人生で一番こい十分間
葵 悠静
朝の読書時間。
実際に本を読んでいる人は半分ほどで、後は今日提出予定の宿題を必死にやっている人とか、眠っている人とかさまざま。
校舎の木に生い茂っている葉っぱが紅く色づき始めてきて、窓から涼しい風が流れ込んでくるこの季節のこの時間に、眠るのは気持ちいいんだろうなって思うけど、私は本を読むことがすきなので、もちろんこの時間は本を読む派。
本を読むときはいつも集中して周りのこととか忘れたいから、学校ではあまり読まないけど、この時間は別。
周りの声も聞こえず、静かな環境の中で集中して読める。
他の時間は読めないし、家に持ち帰って続きを読むのもなんだかもったいない気がするから、この時間に読み始めた本は基本学校に置きっぱなしにして朝のこの時間だけに読むようにしている。
まあどうしても続きが気になっちゃう本とかは家に持ち帰っちゃうんだけど……。
これまでもずっとそうしてきていて、卒業するまでそんな朝の有意義な時間を過ごすはずだったんだけど……。
最近私は朝の読書に集中できていない。
本は開いていて物語的には終盤を通り越してエピローグに差し掛かっているけれど、内容が全く頭に入ってこない。
向ける視線は本の中ではなくて、その斜め前に座る彼の後ろ姿。
今日も気づけば視線がそちらに向いてしまっている。
斜め前に座る彼も本が好きでいつもこの時間はまじめに本を読んでいるんだけど、今日はうつらうつらと舟をこいでいた。
昨日新しいゲームを買ったって言ってたし、夜更かしでもしたのだろうか。それとも面白いネット小説を見つけてしまって、朝まで読みふけっていたのだろうか。
そんなことを考えていると、はっと目を覚ました彼が周りを見回して一瞬私と目があったような気になる。
私はすぐに彼から視線を外し本へと目を向ける。
本が彼を見ているということを隠すためのものになっているんだから、本当に本末転倒だと思う。
彼と出会ったのは二年生になったばかりのころ。
私は図書委員で彼は演劇部だった。
特に接点がないように思えるけど、彼はいわゆる幽霊部員ってやつで放課後になるとよく図書室に来て、一人で本を読んでいた。
最初は毎日放課後に本を読みに来る同級生という印象しかなかったし、何より私も図書委員の仕事があったから、そんなに関わるような時間はなかった。
それでもいつだったか彼の方から話しかけてきて……確かどんな本を読むの?とかそんな些細な内容だったと思うけど、今思えばなんで覚えてないの!って私の記憶力に憤慨したいところだけど、ほんとにきっかけはそんなありふれた日常会話だった。
それから彼とは徐々に話すようになって、でも話すのは放課後の限られた時間だけで、授業の合間の休み時間とか、昼休みにどちらも話しかけることはなかった。
それどころか放課後過ごした図書室を出るのもばらばらで一緒に帰ったことすらない。
でもそんな関係がなんだかもどかしくて、心地よく感じていた。
「なあ、好きな人から告白されるとしたらどんなシチュエーションが良いとか、女の子ってそういう理想を持っているものなのか?」
「なに? 好きな人でもできたの?」
「そ、そんなんじゃないけど、今後の参考のために聞いとこうかなって」
いつもの放課後、クーラーが効いた図書室の一室で彼とそんなことを話していたことを思いだす。
明らかに照れている彼の表情は、口よりも真実を語ってるって感じで、そのころは好きとかそんな感情は一切自覚がなかったんだけど、何だかそんな彼の表情を見て旨の内側がザワってなったことを覚えている。
「そうだなあ。もちろん普通に学校の帰り道にある河川敷で、耳元でささやくように告白されるのもいいけど、私は死地に赴くような男らしい表情で『俺が無事に帰ってきたら付き合ってくれないか』とか言ってくれると、問答無用でうなずいちゃうよねー」
「現代日本でそんな状況になることなんて異世界転生しない限りないだろうし、それはいわゆる死亡フラグってやつで、結局叶わないやつなんじゃないのか……」
「もちろん死ぬのはなし!まあそれくらい真剣であれば何でもいいんじゃないのかなってこと。……あ、もう一つあったかも」
「意外といろいろと考えてるもんなんだな」
「こう見えて私も乙女ですから」
「そういえばそうだったな」
「失礼じゃない?!」
「すまん。それであと一つっていうのは?」
「それはね……」
そんなとりとめもない会話を彼と続けていることが、そんな時間が心地よくて、気づいたら彼のことをもっと知りたくなって、放課後の時間だけじゃ話足りないって思って、いつの間にか目で追うようになって、そして好きになっていた。
彼のことをもっと知ることができれば今よりも好きになるんだろうか。
彼と一緒にいろいろな場所に行って、一緒にいろいろな本を共有したらもっとそばにいたいと思うのだろうか。
そんなことを考えるだけで、心臓の鼓動は早くなり、ますます彼から目が離せなくなってしまう。
何が好きかって聞かれたらはっきりとわからないけど、本を読んでる雰囲気とか話してる時のトーンとか、今眠気と戦っている彼の姿もかわいいなと思って見てしまう。
彼のことが好きだと自覚してからの朝の時間の楽しみは読書だけではなくなった。
朝一番に彼の様子をじっくりと眺めることができて、いろいろと想像できる時間に変わっていた。
そんなことばっかりしていたら、今めくってる本もいつの間にか終わりを迎えようとしている。
ハッピーエンドだってことは理解できたけど、内容は本当に頭に入っていない。
家に持ち帰ってまた読み直そうかな。
そうこうしている間に最後の行を読み終えてしまって、ページを次へとめくる。
あとは作者のあとがきくらいだから、物語自体は終わっているが私はついつい最後の裏表紙までページをめくってしまう節がある。
いまだ首をかくんかくんと前後させながら、一切ページがめくられている様子のない本を持っている彼を眺めながらページをめくる。
ふと手にはらりと、何か軽い物が当たったようなそんな感触を覚える。
私こんなところにしおりとか挟んでたっけ? 文庫本の宣伝紙とかかな。
そんなことを考えながら、自分の机の上に目を向けると二つ折りされたノートの切れ端が落ちていた。
挟んだ記憶のない切れ端に疑問を持ちながらも本を閉じて、それを手に取る。
きっちり二つ折りにされたその紙をめくる。
『好きです。放課後、図書室で待っています』
紙に書かれたそれを見て、一瞬思考も呼吸も自分が今どこにいるのかさえも分からなくなる。
頬が熱くなるのを感じながらもう一度その紙に書かれた文字を読み返すが、書かれている内容は変わらない。
書かれてあったのは二文だけで、差出人は書かれていない。
でもこれを私が読んでいる本に挟んだ人物が誰かなんて、考えなくてもわかる。
混乱している思考のなか、あの日の図書室での会話を思い返す。
「それであと一つっていうのは?」
「それはね……私が読んでいる本の一ページに紙が挟まってて、私がそのページにたどりつくとその紙を手に取るの。そしてその紙には恋文が書かれているってやつ! あ、ちゃんといい感じのページに挟まってないと嫌だけどね。物語が盛り上がっているところでそんなことされると、逆に妨害された気分になっちゃうから」
「それはなかなか難しいな……」
「だよね。物語の盛り上がってると思っているところなんて人それぞれだし、私も小説で読んでてそんなシーンがあって、いいなって思っただけだもん」
私の理想の告白シーンを聞いて、彼は苦笑いを浮かべながら難しいと返した。
もちろん私自身も現実でそんな瞬間が来るなんて思ってもいなかったし、ただの想像の中での、フィクションの話だと思ってた。
でもそれは起こった。この話は彼にしかしていないし、彼はそれを覚えていて実行してくれたっていうことになる。
それに場所の待ち合わせに校舎裏でも屋上でもなくて、図書室を指定してくるなんて彼以外に考えられない。
残念ながら本を真剣に読んでなくて彼のことばっかり考えていたから、物語の余韻とか盛り上がっているとかはなかったけど、タイミングは完ぺきだ。
それにあの話をしたのは夏休み前のことで、そのころから彼は私のことを想ってくれていたということだろうか。
全身が熱い。
心臓の鼓動が今までにないくらい早くなっている。
顔なんて暑さ以外の感覚がなくなっているくらいだ。
窓から入ってくる風なんて一ミリも感じられない。
周りに私の顔が赤くなっていることがばれたくなくて、その紙を腕で抱えこむようにして机に突っ伏する。
彼がここまでしてくれたのだから、私も私自身が抱えるこの想いを彼に伝えなければいけない。
この想いを伝える日が来るなんて想像もしていなかった。
伝える勇気なんてなくて、きっと卒業まで抱えることになってそのままいつの日か思い出として色あせていくのだろうと思っていた。
でも今日私は彼にこの想いを伝える。
答えなんて決まっている。
少しだけ顔をあげて時計に目をやる。
読書時間がそろそろ終わってホームルームの時間になる。
大体一時間目前の休憩時間まであと五分。
放課後までなんて待ってられない。
今すぐにでも彼に私の想いを伝えたくて仕方なかった。
私は筆箱からペンを取り出して、机の上に置かれたその紙に文字を書き込む。
『私も好き』
私は今日初めて図書室以外で彼と話をすることになる。
まさかそれが告白になるだなんて思ってもいなかったけれど。
私にとって人生で一番長い五分が始まった。
人生で一番こい十分間 葵 悠静 @goryu36
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