#4 探偵、八面六臂

「いやあ、助かったよ。衣装、作ってくれてありがとう」

「そんな大したことじゃないよ」

 大灘くんのお見舞いに行ってからさらに翌日。つまり事件の二日後。わたしはクラスメイトの女子生徒一人と、家庭科室にミシンを取りに行っていた。

 文化祭は、今週末に迫っている。人一人が死にかけても、それは隠蔽されて、お祭り騒ぎは続いている。

「それにしても日辻さんって家庭科得意だよねえ。料理も上手だったもんね。衣装もすごくよくできてた。どうしてそんなに上手なの?」

「弟や妹の持ち物を作ってるうちに、自然とね」

 雑巾だの巾着だの、けっこういろいろ作らされるから。お母さんたちは総じてそういうの、苦手だったし。

 わたしたちは家庭科室を出て、一人一台ミシンを抱えて教室に戻っていた。校舎からはどこからともなく、笑い声が聞こえてくる。今日も今日とて、みんな、準備に大忙しだ。

「それにしてもあと三日かあ。早いなあ、文化祭」

「そうだね」

 イマイチ、実感は湧かない。もともと、ただでさえ行事はサボりがちなのに、今は大灘くんの件があるせいで、どうしても身が入らない。

 文化祭が終われば、さすがに緘口令にも限界が来る。大灘くんがいないことをクラスのみんなも不審に思うはずだ。そうなれば狼滝くんは、事実を伝えて、自分の推理をみんなに開示するかもしれない。

 わたしが、犯人だろうという推理を。

 それまでに、なんとか、別の真実が見つかるといいんだけど。

 クラスから浮くのは構わない。既に浮いているし、馴染めてなどいない。でも、犯人扱いされることで、その余波が弟や妹に届いてはいけない。そうなる前に、何とかしなければ。

「ところでさ」

 ひとつ、聞いておこうと思っていたことがある。

 今、わたしの隣にいるクラスメイトは、大灘くんと同じ掃除班に所属している。確認した所、今週、大灘くんたちは教室前の廊下を掃除しているという。

 給食の時間に大灘くんが消えていたらさすがに分かる。けれど、掃除の時間は違うかもしれない。大灘くんが多目的教室に向かった時間を正確に測るためにも、掃除の時間、彼がどこにいたかを把握しておいた方がいい気がする。

「大灘くんのことなんだけど」

「え?」

 わたしがそう尋ねると、大仰に目を丸くしてクラスメイトは答えた。

 ……………………ううん? どうも、変な反応だ。

「う、うん。大灘。あいつ? あいつがどうかしたの?」

 きょろきょろと、クラスメイトはあたりを見回した。別に誰もしないし、ましては大灘くんの生霊だって漂ってはいないのだけど。

「掃除の時間、同じところ掃除していたよね?」

「そ、そうだけど……」

「一昨日なんだけど、大灘くんってちゃんと掃除してた?」

 狼滝くんとか、慣れている人ならそれとなく聞き出せるのだろうけど、わたしはやったことないからストレートになってしまう。こればかりはどうしようもない。

「そりゃあ、してたけど…………」

 と、答えて、すぐに思うところがあったのか頭を振った。

「そういえばあいつ、いなかった気がする。終わりの方。掃除を始めたときはいたような気がするんだけど」

「……ふうん?」

 つまり、掃除の途中で抜けたのか。じゃあ、大灘くんが多目的教室に入り込んだのもそれ以降ということになる。

 本当に、いったい何時、どうやって入り込んだんだか。

 例えば大灘くんが犯人なら、まだ分かるんだよね。誰にも気づかれずに多目的教室に侵入するメリットというか、利点が。でも大灘くんは被害者だ。被害者が誰にも気づかれず、いつの間にやら多目的教室に入っていた。これはどういうことだろう。

 でも、このクラスメイトの話が事実なら、タイミングは絞られる。掃除の途中で抜けて、それ以降のどこかで侵入したとは言っても、わたしと尾長先生が進路指導室に入ってからわたしが出て、多目的教室に入るまでの間には侵入の余地がない。もし大灘くんが入るなら、タイミングは掃除の途中ということになるんだけど……。

 多目的教室と、その廊下を掃除しているクラスメイト達は見ていないと証言しているし……。謎だなあ。

「そ、そういえばさ」

 クラスメイトは、まるで話を無理矢理転換するかのように、言葉を継いだ。

「日辻さん、その怪我どうしたの? 大丈夫?」

「あ、これ?」

 昨日の怪我は、あの後、大灘くんの母親が呼んだ医者に治療された。今は左目にガーゼをあてているし、内出血用の目薬も貰った。その他、別に彼女が殴ったわけじゃない箇所もあちこち治療された。費用は向こう持ちだったので好意に甘えることにしたけど、なんだか忍びない。

「階段で転んじゃって」

「どんだけ顔面から勢いよく転んだの?」

 そんなにダメージが顔面に偏重しているだろうか。じゃあ階段で転んだって言い訳は難しいかもしれない。なんて言えばらしくなるだろうか。河童に突然きゅうりで殴られたとか? いや、普通にポケットに手を突っ込んで歩いていたら転んだでいいか。制服のスカートにポケットないけど。

 なんてことを考えながら歩いていると、階段に差し掛かる。わたしたちの教室へは階段を通り過ぎてそのまま行けばいいのだけど、ふと、階段の方へ目を向けると、誰かが階段を上っているのが目に付いた。

 その誰かは、見たことのある後ろ姿で…………。

「ちょっと……」

「え? なになに?」

「ミシン、持ってて」

「も、持ってて……、こんな重い物、二つも持て……いや待ってって!」

 クラスメイトにミシンを預けて、走った。痛む足を我慢して、階段を駆け上る。

 一つ上のフロアは、音楽室や理科室があるところだ。準備はそれぞれの教室か部室ですることが多いから、ここは静かなものだ。誰もいない。その方が、わたしとしても都合がいい。

 足早に廊下を歩いていく後ろ姿に追いすがる。思いのほか早いのと、わたしが早く走れないのとで、あまり距離が縮まらない。仕方ないから、後ろから呼び掛ける。

「猫目石さん!」

 ちゃんと声は届いた。猫目石さんは、振り返ってこっちを見てくれた。

「………………君か」

「良かった。来てたんですね」

 追いついて、追いすがった。雪宮さんの言った通り、再会できた。やっぱり、猫目石さんは猫目石さんで、動いていたのだ。

「どうした? その怪我」

 まず猫目石さんは、自分の顔の火傷の跡を指し示しながら、そんなことを聞いた。今、話すべきことはそこじゃないんだけど。

「河童にきゅうりで」

「そうか」

「いや納得しないでください」

 聞いておいて実は興味ないのか。

「猫目石さん。ここにいるってことは…………」

「お察しの通り、大灘くんの件だ。僕が見張れと言った手前、動かないわけにはいかないからな」

「でも、わざわざここまで……」

「今はこの学校は、文化祭シーズンだろう? 探偵生徒会とやらも忙しいだろうし、今の内ならこっそり捜査できると思ってな」

 こっそり? 探偵生徒会にばれると駄目なんだろうか。

「それで、分かったんですか?」

「おおむね。さっき、君の教室に行って話を聞いたら、一発だ」

 そんなに、簡単に?

 わたしはともかく、狼滝くんだって確証をまだ得てはいないというのに。

 これが、『高校生探偵』と呼ばれる人間の実力か。

「………………いや」

 わたしのある種羨望を含んだ視線に気づいたのか、ため息交じりに猫目石さんは呟く。

「今回の事件は、僕でなければ解けないという性質のものではなかったよ」

「…………それは、どういう」

「僕でなくてもこの事件は解ける。おそらく、この学校にいる人間の中へ、適当に石を投げて当たったやつにやらせても解けるだろう」

「でも…………」

「狼滝くんだと、あるいは探偵生徒会だと解けないんだよ、これが」

 ………………え?

「それは、なまじ探偵としての経験があるから、とかですか?」

「違う。探偵としての経験が邪魔をするなら、それこそ僕には解けないだろう。そうじゃなくて、少なくとも狼滝くんにはこの事件を解決するにふさわしくない性質があったということだ」

 ふさわしくない性質?

 それは、何かしら、推理することを邪魔する性質ということだろうか。容疑者に知人が入ると刑事が捜査から外されるみたいに、推理を偏らせる何かしらの事情があるとか。

 いや、そういうのを、もう考える必要もないのか。だって、目の前の猫目石さんは事件を解決しているんだから。

「結局、どういう事件だったんですか?」

「それは………………」

 少し考えて、猫目石さんはわたしを見た。

「君が解決するべきことだ」

 ……………………また?

 これ、藤人と一緒に金庫の暗証番号を解いたときと同じでは?

 確か柳葉さんが猫目石さんのことを「過去から現在に渡って解決率百パーセント」なんて豪語していたけど、ひょっとしてこの人、解けない謎は他人に匙を投げているだけなんじゃ……。

「ど、どうしてそういうことになるんですか。金庫のときのことはまだ分かります。いや正確には未だによく分かってないですけど、野暮だって猫目石さんが思ったから手出しをしなかった。でも今回は違います。猫目石さんから首を突っ込んだんじゃないですか」

「ここに来る前」

 わたしの言葉を半ば無視するように、言葉が継がれる。

「市民病院に寄った。そこで、大灘くんのお母さんと会ったよ」

「……………」

「昨日、君が来たことも聞いた。狼滝くんが君を容疑者としている以上、病院に君が現われないか警戒しているはずだ。大灘くんにとどめを刺すんじゃないかってね。その警戒網をわざわざかいくぐり、君に警戒するよう言われていたせいで暴力的にさえなっていたあの人に殴られながらも、君は彼女に会った。そして聞いたんだろう? 大灘くんが探偵になりたがっていたかどうか」

 猫目石さんは、ずっとこっちを見ている。その、すべてを見透かすような瞳で。

「それを聞いた瞬間、僕は探偵役を降りることにしたよ。もちろん、こちらからけしかけたようなものだから、僕の方でも事件の真相を探っておく必要性はそれでも残っていたわけで、だから今ここにいるわけだが」

「言っていることが、よく分かりません」

「君は既に真実に到達している」

 ……………………え?

「少なくとも、ゲームセットまでに必要な手札は手に入れて、後は手札の切り方の問題だ。殴られてまで真実に到達しようとする人間を差し置いて、この学校にとっては部外者の僕が探偵役に躍り出るのは野暮を通り越して恥知らずだろう?」

「でも………………」

 わたしには、さっぱりで……。

「少し、話をしてみないか」

 そう言って、彼は壁に体を預けた。

「話、ですか?」

「君はどうして、そこまでして今回の事件に関わる?」

「それは…………」

 自分が容疑者にされれば、弟や妹たちにその影響が及びかねないから。

「弟や妹が、犯罪者の家族として扱われるのは、我慢できませんから」

「だったら、それこそ探偵生徒会に任せればいい。今でこそ間違った真実を目指しているが、探偵としての能力を持つ彼らなら、やがて軌道修正して真相に辿り着くかもしれない。少なくとも君があがくよりは可能性が高いと思わないか?」

 無論、これは原則論で今回は例外だったのだが、と猫目石さんは付け足すのを忘れない。

「それなのに、君は行動をしている。なぜだ?」

「探偵生徒会が、信用できないから?」

 それは、違う気がする。猫目石さんが言った通り、探偵生徒会に任せた方が良いというのが原則だ。例え今は間違えていたとしても、探偵としての経験と訓練を積んだ彼らの方が、わたしより真相に辿り着く可能性は高い。

 そもそも、わたしは狼滝くんに容疑者扱いされたときだって、彼らの能力を疑ってはいなかった。

「……やっぱり、弟や妹のため、しか思いつきません」

「じゃあ、僕の話をしようか」

「猫目石さんの、話ですか?」

「僕が、探偵になった理由の話だ」

 それは、少し興味がある。

「とはいえ、そんなにすごい話じゃない。小学生の頃、好きだった女の子がいたんだ。その子は病弱で、ずっと病院に入院していた。そんな彼女が何より望んでいたのが、探偵の活躍だった」

 まるで、おとぎ話だ。

「その頃は、その女の子の従兄弟で、小学生だてらに名探偵と呼ばれるやつがいた。でも、ある日、そいつはぱったり探偵を辞めた。だから僕が、その子のために、代わりの探偵になってやろうと思った」

「その、女の子は……」

「とっくの昔に、死んだ」

 じゃあ、結局、この人は何で探偵をしているんだろう。

 理由は、なくなったのに。

「猫目石さんは、探偵を辞めようと思わなかったんですか?」

「ああ。不思議なことに。今も続いている。それで気づいたんだ。僕は彼女のために探偵になろうなんて思いながら、実は自分のために探偵になろうとしていたんだって」

「自分の、ため」

「自分のためだろう? ようはその女の子に惚れていて、僕のことを見てほしかったから探偵になったんだ。それはその子のためじゃなく、自分のためだ。だから、その子がいなくなっても続くんだよ。その子は、本当のところでは理由の根幹じゃないから。僕は、誰かが見てくれるなら探偵を続けられたんだ」

「…………………………」

「いいか? だから、誰かのためなんて理由は、結局自分のためなんだ。兄弟のためという君の理由も、実は自分のためにしてることだ」

 猫目石さんの言葉は、否定できない。

 だって、わたしは探偵になりたくて。

 それは、弟も妹も関係ない、わたしのための理由だ。

 そうやって考えれば、分かることも多い。当然、尾長先生に言われたからって探偵を目指すことを諦められるわけもなかった。大灘くんの境遇を考えて苦しくなるのは、それがわたしに重なるからだ。

 探偵を諦めきれない。

 探偵になることを、諦めきれない。

 わたしはまだ、わたしのために動くことを諦めきれていない。

「でも、じゃあ、どうすればいいんですか?」

 分からない。探偵を諦めきれないからって、結局、事態が変わるわけじゃない。

「この事件を仮にわたしが解決して、何かが変わるんですか? 事件を解決したことを自慢にしたって、虚しいだけです。だって、わたしはDスクールには……」

「言っただろう。ゲームセットまでの手札は揃ったって」

 淡々と、猫目石さんは言う。

「君の家庭の事情は知らない。だから君がDスクールを目指す上で障害になるもののうち、そっち方面の話は僕は関知しない。だが、もうひとつの大きな壁なら壊せる」

「……………………」

「手札は揃った。後は切り方だ。うまく切れば、答えは自ずと見えてくる」

 切り方………………。

 考えろ。考えるしか、今はできないんだから。

 壁。なんだろう。猫目石さんが言う、Dスクールを目指すための壁って。あ、それはあれか。水仙坂付属の受験枠五つを、探偵生徒会が独占している状態のことか。わたしの家庭状況だとDスクールを目指すこと自体が困難だけど、それは家庭の事情だから猫目石さんは知らない。わたしの前にある、猫目石さんも関知している壁はそれだ。

 その壁を、打ち壊せる? ひょっとして、狼滝くんや探偵生徒会はこの事件を解決できないかもしれないという話に関わっているのだろうか。

 だとすると、結局、事件を解決するしかない。そのために問題となるのは、とどのつまり大灘くんがいつ多目的教室に入ったかということで。

「ちなみに」

 猫目石さんは、わたしの思考を読んだかのようなことを言う。

「重要なのは消去法だ。畢竟、最後まで残っていたものが、どんなに非現実的に見えても真実だということだな」

 消去法……。大灘くんは、いつ多目的教室に入ったか。わたしが進路指導室を出たときは違う。わたしは彼が入るのを見ていない。わたしと尾長先生が進路指導室にいるときも違う。多目的教室の扉が発する、金切り声みたいな開閉音をわたしたちは聞いていない。

 やっぱり、そうなると掃除の時間中ということになる。大灘くんが廊下掃除の最中に消えて、次にわたしが発見するまでに、彼が多目的教室に入ったタイミングはそこしかない。少なくとも、わたしが多目的教室を監視している状況になっているタイミングはいずれも違うのだから。

 だとして、問題はやっぱり掃除の人間が見張っているということだ。正確なタイミングは不明だけど、多目的教室掃除のクラスメイトたちは早々と消えているから、まだ問題にはならない。彼らが消えてから教室に侵入すればいい。でも、目の前の廊下を掃除しているクラスメイトの目を欺かなければならない。だって、彼らとわたしたちはほとんど入れ替わるように移動している。わたしたちが大灘くんを見ていないのなら、欺かれたのは廊下掃除のクラスメイトたちだ。

 ………………そもそも、どうして大灘くんが欺かなければならないのかという問題がある。仮にトリックを弄するとしても、それは加害者の動きであって被害者の動きじゃない。これは他殺にしても自殺にしても同じことだ。加害者が大灘くんを別の所で刺して、その後みんなの目を欺き密かに多目的教室に運び込んだというのも違う。あの血だまりは、動いた跡がない。彼が倒れたのは、まさにあの教室だったはずだ。

 すると、大灘くんは自殺未遂をしたというところに落ち着く。争った形跡もなく、出入りの隙は一人分もない。もう一人の登場人物を仮構する方が、ここでは不自然だ。

 しかし…………もし自殺未遂なら、大灘くんはますますトリックを弄する動機がないわけで……。

「大灘くんは、何もしていない?」

 消去法では、そういうことになる。でもそんなことは…………。

 いや、あり得る。

 一つだけ、大灘くんが何もしなくてもみんなの目を欺く方法がある。

 そしてその方法が事実なら。

 壁も、壊れる。

「………………………………でも」

 それは、あまりにも。

 露悪的じゃないのか?

 最後の一歩が、踏み出せない。カードの切り方は分かったけど、これは、切れない。

 わたしは、五人の人生をまとめて足払いするようなことは…………。

 なんて思いながら。

 わたしは歩き出していた。

 電話だ。電話が必要だ。携帯電話は持っていないから、職員室で借りよう。

 胸ポケットのメモ帳を探る。そこに、一か月前から挟みっぱなしの名刺を取り出した。

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