エピローグ

第28話 空を嫌う人たち

 今日も朝がくる。シーツの敷かれた仮設ベッドで目を覚ますと、船内アナウンスでけたたましく呼びつける少女の声が響いた。慌てて起き上がり、メインセクションへ向かう。見栄えの変わらない耐圧ガラスの窓から、通信により引っ張り上げてきた数百基の標準塔ひょうじゅんとうたちが闇夜に浮いているのが見える。廊下のサブモニターで確認できるレーグルはお怒り気味だ。


「いつまで寝てるつもりなんですか」

「起きるまで」


 部屋に入るなり、小粋なジョークも通じず、ナイフが飛んできた。腕で弾いて、このブリッジ中央のテーブルの上に乗せられた第二文明期判だいにぶんめいきばんの皿と、ささやかな朝食を見やる。何も食わなくても腹は減らないといっても、乾パン一枚とは相変わらず酷いメニューだ。俺は小さなそれを頬張ると、部屋端に移動し、カペラ星系の端に浮いていたスペース・コロニーから持ってきたオルエイクハル・アーカイブスを開いて、昨日の続きから数億ページに渡る過去の情報をあさる。破損データはあったが、レーグルが上手く修復してくれた。まだまだ読み返すと取り落としている部分が多い。


 突如、背後のメインモニターが赤く染まる。無機質なサイレンが駆け抜け、レーグルが「食事中なのにもう!」と怒って武装セクションに走った。レーダーが接近中のアステロイドを補足した合図だ。組んだものの日に五回くらい鳴る割に全然被害がないと役立たず扱いしていたこのシステムだが、一度無視して船体の半分くらいを吹き飛ばされたとき以来真面目に受け取るようにしている。古典で言うところの狼少年とはまさにこのことかもしれない。短い間に、暗い宇宙に船腹の素粒子カノンが奔って処理が終わる。このあたりの対応が自立式にならないのはナノマテリアルだの何だのといった資材が足りないからだ。数分で戻ってきた黒髪の少女は読書をやめない俺に呆れた様子で言う。


「そのくらい一回でしっかり覚えてくださいよ。目的地はB型スペクトルの連星、HR6819にある特異点ですからね。何年後になるか分からないですけど、事象の地平線に突っ込むんだから、いまのうちに知識をしっかり持ってもらわないと」

「捲し立てるな。あんたみたいなハイパー・インテリとは違うんだよ。俺はコツコツやるタイプなんだ。ほら、言うだろ、ローマの道は一日にしてならず」

「あぁ、アコウギさんが口ばっかり達者な鼻持ちならない文系みたいになってしまいました。子どもの教育に失敗した気分です。そんなこといってたら……って、時間です、ほら、航路記録と定期放送」

「はいはい、今日もファイトでオーですよ」


 返事も軽く、壁際のレバーを倒し、出てきたボタンを押す。上下左右のサブも含め年季の入ったブリッジのモニター群が一斉に画面を切り替え、宙域の情報を教えてくれる。素材は月の船やカペラの無人スペース・コロニーから引っぺがしてきたものでどうにか賄っているが、数年単位で修理し、配線を組み替えているレーグルには頭が上がらない。俺たちの生活はとんでもないテクノロジーで成り立っていて、このモニターもいずれは一〇〇〇光年以上先を見渡せるようにしてやると黒髪の少女は鼻息を荒げている。いま彼女が最も力を入れているのは情報伝達の技術開発であり、そのガジェットについて話していたのを思い出す。


愛星かほビーム。架橋金属かきょうきんぞく合金である『いのしるべ』群を超長身バレルにした情報光線です。超長距離跳躍航海ちょうちょうきょりちょうやくこうかいと違って、瞬時に精神だけを射線上の類似ゲノム質の生物の周囲に複製し転送するもので、射程はほぼ無限にしてやるつもりです。まぁ、シルの意志を引き継いだ大天才のわたしが永遠の時間をかけてするんですから、光の速度よりずっと早い物質を見つけてやがては……』

『名前がちょっと』

『何ですって!』


 ソフトウェアやマニピュレーターなどという用語に全く通じていなかった俺が、ネットワーク作業を手伝えるようになってきたのは最近のことだ。エアロック・ハッチを開けっぱなしにしたり、グラビティー・モジュールに寄りかかってぶっ壊したりしたことがあるせいで、あんまりほかに船内を自由にいじらせてもらっていない。もう三世紀くらいは前の話なんだからいいかげん許してほしい。


 昨日のワープで脈動変光星のハダル連星の宙域に出ていた。モニターに近づけば、二つの巨大な青白い星が行く手の闇を揺らして浮いているのが分かる。キーボードを操作し、航路コードを複製、いままでの旅程と繋げて、巨大な海図データとして保存する。レーグルは椅子に座って俺が首尾よく行うか見守っていて、まるで保護者だ。宇宙に出た途端にすっかり逆転してしまった。二人分の身体から漏れだす暖かい明かりを頼りに、目をすがめる。


 旅には目的地がいる。レーグルと決めた新たなそれは、地球があった場所から最も近いブラックホールだった。少なくとも旧人類たちが到達したことのない未知の場所。時間も空間もどうなっているか分からない特異点であり、別宇宙や、平行世界への入り口なんて話もある。


 L’Aigle(Kaho Nakahara)

 Sïr-Dar'ya Baikonur

 Henderson Oort

 Akougi Hermokrates


 指令室の右手の壁に刻まれた四人の名前と、その上に貼られた写真。平伏した姿勢の俺の上にレーグルが乗っていて、左右にシルダリアとヘンダーソンが映り込んだ一枚。ズボンのポケットにいれたまますっかり忘れていたそれは、もうほとんど破れ、真っ黒に染まって壁に揺れている。その下に立てかけられた制作中の大宇宙図と見比べて感傷に浸りつつ、目を戻し、やっと日課を始める。


 どうせ誰も見ていない――なんてことも、ないかもしれない。


 自分の胸が真っ二つに割れ、何層にも折り畳まれた上半身の皮膚が開かれていく。両腕が肩口から二本ずつに裂け、それぞれ上方の腕が細く鋭く変形しながら長さを増し、肌がそれに張り付くように広がる。伸ばされた表皮は桜色のまま硬化し、巨大な翼の形を取る。甲型服状翼こうがたふくじょうよく服状翼ふくじょうよくのなかで、最も大きく立派な種類のその血管が、遥か昔に飲み込んだ薬剤の力で淡く輝く。


 歯に装着した小型マイクの電源を舌で押し入れ、大きく口を開く。回線を切り替えたことで、第三対災ステーションの放送デバイスに接続され、電波に乗って歪んだ俺の声が波形に組み替えられる。それはやっとほんの五○年前に利用可能になった宇宙エネルギーのたまものだ。紡錘形の船体の側面から夜闇を裂いて拡がり、規則的に明滅する四本のひも状の構造物が形作られる。それぞれが標準塔ひょうじゅんとう四〇億基分の長さ。太陽から地球までの距離の三分の一、およそ五二八〇万キロメートルの巨大な瞬く錨だ。


 レーグルは立ち上がり、深く伏せた俺の上に飛び乗ると、首に片手を回し、持ったマイクのスイッチをオンにする。時間が羽ばたく間もなく、黒髪の少女の声も、また同じ四本の長大な錨を成す。

 

 わたしたちはいます。

 ここにいます。

 わたしたちはここにいます。

 わたしたちはここに生きています。


 ここに生きている。その言葉と共に、俺の声が生み出したものも含め、八本の錨が大きくうねり、あるいは広がり、この宇宙にありったけの存在感を示す。絶えず移り変わるモニター上の関数計算式を確認すれば、瞬きながら第三対災ステーションを中心にうごめくそれは、茫漠とした無音無明の闇を淡く照らして泳ぐクラゲのようだ。数百基の標準塔ひょうじゅんとうもまた、七色に光を変えながら列をなして、錨の間に揺らめいている。


 小さな身体。背中に暖かい明かりと、確かな鼓動の感覚。レーグルの熱と命を躍動的に湛え、傘径かさけい六〇〇〇万キロメートルの巨大なクラゲは、静まり返った深海を、音の速さで進んでいく。


 現在位置として、複数の恒星系からの距離を伝えたあと、黒髪の少女は、必要もないのに上半身を乗り出して、マイクを俺の口に近付けた。横目で視線を合わせ、笑い合って、いつものようにこう締めくくる。


 近傍の知的生命体は、この声が見えたら応答して欲しい。

 俺たちは空が嫌いなんだ。 










 空を嫌う人たち ――完












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空を嫌う人たち Aiinegruth @Aiinegruth

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