ヘンリーさんの呪い

ゆーり

ヘンリーさんの呪い

「ねえ、亜美ちゃん」

「どしたの、芽衣」

 学校の校門を出たところで、芽衣が口を開いた。「地毛です」とギリギリ言い訳できる程度に染めた髪が夕日に照らされている。

「知ってる? ヘンリーさんの呪い」

「ヘンリーさんの呪い?」

 亜美が形の良い眉をひそめた。

「うん。流行っているんだって」

「そんなのただの都市伝説でしょ」

「ほんとなんだって」芽衣は自らの信ぴょう性をアピールする様に声を張り上げた。「ほら、二中のなっこちゃん、いるでしょ?」

「あのストーカーに殺されちゃった? ニュースでちょっと見たよ。すっごいかわいい子だったよね。ピクグラのフォロワーも1万人超えたんだっけ?」

 私もそろそろ1万人超えるけど、と亜美の声にプライドが混じる。

「そうそう。私と塾が一緒だったんだけどね、なっこちゃん。死ぬ前にヘンリーさんの呪いやってたんだって。そしたらその日の夜に死んじゃったんだよ。フォロワーは3000人くらい増えたから良かったらしいけど」

 偶然でしょ、と亜美は鼻を鳴らした。

「本当なんだって」芽衣は、思いついた、とでも言うように笑顔を浮かべた。「信じていないんだったら、亜美ちゃん、できる? ヘンリーさんの呪い」

「やだよ。なんか気持ち悪いし」

「あ、やっぱり怖いんでしょ」

 それならやらなくていいんだよ、と芽衣は続ける。

「私やろうかな。3000人もフォロワー増えたら、亜美ちゃんよりも多くなっちゃうけど」

「……やる。怖くないし」亜美はスマートフォンを取り出した。「で、どうやんの?」

 さすが亜美ちゃんだね、と芽衣は笑った。

「学校の校門から家の前までね、自撮りしてピクグラにアップするんだって。でね、自撮りするときに「ヘンリーさん、ヘンリーさん。学校で死んだヘンリーさん。どうぞ私の家までお越しください」って言いながら撮るんだって」

「……ヘンリーさんって学校で死んだの?」

「そうそう。いじめられて自殺しちゃったらしいよ。それで、学校から出れなくなっているんだって。それを写真の中に入れて家まで連れて帰ってあげるんだよ」

 変なの、と亜美は呟くと、カメラを校門の前に立つ自分に向けた。

「ヘンリーさん、ヘンリーさん。学校で死んだヘンリーさん。どうぞ私の家までお越しください」

 電子音が鳴り、校門の前に立つ亜美の様子が写真に残る。さっきまでの不機嫌な表情とは打って変わって、計算しつくされた表情になっていた。

「かわいいね!」その写真を後ろから見た芽衣ははしゃいだ声を上げた。

「ちゃんと学校の名前も分かるし、完璧だよ」

「そう」

 亜美は再び仏頂面に戻ると、手慣れた様子で写真をピクグラにアップする。


 ピクグラは10年ほど前にサービスを開始したSNSで、写真と簡単なコメントを投稿することができる。最大の特徴は投稿した写真に様々な人からコメントが付くことで、幅広い世代で多くの利用者を獲得している。

先ほど投稿した亜美の写真にも、すぐに何件もコメントが付いた。

『カワイイ!』

『ヘンリーさんやってるの? 頑張ってね』

『これでフォロワー数1万人超えそうだね! 応援してるよ!』

「すごいね、亜美ちゃん」芽衣は画面を指さした。「フォロワー増えてない? 100人くらい増えた?」

 亜美の顔に久しぶりに笑みが浮かんだ。

「うん。ちょっと増えた」

「ヘンリーさんが終わるまでには1万人超えそうだね」

 じゃあ次いこっか、と芽衣は先に立って歩き出す。

「次は駅前だよね、やっぱり」

 亜美は、そうだね、と頷くとふと思い出したように芽衣の顔を覗き込んだ。

「芽衣、帰りはどうするの? 反対側の電車だよね?」

「大丈夫。今日はお母さんも帰り遅くなるらしいし。最後まで付き合うよ」

 亜美ちゃんのフォロワーがどれくらい増えるか楽しみだしさ、と芽衣は付け加える。

「そっか」


 夕暮れの街を二人は駅に向かって歩く。

「それはそうとさ、芽衣はやらないの? ヘンリーさん」

 うーん、と芽衣は小さく声を出した。

「あのね、やろうと思ったんだけど、もし仮に私のフォロワーが3000人増えちゃったら、亜美ちゃんのフォロワー数より多くなっちゃうじゃない? そしたら私が学校で1番になっちゃうから、ちょっとそれは怖いな、と思って」

 私は亜美ちゃんみたいに美人じゃないし、と芽衣は付け加える。

 そんなことないよ、と亜美はお約束の定型文のように返した。

「芽衣、かわいいから大丈夫だよ」

「私は学校で2番目くらいがちょうどいいよ。やっぱり1番は、亜美ちゃんみたいな人がいいよ」

 芽衣がそう言うならいいんだけど、と亜美は呟いた。


 それから数分歩くと、駅が見えてきた。

 東京のベッドダウンにあるその駅は、駅前にチェーン店とコンビニが立ち並んでいる。大した特徴もない、よくある量産型の駅だ。

「ほら、ここで撮ろうよ」

 芽衣がそう促すと、亜美は視線を左右に走らせた。

「どこがいいかな? 正直、ちょっと微妙だよね、この駅」

 カワイイ写真が撮れる所ないし、と亜美は続けた。

「改札の前とかでいいんじゃない? ヘンリーさんだしさ。それにほら、亜美ちゃんが写っていれば、背景がかわいくなくても、すっごくカワイイ写真になるよ」

 芽衣が亜美の袖口を軽く引っ張る。

「ま、いっか。早く帰りたいし」

 亜美は改札の前で笑顔を作り手早く写真を撮ると、ピクグラにアップした。

 亜美はアップが完了したのを確認すると、改札を通る。芽衣もスマートフォンを操作しながら亜美の後に続いた。


 電車に乗り並んで座っていると、亜美のスマートフォンが振動した。ピクグラにメッセージが1件入っていた。亜美は無言でそのメッセージを開く。

『ヘンリーさん、危ないから辞めた方がいいですよ。この前女の子が殺されてますし』

 亜美の顔に迷いが生まれる。自分のスマートフォンの画面をつまらなさそうな顔で覗き込んでいる芽衣の横顔に視線を向けた。

「あのさ、芽衣。やっぱり辞めようと思うんだけど」

 亜美は顔を上げた芽衣に、自分のスマートフォンの画面を向け、先ほど入ったメッセージを見せる。芽衣はその画面を見ると、笑い声をあげた。

「嫉妬してるんだよ、きっと、亜美のフォロワーが増えてるからさ」芽衣はメッセージの横をタップすると、亜美のフォロワー数を表示させる。その数字は、既に1万まで残り300を切っていた。「これ、誰だろうね? もしかしたら2組の比奈じゃない? 6組の朱美かも。わざわざアカウント作るなんて、暇だね。この人も」

「でも、さ」亜美の視線が宙をさまよった。「なっこちゃんのことも、やっぱあるし」

「亜美ちゃん、ここで辞めちゃったら増えたフォロワー、減っちゃうよ? みんな亜美ちゃんのヘンリーさんが見たくてフォローしているのに。それにこれまでフォローしてきてくれた人だって、フォローするの辞めちゃうかも」

「なんで? これまでフォローしてくれてた人は関係なくない?」

「あれ? 知らない?」ごめんね、と芽衣は手を合わせた。「ヘンリーさんを途中で辞めちゃうとね、ヘンリーさん、どこにも行けなくなっちゃうでしょ? 写真の中にいる訳だから。それで、フォロワーの中から気に入った写真をアップしている人の所に行っちゃうんだって。それが嫌な人はフォロー辞めるんだよ」

「そういうことは先に言ってよ」

「ごめんごめん。亜美ちゃんなら知ってると思って。ほんとにごめんね。でもさ、辞めなければ大丈夫な訳だから」


 ホームに電車が滑り込むと、亜美は無言で立ち上がった。

「あ、ここだっけ。亜美ちゃんの家」

亜美はけだるげに頷くと、空気の抜ける音と共に開いたドアから外に出る。芽衣も慌ててスマートフォンをしまうと、亜美の後に続いた。既に暗くなった夜空と冷たい空気が二人を包んだ。

 それからしばらく、写真を撮りながら、亜美の家に向かって二人は進んだ。

「うち、ここだから」

 ごくごく普通の戸建て住宅の前で、亜美は足を止めた。

「最後の1枚だね! 1万人、超えるかな?」

 楽しそうな声を上げる芽衣と対照的に、亜美は無言で写真を撮ると、手早く投稿した。

「……何も起きないね」周囲を見渡しながら芽衣は残念そうな口調で言った。「ヘンリーさんが出てくると思ったんだけど」

「ほら、別に何もなかったでしょ。ただの都市伝説なんだから」

 亜美はほっとしたように頬を緩めると、芽衣の頬を人差し指で強く突いた。

 その時、亜美のスマートフォンが振動した。亜美の顔が強張る。恐る恐るスマートフォンを操作すると、メッセージが1件入っていた。

『特定した。これから行く』

「だれ、これ」

 声を震わせる亜美に、芽衣は楽しそうな声をかけた。

「亜美ちゃんのファンかストーカーじゃない? なっこちゃんにもそんなメッセージが入っていたよ」

「……なんでそんなこと知っているの? ネットにもそんなことまでは流れていなかったよね」

「だって私、その場で見てたから。なっこちゃんの横で」芽衣は亜美の頬を指で突くと、手を振って背中を向けた。「じゃあね。フォロワー、増えるといいね」

 その間も亜美のスマートフォンは鳴り続け、同様のメッセージが入り続けていた。


「これで明日から私が1番だね」

 という芽衣の言葉が、晩秋の冷たい風に運ばれ、亜美の耳まで届けられた。

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