エピローグ 神竜世界の終焉
長い長い年月が流れた。
多くの人々が生まれ、死に。
多くの国が栄え、滅び。
多くの文明が栄え、滅び。
多くの種族が栄え、衰え。
歴史の始まりが神話として伝えられるようになった時代。
四つの大陸に、人間、亜人、魔族が混在するようになった時代。
そしてそれらが変容し、さらに忘れ去られ、まだ思い出されるようになった時代。
ネアース世界の始まりと、根幹世界との接続さえが、神話となった時代。
暗黒迷宮と呼ばれる迷宮がある。
神話の時代に作られ、多くの探索者たちが挑戦し、それを全て退けてきたもの。
その最奥は巨大な扉があり、無数の竜が眠っている。
もはや伝説の存在となり、誰もその姿を見たことがないという竜。
その最奥にある空間にポツリと、天蓋付きの寝台が置かれていた。
その寝台に横たわるのは、銀髪碧眼の美貌の聖女。
傍らにうずくまるのは、黒髪金眼の美貌の神竜。
カーラの手を取り、リアは祈るような体勢で動かない。
少しだけ離れて佇むのは、金髪翠眼の美貌の少女。
「リア、どうやら時がきたようです……」
こんな時にも、カーラの声は透き通るような美しさで紡がれた。
「……そうか」
リアの声に感情はない。長い月日の中で、それはどんどん失われていった。
カーラの肉体も魂も、人間の限界を超えて生きてきた。今、その更に向こうにある限界が近づいている。
ほとんど無限の時間を生きるという神竜。
その最初の100年が一番苦しかった。
多くの友人、知人、そして自分の子孫までもが、先にこの世を去っていく。
既に魔王は存在せず、かつての魔族領は様々な種族が雑居する、最も繁栄する地となり……その後何者も住まない土地となり、さらに再開拓が開拓と思われて開始された時代。
王国も全て滅びた。それでも人々の営みは続いている。多くの人々が、かつてネアースと呼ばれた地より去り、根幹世界のどこかでその命を紡いでいる。
本当に、長い年月が流れた。
そして今、リアが人であった頃を知る、最後の人間が転生の輪の中に入っていこうとしている。
不死であるはずの吸血鬼の真祖でさえ、永劫の眠りに就いた、はるか後。
「リア、私を探してください」
「ああ……」
それが何百年、何千年後のことであろうと。
いや、おそらくは数万年から数億年後のことであろうと。
リアは必ず、カーラを見つけるだろう。この根幹世界という無限の世界か、もしくは異なる世界に赴いても。
死すべき魂は、永遠に輪廻を繰り返すのだから。
「リア……愛しています」
「ああ」
カーラの肉体が、ほのかな銀色に包まれる。
魂が肉体を離れると共に、精神が、肉体が消滅する。
カーラが死んだ。
「リア」
イリーナが声をかける。俯いていたリアは、透徹した顔で振り向いた。
「イリーナ、私も少し疲れたよ」
まだカーラのぬくもりが残る寝台をそっと指でなぞる。
「……少し、眠りたい……」
「そう」
「お前は、どうする?」
「私は、旅をする」
イリーナは決然とそう言った。
「そうか。旅は……いいものだな」
リアは寝台に横になる。まだカーラの匂いが残っている。
「それじゃあ、行くね」
「ああ」
巨大な扉を閉じ、イリーナは地上へと向かう。
それを見送ったリアは目を閉じ、永い眠りについた。
その時に備えて、今は眠ろう。ネアースという世界は完全に根幹世界と一緒になり、本来必要であった神竜の役目は、既に終わっている。
だからリアは眠り、イリーナは旅に出るのだ。
さあ、どこへ行こう。
イリーナは考える。
行き先のない旅だ。それでもどこか、目的はいるだろう。
「マールちゃんを探そう」
我ながらいい考えだ、とイリーナは思った。
かつて失われた魂。あれからどれだけの時が経っただろう。10万年ほどは数えていたのだが、人々がこの迷宮を忘れ、神竜の存在を神話にしてしまってからは、彼女の時間感覚も曖昧になっていた。
たった一人になった今、一番最初に仲良くしてくれた、あの人を探そう。
どの大陸にいるかも分からない。ひょっとしたら違う世界にいるのかもしれない。けれども自分なら探せるはずだ。
自分は永遠を生きる、忘れられた神竜なのだから。
空気を読まずに襲ってくる迷宮の魔物たちを蹴散らしながら、イリーナは駆ける。
今、自分は何も持っていない。
けれどそれは、全てを手に入れられる可能性を秘めている。
迷宮の床を駆け、風の吹く大地へとイリーナは飛び出す。かつてリアの弟子や子たちが旅立ったように、しかし誰の見送りも無しに。
そこには世界と未来が広がっていた。
竜の血脈 完 ただし物語は永遠に紡がれる
竜の血脈 草野猫彦 @ringniring
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