ゴミ屋敷

1103教室最後尾左端

ゴミ屋敷

『……次のニュースです。〇〇市××町にあるいわゆるゴミ屋敷に、市が明日から行政代執行法に基づいて、強制撤去を行う予定です。市によると三年前よりゴミが溜まり始め、近所の住民から市に苦情が相次いでいたという事です。市はこの住宅に住む50代の男性に対して、今年五月以降、ごみの撤去を行うよう繰り返し要請しましたが、事態が改善されないことから、強制撤去へと踏み切ることとなりました……』


『ディレクター:何が原因でこうなってしまったんですか?』

『男性:……』

『ディレクター:これ、ちゃんと片付ける気、あるんですか? もう片付ける約束した日まで一週間ないですよね? どうするつもりなんですか?』

『男性:……ゴミじゃない』

『ディレクター:はい?』

『男性:ゴミじゃないって言ってるんだ!! まだ使えるものばかりだ! 捨てていく奴が悪いんだ! 俺は再利用、再利用してるんだ!! 捨てられているのはカワイソウじゃないか! もったいないじゃないか!! 俺がいつ悪い事をした? まだ使えるものをとっておくことの何が悪いんだ!? なあ、お前、言ってみろ!!』

『ディレクター:いや、でも、あなたも使ってないですよね? どうして管理できないのに拾ってきてしまうんですか? そして、どうして使わなくなったら捨てないんですか?』

『男性:……』

『ディレクター:いつ悪い事をしたんだって言いましたよね? 今あなたのゴミ屋敷の悪臭に、多くの苦情が出ているのは知っているでしょう? これって悪い事ですよね? そりゃ、あなたのもったいない精神? はご立派ですけど、自分で責任取れないのにそんなことするなんて、単に迷惑ですよ。ねえ、そのあたり、どう考えて……』

『男性:……(ブンッ)』

『ディレクター:うわっ、鉄板投げてきた! あっぶね!!』


『……ご覧のように、このゴミ屋敷の持ち主はひどく錯乱しており、意思疎通が難しい状態でした。これでは強制撤去もやむなしと言ったところでしょうか……なぜこの男性はゴミを集め続けるのでしょうか。どうして捨てることができないのでしょうか……謎は深まるばかりです。……では、次のニュースです……』



「……近所だな、ここから」

「ん? 何がだ?」

「いや、テレビだよテレビ。ゴミ屋敷だってよ。なんであんなことになっちまうんだろうな~。まあ、あのディレクターもちょっといけ好かない感じだったけど……」

「おい……真面目に聞いてくれよ……これでも真剣なんだよ」

「悪い悪い……でも、珍しいなお前から話があるなんてさ」


 がやがやとうるさい居酒屋の中で、斉藤は豪快に笑い、大きなビールジョッキを傾けた。水滴がスーツに垂れたが、あまり気にしていないようだ。高木は、斉藤のこういうガサツな部分が苦手だった。しかし、今日のような内容の話ならばむしろこのガサツさは救いだった。


「で、今日はなんだ? 金なら貸さねえぞ?」

「違うよ……あのさ。斉藤は彼女いるか?」

「あ? ……なんだ? コイバナか? はっはっは。だったらする相手間違ってるだろ。俺のうわさ位聞いたことあるだろ?」

「……まあな。女癖が悪い事で有名だもんな」


 斉藤の女癖の悪さは社内でもひどく有名だった。女を食い物にする斉藤の噂を聞く度、高木は、この男への怒りを募らせていた。どうしてもっと相手を大切にできないのか、と。しかし、それは女性経験がほとんどなかった高木にとっては羨望の裏返しともいえた。


「なら、なんで俺なんだ? 悪いけど俺は男に興味なんかないからな」

「違うよ……相談に乗って欲しいんだ」

「なんだ。不倫か? 浮気か? 俺はそう言うゲスな話しか……」

「……」

「……おいおい。マジかよ」

「……そうだよ。その手の話だ。そうじゃなければお前なんか呼ぶものか」


 高木は白状した。自分の現状を打開するためには、この男の意見を聞くべきだと判断したのだ。斉藤は、高木の言葉を聞いて、一瞬あっけにとられた後、にやにやと笑顔と呼ぶにはあまりに汚い表情を浮かべた。


「なんだよ……高学歴の優男のお前さんも隅におけねえなぁ。なんだ? 人妻に手出しちまったか? それとも彼女がいるのに別の女に目移りしたか?」

「……お前と一緒にするな。僕はそんな下衆じゃない」

「おーい、それは言いっこ無しだろ? まあ聞かせてみろよ、力になるぜ?」


 おぞましい笑みを見せながら、斉藤は身を乗り出した。高木は少し身を引いたが、観念したかのように、ポツポツと話し始めた。


「その、きっかけはマッチングアプリなんだ」

「あん? ああ、今話題になってるやつな。お前、結構肉食系なんだな」

「……身体の関係を求めていたわけじゃない」

「おいおい、今更恥ずかしがることねーだろよ。スケベ心もあったんだろ?」


 なれなれしく肩を叩く斉藤に、高木は舌打ちをしかけたが、今日ばかりはこの男の機嫌を取らなければならないことを思い、何とかこらえた。


「……確かにそういう気持ちがなかったとは言わない。でも、少し職場以外の友好関係が広がればいい、程度の思いで始めたのは本当だ。僕は友達も少ないし、特に趣味もない。仕事を通してでなければ誰とも話せないような人間だ」

「まあ見た通りだな。それで、それがどうしたんだ?」

「……アプリでいろんな人に話しかけたけど、ほとんどの人は僕のことを無視した。だけど、一人の女性が反応をくれたんだ」


 斉藤は適当な相槌を打った。あまり真剣に話を聞いていないようにも見えたが、この男にとってはこれが平常運転なのだろう。高木は気にせず進めた。


「話してみると……何というか、その子は、心の病というか……」

「ああ、メンヘラ女か。面倒な奴に引っかかったな」


 あまりにもあっさりと斉藤が言うので、高木はいらだった。目の前のビールを少し飲み、いつもよりも少しだけ強くテーブルにたたきつけた。


「違う。あの子はそんな安っぽい子じゃない。家庭環境が良くなくて、そのせいで少し歪んでしまっただけだ。知ったような口をきくな!」

「熱くなんなよ……なんだ? そいつがお前の恋人なのか?」

「……違う。相談に乗っただけだ。彼女の周りには……あまりいい方は良くないが知性のある人間がいなかった。アプリ上でも身体を目的にしていた男ばかりが寄ってきていたようで辟易していたみたいだ。僕の話し方や話題、考え方が新鮮に思えたらしい。僕らの仲はどんどん深まった」

「あっそ。で、なんなの?」


 斉藤は徐々に高木の話に興味が無くなってきたようだ。高木の顔を見もせず、壁に張ってあるメニューに目線を移している。


「僕は、気が付いた。もしかしたら、この国には彼女のような子が沢山いるのではないかって。僕が話し相手になってあげることによって、救われる人がもっといるんじゃないかって」


「ご立派なこって。で、それが俺となんの関係があるんだよ」


 斉藤は完全に高木の話に興味を失った。手元の注文用タブレットをいじりながら、唐揚げやらフライドポテトやらを注文した。高木はいらだったが、話はここからが本番だった。少し間を置いた。


「それから、僕はそのマッチングアプリでいろんな女性に声をかけた。最初の一人でコツをつかんだ。つぶやきやプロフィール欄を見ればその子が病んでしまっているかどうかはすぐに分かった。そういう子に積極的に声をかけて、彼女たちの話相手になっていったんだ」

「おせっかいな奴だな……で、どうなったんだよ」


 斉藤が投げやりに言うと、よくぞ聞いてくれたとばかりに高木はやや興奮した口調になった。


「思った通りだった。そう言う子たちは皆、環境に恵まれていなかっただけで、皆、思慮深くて賢い子ばかりだった。ひどい虐待を受けていたり、職場でいじめを受けていたり、生まれたときから貧乏だったり、元カレからひどい仕打ちを受けて人間不信になったりしている子たちに、僕は寄り添った。ネット越しでの会話で、時には実際に会って話をしながら。どうしてその子達が苦しんでいるのかを一緒に考えて、どうしたら現状が良くなるか話し合ったんだ……」


 高木は妙に恍惚とした表情になった。自分が誰かを導くことができている実感に酔いしれていることは明らかだった。


「彼女たちは皆、愛に飢えていた。だから理屈と一緒に、優しい言葉や、温かいセリフが必要だった。僕がそれを与えてあげると、彼女たちはとても喜んでくれた。みるみる成長して、明るくなって……」


 突然、声が途切れた。急に静かになった高木に、斉藤は少し眉をひそめた。


「なんだよ。急に静かになって」



「……それから、最初の女の子に、告白された」



 高木の口調には、全く喜びのニュアンスはなかった。むしろがっくりと肩を落とし、辛そうな顔をしている。


「……は? お前、なんでそんな顔すんだよ。告られたんだろ? 喜べよ」

「……僕にとって彼女は、恋愛の対象じゃなかった。単に助けなければならない相手、生徒というか、ボランティアの相手というか……単にそれだけの関係だったんだ」


 斉藤はこの高木という人間に少しずつ違和感を持ち始めた。目の前の男が、単なる堅物で真面目な男ではなく、話しかけるのもためらわれるような異常者のように見えていった。


「はぁ……じゃあ断ったんだろ?」

「……」


 高木は下を向いて、何も言わない。それはあまりにも雄弁な返答だった。


「おいおい……受けちまったのかよ。好きでもないのに?」

「……仕方がなかったんだ。あの子には、僕が必要なんだ。今、僕が彼女を振るようなことがあれば、きっと彼女は壊れてしまう。せっかく安定してきたのに、僕が台無しにするわけにはいかない」

「……まあ、本人がいいなら別にいいんだけどよ……あ」


 斉藤は、話半分に聞いていた高木の話を頭の中でつなぎ合わせた。そして、導き出した結論におののいた。


「高木、お前まさか」


 高木は今にも泣きそうな、情けない表情になって続けた。先ほどまで自分の功績を語っていた時の興奮は見る影もない。斉藤の嫌な予感は的中した。


「……それから、僕は自分が助けた女性達に次々と告白された。そして……」

「全部、受けちまったってのか」

「……仕方なかったんだ。彼女たちのことを思ったら……」


 めまいを感じて、斉藤は数秒目を閉じた。こんな話になるとは思っていなかった。斉藤自身も浮気の経験はあったし、二股をかけていた時期もあった。多くの女を泣かせてきた自覚はある。自分がまともな人間でないことははっきりと分かっている。しかし、高木のことは全く理解できなかった。


「……頭おかしいよ。お前……」

「……自分でも倫理的じゃないと思う。でも、仕方なかった」

「バレたりはしないのか? そんな何股もかけて……」

「みんなネットで知り合った相手だから。女性同士には何のかかわりもない。案外気づかれないものだ」


 辛そうに、しかし、どこか楽観的に、高木は現状を説明した。斉藤はまた目を閉じた。気分が悪かった。酒に酔っているわけではないことは明らかだ。この期に及んで女たちのことを「女性」と呼ぶ丁寧さも気色悪かったし、ほとんど悪気がないような高木の態度は斉藤には理解できなかった。


「……お前さ、悪いとは思わないのか? 好きでもない奴に、告白されて、ホイホイOKして心とか痛まないのか?」


 高木は、斉藤の言葉を聞いて、きょとんとした顔をした。そんなことをお前に言われるとは思わなかった、とでも言いたげな、拍子抜けしたような様子だ。


「悪い事をしてるとは思っているよ。いつも心を痛めてる。でも何度も言ってるけど僕はこうするしかなかったんだ。彼女たちには僕が必要だ。僕は悪くないだろ?」


 高木の態度に、斉藤は痺れを切らした。それは自分には理解ができない不気味な人間を目の前にしたために出た拒否反応、もしくは恐怖心から来るものだった。


「そんなの、彼女たちは望んでるのか? そんなのは本当の愛じゃないだろ!」


 口にした瞬間、「本当の愛」などという薄ら寒い言葉が飛び出たことに驚いた。高木もしばし口を開けて、ぼんやりしていた。そして、笑いを隠すように口元を手で覆った。


「斉藤でも、そんなセリフを言うことがあるんだな」


 斉藤は、気分が悪かった。ともかく、一刻も早くこの場を去りたいと思い、自分が追加で料理を頼んだことを後悔した。


「……もういいよ。なんでそんなこと俺に喋ったんだ?」

「……そう。それが本題だよ。どうやったら沢山の女性とうまく付き合うことができるんだ? 斉藤ならそう言う事、よく知ってるんじゃないかと思って」


 しゃあしゃあとそう言う高木の顔を斉藤はまともに見る事ができなかった。


「……なんで?」

「なんでって……万一ばれたら大変じゃないか。信頼していた男が、仕方がなかったとはいえ、沢山の女性と関係を持っているなんて、彼女たちが知ってしまったら、ひどいトラウマを植え付けることになるだろう? 彼女たちのことを思ったら、僕はこの関係を維持する努力をしなければならないんだよ」


 高木の顔は真剣そのものだった。ふざけている様子は一切ない。自分が苦しい立場にいるという事は理解しているようで、表情は悲しげだ。しかし、その表情には義憤にかられた、自分のヒロイズムへの陶酔も見て取れた。斉藤はいよいよ耐えられなくなって、席を立った。


「最後は……最後はどうするつもりだ? いつまでもこのままでいるわけにはいかないだろ? 最後は一人を選ぶなり、全員と別れるなりするんだよな? 流石にノープランってことはないよな?」

「……」


 高木は黙ってしまった。高木は、そのことをできるだけ考えないようにしていた。一人を選ぶことなんてできるわけがない。全員との関係をなかったことにすることなんてもっと不可能だと高木は思っていた。結局、高木はどうすればいいか分かっていなかった。結論を先延ばしにして、目の前の「彼女たちを助ける」という単純なわかりやすい正義を追い続けている高木にとって、この先がどうなるかという事を考えるのはひどく恐ろしいことで、そして事態がここまで広がってしまった以上、考えても仕方がない事であった。


 何も言わない高木の姿を見て、斉藤のめまいは、座っているのもつらいほどになっていた。


「……すまん。気分が悪い。ちょっと便所に行ってくる」


 そう言うと、斉藤は足早にトイレに向かった。便器に向かって嘔吐しようとしたが、上手くいかなかった。指を喉に突っ込んで、無理やりに先ほどまで食べたものを吐き出し、身体の中身を空にしようと努力した。何度か汚ない汁を便器にぶちまけた後、斉藤は冷たい水で顔を洗い、犬のように頭を振った。頬を何度かぴしゃぴしゃと叩き正気を保った。席に戻ったら、用事ができたからとでも言って高木と別れる。そう強く心に誓って、トイレを出た。


「すまん、高木、俺ちょっと用事が……」


 席に戻りながら、背中から声をかけたが、高木は振り返らなかった。どうやらスマートフォンをいじっているようだった。斉藤は背中越しにその画面をのぞき込み……


「う、うぇええええ……」


 嘔吐感を我慢できずに走って店を出て行った。走り去っていく斉藤に店員や他の客たちもひどく驚いて、何人かは悲鳴さえ上げた。


「……? どうしたんだ。斉藤のやつ……」


 騒ぎを聞いて振り返った高木の手には、やはりスマートフォンが握られていた。画面にはトークルームが並んでいて、それぞれのトークルームにいる女性に高木が送ったメッセージが並んでいた。

 ……


『あやか 看護師 22歳:いつもお仕事お疲れ様!』

『千恵 フリーター 19歳:頑張って偉いねー』

『澪 食品営業 23歳:好きだよー♡』

『ユキ ニート 18歳:大丈夫? 辛かったらいつでも頼ってね☆』

『はるか 事務員 20歳:今度はいつ会う? 会えなくて寂しいなー(´;ω;`)』

『咲 JK 18歳:大好き』

『あんず 学校職員 28歳:さすがですね! 尊敬します☆彡』

『楓 銀行窓口 24歳:あー。その客はひどい! 大丈夫。頑張ってるのは知ってるよ』

『祥子 JC 15歳:メッセ見ましたー。大変だったね……僕でよければ頼ってね!』

『優子 大学生 21歳:それは元カレが悪いよ。気にしないで!』

『マリン JK 17歳:今度はどこ行きたい? まあ君とならどこでもいいけどね(照)』

『さくら IT系 26歳:つらかったね……よしよし』

『涼香 マスコミ関係 24歳:はじめましてー。大分つらそうですけど大丈夫?』

『蒼 短大生 19歳:うん。ありがとう。大好き』…………………………



 高木はしばらく斉藤が帰ってくるの待っていた。しかし、いつまで待っても姿を見せないため、諦めて会計を済ませて店を出た。


 駅までまっすぐ歩いてもよかったが、いくらか酔いを醒ますために遠回りをしていくことにした。何も考えずにフラフラと夜道を歩いていると、どこからか悪臭が漂ってきた。


「なんだ……? 臭いな……」


 高木は何となく臭いのする方に歩いていった。十数メートル歩くと、すぐに臭いの正体はわかった。

 居酒屋のテレビでやっていたゴミ屋敷だ。大小様々なゴミがそこら中に散らばっている。ビニール袋に包まれているゴミもあれば、むき出しになっているゴミもある。原型をとどめているテレビや電子レンジといった電化製品、もう何のパーツか分からないプラスチックや金属の部品などが公道や隣の民家にまで広がっている。悪臭の正体はそこら中に散らばっている弁当だろう。同じ弁当がいくつも並んでいるのを見る限り、もしかしたら廃棄弁当をそのままくすねてきて腐らせたのかもしれない。


 高木はそのあまりに醜悪なゴミ屋敷を見て、眉をひそめた。


 どうして管理できないのに拾ってしまうのだろう。

 どうして捨てることができないのだろう。

 どうしてこんなになるまで放っておいたのだろう。


 高木には不思議でならなかった。


 踵を返しポケットからスマートフォンを取り出す。駅までの道を調べるつもりだったが、いくつか通知が来ている。高木は返信の内容を考えながら、ゴミ屋敷を最後に一瞥し、言った。


「……汚らわしい」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ゴミ屋敷 1103教室最後尾左端 @indo-1103

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ