最終日(2)
新快速は終点の大垣駅に着いた。ここは樽見鉄道のほかに、養老鉄道が延びている。養老鉄道は近鉄の連結子会社だが、昔は近鉄養老線だった。赤字が続くので経営分離となった。
光之はこの駅で降りた。手紙をくれた友達に会いに行くのもこれが最後だ。
改札の前には赤いロングスカートの女がいた。理沙だ。
「みっちゃん?」
「理沙ちゃん?」
その声に反応して、理沙は声をかけた。光之を見た理沙は笑顔を見せた。久々に会えて嬉しかった。
「そうだよ」
光之は笑顔を見せた。光之も理沙に会えたことが嬉しかった。
「久しぶりだね」
「じゃあ、喫茶店行こうか?」
「うん」
2人は駅前の喫茶店に向かった。その喫茶店は駅前にある。
「大変だったでしょう?」
「うん。出られたのはいいんだけど」
光之は下を向いた。この旅で会ってきた友達がみんなまともな人生を送っていた。なんて自分は過酷な人生を送ってきたんだろう。これまでの人生の大半を牢屋で過ごし、20年余りの時間を奪われてしまった。
「何? 何か不安あるの?」
理沙は肩を叩いた。光之のことが不安になった。何か思い悩んでいることがあるんだったら、はっきりと話してほしい。
「20年余りも人生を奪われたんだから、その間に幸せな日々を送ってきた人々がうらやましくて。どうやったら20年余りの空白を埋めることができるんだろうって。」
光之はずっと思い悩んでいた。でも、いまだにその答えを見つけられないでいた。
「そうね。難しいことね。それを埋めるほどの体験をするとか」
理沙は答えたが、本当にそれでいいのかわからなかった。本当にそれで納得してもらえるのかわからなかった。
「それでいいのかな?」
結局、理沙もそう答えた。やっぱり答えを見つけることができなかった。やはり20年余りの空白は埋めることができないんだろうか。これを一生背負って生きていかなければならないのか。
「私にもわからないよ」
やはり納得いかなかったか。理沙はがっかりした。光之の力になることができなかった。
2人は駅前の喫茶店にやってきた。その喫茶店は少し古く、おしゃれなデザインだ。
「いらっしゃいませ。2名様ですか?」
「はい」
「こちらの席にどうぞ」
店員は2人をテーブル席に案内した。2人はテーブル席に向かい合わせに座った。
「ご注文は何になさいますか?」
「コーヒーとショートケーキで」
「コーヒーとチョコレートケーキで」
「かしこまりました」
店員は厨房に向かった。
「みっちゃんって、すごいね。死刑判決を受けてから、無罪とわかるまで、死の恐怖と隣り合わせだったもん」
やはり理沙も言っている。この旅で何度こんなことを言われたんだろう。そう考えると、自分ってすごいんだなと改めて感じた。
「理沙ちゃんはどうしてるの?」
「夫と暮らしてるわ。でも、がんで余命があと半年なの」
光之は驚いた。夫ががんだとは。しかも、あと半年の命とは。がんで死を待つ夫が、まるで拘置所で死刑になるのを待つ死刑囚のように見えてきた。いつ来るかわからない死を待つ。夫の境遇を自分の境遇に照らし合わせていた。
「そうか」
「もう治せないんだ」
理沙は残念がった。これからもっと夫と幸せな日々を送りたいと思っていたのに、こんなことになるとは。もっと色んなことをしておきたいな。
「がんって、こんなに恐ろしい病気なんだね」
光之はがんのことを知っていた。取り除けても再発して、余命宣告されて、死を待つしかない。まるで死を待つ死刑囚のようだと思った。
「私、思ったの。あなたが死の恐怖と戦ってるのって、余命を迎えて、いつ死が来てもおかしくない人みたいだねって。いつ死刑が執行されるかわからないもんね」
理沙は真面目に考えていた。光之の無罪がわかって出所すると知ってから、死刑宣告を受けた光之とがん宣告を受けた夫が似ていると思った。いつ来るかわからない死を待つところが似ている。
「そうだな。考えると、似てるよな」
光之は理沙の考えに納得していた。
「私ががんに侵されたら、こんなこと考えなくちゃいけないのかな?」
「そうかもしれないな」
光之は深く考えていた。自分もいつかこんな時が来るんじゃないかな? その時自分は何歳になっているだろう。いや、今はそんなことを考えてはいけない。幸せに農業を営みたい。
そこに、店員がやってきた。
「お待たせしました。コーヒー2つとショートケーキとチョコレートケーキです」
光之は注文したチョコレートケーキをほおばった。
「死刑宣告されてから何年経ってるの?」
「10年余り」
光之は死刑宣告された時のことを思い出していた。どうして何もやっていない自分がこんな目に遭わなければならないのか。光之は悔しかった。絶対に真犯人を自分の手で見つけてやる。その日の夜に、牢屋で堅く決意していた。
「10年余りも死の恐怖と戦ってたなんて。私には耐えられないわ」
理沙は牢屋にいる時の事を考えた。余命0日が何日も続いているように見える。自分がこうだったらとても耐えられないだろうな。
「みっちゃんは、これからどうするの?」
「故郷で農業をしようと思ってるのさ」
「へぇ、また行きたいな。故郷がどうなったのか、見てみたいな。事が落ち着いたら、行こうかしら?」
理沙は故郷のことを思い出した。30年近くも行ったことがない。もう一度行きたいな。余命が少ない夫にも私の故郷を見せたい。
「うん、行ってみなよ。宗太くんも待ってるから」
「へぇ、宗太くん、今も故郷に住んでるの。」
理沙は驚いた。宗太がまだ故郷にいるとは。ぜひ会ってみたいな。
「うん。新居を紹介してくれたの、宗太くんなんだ」
「へぇ」
理沙はショートケーキをほおばった。
16時近く、2人は大垣駅の前にいた。手紙をくれた友人に会うのもこれが最後。これから新居に戻る。
「じゃあね、また会おうね」
「うん」
光之は手を振り、改札へ向かう階段を上った。理沙は手を振って応えた。再び光之に会うことができて嬉しかった。また故郷で会いたいな。
16時9分、光之は米原行きの電車に乗った。電車は間もなくして、大垣を出発した。こうして、手紙をくれた友達との再会は終わった。故郷に戻ったら、農業の始まりだ。20年余り何もできなかった分、一生懸命頑張ろう。
米原行きの電車はとても静かだ。この時間帯は閑散としている。電車は山間ののどかな風景の中を走っている。
それを見て光之は、これから住む故郷のことを思い出した。これからどんな野菜を作ろうか。どんな料理を作ろうか。帰ったらゆっくりと考えよう。
16時44分、電車は米原駅に着いた。乗り換え時間は17分。県をまたぐ旅もこれが最後だ。長かったけど、もうすぐ終わる。本当に長い旅だった。
この中で、たくさんの友達と再会して、色んなことを語り合ってきた。その中で、多くの人が言ったのは、20年以上も牢屋の中で生活していたこと、そして死の恐怖に耐えていたことだ。
この経験は、友達にはまずない。友達はそんな光之をすごいと言う。そう考えると、自分はなんて心の強い人なんだろうと思った。
それでも、犯罪を起こしたと疑われたから牢屋に入れられたことを考えると、そんなに喜ぶことができない。そう思うと、光之は自分をほめていいのか考えてしまう。
光之は敦賀行きの電車に乗った。この電車も乗客が少ない。乗り換えはあと2回。だんだん旅が終わりに近づいてきた。
17時1分、電車は米原駅を出発した。行きとは違い、ここからは琵琶湖の東岸を進む。この米原駅からは北陸本線に入る。北陸本線はかつて直江津まで延びていた。しかし、北陸新幹線が金沢駅まで延びるとともに、その大半の金沢から直江津までが第3セクターに移管されてしまった。北陸新幹線はその後、福井駅を通って敦賀まで延びる予定なので、ここも移管されると思われる。そうなったら、北陸本線はもっと短くなってしまう。ここまで短くなると、本線といえるかどうか微妙になってくるのでは? 光之は疑問に思い始めてきた。
17時46分、電車は敦賀駅に着いた。乗り換え時間は5分。もう電車は着いていた。光之は次の電車に急いだ。
光之は次の電車の中に入った。電車の中はそこそこ混んでいた。帰宅ラッシュと思われる。車内は少し騒がしい。
光之は電車の中で、1日目のことを思い出した。あの時は幸せな人生を送ってきた人々がうらやましいように見えた。でも、彼らは死の恐怖を知らない人が多い。でも自分は死刑判決が出てからずっと死の恐怖と隣り合わせだった。そう思うと、彼らがうらやましいと思えなくなってきた。彼らは死の恐怖と隣り合わせに生きることを知らない。そう考えると、自分が悲観に思えなくなってきた。
17時51分、電車は敦賀駅を出発した。すぐに電車は北陸トンネルに入る。10kmを超える長大なトンネルだ。
光之は長いトンネルを見て、それがまるで自分の暗い20年余りの日々に見えた。色んなことがあった。死刑判決が出て、毎日死の恐怖に耐えなければならなくなった。でも、そのトンネルを抜けると光が射す地上だ。そのように、自分には明るい未来が待っている。農業をして、死の恐怖を感じない日々だ。これほど嬉しいことはない。
光之はこれまでに会った人々のことを思い出していた。色んな人生があって、辛い人生を送っている人もいた。苦しんでいたのは自分だけじゃないんだ。悩んでいるのは自分だけじゃないんだ。何一人で悩んでいるんだ。
だが、見つけられなかった答えがあった。20年余りの空白をどう埋めようか。埋めるためにはどんなことをすればいいか。結局この旅の中で見つけることができなかった。これからどうすればいいんだろう。長いトンネルを窓から見つめながら考えていた。
北陸トンネルを抜けると、光が見えてきた。すぐに電車は南今庄駅に着いた。光之はそれを見て、これから始まる明るい日々を思い浮かべていた。
18時51分、電車は福井駅に着いた。これが最後の乗り換えだ。光之は深く息をした。故郷であって、新しい住居となる農村に近づいてきた。それだけでほっとできた。九頭竜線の切り欠きホームにはすでにディーゼルカーが停まっている。そのディーゼルカーは旅を始めたディーゼルカーと同じだ。光之は懐かしく思えた。
光之は車内に入った。車内には誰もいない。まるで貸し切りのようだ。車内はディーゼルの音しか聞こえない。
19時3分、ディーゼルカーは福井駅を出発した。これが5日間の最後を締めくくる移動だ。これから故郷でのんびりとスローライフを楽しみながら余生を過ごそう。何の悩みもない。20年余りの穴を埋めるべく農業に精を尽くそう。
電車は暗闇の中を走っていた。この辺りは人家が少ない。ディーゼルカーはいくつもの駅に停まったが、乗り降りする人はほとんどいない。車内は閑散としていた。
旅をスタートさせた越前大野駅で、自分以外の乗客はみんな降りた。光之は1人で新居の最寄り駅の越前下山駅へ向かった。
1つ手前の勝原駅を出ると、光之は降りる支度を始めた。ここから先は九頭竜線で一番遅く開業した区間だ。ディーゼルカーはスピードを上げた。終点の九頭竜湖までラストスパートをかけているようだ。
20時35分、ディーゼルカーは越前下山駅に着いた。光之はディーゼルカーを降りた。これで再会の旅は終わり。これからはこの農村で農業を営みながら余生を過ごそう。
「みっちゃん?」
突然、暗闇から1人の女性が声をかけた。光之は最初、誰かわからなかった。光之はさくらの声がどんなんだったか、忘れていた。
「え?」
「私、さくら」
その時、光之は高校時代のことを思い出した。初恋の人だ。初恋の人がまさかここまでやってくるとは。私に会うためにわざわざ。光之はとても嬉しかった。
「さくら・・・。高校の頃の?」
「うん。私、20年余りも記憶を失ってたの。先日、やっと思い出して、みっちゃんを探してた。そして、ここに来たの。あなたと暮らして、私たちの20年余りの空白を埋めるほど愛し合おうって」
さくらは今までのことを話した。さくらの唇は震えていた。再びさくらに会えたことで嬉しかった。
「こんな・・・、僕でも・・・、いいのか?」
光之は少し戸惑っていた。20年余りも牢屋で過ごしてきた自分でもいいのかと思っていた。犯罪者と思われ、死刑宣告もされた。本当にいいのか?
「うん。同じ空白を持つあなただから、一緒に空白を埋めるほどに愛し合おうって思ったの」
さくらは素直に話した。どんな境遇に会っていてもいい。一緒にいられるのなら、それでいい。それだけで幸せだ。
「ありがとう。20年余りの空白を埋めるほど、愛し合おうな」
「こちらこそ、ありがとう」
光之は笑顔を見せた。こんなに嬉しいことはない。一緒にいてくれる人がいるだけで嬉しい。20年余りの苦い思い出よりも素晴らしい思い出を作ることができるに違いない。
さくらは光之を抱きしめた。光之はさくらの頭を撫でた。これまで辛い人生を送ってきた2人だからこそ、わかり合えることがある。これから2人で暮らしてそれを探していこう。そして、20年余りの空白を埋めるほどの人生を一緒に送ろう。
その時、電車は警笛を上げ、越前下山駅を出発した。ディーゼルカーも、2人の再会を喜んでいるようだ。
会いに行くよ 口羽龍 @ryo_kuchiba
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