#5 ストレイシープはくじけない
場所の候補は二つあった。ひとつはわたしたちのクラスで、ひとつは学校の裏門を出たところ。前者は吊るし上げる気満々だから、さすがに止めにした。最後の一線は超えたとはいえ、わたしにはまだそこまでの度胸はない。
吊し上げは、遅いか早いかの違いでしかないし。だったら、わたしからわざわざする必要もない。
文化祭の準備で忙しい最中だ。誰も、本来なら授業をしているような時間に裏門になんて来ない。何かと都合のいい時間であり場所だ。
猫目石さんは、もう帰ったらしかった。できれば傍にいてほしかったけれど、これはわたしの解決編だ。探偵役は二人もいらないということなのだろう。
呼び出すべき人物を探して一度自分のクラスに戻ったら、さすがに騒然としていた。どうも猫目石さんは事件のことを詳しく語らず大灘くんの話を聞いたようで、あの『高校生探偵』と大灘くんの関係は何なんだとみんな疑問に思っていた。
あるいは戦々恐々か。今回の事件、彼らも決して無関係ではないし。
ついでに、わたしは自分の推理の確認もできた。確かに、猫目石さんの言う通り、この事件は狼滝くんでなければ簡単に解決できた。
「で、なんなんだ?」
呼び出したい人物――狼滝くんは生徒会室で見つけた。折よく、一人でいた。
呼び出すための誘い文句は、特に必要がなかった。狼滝くんからすれば、自分が犯人と睨んでいる人物からの呼び出しだ。応じない理由はない。
「分かったよ。今回の事件。その真相?」
「………………はあ?」
面食らったように、狼滝くんは言って首をかしげる。
「真相だと? お前、自分の立場が分かってんのか? それとも今から自白でもするのか?」
「自白なんてしないよ。だって、わたしは犯人じゃないし」
「あのなあ」
まるで赤子を諭すように、狼滝くんは説きはじめる。
「大灘がいつ、あの多目的教室に入ったか。お前がどれだけ否定しようとも、タイミングは一つしかない。掃除の連中は大灘を見ていないし、尾長先生も多目的教室の扉が開かれる音を、お前と一緒にいたときは聞いていない。多目的教室が開かれたのは、お前が進路指導室から消えてからだ。つまり、お前と大灘は一緒に入った。そこで大灘がまさか勝手にカッターを首に突き立てたわけじゃないだろ? お前が危害を加えたから、あそこで大灘のやつが倒れていたとしか思えない」
「そう、そこなんだよ」
解決編は、もう始まっている。試合じゃないんだから、開始のゴングは誰も鳴らさない。
「厄介なのはそこ。狼滝くんの視点だと、消去法ではそのタイミングしか大灘くんは多目的教室に侵入できない。でもわたしの視点からだと違う。わたしはわたしが犯人じゃないことを知っている」
ここからが、勝負だ。
「わたしは犯人じゃないから、わたしと大灘くんが一緒に入ったことはありえないと断言できる。でも、それじゃあ狼滝くんは納得しないんだよね?」
「当然だ」
「じゃあ、どうしたら納得する?」
「そりゃお前…………。お前と一緒のタイミング以外に、大灘が多目的教室に、誰の目にも触れず侵入したってタイミングがあるのなら話は別だけど」
「分かった。だったらそれを教えるよ」
「は?」
さっきから、狼滝くんはポカンとしてばかりだ。犯人だと思っていた人が、いきなりこんな話をしていたら当然だろうけど。
「大灘くんが侵入するタイミングは大きく分けて三つある。ひとつは掃除のタイミング。ひとつはわたしと尾長先生が進路指導室にいたタイミング。そして最後が、わたしが進路指導室を出て多目的教室に入るまでのタイミング。狼滝くんからすれば、最後のタイミングが一番可能性がありそうに見えるのは分かる。だって、このタイミングを見張っているのはわたし一人だからね。わたしが嘘を吐いていると考えれば、すべてが丸く収まる」
実際は、嘘などついていないから何も収まってはいない。
「でも、わたしの視点からだと逆なんだよ。進路指導室にわたしたちがいたタイミングと、その後。この二つのタイミングは、わたし自身が見張っているから大灘くんが侵入できないと断言できる」
消去法だ。狼滝くんとは別のアプローチからの。
「すると、残るのは掃除のタイミングということになる」
「だが、それは……」
「そう。仮に大灘くんが、多目的教室掃除の人たちが消えてから侵入したとしても、廊下掃除の人には見られる。しかもそれなりの人数に。これだけの人たちが口裏を合わせているのは不自然だよね。だからありえないと思うかもしれない。でも、わたしの視点からだとこのタイミング以外にありえない。ここしか残っていない。なら、逆に考えようよ」
多目的教室前の廊下を掃除していた人たちが、口裏を合わせて不自然じゃない状況を。
「ちなみに、さっきまで猫目石さんがいたんだよ。猫目石さんがクラスのみんなにそれとなく事情を聞いたら、一発で分かって」
「ね、猫目石瓦礫が?」
さすがにここで猫目石さんの名前を出したら、驚くか。
「でもなんで猫目石瓦礫がこの事件のことを知ってるんだよ」
「ほら、前に猫目石さんと会ったときの話をしたよね? そのときに、大灘くんを見張れって、言われたから。たぶん、猫目石さんはそれとなく気づいていたんだよ」
それもまた、ヒントになる。
「わたしも、それとなくクラスメイトに聞いたら、謎が解けたよ」
「ど、どういうことだよ」
「分からない?」
大灘くんが、誰にも見つからなかった理由。
廊下掃除の人たちが、揃って口裏を合わせた理由。
それらが不自然でなく繋がる線。
「いじめだよ」
それが、答え。
「わたしはほとんどクラスにいなかったから分からなかったけど、大灘くんっていじめられてたんだよね? 単にクラスで浮いてるなあって思ってたんだけど、いじめられればそりゃ浮くよね」
「じゃ、じゃあ…………」
「集団で無視をするのはいじめの一形態だよね。だからみんなは、大灘くんがいないみたいに扱ってたんだよ」
だから、大灘くんは見つからなかった。掃除の人たちは、大灘くんを実際に見てはいたけれど、それを誰も口にしなかった。
無視をする。いないものとして扱うというルールがあったから。
「それはおかしいだろ!」
狼滝くんは叫ぶ。
「だって、俺が聞いたんだぞ? クラスの連中に、事件の事情聴取を。大灘を見ていないかって。あいつらは俺にまで無視を継続してたってのか?」
その言葉は、震えている。口元がひきつっている。
ああ、やっぱりそうなんだ。
「だって、狼滝くんは緘口令に従って、それとなくしか聞いてないでしょ? もし大灘くんの事件が公になっていたらさすがにみんなも無視を継続せずに正確なことを言ったと思うけど、大灘くんが倒れていたことは誰も知らないんだもん。いつも通り、粛々と無視しただけだよ」
裏返せば、無視を継続できない場合もある。例えばわたしや猫目石さんに尋ねられたときだ。集団無視に代表されるいじめはあくまで集団内でのルールだから、外には持ち込まれない。部外者の猫目石さんが大灘くんについて尋ねれば、たとえ事件のことを知らなくても普通に答える。
それはほとんどクラスにいないわたしも同じことで、たぶんわたしは部外者として扱われたんだろう。ただ、一緒にミシンを運んだクラスメイトは大灘くんについて答えるとき、周囲を気にしていた。あれは集団としてのルールを徹底するべきか、素直に答えるべきか、周囲に人がいないのを基準に判断していたのだ。たぶん、周りに他のクラスメイトがいれば、彼女は素直に答えなかっただろう。いじめを容認しないこともまた、いじめの理由になる。誰だって標的にはなりたくないから、いじめの枠を飛び越えるときは慎重になる。
そして、わたしや猫目石さんには徹底されなかったいじめのルールが、狼滝くんには徹底されたということは…………。
「狼滝くんも、いじめをしていたんじゃないの? 少なくとも、容認はしてたんだよね? だから狼滝くんが聞いても、大灘くんの無視は継続された」
これが、狼滝くんが探偵役にふさわしくない理由。正確な情報を、彼は得られなかった。そしてわたしや猫目石さんは得られたから、ただ話を聞いただけで事件を解決できた。
「違うなら、否定してよ」
わたしは、狼滝くんに詰め寄る。
「むしろ否定してほしい。そうじゃないと、わたしは…………狼滝くんの人生を、潰すことになる」
「な、なにを…………。何をできるって言うんだ!」
狼滝くんは、吠えた。
それは、否定とは真逆の行為だ。
「だったらどうだって言うんだ? 俺が、大灘のやつのいじめを容認してたら! 事件はやつの自殺未遂ってことになるんだろ? それ以上の何があるんだ?」
「今、柳葉さんに動いてもらっている」
こうなったら、終わりだ。
「覚えてない? 『歪んだ果実』に行ったあの日にいた、ジャーナリストの。あの人にわたしの推理を伝えた。あの人はもともと、いじめ事件のルポをやっていた人だから、こういうのはむしろ本職だよ。あの人ならすぐに裏を取れる」
「な………………」
「だから、終わりなんだよ、何もかも」
狼滝くんは、立ち尽くした。
わたしはその沈痛さに耐えかねて、その場を後にした。
謎を解き明かしたという快感はなく。
犯人を追い詰めたという実感もなく。
ただ…………。相手を追い詰めるのはそんなに楽しくないなと思いながら。
決意を固めた翌日は、いつも通りに始まった。
目覚まし代わりに点けたテレビから流れる天気予報や星座占いを聞きながら、朝食の準備をする。冷凍庫に入れておいて凍りついたパンを次々にトースターに放り込んで、ダイアルを回す。
「さて、先日東京都で起こったエレベーター内での殺人事件が話題を呼んでいます。監視カメラの映像が暗転した一瞬のうちに、エレベーター内の被害者が視察されていた事件について、是非、『ワイドショー探偵』の道脇さんにお話しを伺いたいと思います」
「朝から物騒な話ですね」
秋の番組改定だとかで、『ワイドショー探偵』の道脇双二は朝の新しい顔になった。もっとも、来年度は水仙坂付属の教師だから、半年にも満たない特別起用だ。それでも採用するあたり、探偵の人気ぶりが伺える。
「姉ちゃん! 探偵出てる。『ワイドショー探偵』!」
「はいはい」
ありがたいのは、朝寝坊の佳朗が早起きしてくれるようになったことだ。佳朗につられて、波介と代乃も早く起きるようになった。
「ほら、テレビはほどほどにして早く食べちゃって。遅刻するよ!」
「はーい」
「お姉ちゃん、髪結んで」
「分かったから、早く座って」
代乃の髪を結い終わったら、メモ帳からあらかじめ破った紙と二千円を波介に渡す。
「なんだこれ?」
「お使いのリスト。今日、帰って来る途中に買っておいて」
「な、何で俺が…………」
「わたしも来年から受験生だから、いい加減勉強の時間が欲しくて。もう波介もいい年なんだから、お手伝いの一つくらいしてよね?」
「ええ…………」
膨れる波介に無理矢理持たせた。これからは少しずつ、練習させないと駄目だ。
洗濯物を干して、みんなを追い立てるように学校や保育園に行かせてから、わたしも学校に向かう。今日は遅刻せずに済んだけど、お父さんがいるとまた事情が変わるんだよなあ。
まだまだ、受験のための生活には程遠い。
学校に向かって歩いていると、ぷるるるる……………………と間抜けなエンジン音が後ろから聞こえた。振り返ると、赤いスクーターに乗って、柳葉さんがこちらに向かってやって来た。
「いやはや。遅刻常習犯と思いきや今日は早いね」
わたしの横に止まって、ヘルメットのシールドを押し上げながら柳葉さんは言った。
「報告することがあって、先に通学路で待ち構えているつもりだったのに、危うく入れ違いになるところだった」
「報告すること、ですか?」
柳葉さんには大灘くんの事件について動いてもらっていたけど、昨日今日でそんなに変化があっただろうか。
「いい知らせだ。昨日の深夜に大灘くんが目を覚ましたよ」
「本当ですか!」
「ああ。母親を心配させた負い目もあるんだろう。ぽつぽつとだけど、真相を話してくれた。だいたいは君の推理通り、追い詰められて自殺未遂をやらかしたらしい。いじめられていたのも本当のようだ。ただ、自殺場所を選んだ理由は覚えていないみたいだね。追い詰められて、自分でも何をしていたのかはっきりしないんだろう。それがあんな妙な事件になるとはね」
良かった。正直なところ、わたしの推理は自分が犯人じゃないところか立脚していて、自分の疑惑を否定するくらいしか機能しないものだったから。大灘くん自身から補強してくれたおかげで、真相が完全に明らかになった。
「しかし探偵生徒会の一人がいじめの容認とはね。これは度し難い。今、教育委員会にも掛け合っているところだ。この辺は一度経験済みだから慣れたものさ」
「ご迷惑おかけします」
「いいって。私としても特ダネを掴ませてもらっているからね。この程度は苦でもない。いやあ、それにしても榎本泰然の息のかかった集団がねえ。君と知り合ったばかりに、とんだ大物を釣り上げた」
柳葉さんはとても楽しそうだ。不謹慎だけど、ジャーナリストとしてらしいような気がする。
「猫目石くんも人が悪い。大灘くんのことを気づいていたら私にも相談してくれれば良かったのに。それにしても彼はよく気づいたね」
「たぶん、大灘くんが柳葉さんの言葉に反応した、表情を読んだんだと思います」
あのとき、柳葉さんの話が自分の調査したいじめの自殺事件に及んで、大灘くんは顔をこわばらせた。その一瞬を、猫目石さんはやっぱり見ていたのだ。
「でもそこから大灘くんの自殺まで思い至るのは、猫目石さんが探偵だからなんですかね?」
「きっと、そうなんだろうね」
柳葉さんは頷く。
「探偵というのは、細やかなものから事件性を見出す人間だ。何でもないようなことが、彼らにとっては事件の兆候たりえる。そういう意味では、実に探偵らしい人間だったわけだ、猫目石くんは。それにしても………………」
じっと、柳葉さんはこちらを見る。その目は、猫目石さんのようにすべてを見透かすとはいかないまでも、こちらのことを把握しようと観察している気がした。
「君も意外だな」
「わたしが、ですか?」
「そうだとも。考えてみたまえ。私に今回の事件を知らせるということは、事件を公にするということだ。それは探偵生徒会の恥部を晒し、彼らの将来に泥を塗る結果になる。仮に今回の件が狼滝くん一人のことだったとしても、彼らは探偵生徒会として注目されているからね。一人の問題は全員の問題になる」
将来に泥を塗る。それはつまり、彼らの探偵としての道行きに暗がりを作るようなもので。
「君は、たとえ涙を呑んでも誰かが損をするようなことはしないタイプだと思っていたよ」
「涙を呑むはわたしじゃなくて、大灘くんですから。それはできませんよ。それに…………」
ゲームセットまでの手札は、揃っていた。
わたしが壊すべき壁。水仙坂付属の受験枠五人が埋まっているという問題を解決するための、カードの切り方。
わたしが手札に抱えていたのは、ただ事件を解決するためのカードだけじゃなかった。
「もし探偵生徒会が今回の事件で責任を問われたら、彼らは水仙坂付属の受験枠を貰えなくなるかもしれないなって、思って」
「それは、つまり……」
「わたし、探偵になりたいんです」
わたしは、探偵になることを夢見ていた。
本当に、ただの夢だ。叶うはずのない。目が覚めれば、弟や妹の世話をしながら、お父さんにたまに殴られたりする現実に逆戻りする夢。
だって、わたしのやるべきことは、弟や妹を守り、応援することであって。自分のために何かをすることじゃないと思っていたから。だから代乃のことであんなに必死になったし、藤人の探偵になりたいという夢を応援した。
そうだ。だから、藤人の夢とわたしの夢では、質が決定的に違っていた。藤人のそれは将来の明確な目標だったけど、わたしのは文字通りの夢想だ。
でもそれじゃあ、駄目なんだ。藤人のためにならなかったし、なにより、わたしのためにならない。
だから迷うな。ためらうな。
わたしは弟や妹のためなら、他人の人生を蹴落とすくらいどうってことない。それが自分のためになるのなら、なおのこと。
迷える子羊とはもう言わせない。
わたしはもう、迷わない。
ストレイシープはくじけない――探偵候補生・日辻芽里乃 紅藍 @akaai5555
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