君に恋する5分前

万之葉 文郁

君に恋する5分前

 階下からジュージューという音と共に香ばしい匂いが漂ってくる。


「真紀! もうすぐお好み焼き焼けるでぇ」


 母が階段の下から声を掛けてくる。


「ちょっと待って! 7時ちょうどにテレビ始まるんやから」


「7時まであと10分くらいあるやん。はよ食べてまい」


「無理やって。置いといて!」


「もぉ。お好み焼き冷めてまうやんか」


 母の文句も無視して私は2階にある自分の部屋のテレビの前で正座で待機している。

 7時ちょうどに私が推しているアイドルのCMが流れるのだ。

 3日前に告知されてからずっと楽しみにしていた。もう少しで私の王子様に会える。


 その矢先「こんばんはぁ」と玄関からよく知っている声がする。


 年上の幼馴染み、恵だ。

 こんな時に間の悪い。私はチッと舌打ちをする。


 玄関で母と恵がしゃべり出す。

「あら、恵ちゃんやないの。久しぶりやなぁ。しばらく見んうちにシュッとしたやないの。そのスーツ、シューカツか。もう大学3年生やもんな」


「うん。今日説明会やってん。真紀おる?」


「自分の部屋におるで。上がって」


「お邪魔します」


 勝手知ったる恵が階段を上がってくる音がする。

 そして、そこに母が下から声を掛けた。


「そうや、恵ちゃんお好み焼き食べていき。ちょうど今焼いとるから」


「ありがとう。真紀に渡すもん渡したらすぐ行くわ」


 そうして、ドアがノックされる。

 もうテレビ始まるまであと5分くらいしかない。


「入ってぇ」


 ドアが開いて恵が入ってくる。

 真面目なスーツ姿でちょっと笑える。


「ええカッコやなぁ。恵でもそういう格好したらちゃんと見えるんやな」


「それどういう意味やねん」


 恵がにらんでくるがそれはスルーする。


「で、何の用? 私忙しいんやけど」


「1年生の時のノート持ってこいって言ったん真紀やろ。人が折角持って来たったのにいらんの?」  


 その言葉に私はハッとする。


「いるいる! ありがとう! 持つべきは年上の幼馴染みやね。助かるわ」


 私は両手で恭しくノートを受け取る。


「ほんま調子いいんやから」


 大きなため息をついて苦言を呈されるが、いつものことなので気にしない。


 ついでに言うと、このケンカしてるみたいな遠慮のない物言いも、人から漫才みたいと言われるしゃべくりもいつものことで、別にケンカをしている訳ではない。これが二人の通常運転である。


「ごめんごめん。けど、あともうちょっとでテレビ始まるねん」


 テレビに視線を戻す。


「なんの番組?」


「ミツキの新しいCM」


「あの夢の国のネズミ?」


「なんでやねん。今人気のミツキって言うたらアイドルグループ月雅のミツキのことやろ」


「そんなん知らんわ」


「ほんま恵は世間に疎いんやから」


 やれやれと肩をすくめ手の平を上に向ける。


「いやいや、世間様はそないにアイドルの事情に詳しくないと思うで?」


「そんなことないわ。ミツキは次世代の国民的アイドルになるんやから!」


「へ〜」


 恵は気のない感じで返事する。


「その対応冷たない? 昔は一緒にアイドル番組見てくれとったのに」


「あの時は、真紀があれだけ騒ぐのがどんだけのもんかと思って付き合っとったけど、あのキラキラ感は無理。寒イボ立ったわ」


「あぁ恵にはあの輝きは眩しすぎたかぁ」


「人をヨゴレみたいにいいなや。そう言えば、真紀あの頃からずっと長いこと好きなアイドルおったやんな? 杉原ダイチやったっけ。あれはどうなったん」


 さすが長年の付き合い。痛いトコロを突いてくる。


「ダイチはもうええねん!ダイチは前に共演した女優と2年越しの交際で結婚間近やって最近スクープされてもてん。とんだ大失恋やわ。どれだけ泣いたことか」


 あぁ、今思い出しても涙が出そう。


「ちょおアイドルにガチ恋せんでや。引いてまうわ」


 本当にドン引きした感じで顔が引きつっている。


「ひどいなぁ。高校生活全てを賭けて日本一のアイドルにするべく売上に貢献してんで。それがあんな女優とコソコソ付き合ってるやなんて!」


 あの時のショックと怒りがよみがえる。


「こわっ。ほんまガチやな。彼も気の毒に……はっ! 自分まさか相手の女優をネットでバッシングとかしてないやろな」


 恵がほんとに心配そうな声音で尋ねる。


「そんなこと、するわけないやろ! そこまで堕ちてへんわ」


「それやったらいいけど。よくアイドルなんかにそんなに夢中になれるもんやな。実際会えるもんでもないのに」


 呆れた様に言う恵が気に食わず、私は反撃にかかる。


「恵も高校の時ビジュアル系バンドのギラギラしたやつに夢中やったやん。あの金髪縦ロールのピラピラした服着た人」


「Yui様をそこらのアイドルと一緒にせんといてや。Yui様はあの麗しさもそうやけど、あのエレキのテクニック! あれに惚れてん。見た目だけやないわ」


「でも、恵、髪の色同じにして髪伸ばしてたりしてたやんな? 縦ロールは流石に周りに止められとったけど」


 あの頃の恵はブリーチをかけて相当明るい金髪にしており、それが純和風な顔立ち顔と全く合っていなかったことを思い出した。

 自身の黒歴史を突かれた恵は気まずそうに目線を反らす。


「まぁ、今思えば、あの時は相当のぼせとった。それは認める。けど、大学入って髪の色は戻したし、もうそういうのは卒業や。そこの現役アイドルオタクもそろそろ現実に戻ってきい」


「そんなんウチの勝手やろ。現実にミツキみたいな良い男おらへんもん。その辺の男にドキドキなんかできへんわ」


「……真紀、そんなんやったらこのまま男の一人もできへん人生になるで?」


「別にいいもん。恵やって今まで付き合った人とかおらんやろ」


「そうやけど、作ろうと思えば作れるわ。これでも大学では結構声が掛かるねんで」


「えっ、そうなん?」


 恵をまじまじと見る。恵は口の悪いのは置いておいて、見てくれはそう悪くない。20歳過ぎて急に大人っぽくなったし。けれど、それを認めるのはなんとなくシャクだ。


「口ではなんとでも言えるわ」


 私はフンっとそっぽを向く。


「わかった。それやったら、本気で恋人作ったるから覚悟しときや!」


 恵は私の顔をびしっと指差す。


「はいはい、楽しみにしとくわ。とりあえずほんまにもうすぐ始まるからもう帰って! ……ノートありがとう」


「なんやねんな! ……どういたしまして。ノートの借りはまた返してもらうで」


「はいはい。次に会ったときね」


 私はテレビに顔向けたまま雑に手を振る。


「ほな、下でおばちゃんのお好み焼き食べて帰ろ」


「そうしぃ、そうしぃ」


 バタンと扉が閉まった。部屋が途端に静かになる。

 漫才みたいな怒涛のような会話が唐突に終わる。いつものことだ。


 そうこうしているうちに7時まであと1分を切った。私は1人思いを馳せる。


 ミツキは前に好きだったアイドル、ダイチの後輩にあたる。ずっとダイチのバックダンサーなどをしていた。ダイチの熱愛報道で打ちひしがれているところに、ミツキがデビューすることが決まった。私はその報道のキラキラとした彼を見て、次の恋は彼にしようと決めたのだ。

 整った顔に長身のスラッとした体型。しかし、チラリと服から覗く筋肉は引き締まっていて、所謂細マッチョというやつだろうか。ダンスも上手で歌声も良い。そしてデビューしたばかりといってももう24歳。ちょっとした仕草や目線が色っぽい。大人の色気がたまらなく魅力的だった。


 これからミツキのCMが流れる。アクセサリーブランドのCMなのだが、噂ではミツキが恋に落ちるに必至なセリフを言うらしい。

 いつでも来い。恋に落ちる準備万端だ。



 ついにデジタル時計が7:00を指した。


 フッと視界が暗くなり何も見えなくなる。


「いい加減、こっち見ろよ」


 耳元で声がする。ミツキの声ではない。その声は低く甘く耳を震わせ、背筋がゾクリとした。


 声がした方に恐る恐る顔を向けると部屋を出たはずの恵の顔が間近にある。

 何も見えなくなったのは恵に目隠しをされたからだと気づく。


「け……い?ど、して……」


「真紀が隙だらけやからや」


 切れ長の目がこちらを真っ直ぐに見てくる。大人の男の顔だ。こんな顔知らない。


「〜〜〜っ」


 真っ赤になった私を見て、恵はしてやったりとニヤリと笑う。


「覚悟しときって言ったやろ。もう、新しいアイドルおとこになんか目がいかんようにしたるからな」


 恵の顔が近づいてくる。私は突然の事態に体が動かなかった。



「こらぁ!真紀も恵ちゃんも早くきいな! お好み焼き冷めてまうで!」


 階下から母の痺れを切らした声がする。私は体をビクッとさせた。


「ごめん。今行くわ」


 恵が平然と返事をして私をゆるく拘束していた腕をほどく。そして、自身の唇に人差し指を立てて言う。


「続きはまた今度やな。ノートの借り返してもらわなあかんし。んじゃ、下に行くで」


 先に部屋を出ていく恵を立ち上がることも出来ずに見送った。

 展開について行けず頭が働かない。


「何なん、何なん。あんなん反則やん」


 あんなに楽しみにしていたテレビのことなんて、私の頭の中からすっかり飛んでなくなってしまっていた。



私の恋が始まった……?

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君に恋する5分前 万之葉 文郁 @kaorufumi

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