ニュートラル

水谷一志

第1話 ニュートラル

 僕は、物事に関心が持てない。

 そう、何もかもどうでもいい。

 それは、心のギアがパーキングになったかのように。


 10月。9月の残暑も一段落し周りに長袖の制服が増えてくる頃。

 特に僕、久本城二(ひさもとじょうじ)が昔夢中だったサッカー部に所属している連中は、なぜだか長袖率が高い。

 きっと、季節を先取りするのがおしゃれだと思っているのだろう。

 でも僕は今はサッカーはしていない。今ではそれを見るのも嫌で、テレビでJリーグの中継なんかが流れてくると絶対にチャンネルを変えるほどだ。

 そう、僕の心のギアはパーキング。いくらアクセルを踏み込んでも動かない。そしてもう二度と、動くことはないであろう。


 そんな中の高校の授業。今は世界史。……全くやる気が出ないな。

 今日はよく晴れた日なのに、こんな時なのに黙って授業を受けるなんてバカバカし過ぎる。

 いや、僕は天気すらどうでもいいはずだ。ただ、それを言い訳に授業をサボりたいだけ……だと思う。

 「今言った通り、三十年戦争下でフランスはハプスブルク家と対立していたため、カトリックの国であるにも関わらず新教側を支援した。この背景はテストに出るから覚えておくように」

 そんなのどうだっていい。ただ、人間は自分の利益のためなら、考え方が同じ人間でも裏切ることができるのか……。僕はその事実に絶望するだけだ。そう思いながらサッカー部の連中をチラリと見ると、大抵は寝てるかノートに落書きをしている。きっとあいつらにとって、ヨーロッパはサッカーの舞台でしかないのだろう。どうせ今度のワールドカップの優勝国候補がいっぱい出てくるとしか思ってないに違いない。……と思うと、自分は一応授業の内容は聞いていると思い我ながら誇らしくなる。と言っても明日まで覚えている自信はないが。


 そんな中僕はまたチラリと目を横にやる。そこには……、森田光紀(もりたみつき)。僕の幼なじみだ。

 中学時代から続けているショートカットに、大きな瞳。それに低い身長。まあ一般的に言って光紀は「かわいらしい」タイプの女の子だ。だから男子からの人気もそれなりに高いのだが……、僕の情報が正しければ、高校に入って2年も経つのに光紀には彼氏はできていない。

 

 『城二くん、サッカー止めちゃうんだね……』

そして光紀に目をやった瞬間、僕はフラッシュバックでも起こったかのように記憶が蘇る。

『まあね。サッカーって足の動きが大事なスポーツじゃん?それで股関節の怪我はよく起こるんだけど、僕のはひどいみたいだね』

『ひどいみたいって……。何か他人事みたい』

『いいんだ。日常生活に支障はないみたいだし。まあ高校ではしっかり勉強するよ』

『そっか。じゃあ勉強頑張って。約束してね!』

『分かった』


 あの時、僕は光紀と軽い約束をした。それはただの口約束……。いやそんなレベルでもなかっただろう。ただ、それを約束とするなら、僕は約束を守れていない。今の僕はかつての熱血サッカー少年ではない。そしてそれに代わるものも今の僕にはない。僕は何にも興味ややりがいを持てず、ただ無為に日々を過ごす中二病をこじらせたような高校生だ。


 対する光紀の方は……。

今度は僕が熱血サッカー少年だった頃の記憶が、なぜだか蘇る。

『私スポーツのことはさっぱり分かんないや。野球も、サッカーも……』

『ああそう?僕は今サッカー以外に興味あるものないけどね!』

『それより私は本の方が好き!』

『へえー。好きな小説とかはあるの?』

『いっぱいあるよ!それに好きな作家さんも……!』

『でも僕が聞いてもたぶん分からないな』

『まあ城二くんは頭悪いもんねー』

『いや最後の一言は余計だから!』

そう言い合い、中学時代の僕たちは笑っていた。それは楽しい思い出の一つ。……だが、サッカーができなくなってしまった今の僕からすれば、それは辛いものを呼び起こさせるものかもしれない。


 中学時代は仲の良かった僕たちだが、僕がサッカーを止めてからは話す機会がぐっと減った。そして同じ高校に進学したのだが、それからも何となく疎遠になっている。ちなみに高一の時は別々のクラス、今は同じクラスになっているが、あんまり話す機会はない。

 別に意図的に避けているわけではない、僕はそう思っている。いやでもやはり僕は無意識のうちに避けているのであろう。ちょうど通学路に嫌な番犬がいたら、その道を通らなくなるように。それは完全なシャットアウトではなく些細なもの。でも、そんなことが今の僕には大きかったりするのだ。


 そんなことを考えているうち、僕はあることに気づく。

 光紀は人の話を聞く時、いつも猫背で顎を上に上げている。あと口は半開き。その仕草は小さな光紀の背や顔、掌など体全体と相まってかわいらしいのだが、その大きな目が、今日は……。

 何か覇気がないのだ。

 それは授業に退屈し、何事にも関心が持てない僕が勝手にそう思い込んでいるだけなのだろうか?いやでも体の割に大きな目は半分以上閉じかけている。かと言って眠そうというわけではないのだが。ただ、この授業を光紀は退屈しているだけなのだろうか?

 でも……。

 そういえば光紀のこんな顔、前にも見たことがある。それは数学の授業の時だったか?やっぱり光紀は退屈で「無関心」といった表情をしていた。その時も口は半開き。

 そこでまたも昔、僕と光紀が仲が良かった時の記憶がフラッシュバックする。


 『光紀は小説のどんな所が好きなの?』

『そうだなあ……。やっぱり登場人物たちの思いかな。出てくる人物に思いを巡らせるのが好き!』

 中学時代は、男子より女子の方が早熟だとよく言われる。この時、精神レベルが低かった僕は光紀の言っていることがよく分からなかった。

『……何かサッカーの方が単純そうだな』

『そうかな?でも城二くんみたいな単細胞がそう言うんだったらそうかもね!』

『いやそれフツーに悪口だから』

そう言い合って僕たちは笑う。

『それで光紀は……、恋愛小説とかが好きなの?』

 それでも当時の僕にとってはかなり背伸びしている。まあ僕は当時から光紀より背は高いし、心の中でそんな意地を張ってそう訊いてみたのだが……。

 光紀の答えは僕の予想とは違った。

『いやそういうわけでもないかも』

『えっじゃあどういう小説が好きなの?』

『まあ……、一般的に言う所の暗い小説、かな』

『暗い……か』

 この時僕は、光紀の意外な一面を見た気がした。

光紀は中学の時から底抜けに明るいタイプではなかったが、かといって友達が一人もいないタイプではなかった。光紀の周りには当然人がいたし、光紀も休み時間には友達と楽しそうに笑っていた。……なのに、なぜ?

 僕がそういった旨の質問をすると、

『まあ城二くんも、大人になれば分かるよ』

『いや僕たち同級生でしょ?』

『確かにそうだね!』

そう言って光紀はキャハハと笑っていた。


 あの時光紀は「暗い小説」が好きと言っていた。……ということは、光紀は何か心に闇を抱えているのだろうか?

 いやでも何か違う気がする。ただ……、僕はまた昔の記憶を呼び起こす。


『城二くん、城二くんは何か無性に疲れることとか、ない?』

『そうだな……、部活の練習終わった後とか、かな?』

『それは体力的にでしょ?そうじゃなくて、精神的に』

『いや特にないかも……』


 その時の僕は、中学時代の僕は光紀の言葉の意味が分からなかった。

でも今なら分かる気がする。今の僕は……、全てに疲れているのだから。

 僕のフラッシュバックは続く。


『そっか。城二くんは楽天的だね』

『そう?』

『私、最近いっつも疲れてるよ。……人間関係とか』

『はあ……』

『何かスクールカーストってやつ?ホント面倒だよね』

『友達が嫌いなの?』

『いや仲いい子といると楽しいよ。ただ……、ヒエラルキーとか面倒なだけ』


 その時分からなかったことが、後になって実感できるということは誰にでもあるのだろうか?僕は中学時代はサッカーに本当に夢中で、それ以外のことが見えていなかった。

 でも、今なら光紀の言っていることは分かる。

 いや、本当に分かっているのだろうか?

 僕の心は今はパーキングだ。だから何を見ても感動しない。全く動かない。

 でも、光紀も同じなのだろうか?

 そうやって光紀の横顔を見つめていると……。

 僕の中に、ある思いが芽生える。

 それは僕の気持ちがパーキングになったから、無関心になったから分かること。

 

 光紀は……、決して心がパーキングなわけではない。

 そう、光紀は僕とは違い、「無関心でいることが好き」なのではないか?

 もちろん友達がいないわけではないが、常に周りに一線を引いている光紀。

 それは確かに無関心、無感動なのかもしれない。

 でも、僕とは違う。僕はただ自分のやりたいこと、サッカーを取り上げられて、投げやりになっているだけだ。心をまた動かすのが怖いだけだ。

 何もかもいやなふりをして、臆病になっている自分。見苦しい自分。

 でも、光紀はあえて無関心でいる。そうそれは「パーキング」ではなく、ギアが「ニュートラル」になっているみたいに。

それは他の人から見れば、「冷めている」と映るかもしれない。

でも、人間は必ずギアを上げなければならないのだろうか?

 光紀みたいに、物事に対して線を引いてギアを上げない、「ニュートラル」な人間がいてもいいのではないか?

 それは、僕みたいに決してネガティブではない。もちろんポジティブとは言えないだろうが、何物にも囚われない自由な生き方。

 そしてそんな光紀の心が……、今の僕なら、そのことに気づいた僕なら少しは分かる。


 ずっと光紀の横顔を見ていた僕と光紀がふいに目が合いそうになり、僕は慌てて黒板の方を見る。

 そして、僕の中である想いが芽生える。

 いや、これは芽生えたのではない。ずっと前から心の奥底にあって、それが外に出てきたものだ。

 僕は、たった今、本当にたった今光紀のおかげで大事なことに気づかされた。

 もう、パーキングでいるのは止めよう。

 これから先、自分がサッカー以上に熱中するものができるのかどうか、分からない。

 でも、何か見つけよう。

 そしてできれば……、光紀のギアも、ニュートラルではなく何かに上げて欲しい。

 もちろんこれは光紀にとっては迷惑なことかもしれないが、僕は光紀とギアを共有したい、そんな想いにさえ囚われてもいる。

 僕は……、光紀みたいにニュートラルになれるかな?

 いやおそらく無理だろう。僕は本来、何かにギアを上げないと生きていけないタイプの人間だ。

 そして光紀にもそんな喜びを知って欲しいと願うのは、僕の勝手な願いだろうか?

 僕はそんな想いを持つ。


 気づけば授業終了まで5分前となっていた。

 決めた。この授業が終わり、休み時間になったら光紀に話しかけよう。

 久しぶりに、二人で遊びにもいきたいな。

 そうやってもう一度僕が光紀の顔を見ると、相変わらず光紀は口を半開きにして退屈そうに授業を聞いている。

 そんな光紀を見て、何だかかわいいなと思った。


 それは、授業終了5分前の出来事。

 想いが通じる、5分前の出来事。  (終)

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ニュートラル 水谷一志 @baker_km

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