三十四話 蠢く闇
「イデアだ!」
僕は反射的に双剣を引き抜き、その気配のもとへ駆け出した。
背後からリアンとノンが追ってきていることを感じ取り、速度を上げる。そこへ辿り着くまで一分もかからなかった。
背の高い木の下で、蠢く闇が誰かを襲っていた。甲高い悲鳴が群がる闇の中から聞こえてくる。
「今助ける!伏せろ!」
僕はそう叫び、闇を切り開くように双剣を薙ぎ払った。切り裂かれた闇はぼとりと地面に落ち、淡い光の粒子となって消えていく。それを見て、これは特殊型ではないと判断した。それならば、僕たち三人で充分事足りる。
イデアに襲われていたのは緑の髪の少女だった。白いワンピースのような衣を纏っていたが、ところどころが破れてしまっている。驚いたように見開いた目で、こちらを見ていた。
まだイデアは全滅させていない。少女の背後に迫っていたイデアへ、左手に握っていた剣を投げつけた。勢いのまま剣はイデアを切り裂いて地面へ刺さる。その間に少女の手を引っ張り上げ、強引に立たせた。
「動けるか?」
「あ、え、たぶん……!」
「なら行け、向こうだ!」
少女の背中を押して、イデアのいない方へ向かわせる。入れ替わるようにリアンが大剣を構えてやって来た。そのままイデアを押し退けるように、大剣を横一文字に大きく振って数体のイデアを滅する。
リアンの攻撃を避けるように獣のごとく飛びかかってきた闇の塊を僕は剣で払い除け、空いたままの左手を腰の鞘へ伸ばす。鞘のベルトに付けられた短い鎖に触れた。すると、先ほど投げた双剣の片方が地面から鞘の中へと瞬間移動した。収納魔術を使えない僕が、武器を失くさないために使用している魔術道具の効果だ。
イデアの残りは四体となった。こちらを翻弄しようとしているのか、すばしっこく動き逃げ回っている。
「対イデア用弾装填完了!」
ノンの合図を聞き、僕はリアンと視線を交わし、挟み撃ちをするべく互いの距離を取った。両側から追い込むように素早く剣を振るう。リアンが魔術を使って、森の中へ逃げないよう壁を作る。
僕とリアン、そして壁によって追い詰められたイデア共は、後方で構えていたノンの銃射撃によって消滅した。
「……イデアの気配は無い」
僕は周囲を注意深く見回して、そう告げた。三人同時に息を吐く。
「はぁ、あいつら本当に突然出てくるよなぁ」
「それがイデアだ。ところで、さっきの子はどこに行ったんだ?」
「ああ、倫と同じ髪色してた女の子だろ?さっきまで俺の後ろにいたと思うんだけど……いないな」
「そうか、ちゃんと逃げられたならいいんだが……」
僕は双剣を鞘にしまい、研究所へ戻ろうと歩き出した。だが、リアンの呼びかけによってその足を止めた。
「何してるの、そんなところで」
振り返ると、リアンがすぐそばの木を見上げていた。誰に言っているんだ?
僕とノンも、同じように木を見上げる。すると、ガサガサと葉の音を立てて、何かが顔を出した。
「ち、ち、違うんです!」
先ほど助けたばかりの緑髪の少女だった。何故かひどく焦った様子で、何かを弁明しようとしている。
「何が違うの?」リアンの問いかけは冷静で対照的だ。
「い、いや、えーっと……!」
「……とりあえず、降りて来たら?もうあの黒いの、いないぞー」
まるで小さい子か、降りられなくなった猫でもあやすようにノンが言う。
少女は迷ったように視線を泳がせ、そしてその迷いを振り切るように首を振った。太い枝からその身を宙へ投げ出す。僕は一瞬ぎょっとしたが、少女の体は地面に叩きつけられることもなく、羽根が落ちるようにゆっくりと着地した。
「あ、あは……あっ、た、助けてくださってありがとうございましたっ!」
少女は何か誤魔化すように笑みを浮かべたかと思うと、勢いよくお礼を言った。翠の国に住む者はヒトではない種族が多いため、見た目通りの年齢ではない場合がままある。相手によっては侮った話し方をすると怒りを買うこともあるのだが、この子の場合その心配は無さそうだ。
そわそわと落ち着きなく手を胸の前で合わせながら、僕のことをちらちらと見てくる。なんなんだろう。
「……そんなに怖かったのか?」
「はっ、そ、そうですね!汚穢の徒は、最近みみ見なかったので!」目を逸らされた。
「オワイノトモガラ?」僕はおうむ返しに言う。「ここでは、あれをそう呼ぶのか」
「そ、そう呼びます!」
「へぇ、なんか小難しい呼び名だなぁ」
「あ、あのですね、ところでなんですけど……み、皆さん」
少女の呼びかけに、僕たちは注目する。自ら呼びかけたのに、その注目にビクリと身を震わせている。すーはーと深呼吸をして、意を決したように言った。
「たっ助けてくださったお礼をさせてもらえませんかっ!?」
「…………」僕たちは黙って顔を見合わせる。
「えっと、必要なものとか、行きたいところとか、もしあったら私が……め、迷惑でしょうか……!」
「いや、迷惑というか、べつにそこまでのことをしたつもりは無いんだ。気にしなくていい」
僕がそう返すと、少女は困ったように「あ、あれ……?」と眉尻を下げた。
僕たちにとって、イデアの討伐は当たり前の仕事である。感謝されるのは嬉しいことではあるが、それ以上のものを受け取ることは無い。
ノンが肩をつついて小声で話しかけてくる。
「なぁ、今の俺ら、軍の作戦行動とかで動いてるわけじゃないだろ?後方で救護や通信や兵站が控えてるわけでもないんだぜ」
「それはそうだな」
「だったら、もらえるもんはもらっておいた方がいいんじゃねぇ?」
「む……」たしかに、一理ある。
「それに何故かわからんけど、困ってるっぽいし」
「あたしもノンに賛成かな」小声会議にリアンが加わる。「あの子は怪しい」
「怪しいって?」
「このあたりはまだ研究所に近い場所。獣の類なら、うろつくこともあるだろうけど、あの子は妖精みたいだよ」
「え?妖精って、もっと小さい感じじゃなかったっけ?子どもって意味じゃなくてさ」
「さっき木から飛び降りた時、見えなかったの?薄らとだけど、背中に羽が見えた」
「それは気付かなかったな……けど、妖精族は翠の領土ならどこにでもいると聞くし、偶然という可能性もあるぞ。他に何か理由があるのか?」
「あの子、ノンの武器や倫のホルダーの銃器を見ても、それについて一切反応していない。あたしたちが玄の人間だって分かっていて、あえて接触してきている気がする」
言われて初めて気付いた。たしかに少し妙かもしれない。
銃火器の類は、玄の国でしか生産されない。当然ながら、翠の国では流通すら許されていないものである。多種族の集まる中心地などで銃火器を取り出すことはおろか、携行しているだけでも非難の目が集まるに違いない。場合によってはそれだけでは済まないこともあるだろう。ここが人気の無い森の中であったから、研究所にほど近い場所であったから、普段通りに戦えたというだけだ。妖精族という、ある意味で翠の国の象徴的な存在が、それを完全に見逃すとは思えない。
そう考えてみたものの、そこは個人の裁量でどうとでもなるのではないだろうか。違和感があるのは確かだが。それに。
「接触って言っても、先に近付いたのは僕らの方だぞ」
「イデアの出現は偶然だと思う。けど、あの子がここにいたのは偶然じゃないと思う」
「……僕たちを監視していたとでも言うのか?」
「あたしたちじゃなく、アルフェだったかもしれないけど」
「えぇ?それなら、断っておいた方がいいんじゃ?なんで賛成なんだよ」
「いや、リアンの言う通りだったとしたら、目の届くところにいてくれた方がいいかもしれない。見えない場所で不穏な動きをされても困るだろ」
「うーん、なるほど……?」
ノンだけは微妙に納得しきれていないようだったが、結局多数決で妖精少女としばらくの間行動を共にすることに決定した。
大人しく僕たちの話し合いが終わるのを待っていた少女にそれを伝えると、安心したように胸を撫で下ろしていた。こうも感情が表に出ている様子を見ると、疑っている我々の方が悪いような気もしてしまう。しかし、アルフェがいない現状では些細なことにも警戒を怠らないようにしておくべきだろう。
「名前を聞いておかないとな。ちなみに俺はノンで、こいつは倫、こっちの帽子がリアン」
「わ、わたしはイーフィです!よろしくお願いします!えと、ノンさん、ルィンさん、リアンさん!」
僕の名前だけ発音がおかしいが……いつものことだし、まあいいか。
「よろしく、イーフィ」
イーフィは嬉しそうに笑った。
彼女は本当に僕たちを、もしくはアルフェを監視していたのか。もしそうだとすれば、その背後で指示しているのは、報告を受けているのは誰なのか。それとも全ては勘違いなのか。その答えを知るには、これからイーフィを探っていくしかない。
楽しそうに翠の樹上街のことを話し始めたイーフィに、多少の罪悪感を覚えながら、僕たちは森を後にした。
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