3話 ドンスケと卓也と夏海


 文化祭も終わり、普通の生活に戻った雄介は、塾からの帰り道にいつもの場所で足を止める。土手の上から河川敷を覗き込んだが、誰も居なかった。

 そうか、3年生は部活を引退したから、もう居ないのか。

 ぼんやりと考えていると、後ろから呼び掛けられた。


「ドンスケ、なんか俺に用か」


 雄介は驚いて後ろを振り返ると卓也が自転車を引いて立っていた。


「いや・・・別に」


「時々、俺が河川敷で素振りをしているのを見てるヤツがいるなと思ってたけど、ドンスケだったんだろ」


「ああ、ごめん」


「謝ること無いけど。で、何の用だよ」


「いや、用事は特に無いんだけど・・・」


「なんだよ、言ってみろよ。別に誰にも言わないから」


「うん。前嶋くんって頑張ってたよね・・・野球」


「ああ。最後の大会は3回戦負けだったけど。くじ運悪く強豪と当たっちゃったからな」


「そうなんだ・・・。部活引退しても練習してたの」


「いや、おれも2学期から塾通いだよ。強豪から誘われることはないけど、できれば野球の強い高校に入って甲子園を目指したいと思ってるからさ」


「凄いね。うん、前嶋くんは凄いよ」


「なんだよ、ドンスケなんか気持ち悪い・・・」


 ずっと立ち話をしているもの変だと、並んで土手の遊歩道を歩き出すが、途端にお互い何を話して良いかわからなくなる。しばらく無言で歩いていたが、先にしびれを切らした卓也の、じゃあ俺帰るわ、という言葉を合図に二人は別れた。



 ***



 10月の終わり、数学の授業で2学期の中間テストが返却された。

 数学は担当教諭が担任ということもあり、クラスの気も緩んで、ざわついている。

 俺ぜってーヤバいよとか、親に見せられないとか、受験ピンチとか、口々に悲鳴を上げている。全員の答案を返し終えると、教室を静かにさせてから担任が話を始めた。


「正直、このクラスはあまり良い成績だとは言えない。とはいえ、受験まであと4か月しかない。お前らがどれだけ嫌だと言っても本番の試験はやってくる。今一度、気を引き締めて頑張って欲しい」


 教室が静まり返り、どんよりとした空気に包まれる。


「その中でも、近藤。今回100点は見事だった。今後もその調子で頑張ってくれ」


 担任は皆の前で雄介をめたつもりなんだろう。

 余計なことだ。皆の視線が痛い。雄介は下を向いてじっとしている。


 ドンスケ100点だってよ、と言う誰かの小声をきっかけにして、方々にざわめきが広がる。


「いいよなあ、頭のいいやつは。高校受験も楽勝じゃん」

「ドンスケから勉強取ったらなんにも無いからなあ」

「ドンスケ、私の代わりに試験受けてくれないかなあ」


 みんなドンスケを小馬鹿にして皮肉を言いながら笑っている。先生も頓着せず、お前らいい加減にしろよ、と笑いながら言っている。



 どうにもイライラしてきた。我慢できなくなってきた。

 違うだろう。お前らが言ってること全部違うだろう。


 卓也は大きな音を立てて、立ち上がっていた。


 確かにいつもこうだった。けれど、野球のことしか考えていなかった卓也は、今まで気にも留めていなかった。今なら分かる。皆のその薄ら笑いにドンスケがどれだけ傷ついているか。自分だったらぶん殴っている。


「お前ら、本気で頑張ったことあんのかよ。頑張ってるヤツを馬鹿にすんなよ」


 急にどうしたんだよ卓也、と前の席の奴が驚いて声を上げる。


「うるせえよ。お前ら、俺のことも心の中では野球の上手い奴はいいよなあ、とか、俺から野球取ったら何も残らないとか、ずっと馬鹿にしてたんだろう」


 教壇の上で担任も驚いた顔をしている。そして、生徒に同調して笑っていた自分に気づき、慌てている。前嶋、ちょっと落ち着け。


「確かにみんな少し言い過ぎた。注意しなかった先生も悪い。だが誰も前嶋を馬鹿にしてなんかいないだろう」


「同じなんだよ。俺もドンスケも。俺、知ってんだよ。あいつが本気で勉強を頑張ってたの」


「分かった、分かったから、まず席に着け。続きはホームルームでやるから」


 突然の卓也の激高に、クラス中が静まり返っている。

 別のところでガラガラと椅子を引く音がする。今度は夏海が立ち上がる。


「分かったって、先生、何にも分かってないよ。私も知ってる。ドンスケが頑張ってたこと」


 マジかよ、今度は河田だよ。担任も、どうしていいか分からないでいる。


「私、1学期の途中から、夏の大会に向けて毎日7時頃には登校してた。どうしてもサーブが上手くなりたくて一人でコートで練習してた。バレないように、皆が登校してくる前に終わりにして教室に戻ってたんだけど、いつもドンスケは教室に居て机で勉強してた。私がサーブが上手くなりたいのと、ドンスケが勉強頑張ってるのは同じなんだと思ってた」


 教室は静まり返っている。


「私、どうしても夏の大会を頑張りたくて、ドンスケに頼んで文化祭準備委員の活動は夏休みの後半にしてもらった。それで私は満足してたんだけど、その代わり、ドンスケは塾の夏期講習の後半をほとんど休んで手伝ってくれた。私は自分のことだけ考えて、ドンスケの努力を軽く考えてた。だから今は謝りたい。とてもドンスケを馬鹿になんかできない」


 卓也も夏海に続く。


「俺も、いつも夜まで河川敷で素振りをしてた。どうしても納得いくフォームにならなかったから。その間、ドンスケは毎日のように塾で勉強してた。塾の帰り道、夜の10時頃、土手の上からバットを振る俺の事を見てた。お前らがスマホ見たりマンガ読んだりゲームしてる時間もドンスケは勉強してたんだ。俺は自分が納得するまで野球を頑張った。だから勉強を頑張るドンスケを馬鹿にはできない」


「私も、夏の大会で良い成績上げたくて、誰にも負けないだけ練習した。練習をサボっているような人に、お前は運動神経がいいからとか、元々テニスの才能があるからとか、絶対言わせない。だから、私もドンスケを馬鹿にしない。私の県大会ベスト16とドンスケの100点は同じ価値だと思う。悔しかったらドンスケと同じだけ勉強すればいい」


 二人の話を黙って聞いていた雄介も勇気を振り絞って立ち上がった。


「前嶋くん、河田さん、有難う。僕も二人が頑張っている姿を見て、いままで勉強を頑張ってこれた。毎日塾に行って疲れて帰る時も前嶋くんはバットを振っていた。朝の自主勉も何度も辞めようかと思ったけど、登校すると必ずテニスコートからボールの音が聞こえたから僕も頑張れた。僕こそ二人にお礼が言いたい」



 言い終わると、三人は同時に着席した。

 担任が、もう授業も終わりの時間だから、後は各自で考えるようにと締めくくる。

 帰り際、雄介の席の近くで担任が済まなかったと一言謝っていた。


 ドンスケ、いや雄介は顔を隠すようにして泣いていた。嬉し涙だった。

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【短編】ドンスケ NAOKI @tomy-papa

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