墓は空の下に

真花

墓は空の下に

 音を忘れた場所、見上げれば空は高く高くどこまでも続いていそうで。

 霊園の入り口で俺は死と空が演出する永遠に立ち竦んだ。静けさと広さにくるまれて無限に希釈されるなら、どの愛しさも平静に帰してしまいそうで、だから、胸の中にあるものを奪われないようにぐっと力を込める。もう一度自分の中にそっと触れて確かめて、大丈夫、ここに来た理由は灯ったままだ。

「コーイチ、行くよ」

 柔らかい、空間の持つ緊張を破らないミエの声で、どこかまで飛んで行っていた俺自身が戻る。ミエは喪服に乗っかるには不釣り合いに穏やかな微笑みで、半歩先から俺を振り返っている。

「おう」

 手桶とか線香とかを分担して持って、広い区画の中を横並びに進んで行く。

「ヒロヤ、何年目だっけ?」

 ミエが思い出したかのように問う。

「俺らが二十七歳のときだから、五年目? 六年目? そんくらい」

「そんくらいなのね」

「だからまだ、ひょっこり会いそうな気がするんだろうね」

「あ、分かる。電話とかかかって来そう」

「俺まだヒロヤの番号、電話帳に入ったままだよ」

「私も」

 右に左に墓石は大きくて、ときどき名前が朱い人のもある。

 二人の足音だけが砂利の上に生まれて、風に流れてゆく。いつか俺もこう言うところに入るのだろうか。葬式は残された人々のためにしているんだってヒロヤのときに気付いた。墓も同じなのだろうか。でもそうだ、こうやって来ているのだ、少なくとも俺達のためにはなっている。俺も残された誰かのために墓を作るのだろう。でも、そうやっても来てくれるような誰かは生まれるのだろうか。

「赤い木馬は血の色――」

 自分の死後に会いに来てくれる人の可能性を考えていたのに、隣でミエが歌い出した。

「炎を吹きかけ走らせるーー」

 透明な旋律。ミエの声もこの場所に匹敵するくらい澄んでいる。聞き惚れていてもいいと思ったけど、一緒に歌いたくなった。

「夢を一つ選んでーー」

 ミエがチラとこっちを見る。でもその顔は綻んでいたから一緒に歌っていい。

「掴め、灰になる前にーー」

 二人で霊園の端まで歌で埋めそうなくらいに声を張って、歌い歩く。一曲丸々歌い終えたときにちょうど、ヒロヤの墓の前に着いた。ミエは笑っている。

「本当に、場違いな歌」

「でも、この曲がヒロヤの一番のお気に入りだった。セットリストからまず外さないし、外したとしたらアンコールに入れてた」

「じゃあ、今のもアンコールかな」

「いや、入場曲だよ」

 墓には供え物が少しあった。多分生前のファンの人によるものだろう。俺達は墓を洗う。だから一旦その供物は脇に避ける。

「何で喪服で掃除なんだろう」

 俺の疑問にミエが即答する。

「そのギャップが、いいのよ」

「誰にとって?」

「そりゃ仏さんでしょ。骨になると嗜好も変化するんじゃないの?」

「俺はそう言う風にはならない」

「じゃあどうなるの?」

「今好きなものが、ずっと好きだよ」

「ヒロヤもそうかもね。喪服なんかじゃなくていつもの格好にすればよかったかも」

 ザバーと水を掛けて、掃除を終える。色々のパーツを元に戻して、お供え物も返す。綺麗になったのか濡れただけなのか、パッと見では分からないけど、俺達の確かな労力がこの石には刷り込まれた筈だ。ミエを見ると、満足半分自慢半分の顔。

 順番に手を合わせる。

 ミエから。しゃがむとヒップのラインが強調される。俺は彼女を見守っているのかお尻を盗み見ているのか分からないくらいの曖昧な視線を定めさせようとして失敗している内に順番が来た。

 数珠を手に。

 ヒロヤ。久しぶり。いつもの生活の中でお前のことを思い出す日は元々と同じで少ないよ。親友なんてそんなものだろう。でも、忘れてない。だから今日もこうして来た。魂の場所とか知らないけど、骨はここにあるし、この墓は少なくとも俺はお前とやり取りするブースだと思っているよ。お前の家族は元気にやってる。ときどき会ってるよ。ミエと一緒に。俺達もいい年になったと思う。だから俺も家族を持ちたいなと思うんだ。どう思う? ミエにプロポーズするんだ。いいアイデアだろ? そう笑うなよ。え? 遅いくらいだって? そんなものかな。そんなものだって? 横から見ていると分かるって言うのか? でも、賛成してくれて嬉しいよ。

 立ち上がって、何となく一礼する。してみて、その一礼が、プロポーズの成功を祈願したものだと分かる。

「行こっか」

「そうだね」

 道具一式を持って、再び霊園の出入り口に向かう。相変わらず広い道、高い空、砂利の足音。

「コーイチ、今日真っ直ぐには家に帰らないでさ、寄り道しようよ」

「いいよ。でもどうして?」

「一緒に住んでたらあまり話さないこと、今日は話せそうな気がするんだ」

「それは墓だからかもよ?」

 ミエは首をゆっくり振る。

「それは違うよ。墓の中のヒロヤに会ったからだよ」

 胸の隙間にヒロヤ含みの墓地の空気が入って来た。自分がしぃんとなるのが分かる。その静けさは俺の中の不足を補うもので、だから俺はもっと闊達に動ける。その準備状態としての、静謐だ。

「どこにでも行けるよ」

「海がいいな。でも浜じゃなくて、陸地からカフェで海を見るの。そこで話すんだ、私達」

 ミエの声は弾んでいる。その弾力に、俺にも弾みが付く。

「飲み物はトロピカルな奴で」

「得体の知れない揚げ物とか頼むの」

「それが意外と美味いんだ」

「大事な話が終わるまではお酒はなしね」

「もちろん」

 突風が吹いて、キャァと言っている間に話題は風に拐われて消えてしまった。黙って歩く。砂利の音。

「最近仕事はどうなの? 全然聞いてない」

「順調だよ。トラブルはあっても処理出来ているし、自分のスキルをあげることも出来ている」

「愚痴が出ないのは、いい兆候なのかな?」

「俺は辛いときには愚痴りたい方だから、そう考えて貰うのが丁度いい。ミエは仕事は?」

「ちょっとしんどい。仕事自体じゃなくて、上司と合わないのがきつい」

「合わないって、どう?」

「言ったことを暫くして別のことに急に変えたり、変えるのはまだいいんだけど、高圧的に命令するんだよね。あと、失敗を他の人になすりつけているのを見ちゃって、それは結構ショックだったな。もう一つ典型的なのが、人を叱るときにわざわざみんなの前で立たせて、聞こえる声でやるの。尊厳を傷付けるのが生きがいなのかって思う」

 俺は立ち止まる。それに値する内容だ。

「ミエ、そう言う辛さは、ちゃんと俺に話して欲しい」

「でも話したところで状況は変わらないし」

「それでもミエの状態は変わる。それにもっと言えば、俺がしゃしゃり出ることだって出来るし、他の対策を考えることも出来る」

「……分かった。もう少し甘えることにする。ね、進も」

 促されて歩き出す。出口はもうすぐだ。

 ミエが俺に甘え切らないのは、それをするのに十分な土壌が練成されてないからだ。それさえ出来ればきっともっと甘えて、安心することが出来る。

 砂利の終わり。石段のような出入り口を降りる。帰り道にはすっかり忘れていたヒロヤのことをひょっこり思い出す。墓石のあった辺りを凝視して、じゃあ、俺はやるぜ、と胸の中で呟いてから、霊園を出る。

 同じ空の下に居るのに、急に空の無限性が失われる。砂利以外の音は人間の営みによるものだと感じられる。俺は車に向かいながら、「赤い木馬は血の色――」とヒロヤの愛した彼の歌をもう一度口ずさんだ。今度は彼女は黙って聞いていた。歌ったままドアを開けて車中に入ると、反対側から乗ったミエも一緒に歌い始めた。そして歌い上げてから、俺達は次にむけて出発した。



(了)

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