第35話 オスティナート
放課後――
ライノット公国で色々あったとしても、今のヴェリンが生徒会長である事に変わりはない。転校したわけでも無いし、リコールされたわけでも無い。いや、リコールなんて制度があったかどうかは知らないんだけど。
もちろんリコールという制度があったとしても、ヴェリンがそれでやめさせられるって事は無いだろう。歴代でも最優秀に数えられる生徒会長なんじゃ無いだろうか?
立ち番をしっかり行ったりして風紀を引き締める一方で、教師というか学園経営陣にもしっかりと交渉する。ヴェリンは本当に折衝が上手い。何とはなしに、その辺りを尋ねてみると、
「それは折衝じゃ無くて……そうね戦略の範疇だと思うわ」
と、さらに難しい事を言われた。とにかくそのやり方で今年の学祭の準備は万全……とは言い切れない状態ではあるらしい。これはライノット公国関係はさほど影響していない。あとから数えるものでは無いだろうけど、あの騒動で時間的に圧迫されたのはせいぜいが三、四日ぐらいのもの。それでは深刻な影響が出るはずも無いよね。では何が影響しているかと言うと……
「劇を企画してるの。有志でね。それでヒロイン役に推されているんだけど……」
それはそれで結構な事だと思う。学祭成功の一翼を担うことも間違いないだろう。ただそれだけに――
「……元親、劇に出ない? いえ是非出るべきね。私がヒロインだから、当然元親は主役で。そこでしっかりと学園に見せつける必要があるわ」
――僕が劇に引っ張り出されるのは絶対に違うと思う。
だけどヴェリンは、確実に包囲を狭めているようで、今日もいきなりこんな事を尋ねられた。それも話したことも無い女生徒からだ。
「杜君、身長いくつだったっけ? 単なる興味本位だから気にしなくても良いよ」
気にするに決まっている。演劇部では無かった気もするが、多分この女の子は衣装担当に違いない。断固拒否だ。
……と言うわけで学校を脱出したわけである。追っ手から逃れるために、わざと遠回りして河川敷を辿ったりもした。ついでに我が町の風光明媚なところを久しぶりに味わおうとか思っていたけど、そこまでいい天気では無いね。曇ってはいないんだけど……やっぱり、らとこに付き合った方が良かったかもなぁ。
らとこは現在、ヴェリンの部屋で家事全般を受け持っているらしい。やらされているわけでは無くて、そういった事が好きだったようだ。僕はやっぱり、らとこのことを知った気になっていただけかも知れない。
ヴェリンも対抗して、せめて料理だけは、みたいな気概があったみたいだけど今はもう白旗を上げてしまっていた。それで逆に、らとこは自分の腕がなかなかなものであることに気付いた。そこでヴェリンの許可を得て――というか積極的に勧められて――変わった食材とか調味料を集め始めている。
そして今も隣の市まで特殊な調味料を入手するために行動中、と言うわけだ。それだけなら僕もついていくところなんだけど、どうも男は同行してはいけないタイプの買い物もあるみたいで、それに……
「あのねお兄ちゃん。今はヴェリンさん、優先で良いから。そうでないといけないと思うの。でも私はずっとお兄ちゃんの側にいるよ。そう決めたから」
……なんてことを言われましてですね。いやそれが、らとこの決めたことなら僕としては何も言えないわけで。ヴェリンも「らとこなら、仕方が無い」みたいに許可を――許可?
とにかく、そんなわけで僕は一人、風の吹く河川敷を一人歩いていた。そう一人で。だけど本当なら一人じゃないんじゃないだろうか? 僕と一緒に歩いて「モリモー」なんておかしな呼び方で僕を呼ぶ――あれ?
前から歩いてくるのは……風波、だよな?
それは間違いなく風波だった。いつものセーラー服では無く八州島学園の緑のブレザー姿。そして手ぶらで歩いている。今日も風波は学園に出ていなかったはずで――
「モリモー! 珍しいところで会うね!」
僕に呼びかけながら風波が悪戯っぽく微笑んだ。青い髪の一房が揺れる。琥珀色の瞳が何だか嬉しげに輝いているように見えるのは……きっと僕が“そうであって欲しい”と願っているからなのだろう。
そしてそれは風波が八州島学園の制服を着ている理由が、僕の思う理由であってくれと願う気持ちにシンクロしているのかもしれない。そんな僕の想いには構わず風波が話しかけてくる。
「ボクはね、制服受け取りに行った帰りだよ。やっと制服が出来上がったんだ。それで遠回りして帰ってたんだ――モリモーも遠回り?」
「あ、ああ。ちょっと遠回りで……いや、ちょっと待って」
整理の時間が必要なことは明らかだ。ええっと、最優先事項は……「うぉぉ、これって運命?」なんて喜んでいる風波にトキメクのも、きっと後回しで良いはずで……
「風波!」
「は、はい! ……って、いきなり何?」
「転校するんじゃ無いんだな?」
「い、いや転校してきたから、ここに居るわけで……」
「そうじゃなくて、ウチの学校から転校するかも知れないって……」
上手く話が噛み合わない。なんとも、もどかしい。けれどもそれは……僕の心配がまったくの的外れだから噛み合わないと言うことに気付けた。つまり風波は最初から転校する気は無くて、要するにずっとそばにいるわけで――
「はは~ん」
風波が察してくれたようだ。琥珀色の瞳が細められる。
「ああ、なるほどなるほど、そういうことね。確かにここしばらく忙しくて学園に顔出せてなかったけど、転校の準備をしていたわけじゃないよ。ああ、この“転校”は別の学校に……うんまぁ、あれだ。ボクはこれから先も学園に通うよ。学祭も楽しみだしね」
「じゃあ、いきなりいなくなったりは……?」
「しないしない。ボクを何だと思ってるのさ」
まるで僕が冗談でも言ったような風波の軽い返し。だけど僕にとっては冗談でも何でもない。僕はずっと、それが心配だったんだ。もう風波に逢えなくなるかも知れない。最後に声を聴いたのは高性能であったとしてもスピーカー越し。そんな、あやふやな状態のまま風波がいなくなってしまう。そんな事を考えてしまうだけで僕は……僕は……
「ごめん、モリモー。そんなに心配してくれるなんて思った無かった」
風波の声が優しく僕の耳に届く。今までの声の調子とは違う真剣な、それでいて儚げな声だった。
「だって……自分で言っちゃうけど、ボクってとっても胡散臭いでしょ? “ツテ”とか言っちゃうし。それが、まったくの妄想だったらまだマシだったかも知れないけど、本当だったし。だからボクのことはきっと気持ちが悪いって思われてるんだろうなって……」
何かに怯えているように、風波は早口で言い募った。
「それで何だか事情通みたいで……まぁ、要するに――胡散臭くて気持ち悪いんだよ。それがボク」
「僕は軍関係者だと思っていた」
「ああ、そうだね。でもね……それについてもボクは答えることも出来ないんだ。だからそれはやっぱり――」
「それは、やっぱりどうでもいい事って事なんだよ、風波」
「モリモー?」
「大事な事は風波が風波である事。そして僕の側にいてくれること」
僕は風波の肩を掴んだ。逃げ出さないように。見失うことに無いように。
「僕はもう、風波に夢中なんだよ。風波が胡散臭いって思ってるところも含めて全部が魅力的なんだよ。しばらく姿を見なくなって、僕にははっきりとわかった。僕には必要なんだ。何かゴチャゴチャとくっついている部分が必要なんじゃ無い。風波が必要なんだ」
そう言ってしまっても僕は後悔していなかった。むしろそれが誇らしく思えた。この女の子に「好きだ」と言えたことが。
「ボクを……ボクを受け入れてくれるの?」
風波の声が聞こえる。何故か何時の日にか聞いたことがあるよな言葉だったけど、それはもしかしたら風波の様子から、僕がそんな風に感じていたからかも知れない。そして、そんな風に僕が感じた風波の不安は……きっと正解だ。だから僕は両手を広げて。今にも泣き出しそうな風波を迎え入れようとした。
そして風波も僕に身体を預けてくる。そして――風波の唇が僕の耳元に寄せられた。
「モリモー。それならお願いだよ。ボクに囁き続けて。ここに居ても良いんだって。ボクは気持ち悪くないって。ボクがいることが普通だって」
「まかせろ」
「本当に? それじゃあね――
――オスティナート」
Fin
オスティナート 司弐紘 @gnoinori
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