はかなき百合の花

@shopii

第1話

僕はこの春から念願の県立T高校に通い始めた。

県内でもトップクラスの進学校で女子の顔面偏差値の高さも有名だ。僕にとっては自転車で通える魅力に加え憧れの眼差しを感じつつの通学はまさに最高の気分だった。

進学校での授業はペースも速く自宅での勉強は欠かせない。慣れるまでは自宅と学校とを往復する毎日だ。

僕の家は新興住宅地と呼ばれる市街地から少し外れた小高い丘の上にあった。行きは下りが多いため楽チンだ。市街地の大通りに出るまで20分。そこから15分足らずで学校に到着する。


その日も朝から初夏の爽やかな風を頬にうけながら自転車をこいでいた。

昨夜、母親と進路について口論となりそのことを考えながら自転車をこいでいた。

大学への進学はもちろん目指してはいるものの東京で花の大学生活を送ってみたい。合コンやサークル活動、アルバイトをしながら一人暮らしをする。目指すはとびきり美人な彼女を作ること。そんな夢のような時間を長い人生の中で味わってみたいのだ。もちろんそんな理由を母親には話せないが。


「東京の大学?どこにそんな余裕があると思ってるの?そこに国立の大学があって家から通えるっていうのに何を言ってるの?」

「めちゃくちゃレベル高いやん。けっこう厳しっしょ」

「じゃあなんのためにT高校に進学したの?高校が終わりじゃないでしょ」

「なんでそこまで僕に求めるん?」

母親はそれについては何も答えなかった。



片側3車線の大通りは通行量もかなり多い。ガードレールで仕切られた歩道を歩行者をよけながらすすんでいくとクリーニング屋の前の電柱に白いモノが立てかけられている。

通り過ぎた。今まで全く気付かなかったその光景に違和感を覚え自転車を止めた。振り返ってみるとそれは真っ白な百合の花だった。


・・・誰かここで亡くなったんだろうな。少し神妙な気持ちになったがその花の主が誰なのか知る由もなく僕は学校への道を急いだ。


次の日は小雨が降っていた。間もなく梅雨入りするであろう空気はじっとり重かった。このぐらいの雨では傘もいらずいつも通り自転車をこいでいた。忘れていたがクリーニング屋の前でふと思い出した。

自転車を止め振り返った。百合の花はそこにあった。百合の匂いなのか花の香りがした。

次の日も僕は自転車を止め振り返り白い百合とその香りを確認した。

次の日もまたその次の日も。


週末は勉強とゲームに明け暮れた。ゲームはSwitchのスプラトゥーンにハマっていてプライベートマッチを開催し戦い続けた。

月曜日は朝から雨が降っていた。禁止されてはいるが片手で傘を持ちながら自転車をこいでいつものクリーニング屋の前で自転車を止めた。振り返ると花はもう片付けられていた。なんだか寂しい反面もう気にしなくてもいいという安堵感を覚えた。一呼吸おいて進もうとした瞬間、あの甘い香りが鼻をついた。周りを見渡したがどこにも百合の花は見当たらなかった。

次の日も雨が降っていた。クリーニング屋の前を通り過ぎた時、甘い花の香りがした。自転車を止め振り返ったが百合の花はもちろん見当たらない。

脳の錯覚というのがあるらしいと以前テレビで見たことがあった。そんなことを考えながら自転車をこいでいたが、学校に着く頃には忘れていた。


古い歴史のあるこの学校は緩やかなカーブを描いた坂道の上にある。坂道の両側には桜の樹が植えてあり春には桜のトンネルを通ることになる。坂を登ると正面にグラウンドがあり、校舎はそれを囲むようにコの字型に建っている。

一年生の教室は3階にある。まもなく始業時間のため急いで階段を上がり教室に向かった。

教室に入るとその途端にまた甘い香りが身体を取り巻いた。そうまるで自分から発しているかのように。腕の臭いを嗅いだがよくわからなかった。気にしすぎだ、と自分に言い聞かせて席についた。

授業中も何度か甘い香りが鼻をついた。昼休みに隣りの席の浩太にそれとなく聞いてみた。

「匂い?何の匂いだよ」

「いや、気にならなければいいんだ。」

「なんだよ。気になるだろ?」

「いや、昨日風呂入んなかったからさ」

とっさに嘘をついた。百合の甘い香りとは言い出せなかった。うまく説明する自信もなかったからだ。


次の日は久しぶりの快晴だった。

クリーニング屋の前ではもう立ち止まらない。そう決めていたが近づくにつれ甘い香りがしてきた。まぎれもなくあの花の香りだった。心臓がドキドキと大きく波打っていたがそのまま自転車で突っ切った。


次の日、少し遠回りだが裏路地に入りクリーニング屋の前を通らないルートに変更した。何事もなく過ぎた。僕はそのままのルートで数日過ごした。

ある朝、裏路地へ入る角で自転車に乗った浩太と偶然会った。

「おはよ。おまえさ昨日の関数の問題わかった?オレ全然わかんなくて家でも悶え苦しんだよ」

「ああ、あれな」

僕は不自然な裏路地への侵入を断念した。

話しながら大通りを二列のままゆっくり進みクリーニング屋の前まで来たが何の匂いもしなかった。

ホッとしてそのまま通り過ぎようとした瞬間、今まで感じたこともないほどの強烈な強い視線を感じた。

"ドキン"と心臓が大きな音をたてた。自転車のグリップを握る手が汗でじっとりしていた。浩太の話しはもう聞こえなかった。


その日から僕は常にだれかに見られていた。授業中も、給食を食べているときも。

それは自宅に帰ってからも同じだった。風呂に入っているときも、リビングで家族とテレビを見ているときも。

常にその視線は背中に感じていて確実に僕を捉えていた。

勉強も手につかなくなった。何をするにも視線がつきまとい僕を無気力にさせていった。全てがどうでもよくなり、周りの心配する声もうざかった。


夜もぐっすり眠れないせいか日中の眠気もひどく、休み時間に机に突っ伏して寝ていると浩太に起こされた。

「おい起きろよ。理科室いくぜ。おまえ本当に寝てばかりいるな」

起き上がった僕の顔を見るなり

「おまえ何かにとり憑かれてるんじゃないか?すげえ顔してるぜ」

そう笑いながら話す浩太の顔に半分本気を感じとった。


とり憑く?

それまで幽霊なんか見たこともなく、幽霊話はおとぎ話しと同じ感覚だった。

しかし浩太の一言で妙に確信じみた思いが湧きあがった。電柱に立て掛けてある百合の花が頭に浮かんでいた。


その日の放課後、強い視線にだるさを感じながら重い足取りで図書館に向かった。

心霊コーナーで探してはみたが心霊体験の本が多く、お祓いについての本は圧倒的に少なかった。霊媒師にしても胡散臭さが滲みでていてすがる気にも到底なれなかった。ため息とともに図書館を後にした。


次の日も重い身体を引きずって図書館に立ち寄った。

あの場所で何かがあったはずだ。過去の新聞をパソコンで読むことができる。

この小さな地方都市での事故はすぐに見つかった。


”10日午前7時45分ごろ、東成海市光川3の交差点で乗用車と軽乗用車が衝突した。そのうち軽乗用車が歩道に突っ込み、県立T高校1年の藤崎美緒さん(15)が電柱との間に挟まれ市内の病院に搬送されたが、まもなく多発性外傷のため死亡が確認された。”


それはちょうど僕が百合の花を見つけた一年前の日付けだった。

言葉が出てこなかった。

希望に胸を膨らませ、憧れの高校の切符を手に入れた矢先の事故だっただろう。将来にどんな夢を持ちながら死んでいったのか。

15歳で散ったその無念さを思えば涙が止まらなかった。


その日の帰り僕は花屋に立ち寄り百合の花を買った。

クリーニング屋の前の電柱にそっと立て掛け手を合わせた。

長いことそうしていた。


自転車に乗り進もうとした時耳元で声が聞こえた。

「ありがとう」と確かに聞こえた。そしてむせかえるほどの百合の香りが漂った。


あれから2年の月日が流れた。あの日から視線を感じることも百合の香りがすることもなくなった。僕は子供の頃の夢だった医師になるため県内の国立大学医学部への進学を目指し勉強している。

今という時間を大切に必死に生きることを彼女から教えられた。

そしてあの出来事で生きることは常に『死』と背中合わせだということを身をもって体験した。

人は生きることに希望を持ちながら死へと向かっているのだと。その距離がどのくらい残されているのか人は誰も知らない。

もしかしたらそれは1日かもしれないのだ。




                    了










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