一番後ろのキノコ頭
小石原淳
一番後ろのキノコ頭
変だなと思い始めたのは、足の骨折が完治して退院してから一ヶ月くらい経った頃だった。
僕らの通う小学校は班単位で登校する。男子と女子で別々にだ。下校のときはばらばらなのに、朝の登校ではひとかたまりになって行くというのは、やっぱり朝の方が交通量が多いせいなのかな。あ、ちなみに僕の足の骨折は四月の終わり頃、登校中に乗用車が突っ込んできて、逃げ損なった結果だ。低学年をかばったみたいに思われて褒められたけれど、心の中ではちょっと恥ずかしい。もちろんかばう気持ちはあったものの、それ以上に怖くて足がすくんだっていう理由の方が大きかったんだ。
それはさておき、六年生は班の先頭に立つか一番後ろに着くのが決まりで、僕は先頭に立つ二人の内の一人だった。僕の隣を歩く男子は、
後ろにも二人、
学校に復帰した僕がおやっと思ったのは、加藤君達の後ろにもう一人、男子が着いて来るようになっていたことだ。入院前にはそんな子はいなかった。背は普通よりもちょっと低めで、マッシュルームカットの髪型が意外と似合っている。大きくて丸い眼鏡をしており、光の反射の具合か、眼の様子はあんまりよく見えない。
僕は時間ギリギリに集合場所に駆け付けるのを当たり前のようにしていたので、復帰初日には人数が増えたことに気付かないでいた。その後も相変わらずギリギリに行っていたが、新しい男子の存在自体には程なくして気が付いた。けれども自己紹介をする余裕がなく、こっちからも向こうからも特に話し掛けずに済ませていたものだから、その男子の名前すら知らずにいた。
一度だけ、柳丘君に聞いてみたんだ。赤信号で班が前後に分かれてしまい、後方の数名を待つ間のことだ。
「なあ、一番後ろにいる奴って何て名前?」
「一番後ろ?」
柳丘君は勘違いをして、今途切れた班のこちら側、つまり渡りきった中での最後尾のことだと思ったらしく、三年生の名前を口にした。
「いや、そうじゃなくって」
訂正をしようとした矢先、信号が青に変わり、僕らはぼちぼちと動き始める。と同時に一年生が柳丘や僕に話し掛けてきた。昨日観たアニメがどうのこうのと、相手にしないと収まらない。結局、僕からの質問はうやむやになった。
早めに集合場所に行ってでもその男子とちゃんと挨拶しようと思わなかったのは、僕がそれだけ朝に弱いせいもあった。加えて、わざわざ習慣を変えなくたって、学校でいつかすれ違うだろうから、そのときタイミングがよければ話し掛けて、遅くなったけれどお互いに名乗ろう、と笑い話っぽく持って行けばいいと考えていたからだ。
ところが。
最初の内は、あいつ、いないなあ。僕は一組だから、一番離れている五組なのかな。それにしても見掛けない、なんて風にのんきに構えていた。
でも一ヶ月近く経過するとおかしいぞと思えてくる。意識的に探しているのに全然見当たらない。ついには五組の教室の前まで行って、中を覗いてみた。が、いなかった。五組の誰かに聞こうにも、名前を知らないのだから尋ねようがない。少し悩んで、「転校生が来たんじゃないか?」と聞いてみたが、転校生なんかなかったよという答が返ってきた。
じゃあ他のクラスだと思い直し、四組でも同じ質問をしてみた。返事も同じくノー。三組、二組と遡って聞いてみたけれども、結局、転校生なんて来ていないらしいことが分かっただけだった。
もしかして五年生か? そんな考えが浮かんだ。五年生は六年生よりも内側に並ぶのが普通だけれども、歩くスピードが遅くて、どうしても後ろになってしまう場合があるのかもしれない。
僕は五年生のクラスに聞きに行くつもりだった。けれどもそれより先に、柳丘君の耳に、僕が転校生がいなかったかどうかを聞いて回っていることが伝わった。
「何だよ、俺に聞けば一発だったのに」
「聞こうとしたんだけど、邪魔が入ったんだ」
僕は何だかほっとした気持ちになりつつ、彼から納得の行く説明が聞けることを期待していた。しかし、そうはならなかった。
「転校生なんか来てねえよ」
「えっ。嘘だあ」
「嘘なんかついて何の意味があるってんだ。うちの区の班だけじゃなく、六年生にも五年生にも、それどころか全学年に聞いても転校生なんか入って来てないぜ」
「そんな馬鹿な。加藤君と佐々木君の後ろにいたよ。背が低めとは言っても二人の間からちらちら見えるだろ」
「何を言ってるのかさっぱり……」
僕はきょとんとする柳岡君に、その男子の姿形を話して聞かせた。キノコ頭の眼鏡の男子だと。
「うーん、見た覚えないなあ」
柳丘君の反応は鈍かった。その目つきは僕を訝しんでいるようだ。つまり、僕の方が嘘をついて、柳丘君をかつごうとしていると思われたみたい。
「本当なんだってば。明日、注意して見てれば分かる」
「焦るなって、明日は休みだぞ」
肩をぽんと叩き、笑いかけてくる柳丘君。
「今になって思い出したんだが、ひょっとすると妖怪か何かもしれないぜ」
「はあ?」
何を言ってるんだ、妖怪だなんて。あまりのことにすぐには反応ができない。そんな僕をおいて、柳丘君は続けた。
「東京の従兄から聞いた気がするんだよ。だいぶ前だから忘れかけてたけれども、ぼんやり思い出してきた。都市伝説であるんだって、そういうの。確か名前が……キノコル君だったっけ」
「キノコル……」
随分とユーモラスな名称だ。妖怪というイメージからは掛け離れている。
「眼鏡をしていたかどうかまでは聞いた覚えはないが、ヘアスタイルはキノコの傘みたいな形で、年齢っていうか背格好は小学校中学年ぐらい。夏でも冬でもチョッキを着ている」
服装はどうだったかな。今朝は青っぽいベストを着ていたような、違うような。
「僕が見たのがそのキノコルだとして、そいつは何か悪さをするの?」
「キノコルの方から悪いことをするって言うんじゃないらしい。ずーっとつきまとって、何となくうざいな、鬱陶しいなって思わせるだけ」
実際的な害はないらしい。だけど、つきまとってきて鬱陶しいなんていう存在は、それはそれで気になるし、嫌な感じだ。
「見える人と見えない人があるのかな……?」
「さあ? 従兄はそんなことを言っていたように思うけど、何か条件があって見えるとかは言ってなかった、多分」
「見える僕は、どうしたらいいんだろ? 対策っていうか、そいつに弱点はあるのかないのか」
「無視するか追っ払うかしかないんじゃねえの。ああ、けど、登校中につきまとわれるのはやはり危ないよな。無視するよりは、追っ払った方がいいか」
「追っ払うって……話し掛けても大丈夫なのかな」
「知らねえって。けどまあ、こうして都市伝説が残ってるくらいだから、キノコルに関わったからといって死ぬってわけじゃないだろうぜ。死んだら誰も言い伝えを残せないからな。ははは」
他人事みたいに柳丘君が笑って、このやり取りはおしまいになった。
次に学校がある日、僕は一念発起して早起きした。それから余裕を持って集合場所に行った。今日はキノコルにはっきり言ってやろう、そしてできれば他のみんなにもキノコルがいることを認めさせようと、そう決心していた。
だが、息せき切って行ってみて、拍子抜けした。キノコルの姿はどこにもなかったのだ。念のため、女子達の方にも目を向けたけれども、当然ながらキノコ頭は見付からない。
「珍しく早いと思ったら、女子の誰かに告白するとか?」
少しだけ遅れてやって来た柳丘君に、背後からそんな冗談を言われた。振り返った僕の表情は、笑うどころではなく必死の顔つきになっていただろうな。
「そんなことよりも、キノコルは?」
「キノコル? ああ、キノコル君か。来てないってか」
「そうなんだ、いないんだ。いつも何時頃に来てるんだろう?」
「元々、おまえにしか見えてないんだし、俺に聞かれてもな」
片手を後頭部にやり、戸惑い混じりの苦笑を浮かべる柳丘君。確かに彼の言う通りだ。聞いても仕方がない。
もしかしたらキノコルは、普段の僕よりもほんの一瞬早く現れて、班の一番後ろについているんじゃないだろうか。そう考え、出発時間までそわそわして待ってみたが、とうとう姿を見せることはなく、僕らは学校に向けて出発した。
もちろん僕は出発して間もなく、後ろを振り返り、加藤君達の後ろをようく見た。
いなかった。
僕がキノコルという正体を掴んだせいなんだろうか。キノコ頭のあの男子は影も形も見当たらない。
それでも安心はできない。僕は登校中、しばしば背後を振り向いた。班の順番は男子が先で、そのすぐあとに女子だから、僕が女子の誰かを気にしている風に見えたかもしれない。柳丘君は事情を知ってるので、からかってこなかったけれども。
信号のある横断歩道を何度か通り、歩道橋を渡って、やがて学校が見えてきた。
キノコルは一向に現れない。このまま出ないでくれ、今日も明日も、ずっと。僕は心の中で念じ続けた。
そして通学路最後の短い横断歩道を渡り始めたそのとき。
大きめの乗用車が物凄いスピードで突っ込んできた。
* *
僕は再び、足の骨折で入院する羽目になった。前回とはちょうど反対の箇所だった。
結局のところ、キノコル君てなんだったんだろう?
二度目の交通事故に遭い、骨を折ったそのときは、キノコルの存在が気になって注意散漫になっていたからだ!と憤慨した。
その考えはしばらく頭に残り、怒りが収まらなかった。
でも、見方をちょっと変えたらどうだろう。
僕の骨折は、キノコルがいないときに起きた事故のせいだ。一度目も二度目も。
言い換えると一度目の事故は、キノコルがいないから発生したのかもしれない。そして僕が骨折という重傷を負ったことで、キノコルはこれはいけないと見張りに現れたのだ。
加藤君と佐々木君との間でおしゃべりが減ったのも、キノコルがいたからじゃないか? キノコルが二人の後ろにぴったりくっついて、無言のプレッシャーをかけ続けた。その気配を何となく感じ取った加藤君と佐々木君は自然と口数を減らした。
言うなれば、キノコル君は交通安全の守り神なのかもしれない。
なのに僕と来たらキノコルの存在を怪しんで、柳丘君のアドバイスがあったからとはいえ、追い払おうとさえした。
そんな空気を敏感に察したキノコル君は姿を見せなくなり、守り神のいなくなった僕らの班には、またもや車が突っ込んでくることに……。
この想像が当たっているんだとしたら。
戻って来てよ、キノコル君。
僕の骨折が治ったら、ううん、治る前から僕らの班の登校を見守って欲しいんだ。いいかな?
おわり
一番後ろのキノコ頭 小石原淳 @koIshiara-Jun
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