならば、母の生まれた場所を探してみたいと思った。アルフェが帰ってきたら、それとなく頼んでみようか……そんなことを思案しながら、露店街へと歩を進める。

 この時はまだ、あのような形でその願いが叶うことになろうとは、夢にも思っていなかった。僕が油断していたから。なんて、そんなことはただのきっかけに過ぎない。それは僕が生まれる前から既にあったのだ。

 おそらく、運命と呼ぶべきものが。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

End of Ruin -salvation tale- 阿騎のま @akinoma

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ