第34話 意味なし(三)
「――皆様方もおわかりのことでしょう。それを理解するのに、何も難しい本を読む必要もないんです。季節は巡る。冬の次には春が来て夏になる。それはごく自然なこと。それなのに、どうして“冬”だけが特別になってしまったのか? これまで冬は神聖なものだと考えられ、皆様方もそう考えさせられていた。即ち、真実は“覆い隠されていた”んです。モールン神こそが最も尊き神だと……我々はその功績を認めましょう。かつて人の営みが幼かったときに“冬”を乗り越える事がどれほど難事であったことか。だから人々は神に縋ったのです。モールン神の厳しき指導は多くの人々を救ったのかも知れません。他者を覆い隠し無闇に羨むなかれ。食べ物は平等に分け、より多くの命が助かるように戒めよ――そんな教えが最初にあった事は間違いないようです。これは昔の文献に当たればすぐにわかること。ですが……果たして人は幼いままであったのでしょうか? 幼いままでいる事が許されるものなのでしょうか? 季節は巡ります。それと同じように人々の営みもやがて成長するのです。で、あればいつまでもモールン神に縋ることが正しい行いと言えるでしょうか? 人々の営みは確実に成長しているというのに。ですが、その成長を認めたくない不遜な輩がいます。それが現在のモールン教なのです。
――以上がカクニスタで行われた、ラケル・トーデンダルの宣言であった。冬が過ぎ、春を迎えたその日に宣言が行われたことには明確な意図があってのことだろう。カクニスタの広場、モールン教の聖堂を前にラケルはその全てを否定してしまったのである。
そのラケルの身体を包むドレスの色は、後にソル神の象徴となった
こうしてラケルはソル派――ソル教の象徴たる存在とされ、必然的に指導者として数えられることとなったのである。元モールン教の知識を生かし、その教義の脆弱な部分を突き、その全てを否定する彼女は何ら軍事力を持っていないにもかかわらず非常に攻撃的だったのだから。
そしてラケルが突き崩していったモールン教を効率的に追い詰めていったのはエヴェリーナ・ソンマル・カールシュテイン――エーファであった。ラケルの宣言によって価値観が塗り変わっていく最中、彼女が“夏”領であった事がどれほど象徴的だった事か。改めて説明するまでもないだろう。そしてエーファはその“偶然”を最大限に利用した。
ラケルの宣言になぞらえて、自らをソル神の遣いと自称し各都市間をさらに強く結束させることに成功する。その際にラケルの宣言を文字に起こし、あるいは絵にラケルの姿を描くことで、社会に逼塞感を感じていた貧困層を積極的な信者として取り込むことにも成功。そのためのバックアップを行った商人達には多分に打算的な部分があったが――そうでなくては困ることでもある――商人達としてもこれ以上モールン教に支配されては、どうやっても詰んでいたのである。それがわかるからこそ商人達は彼女たちを讃え、そして祭り上げた。快哉王オリヴェルの轍は踏むまいと、それはそれは大切に――聖女として。
そんな世の動きをミーニングレスは傍観していた。積極的に関わることもせず、いつも通り依頼があればエーファの護衛に狩り出されるだけ。元々、自分から動くような男では無い。依頼があれば動く。金が必要ならそれを請け負う。そういったシンプルな生き方をしていたのである。
それがエーファの護衛に狩り出されることになり、人目に多く触れることになってしまってからミーニングレスはさらに口数が減っていた。時にはエーファからの依頼を断ることさえあった。ミーニングレスにも変化が訪れていたのである。
それはある冬の日。
そういった境目がある事をカクニスタの人々は知らない。
「引退、しようか?」
カクニスタにあてがわれた屋敷で、再び作成された長剣をミーニングレスに差し出しながらフーハが突然にそんな事を言い出した。いつもの帽子を目深に被り仕事に出かけようとしていたミーニングレスも、さすがに驚いたらしい。長剣を受け取ろうとしていた、その手が制止してしまう。
ラケルの世話も必要無くなったフーハは完全にミーニングレスのパートナーとして屋敷を取り仕切っていた。いつものような黒いドレス。ただ二人きりと言うこともあってか随分胸元が強調されている。
「……もう、必死なって働く必要も無いでしょ? 住む場所だってあるし、ご飯ぐらいならもう苦労することは無いんだしさ。今、あなたに必要な事は休むこと」
フーハが悪戯な笑みを見せながら、そう断言した。あるいは髪の青い一房を揺らしながら。あるいは琥珀色の瞳を揺らしながら。
「今日の仕事はともかくさ……それが終わったら、ちょっとゆっくりしよう? 何だか見てられないよ」
「俺は――」
「平気だ、なんてありきたりの言葉で誤魔化されるような関係じゃ無いでしょ? ボクたちは」
そうフーハに言われて、ミーニングレスは黙り込んでしまった。確かに自分自身でも不調を感じてはいたがミーニングレスはそれをどうすれば良いのかわからない。だからただ、全てを傍観するように日々を送るしか無かった。
「それでね。君はボクのことはきっと気持ち悪いと思ってると思う。それは仕方が無いと思うんだ。何せあんな場所で……」
その瞬間。ミーニングレスは自ら動いた。フーハの肩、いや身体ごとを抱きしめたのだ。その行為は、雄弁にミーニングレスの心を語っている。フーハは抱きすくめられた状態で、それでもミーニングレスに確認する。
「……じゃあ、ボクを受け入れてくれる? 気持ち悪くない?」
ミーニングレスはかぶりを振って、そして「受け入れる」とはっきり口にした。それを聞いたフーハの表情が華やぐ。
「よかった……それじゃ、仕事が終わったら休む段取り、ううん」
今度はフーハがかぶりを振った。
「その前に、ボクからも君を抱きしめたい。いつも乱暴なんだもん君。いつもの
「そうか」
言われたミーニングレスが胸元から護符を引っ張り出した。フーハに言われたように
「ありがとう……いつもボクのお願いを聞いてくれて。じゃあ、いっその事、護符ごと君を抱きしめるよ。さあ、両手を広げて」
フーハに言われるままにミーニングレスは両手を広げた。そしてその間にフーハが飛び込む。
ズシュッ……
次の瞬間。ミーニングレスの心臓は串刺しとなっていた。護符の中心を貫くようにさし込まれたフーハのナイフによって。
こうしてミーニングレスの生涯は意味を無くし――終わった。
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