第33話 離脱(四)
声の主は栗栖さんだった。別に窓から脱出したわけでは無いみたい。多分、普通に部屋の鍵を開けて貰ったんだろう。髪はぼさぼさに乱れているけど……そう言えば、栗栖さんの頭を竹刀で小突いたのは僕だった。
で、その横にいる父親が……かなりフラフラしてる。これは、らとこがビックリして元の木阿弥になるんじゃ無いか? ヴェリンがやり過ぎ――
「…………!」
何だか今、凄い目でヴェリンに睨まれたんだけど。もしかして、あれやったの僕なのか? いや責任転嫁したいわけでは無くてですね。
僕がそんな風に現実逃避している間に、儀礼場にどかどかと職員が入り込んできた。慌てて、床に投げ出していた竹刀を拾ったけど……これは無駄な抵抗になりそうな気がする。いわゆる多勢に無勢って奴だ。それでも僕たちを遠巻きに囲もうとしているのはヴェリンが――そして多分、僕も――やり過ぎたせいなんだろうな。これでは一点突破も難しい。こうなったら地道に倒していくしかないんだろう。ヴェリンも模擬刀を構え直している。
「……そんな武器を持ち歩いてたんだ。もう洒落では済まないぞ! 警察に突き出しやる!」
本当に口から泡を飛ばしながら栗栖さんが、そんな風に恫喝してくる。来るんだけど……
「もしかして、本気で愚かなの? 女の子をこんな格好で監禁しておいて、それが警察に知られても良いって言うなら通報すれば良いじゃない!」
ヴェリンの言うとおりなんだよなぁ……どうにも僕に緊迫感が不足してしまうのは、警察に知れたらヤバいことになるっていうことなら、お互い様って事情があるからなんだろうな。と言うかもう、僕たちが警察呼んでも良いんじゃないかな? 監禁してたのは決定的なわけだし。
「ふん。警察など、我々の証言を信じるだけだ。子供の訴えなど無視される――いや無視させてみせる。何なら警察に突き出すまでも無い。お前達を“無かったこと”にすることぐらい簡単な話だ」
「何を馬鹿な……私達も監禁するつもりなの?」
ヴェリンが呆れたように言い返すが、栗栖さんは目を血走らせて、さらに言い返してきた。すごくイヤらしい笑みを浮かべながら。
「監禁などと……このまま『行方不明』にでもなって貰うとしよう――その前に、たっぷりと楽しませて貰うがな」
「なんだって!?」
いや、らとこへの扱いからこんな事になる可能性もあったはずだけど、僕はそれを見ない振りをしてただけだ。こうなったら、僕だけでも……
『おやぁ? それはライノット公国にたいしての宣戦布告と同じ事だよ? 発言の意味分かってる?』
儀礼場に、間違えようのない風波の声が響く。スピーカー越しだけど、かなりクリアだ。そういう機器が仕込まれている部屋なんだろう。
「な、なにを? ……お、お前は誰だ!?」
『ボクのことなんか、すぐにどうでもよくなると思うよ。その理由も……あ、来た来た』
どうも警備室みたいなところに風波は陣取っているみたいだ。その風波の言葉通りに焦った職員が転がりながら、こちらに近付いて来た。
「た、大変です!! 敷地内に……それに建物が――!!」
「一体何だ!?」
『こういう事だよ』
スピーカー越しの風波の宣言と同時に、照明が一斉に落とされた。考えてみれば、この儀礼場のある辺り一帯窓も無かったな。と言うことは、照明が落とされれば一瞬で真っ暗闇になってしまうということだ。
「な、なんだ?」「灯りは!?」「おい、動き回るな!」「早く、警備室に――」
うわぁ、わかりやすい混乱振り。僕たちは職員達が遠巻きに包囲してくれていたのが幸いしたみたいで、周りはとりあえず騒がしくは無い。真っ暗だったことに変わりはないんだけど変に静かで……
『――明るくなるからね。気を付けて』
いきなり風波がそんな風に注意してくれたが、いったいどう気をつければ良いんだ? そして僕が胸の中でツッコんでいる間に明かりが点いて周囲には――
「な、何だこいつらは!?」
栗栖さんが叫ぶ。果たして、その叫び通りに儀礼場に見知らぬ人間が増えている事に僕も気付いた。ヘルメット、ゴーグル、マスク。全身濃紺の繋ぎ、アーミーグリーンのベスト。そして手に持っているのはコンパクトながらアサルトライフルなんだろうな。咄嗟に数え切れないほどの武装した人間が出現していた。そして、その銃口が何に狙いを定めているかというと――「瑞皓の会」の職員達。栗栖さんも含めてしっかりとロックオンされている。
あの暗闇の中で瞬く間にこれだけのことが出来るなんて、そんなの……
『多分、想像通りだと思うよ』
風波の声が響いた。だけど僕の疑問に答えたわけでは無く、多分栗栖さんの疑問に答えただけなんだろう。そして答えは、わかりきっている。
「ぐ……軍、だと? まさかそんな」
『言って置くけど、警察も完全にこっちの味方。何が起こっても気にしないという意味でね』
「そ、それは……」
『親切で教えてあげるとね。ライノット公国に手を出しちゃいけなかったんだよ。レアメタルの輸入元として得難い国だからね。それなのに、その王族に危害を加えようなんて……国益を損なうんだよ。そういうことを防ぐために軍ってものはあるんだから』
「し、しかし日本は信教の自由が……」
『うん。だからね。これからここで起こることは“無かったこと”になるから』
「風波――」
ヴェリンが怒っているような、呆れているような表情で虚空の風波に話しかけた。
「――これが“囮”の本命ですか? それならそれで……」
『それはゴメン。ただ本当に今の状態が行き当たりばったりなんだよ。モリモーとヴェリンが暴れてる間に、事を済ませる予定だったんだけどね……」
そう言われると、確かにイレギュラーが過ぎたのかも知れない。らとこに会いに行こうなんて、最初の計画には無かったわけだし。その、らとこは? と、改めて確認してみるが僕のパーカーに縋り付くようにして、身体を縮込ませていた。
うん、とにかくこの場を離れた方が良い。らとこの羞恥心が限界だ。問題は父親なんだけども……しっかりと銃口を向けられている状態で、こちらに助けを求めるような目をしている。
だが、らとこはそんな様子を見て本格的に父親へのダメ出しが出来たようだ。それはそうだろう。「親がえらい」という教義なのに、ここに来て助けを求めるっているのも……あれ? こういう場合、子供は親を助けるなんて理屈になるんじゃ無いのかな? だからこそ、らとこはここで監禁されていたんだろうし……うん、ここでツッコんだら完全に藪蛇になっちゃうだろうから、全力でスルーしておくことにする。
とにかくこの場は退散だ。僕たちに銃口が向けられているわけじゃ無いんだし。ヴェリンと頷き合って、らとこをうながし儀礼場からの離脱を図る。もちろん栗栖さんや父親ともすれ違うことになるけど……
らとこは完全無視の構えだ。これって儀礼場だけじゃ無くて、らとこ自身も「瑞皓の会」から離脱出来たって事で良いんだと思う。果たして、この先はどうなるのか……いや、僕たちがどうにかしてみせるさ。
それからしばらくは、当たり前にバタバタしていた。ヴェリン、というかライノット公国関係だって落ち着いてはいなかったんだからね。そして「瑞皓の会」で起こった出来事は本当に無かったことにされた。
新聞にも出なかったし、もちろんニュースにもならなかった。「瑞皓の会」がテロリストみたいに認定されて、大騒ぎになるのかと思ったけど、そんな事も無く。お互いに世に知られるとマズい事柄らしい。少なくとも“お互い”なんて二つの組織しか関係していない……ということも無いみたいで、それだけにややこしくて、だからこそ世には出せないみたいだ。
その辺りの事情を何となくヴェリンが伝えてくれるけど、ヴェリンも全部知ってるわけじゃなくて、全部話せるものでも無いらしい。だけど結果だけ見ればヴェリンは変わらずに学園に通っているし、らとこはしばらく休んでいたけど今は学園に出てきている――何とヴェリンが住んでいるマンションから。
やっぱり、何もかも元通りってわけにもいかない。父親は“無かったこと”になったけど、お母さんとの間にも亀裂が入ってしまったみたいで……これは当たり前か。とにかく今はお母さんとの距離は取らなくちゃダメだってことになったわけだ。そこで手を上げたのがヴェリン。らとこの生活費についてはちゃんと振り込まれているし、同居に当たっての家賃みたいなものも支払われてるみたいだから、単純な同居人みたいな感じかな。
……二人がまとまって生活してくれた方が楽、なんで思惑もあるんじゃ無いか? なんて事も考えてしまうけど、これはこれでよかったんだろう。だから朝に二人揃って迎えに来てくれるのも、僕はありがたく思わなくちゃダメだな、うん。
ただ――
風波の姿が消えてしまった。学園にも現れない。ヴェリンはきっと後始末で忙しいんだろうと言ってくれたが、彼女も連絡は出来ていないみたいだ。らとこも、どうしてもお礼したいと言っているんだけど……
だから僕はどうしても思い出してしまう。あのプールの時。浮き輪の上での風波のこんな言葉を。
「――彼女たちをヤキモキさせるのが、ボクの役割なんだ」
それが本当に風波の目的だとしたら、彼女はもう“役割を果たした”って事になるんじゃないんだろうか? だとすれば風波は“ツテ”から何かを言われて、別の場所に行ってしまったんじゃないんだろうか?
そして、そんな可能性を考えただけで、ぼくはどうしても……どうしても……
――僕はどうしても、風波に会いたい。
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