5-2.
職員室の隣にある仮眠室は、元々は茶道に使っていたらしい。
ドアノブを開けた瞬間、農閑期の畑みたいな畳の匂いが飛び出してきた。
物音がしないから寝ているのかもしれない。下がろうとしたら、スティーリアの胸に肘が当たった。
「どうしたの」
「いや……あ、こいつ頼む」
コイグチ教官に渡された水のボトルを押し付けて、トツカはローファーを脱いだ。
実家でやっていたように片足ずつ下駄箱に入れたとき、「トツカさん?」という声が奥から聞こえた。
騒がしい衣擦れの音とともにハバキが現れる。
トツカと目が合った瞬間、彼女は驚いたように見えた。濡れたままの髪がひたいの上で空調に揺れる。
「あ……」」
「コイグチ教官から言われて来ました。水が欲しいんじゃないかと」
「え、ええ。面目ないことです。お上がりなさいな」
ハバキが遠慮がちに口角を上げる。義姉みたいに疲れた笑顔だと思った。
仮眠室の机には気つけ用のブランデーの瓶が転がっていた。
コップは無かった。スティーリアが気が付かないふりをしてグラスに水を注ぐ。
「お義姉さまから、わたくしのことは?」
ハバキが菓子鉢に入ったせんべいを差し出してくる。
ひとつつまんでみると、すっかり湿気て濡れおかきみたいになっていた。何年前の菓子なのだろう。
飲み込みながら、トツカは首を振る。
「グッズは集めてましたけどね。募兵ポスターとか」
「昔のお話は何も?」
「まあそうですね、なんにも」
ハバキの頬がぴくりと動いた。その意味をトツカが考えていると、ハバキは静かに息を吐き出した。
「先の戦闘の報告書を拝見いたしました」
彼女は目を伏せて、丁寧に整えた爪を見つめる。
「わざと照準を外したとか」
「外れたんです」
「あなたも優しい人間ですものね。ホント、あの女にそっくり……」
スティーリアがグラスを置いた。ハバキはひと息に飲み干すと、たたき付けるように机に置いた。
ひと息ついて、彼女は吐き捨てた。
「……わたくしが撃ったのです」
トツカは黙って見つめ返す。
錆びついたピストンのようにハバキの喉が上下していた。視線は天井の隅を見つめたままで、淡い色の瞳が小刻みに揺れている。
「7月4日の戦闘。トツカ・ウツリさんは前進観測中に、
と言って、彼女は鼻で笑う。
「無様でした。装甲もほとんど剥がれたグラムで、ただ座標を送るばっかり。砲兵隊も壊滅なさっていて自走砲が二つきりだったというのに、彼らのためにトツカさんは前線で通信を……」
ハバキはスティーリアを見て、「お水、飲むべきではありませんでしたわね」と小さく言った。
「ええ……よくある話でございました。味方の敵討ちに
「だから止めるために撃ったんですか」
「あの人は既に肉薄されていました」
部屋の温度が数度は下がったようだった。冷えて垂れた汗をトツカはぬぐう。
「きっと戦場の空気に当てられていたのでしょう。止めに入ったシズさんですら、殴り飛ばしてしまうありさまでした。英雄と呼ばれていた人間にすら止められなかったのです。わたくしには銃しか――」
そこまで聞いて、意識が遠くなった記憶がある。
気が付くとトツカは仮眠室の前で突っ立っていた。手には土産に持たされた炭酸飲料があり、隣でスティーリアがハバキの髪を拭いたタオルを抱えていた。
「『撃て』とシズさんはおっしゃったのです」
ハバキは嗚咽を漏らしながら言っていた。
「引き金に指を掛けた、わたくしに最後の最後で『撃て』と……彼は命令してくださったのです」
炭酸飲料のプルトップを引くと、かすかな音が響いた。
中身はすっかり気が抜けて、ただのぬるい砂糖水になっていた。ずるずるとすすりながら、しばらくトツカは廊下の窓を眺めた。
中庭が見える。午前の講義が終わり、学生たちがベンチに座っていた。一本桜の下では図書館のガイノイドが本を抱えてひとりの学生と会話している。
「ハバキさん、シズの兄ちゃんが好きだったのか」
トツカは缶を下ろした。
「好きって、どの程度のこと?」
「おまえが想ってるのと同じくらいにしてくれ」
「じゃあ、いいえ」
たまに、このロボは妙な負けん気を出す。おかげで思いのほか力が抜けてくれた。
「じゃあ人間の普通に好きってレベルで……くそ、オレじゃ上手く言えねえや」
「次世代に遺伝子を残すとか、他人を排除して相手を独占したいという意味なら、ハバキちゃんのは好きとは違ってた」
スティーリアに缶をもぎ取られる。彼女の青い瞳が少し細くなった。
「本気だったけど、そのままで居て欲しかったんだと思う」
「学生だもんな」
中庭でガイノイドが学生と別れる。彼女は無表情のまま、精確な歩幅で去って行った。
あのロボは誰に対しても同じように接するだろう。だが隣のガイノイドは、もう少し違う。
「シズ・カゲキには会わねえのか」
「会って何を話すの?」
「だったな。意味が無いと動かないタイプだった……」
トツカは苦笑して、缶を奪い返した。スティーリアが首をかしげたので、彼女の肩を軽くたたく。
「ハバキ教官にお茶でも淹れてやってくれねえか。オレより上手く沸かせるだろ?」
「はい。マスターは?」
「オレのカリバーンが修理できる頃だからフィッティングに行ってくる。用件が終わるまでハバキ教官の指示を最優先、一時タスク終了後はオレの部屋で待機。コベリさんが帰ってきたら、そっちのケアを実行。良いな?」
「タスク受領。了解しました」
彼女が仮眠室に戻るのを見届けて、トツカは廊下を歩き出した。
あのとき、トツカは目をつむった。
結果としてレーザーは外れ、そのツケをシズが払うことになった。あのときもシズ・カゲキを攻撃するという目標は確定していて、あとは誰がトリガーを引くかという貧乏くじを回していただけだった。
「射撃せよ」とシズは言っていた。
あの場では彼女が上官だった。命令に従えば良かったのだ。トツカの責任ではない。撃てと言われたから撃った。相手はたまたま死んだ。それで終わりになったはずだった。
トツカは殺さなかったのではない。
あの瞬間、撃つ役目までシズに押し付けたのだ。
「やっぱり義姉さんたち、凄いんだよなぁ」
義姉のウツリは決して自分の戦いを話さなかった。棄械の話が出ても「最善は尽くした」としか言わず、砕けた脊柱についてトツカが尋ねても、決まって自分のミスだと答えた。
「直観よ」
彼女の口癖だ。
あれは自分を撃ったハバキの心情を慮った言葉ではないか。突出したのは自分の責任。撃ったのは彼女の覚悟――恨むことはあってはならない。
格納庫に着くと、休憩室の前でヒシダテが座っていた。
朝礼で小隊長が立つミカン箱に腰かけて、制服のままグラウンドを眺めている。
いつも人の輪にそっと入ってるイメージがあったから、独りでいるのは少し意外だった。
「ヒマだからって目立ちすぎじゃね?」
トツカが前に立つと、ヒシダテは目を上げた。
「そこまで目立っているかい」
「休みにわざわざ着替えたんだろ、それ。ツナギでいいじゃねえか」
「ツナギは燃えてしまってね」
ヒシダテは肩越しに親指で格納庫を示した。
中では懸架された第二小隊の機体が修理されているところだった。
燃料の詰まっていた脚部が丸ごともぎ取られていて、胴も半ばまで焼け落ちていた。背中の主翼ユニットは無事に見えるが、腰とのコネクタはずたずたに裂けていて、修理するなら総取り換えになるだろう。
「ヒューマンエラーだった」
ヒシダテは無表情に言った。
「右脚部タンクを破損してクロスフィードバルブを開いたらしいけど、バイパス経路が破断していて、そこからケロシンが漏れた。帰ってきたときには火だるまだ」
「パイロットはどうなった」
「助けたよ。おかげでこちらは身体の半分が消し飛ぶ羽目になった」
さっきから他の整備員から遠巻きにされている理由が何となく分かった。
たとえ全身が吹き飛んでも、この男はカリバーンの爆発から生還したことだろう。あるいは戻ったときには銀色の体組織も見えていたかもしれない。爛れた手でパイロットを抱えて、いつもの調子で「これを頼む」と言って工具を取ったとき、周りの人間はどう思ったことか。
「珍しいポカしてんな」
「見捨てる選択肢も検討した」
ヒシダテは欠伸をかみ殺しながら、日に焼けた首をゴキゴキと鳴らす。
「だがパイロットが死亡した場合、このグループ全体のパフォーマンスが低下することが予想された。今後の戦闘を考慮するなら、我々の正体を明かすリスクを取るだけの価値はあった」
「ソクイさん、驚いてたろ」
「ああ、彼女か」ヒシダテは固い笑みを浮かべた。「たしかに……彼女のコンディションは許容できないほど悪化している。でも小隊全体への貢献度で測るなら微々たるものとは言えないか?」
「おまえら、ホントに『倫理的』だよな」
「直感的でないだけさ」
呟くように言うと、ヒシダテは膝を払って立ち上がった。
乱れた裾を整えると、彼はトツカを指差して「あ、そうだ」と思いついた風に言った。
「実は、我々も君を待っているところだったんだ」
「わざとらしい男だな」
「この方が好感を持ってくれるだろう?」
ヒシダテに連れて行かれたのは休憩室だった。
まだ制汗剤のにおいが残るロッカーの中から、分厚そうなシリンダが引き出される。
「それは?」
「以前に海軍と『クジラもどき』を迎撃したあと、青い錠剤を処方されなかったかい」
ヒシダテは半分だけシリンダの蓋を開けたところで、思い直したように回し戻した。
「コベリさんのときか?」
たしか医者から追加で何かもらった気がする。錠剤は呑み込めなくて毎回噛み砕いていた。
「プルシアンブルーと言って、放射性重金属粒子を吸着する物質だ」
ヒシダテはシリンダを回して、裏に描かれた放射能マークを見せてきた。
いきなり物騒なものが出てきたものだ。トツカはしばらく固まっていた。
「……は?」
「例の『クジラ』。切れ端をこっちでも調査したんだけどね、体表組織から平均で毎時〇・六シーベルトのガンマ線が放射されていた。宇宙に裸で放り出されるくらい酷いって言えば分かりやすいかな」
「ちょっと待った。オレ、被曝してんの?」
「すぐケアされて良かったね」
ヒシダテはシリンダをロッカーに仕舞いこむ。
「彼女……コベリだっけ? あれなんて全身の細胞がガン化してるもんだから、代謝のたびにバグった組織に置き換わってて、もう長くない」
膝の力が抜けるのが分かった。
彼女はどんどん体調を悪くしていた。あれは放射線障害だったか。
トツカが壁に手をつくと、ヒシダテは意外そうに眉を上げた。
「心配かい」
「あのな。どうしてこんな……」
「核パルスエンジンだろうね。あれは核分裂の反動で推進するから」
「聞いたことねえぞ。ORBSか?」
「いや、あれは恐らく――」
そこまで言って、何故かヒシダテは止まった。笑顔のまま視線が宙ぶらりんになる。
何秒か考える間をおいたあと、急に口が動きだした。
「当艦はJSS‐164の軌道投入用エンジンと推測する」
「あ?」
カクカクと彼の舌と唇だけが不規則な動きを刻む。
「2870年7月14日時刻0920、第二次入植船団より該当船舶の外壁破損の報告を受信した。該当船舶は除籍後、全乗員を破棄。資源回収のためRSS‐906による解体作業を実施中、武装ユニットグループ5番、6番、7番、8番、9番、10番、12番の起動を確認した。当ユニット群はアポジキックモーターの制御権を奪取後、地球型惑星HD462044bへの降下オペレーションを実施。17日時刻2109、成層圏内にて信号をロスト。現在、賢人会議を実施して対応を検討中」
にぶい電子音がして、ヒシダテの赤い目がこちらを向いた。
「JSS‐160、
またガクリと首が動いた。
「司令ユニット41。接触対象は第一入植船団員の第六世代ヒューマノイドと推測する。プロトコル31‐20に従い入植作業への協力の義務があるものと当艦は判断する――JSS‐160、対象に対するネクローシスコードの調査の要を認める。現在はプロトコル14‐06に従った未知の知的生命体としての接触が妥当とされ、また優先されるものと当機は判断する――司令ユニット41、対象のゲノムは解析が終了している。プロトコル31の実施を……」
まるでふたりの人間が言い争っているようだった。
そのときヒシダテの指が機械的に動き、追い払うようなジェスチャーをした。トツカが突っ立っていると、もう一度、今度はさらに強く手が振られる。
「あ、ああ。分かった……」
「JSS‐160、ターゲットは協力的な姿勢を取っている。当機が提出した報告に――」
ドアをくぐっても、しばらくヒシダテの声は続いた。
格納庫を去りながら、トツカは思わず胸を押さえた。何か大きな事態が、遠いところで動いている。
リーサル・エジュケーション 平沼 辰流 @laika-xx
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