第六章 三大領域-家族-

 家族に関して、私が私を識るべき時、触れぬわけにはいかない。掘り返したくない井戸を掘り返さねばならない。それは苦痛であるが、当作を書くのならば、私にとって義務である。

 まず触れねばならぬ事実として、私の両親は私の幼少期に離婚している。しかし、人間関係そのものの破綻を起こしているわけではない。現在に至っても、父と母は人間関係を維持している。夫婦という形ではないにせよ、少なくとも険悪ではない。

 さて、離婚に至る重要点は、「金と生活力」であった。それが事実かは問題にはしない。少なくとも、私はそう教えられて育った。その事実だけで私には事足りる。…

 この重要点が私の人格形成にとって、非常に重い意味を持つことになったのは、言うまでもないだろう。

 離婚が良いか悪いかなど、私が論ずるつもりは毛頭ない。それは私にとって、ただの災害に等しい。良くも悪くもなく、ただ訪れた理不尽であるだけのことだ。そこに善悪の秤を持ち込むのは、私の美意識に反する。ただ、私は現実として起こった理不尽に対応せねばならなかった。それは言うまでもなく困難であった。家庭環境の激烈な変化と転校という子どもにとって最大の社会環境の変化は、私に多大な影響(損害とはあえて言わない)を与えた。以後私は不登校児として数年を生きることになるが…その根幹を全て家族に求めるほど私は愚劣ではない。故に、当章でもただそうであったと事実を記載するのみとする。

 

 母は私を物質的に守護し、同時に私を精神的な拠り所とした。

 父は私を精神的に助け、物質的には何ら干渉を持たなかった。


 家族について語るべき時、私にとって重要なのはこの二つである。私は両親を憎みたくなかった。これは綺麗事などではない。ただ、そうしてしまえば、私自身の安寧を阻害することになるからに過ぎないのである。…

 精神として頼れない母と、物理として頼れない父の間に存在した私というものが、手探りで掴んだ蜘蛛の糸は、「精神的なものと物質的なものの徹底した乖離」であった。その認識の変化を遂げれば、私は両親共に憎悪する必要もなく、ただ「それとこれとは別のものだから仕方がない」と諦めがついたわけである。…

 一概に言うことはできないが、私が拙作『存在の咆哮』でも度々触れていた『二元論的対立公式』という言葉、思考の根幹の一端は、間違いなくこの認識の変化に由来する。ただ、重ねて記述するが、あくまで一端であろうと私はそれについて認識していることを注意願いたい。

 さて、私は認識を変化…ある側面から言えば歪めることで両親に憎悪を向けることを避けた。しかし、解放されたわけではないそのエネルギーの塊は、灼熱のマグマのように、私の心の根底で波打っている。

 次章では、行き場をなくしたその『憎悪』の矛先について、触れようと思う。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

地獄回廊 鹽夜亮 @yuu1201

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ