第40話 勇気の価値

 ……モモネミには、それがわかっていた。だからこそ、ミザリーを救ったのだ。戻れなくなるとは、失う事。どれだけ歪んだ形でも、クラリスとリーシェへの想いは今も生き続けている。ここで決着をつける事は、それすらも失ってしまう事。後になって残るのは、ぽっかりと穴のあいた心だけ。それは、到底生きているとは言えない。だから、その言葉を否定する必要があった。



 「……そんなこと、ないよ」



 背後で声が聞こえる。そして、次の瞬間辺りは眩い光に包まれた。振り返ると、そこには青いオーラを纏ったタクミの姿がある。湧き上がるようなエネルギーは風となり、周囲を吹きすさんで刻むような音を奏でる。その肩には、同じオーラを持つモモネミの姿があった。やがて身に着けていた衣服までも蒼く染め、凛々しい勇者たる姿が完成した。



 「……これが、勇者の力か」



 勢いは留まる事を知らない。力強く、しかし暴力的ではない力。光はやがて天を穿つ光の柱となり、雲を貫く。百獣の王シンバが見せた、あの光の柱だ。



 「フェアリ・バースト!!」



 モモネミが叫ぶと、光は更に輝きを増した。モモネミは、自分の力の全てを振り絞ってタクミの潜在能力を覚醒させたのだ。その勢いは凄まじく、光の柱はレフトのどこからでも観測出来るほどの大きさだった。この力は勇気の力。モモネミの二人を救いたいという勇気と、タクミの恐怖を乗り越えようという勇気が呼び込んだ奇跡だ。



 「レヴ。今君の目の前にいるのは、もう君に縋る事しか出来なくなった救われない人だよ。そんな人を、君が殺すのは絶対ダメだ。亡霊レヴナントだけは、それをやっちゃダメなんだよ」



 少しだけ首を回し、横目でミザリーの姿を見る。……確かにそうだ。彼の美学で言うのならば、今の亡霊にとってミザリーは守るべき者だ。……本当は、復讐をやり遂げなければならない理由は最初から解らなかった。



 復讐とは過去と結着をつける為にある。しかし、過去その物を守るために成す復讐に価値はあるのだろうか。亡霊が守ってきたモノはたくさんの未来だが、過去に囚われていた彼の未来とは一体なんだろうか。



 「……僕だよ。レヴ。僕が君の理由になるから。僕が王になる瞬間を見ていて欲しいから!だから、お願いだ。戻ってきてよ!」



 小さな涙が宙を舞う。亡霊の心に波紋が広がる。残っていた肩を繋ぐ黒い影が、邪悪を溶かされて揺らぐ。



 「……亡霊レヴナント。お前が、……いや、あなたがその魔女を殺す理由を否定するつもりはない。俺の想像を超えるような酷い目にあったんだろうって思う。でも、やっぱり俺にはその行動を容認する事は出来ない。……そして、俺はあなたから逃げる事は出来ない」



 亡霊は剣を前に突き出す。ミザリーを背後に置いて。……彼が守っているのは、彼自身の心なのかもしれない。



 「この魔女が生きていれば、いずれまたどこかの子供の未来が失われるだろう。それでいいのか?」



 頭を振って、タクミが構える。堂に入った構えに、迷いはない。



 「俺がそうさせない。これまでの罪だって、必ず償わせる。だから、心配なんてしなくてもいいんだ」



 彼には、それが出来る。何と言ったって、勇者なのだから。



 「認めよう。今は未だ、あなたに一人で勝つことは出来ない。だから、俺が強くなるその時まで待っていて欲しい。あなたの心を埋める理由に、俺も使って欲しい」



 「……まるで、俺を止められる事は確定しているかのような言い方だな」



 その表情は、まるで冗談を言うように優しい。



 「勇者だから」



 今ならば、パーティのみんなにも胸を張ってそう言える。それが誇らしくて、タクミもつい笑みを溢してしまう。亡霊は剣先を地面に着け、居合の様に攻撃を待ち構える。タクミは、それを正面から受けて立つ様だ。



 「……行くぞッ!」



 強く地面を踏むと、雷光と見紛う程の速度で亡霊の元へ駆けた。肩に掴まるモモネミの目は、まっすぐに亡霊を見ている。衝突の瞬間、二人の目が合った。それに気を取られたのか。それとも影を操る力が消えてしまったのか。……そのどちらでもないのかもしれないが、彼は剣を振り上げなかった。



 「レヴ」



 辺りが光に包まれる。



 「おかえり」



 × × ×



 「……っ」



 目を覚ますと、そこには懐かしい天井があった。微かに香る医療用アルコールの香りが、亡霊の鼻をくすぐる。鏡を見ると、そこには頬まで裂けた口に長い耳の悪魔の姿が見える。



 「ひでえね、これは」



 亡霊は、今の自分の姿を見るのは初めての事だった。しかし、欠けた目と腕が無い事に妙な安心感を覚えると、ベッドから起き上がって部屋の外に出た。



 扉を開けると、そのすぐ隣には初老の男の姿があった。どうやら座ったまま眠ってしまったようだ。体調を心配してそこに毛布を掛けると、彼がふと目を覚ました。



 「……目を覚ましおったかい」



 「それはこっちのセリフだ。風邪ひくぜ、じいさん」



 「ふん。その時は自分で治すわい」



 ぶっきらぼうにそう答えたが、初老の男……ドクは、顔を見られない様に後ろを向くと、鼻をすすって目を擦った。



 「また治してもらっちまった。悪いな」



 「タダじゃないぞ。当然、医療費は徴収する」



 その言葉に隠された意味を露わにしたくなくて、亡霊は何も言わなかった。外は暗いが、遠くからは声が聞こえてくる。日が変わるまで、もう少し時間がありそうだ。



 ドクは、亡霊に何も訊かない。彼が気を失っている間にも、誰からも事情を訊く事はしなかった。彼にとっては、ただ生きて戻ってきた事が何よりも嬉しかったのだ。だから、亡霊も説明をするようなことをせず、部屋に置かれていた衣服を勝手に身に着けると、ポールハンガーに掛かっていたマントと眼帯を巻いていつもの様に玄関へ向かった。



 「それじゃ、長生きしろよ」



 「……そうじゃな」



 パタリと扉が閉まる。その表情を見るに、小さな声で「いってらっしゃい」と言われた事は、亡霊にも解っているようだ。



 ……。



 口元を隠して街を歩く。その足は、自然とあの料理屋の前に向かっていた。しばらくして辿り着くと、反対側から示し合わせたようにタクミが歩いてくる。店の隣の暗い路地に積まれていた木箱の上に座ると、挨拶をする訳でもなくタクミが口を開いた。



 「ペイルドレーン・ワークスの状況はこうだ」



 戦いの後、国の存亡の危機を知ったのか魔女たちはあっさりと工房を捨てて全員がいずれかの国に亡命したようだ。中立国家としての立ち位置が亡霊とタクミの存在によって脅かされてしまった為の行動なのだろう。研究だけを生き甲斐とする魔女たちにとって、最早形骸化している国を捨てる事になんの躊躇いもないかったのかもしれない。



 「ミザリーの身柄は、ネウロピア王国が引き取った。殺すよりも、他国に散った魔女たちへの牽制の意味合いが強いみたいだ。あれでいて、魔女の中でも最高峰の頭脳を持っているからな。上は、殺すよりも国の為に働かせた方が償いになるって言い訳をしていたよ。もちろん、彼女を死刑にする事には何の意味もないけど」



 会話が止まり、通りを転がる車輪の音が聞こえる。



 「……ギルドでの俺の扱いはどうなってる?」



 「生きている事はトップシークレットだ。あなたが死んだ事を冒険者はみんな知っている。国民の命に対する常識を覆されることは、この世界的にもあまり好ましい状況じゃない。ミザリーの死刑にも言える事だけどな」



 亡霊の存命を知る者は、モモネミとタクミの他にレイン王とギルドを運営するミスティナイト家の当主、それにドクだけだ。



 「……俺の銀行口座に金が入っている。それを南のスラムにある診療所へ届けてやってくれないか?」



 自分で。タクミは、そんな言葉を言う気にはならなかった。



 「旅に出るのか?」



 「あぁ。きっと、もう戻らない」



 「……わかった。俺が助けられない命を、あなたが守ってあげてくれ」



 それを聞いて、僅かに口元を歪める。仕草に気が付いたのか、タクミは恥ずかしそうに別の話題を振った。



 「俺さ、もう少しこの世界の事を知る努力をするよ。オレツエ―だけやってても、俺が居なくなった後にネウロピア王国が滅んじゃうかもしれないから」



 「頼むぜ。なんたって、お前は異世界から転生してきた最強の勇者様なんだから」



 「茶化すなよ。それに、いずれ必ず決着はつける。きっと、俺一人であなたに勝ってみせる」



 その時、タクミは会話の違和感に気が付いた。自分の言葉と亡霊の返答が噛み合い過ぎている。



 「ひょっとして、オレツエーの意味が解ってるのか?」



 「解るよ。前の世界の記憶はないが、きっと同じ世界出身だ」



 「……スキルもないのに、とんでもない人だな。あなたは」



 「ただ、ラッキーだったんだよ」



 それだけを言うと、亡霊は再びマントで口元を隠して立ち上がった。



 「一つだけ訊いていいか?」



 タクミは首を傾げる。



 「美少女に囲まれるのは、やっぱり最高か?」



 「もちろん。それが異世界転生ってモンでしょう。あなたの異世界転生は何かおかしいよ」



 そして、二人はクスクスと笑い合う。しばらくして、やはり挨拶も無しに亡霊はその路地から出て行った。そういう間柄でない事が、二人の絆だと解っているから。



 ……。



 フラックメルの南門。亡霊が静かに歩いていると、ふと肩にのしかかる重さがあった。柔らかく、温かい香りがする。その正体が何なのか、亡霊に解らない筈はなかった。



 「……あのクマは?」



 胸を張って答える。



 「フェデルだよ、僕の一番の家臣さ。……彼に言われたんだ。王になるには経験がなければダメだって。いくら素質があっても、それだけじゃ国民はついてこないんだってさ」



 「そうか」



 返事の後、再び静寂が訪れる。



 「……辛い旅になるぞ」



 「だから僕がいるんじゃないか。僕らなら、きっと出来るよ」



 そう言って笑ったのが解った。だから、亡霊は立ち止まって言う。



 「頼りにしてる」



 それを聞いて、モモネミが飛び切りの笑顔を見せたのだった。

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レフト 夏目くちびる @kuchiviru

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