もうデウス・エクス・マキナ

 探偵が肉塊としてベッドの上で発見された次の日、なんだか知らないがもうひとり女が殺された。赤いドレスを着ていた。俺がまだ名前を覚えていない女だ。その二日後に何人かのメイドと老人が死んだ。老人は屋敷の当主の祖父だとか聞いた。もともと棺桶に首くらいまで入っていたので老衰でもいい気がする。

 で、その次の日――つまり今日だが――当主であるヤシキが死んだ。

 ヤシキはベッドの上に磔にされ、胸に鎌が刺さっていた。これは鎌を所持していた人間、つまりヤシキが悪い。今や連続殺人のための場である洋館に鎌を老いておくなんて、舞台の端に拳銃を老いておくようなものだ。

 まぁ誰が死のうが知ったことではない。問題は、俺がすっかり探偵の役割を担わされてしまっているということだ。契機さえあればいつだってこの茶番劇から抜け出すつもりなのに、一向にその隙がない。

 俺の横には、なぜか例のメイドが常に寄り添っている。

「どうなさいますか?」

 ヤシキの死体を前にメイドが尋ねてくる。どうもこうもするつもりはない。人間が懸命に隠し通そうとしている物事を暴くなんて、野蛮の極みだ。犯人なり被害者なりのやりたいようにやらせればいいじゃないか。俺は探偵などという無神経な役割は生涯担いたくない。

 けれどメイドは探偵助手のように、まじまじと死体を観察している。ヤシキの死体は、まさに怨念の具現といった感じで、とても鑑賞に耐えるものではない。

「彼は君の主人ではないんですか?」

「はい。大変によくしてくださいました。私の恩人です」

「なによ、使用人風情が! 図々しいのよ」

 突然割って入ってきたのは妙齢の婦人で、名前はなんと言ったか。イカルだかオコルだか、聞き慣れない響きの名前だった。目だけが青みがかっていて、顔面ががちゃちゃしている。親か親の親が外つ国の人間なのだろう。

 地団駄を踏む大人、というのはあまり見られるものではないので面白かった。

「あなたみたいな人間が夫に近づいたからこんなことになったのよ! 身の程をわきまえなさい! あなたは使用人なんですよ!」

 今にもこちらに飛びかかって来そうだったので、血痕を踏まないようにと注意したら、婦人は床を睨みつけ、顔を歪めた。血で床が汚れていることを疎ましく思ったらしい。夫が死んだということへの、悲しみの素振りさえなかった。

 婦人はメイドを睨みつけて金切り声を上げた。

「出てって頂戴。あなたこそ死んで当然の存在です! 汚らわしい!」

 次の日、婦人はアイアンメイデンの中でずたぼろになっていた。言うまでもなく殺人現場にアイアンメイデンを置いている方が悪い。どんな犯人だって、そこにアイアンメイデンがあれば殺人に使ってみようという気になる。

 婦人が死んだことを悲しんでいる人間はいないようだった。一人娘でさえ、ぼうっとなってずたぼろの死体を眺めているだけだった。生まれつき体が弱く一日のほとんどを自室で過ごしているという彼女は――やはり名前を失念したが――少女と言っていいほど幼く見えた。婦人や先に死んだヤシキの年を考えると、幼すぎるような気がする。

「あの方はおいくつなんですか?」

 やはりすぐ横にいたのでメイドに尋ねると、メイドは珍しく俺の方を見てはおらず、一人娘にまっすぐ目を向けていた。

「――同じ年ですわ」

 ぼそりとつぶやかれた声は、何か聞いてはいけない類のものだったように思う。俺はこの館の謎を解くつもりなど微塵もないので、それを無視した。メイドは続けた。

「私と同じ年、同じ日に生まれたのです。あのお方は」

 メイドの発育が異様によいか、一人娘の発育が異様に悪いか、どちらなのだろう。もっとも、このメイドの年など知らないので、どこに重心をおいて驚けばよいのかは分からない。

「蝶や花のように育てられたから、あんな風に幼いままでいられるのです」

 俺はその言葉も聞かなかったことにして、自分の部屋に返った。そうして、まだ食堂に残っているはずの腸詰めのことを考えた。今、食べるべきじゃないのか。今すぐに美味しいものを食べて、そうしてこの館から抜け出す。それしかない。

 そうしよう。


 しかし、ふと気がつくと、俺の肩にメイドが寄りかかっていた。

「あなたが、もっと早く私の前に現れてくれれば」

 ぼそりと耳元でつぶやかれた言葉に、体が震えた。こいつは一体いつ俺の部屋に入ってきたのだろう。逃走経路を考えるのに夢中で、気が付かなかった。

「気の迷いですよ」

 俺は言った。メイドは悩ましげな顔をした。

「どうしてそんな意地悪をいうのです?」

「意地悪じゃありません。もう君は何も言わないほうがいい」

 離れようとしたが、メイドの両手が腕に強く絡まっていて叶わなかった。

「ひどいですわ。もうわかっているのでしょう?」

「俺は何も分かりません。分かりたいとも思わない」

 衣擦れの音がすぐ側でして、おぞましくなって逃げようとしたが一呼吸遅く、俺の体はメイドの両腕でベッドに縫い付けられてしまった。

「だめです。もう黙ってください」

 しかしメイドは続けた。

「どうしてです? こんなにあなたを愛しているのに」

「ああ」

 ため息を漏らした瞬間、その気配がして、俺はとっさにメイドをかばおうとした。

 が、また一呼吸遅かった。破裂音を立て窓ガラスが豪快に割れ、無数の破片がメイドの背中に刺さったようだった。俺はメイドに守られ、無傷だった。

「はっはあ! ついに正体みやぶったり!」

 すぐに耳障りな声がして、見ると、窓辺に甲冑が立っている。だから言ったのだ。殺人現場に甲冑を置いておくなんて――いや、こんな事態は誰にも想定できないか。殺人の起きている屋敷で、ただ窓をかち割って入場するためだけに甲冑を着込む馬鹿がいるなんて。

「な、なんですの」

 背中から血を流しながらメイドを振り向いた。そのタイミングを見計らっていたかのように、甲冑の頭を外した。ひっとメイドが大きく息を吸う。

「ああ、驚いてくれましたね。そうです。私ですよ。大探偵喜志岸剛志です!」

 メイドは背中から血を流しながら、混乱している様子だった。

「どうして――だってあなたは」

 喜志岸はふふんと鼻を鳴らした。がちゃがちゃと甲冑が鳴った。

「そうですね。私は殺されました。といってもあの時、殴った人間の顔は見えなかった。あなた、突然後ろから殴りかかるなんて、卑怯じゃないですか」

「なにをおっしゃっているんですか? 私は、なにも」

 知らない、という顔でメイドは俺を見た。そんな懇願の表情をされても、こうなってしまってはもうどうしようもない。俺はとりあえず彼女の肩口に刺さっている硝子を抜いた。

「目を離しませんでしたか?」

「え?」

 俺の言葉にメイドはかすかな声を漏らした。

「死んだことを確認する前にこの男から目を離したんじゃないですか? だめですよ。そんなことをしては」

 心底からの俺のアドバイスは、メイドにはかなり複雑に響いたらしい。殺人を認めるわけにはいかない。けれど、どういうことなのか気になる。おそらくそういう心情なのだろう。

 喜志岸はこちらのやりとりなど無視して、独演会でも開いているかのように朗々と続けた。

「こんなこともあろうかと、私はとある人形を持ってきていたんですよ。人の肌で作った精巧な偽の人体です。水を入れることで中の化合物と反応して、体重も人間にそっくりになる。血も出る。ま、作り物の死体ですね」

 そんなものを背負って歩かされていたと思うと気分が悪い。

「あなたは私を殴ってから一度部屋を出た。そのとき、私は意識を取り戻したのです。幸運なことでした。大探偵として、一体誰が犯人なのかを突き止めようと、私は用意していた偽の死体をベッドに設置し、窓から外へ出ました。すぐ後ろは崖ですが、なんてことはありません。私は握力が強いのでね。一センチでもくぼみがあれば、一日くらいは持ちこたえられます」

 軽業師にでもなればよかったのだ。

「ところが! 大変な事件が起きました。雨樋をねずみが走ったのです。私はねずみというのだけはどうも許せない。一体なんだってあんなに小さいんです? 理解ができない。見るだに怖気が走る」

「どうでもいいですよそんなこと」

 つい口をついて文句が出てしまった、喜志岸は肩をすくめて見せた。

「君はまったく情緒というものがないね」

「ねずみを嫌うのが情緒ですか?」

「ともかく!」

 喜志岸はメイドに向けて言い直した。

「私は手を離してしまった。崖に落ちた。その先の海まで落ちた。ここに戻ってくるまでに丸一日掛かかりましたよ」

「でたらめです!」

 突然、メイドが必死の形相で俺に訴えかけた。

「窓から外に落ちたって、どうしてそれで生きていられるんです? 万一生きていたとして、ここには戻れません。屋敷へ渡るための橋がないのです。誰もここから出られない。入ってくることだって不可能なはずです」

 たしかに彼女の計画は、まったく独自性はないが、ほとんど完璧だった。常人ならば、確かに誰もここへは入ってこられない。

「崖を登ってきたのでしょう」

「崖? まさか」

「信じられないでしょうが、やりかねない。あなたが悪いんじゃありません。いつもそうなのです。この男はいつも、どんな事件が起きるより前に既に死んでいますが、それは擬死なんです。いくら殺しても死なないんですよ」

 俺だって未だに、どうしてこの男が死んでいないのか分からない。けれど、現にこうして生きている。そうして、俺たちに構わず独演を続けている。

「戻ってきた私は、すぐに藍くんの見張りをはじめました」

 メイドがふと現実に意識を戻したような様子で繰り返した。

「藍くん?」

「おや。ご存知なかったのですか? それはいけませんね。実にいけません。彼の名前を知らないとは! 本当に愛しているんですか、彼のことを」

 挑発には乗らず、メイドは冷静に続けた。

「なぜこの方を見張るのです? 探偵ならば調査でもすればよろしいでしょう」

「お嬢さん。殺人においての調査には、常に速さと正確さが優先されるものなんですよ」

「それが何か」

「ですから、それが藍くんを見張っていた理由です。何よりも確実な方法を取った。それだけです。まさか、あなたは藍くんの苗字も知らないというのじゃありませよね」

「質問の意図が分かりません」

「知らないのですか?」

「緋鳥さまでしょう。それが何か?」

 は、と喜志岸は笑った。しかしそれはメイドに向けられたものではない。

「君はまた偽名を使ったのか?」

 人聞きの悪い。

「訂正しなかっただけです」

「罪深いな」

「なんですの?」

 メイドはまた俺に悩ましげな顔を向けた。せめて自分の口から言うべきかと思ったが、俺は自分で自分のことを信じたくはなかった。それに、すでに喜志岸が口を開いていた。

「いいですか。彼の苗字はヒドリではなくヒチョウと読むのです」

 この話をするとき、いつも喜志岸は口元をいやらしく緩ませている。

「人の名前とは、実にその人間の人生そのものですよ。ヒチョウアイ、それが彼の名前です。ぜひ覚えてあげてください。この名前は貴重ですよ。だから私は彼を助手にしているんです」

「助手じゃありません」

 それだけは訂正していおかないと気がすまない。どうして、何が悲しくて、こんな男の助手になんてならなきゃいけないんだ。俺はただ白虎が見たかっただけだ。そこに付け込んで、この男は。

「さあ、警察に行きましょう。あなたも暴かれるより自首のほうがいいでしょう?」

 喜志岸は、何もかも終わったという様子で、メイドに手を伸ばしている。

「さきほどから、おっしゃっている言葉の意味がわかりませんわ」

「あなたは藍くんを愛していると言ったではないですか」

「ええ、愛しています」

「では自首を」

「なぜです?」

「あなたが犯人だからに決まっているでしょう」

「だからなぜです? 証拠のひとつでもお出しになったらどうですか?」

 喜志岸はやはり不思議そうな顔をした。黒はどうして黒いのとか、晴れの日にはどうして太陽の下に雲がないのかとか、そういう類の質問を受けた大人みたいな顔で、喜志岸はメイドを見ていた。

「藍くんを愛している。それが証拠じゃないですか。それ以外はこれから探します」

「は?」

 ぼたりと、メイドの背中から血が床に垂れた。

「私が彼を愛していることは、私の心の問題です。誰にも見向きもされない生活の中で、この方だけが私を見てくださった。私を私だと認識してくれた。この気持と屋敷の中で起きた禍々しい出来事は、まったくの無関係です!」

 懸命なメイドの訴えは喜志岸の無遠慮な大笑いで打ち消された。

「はははは! それこそ無関係ですよ、お嬢さん。あなたがどんな清い心で愛そうが、藍くんを愛した時点であなたは犯人なのです。今までどんな仕打ちを受け、どのような生活をして、どんな呪いやどんな祈りを受けようと、人を殺せばすべて無に帰すのと同じように、藍くんを愛した時点であなたは犯人と決まる。未来も過去も確定される。だって彼は犯人の寵愛を被るためだけに、この世へ生を受けたんですからね」

「それなわけあるか」

 一応反論したが、自分で言ってて虚しかった。

 だって、これでもう1538回目なのだ。

 この世に生を受けて1538回、俺は老若男女のあらゆる犯人に愛されてきた。窃盗強盗、詐欺に脅迫、風説の流布、あるいは万引き、立ちション、落書き。世にはあらゆる事件があって、そこには必ず犯人がいる。

 俺は道を歩いただけで犯人からの寵愛を被る。なぜ犯人だけに愛されるのかは分からない。名前なんてただの飾りだ。そう何度も思おうとした。でも、ここまで来るとさすがに否定するだけ虚しい。この世界では、名前がほとんどすべてを決めるのだ。

「さあ、行きますよ」

 探偵はメイドの腕を引っ張った。

「急いでください。海に落ちた時についでに警察も呼んでおきましたからね。明日の朝には来るでしょう。これから証拠を集めなければ」

「やめてください、緋鳥さま、助けて」

 メイドがこちらに手を伸ばしてきて、思わず声を上げてしまった。

「話くらい聞いてあげたらどうですか。だいたい、証拠くらい集めてから来てくるべきです」

「君は相変わらず世の仕組みをわかってないね。こんなに短い間に証拠と動機と犯人を詳らかに出来るはずがないだろう。人生には限りがあるんだ。犯人をあててしまえば、いずれすべて明るみに出るのだからいいじゃないか」

「それじゃあ消化不良です。誰にも救いがない」

 ふうむ、と探偵は眉を潜めた。

「残念だが、私はカタルシスを与えるために探偵をやっているわけじゃないんだ。必要ならば君がやればいい。その力を持っているのは私と君だけなんだからね」

 ぐっと、喉がなった。メイドはすがるような目で俺を見ている。もうかなり血を流していて、顔色も悪い。時間がない。いつもそうだ。俺はいつでもなにもかも遅い。

 メイドの手を取って、俺はその目を見た。

「俺のために罪を認めてください。話は必ずあとで聞きますから」

 メイドは潤んだ目で俺を見た。

「はい。私がやりました」

「よし終わりだ。ご苦労、藍くん」

 風のように探偵と犯人は消え、俺はその場に取り残された。気が抜けて、硝子の散らばったベッドに腰掛ける。なんて茶番だ。もしこれが物語だとしたら、あまりにも拍子抜けがすぎて却って話題になるかもしれない。

 そんなことはないか。

「さすがです」

「わ!」

 突然の声に大声を上げると、入り口に執事が立っていた。いつの間に。

「死なない探偵に愛される助手! まさに名コンビですね」

「助手じゃないです」

 そう答えてから、一縷の望みを掛けて、俺は聞いた。

「ヒゲタさん、でしたっけ。あなた、フルネームはなんていうんです」

「ヒゲタイリヨウです。ご入用のものはなんなりと思いしつけください」

「ひげたいりよう、ひげたいりよう、ひげたいりょう?」

 今一度その顔を見る。凡庸な顔だ。なんの特徴もない。

「ぜんぜん、ヒゲ大量じゃない」

「ヒゲは剃れますからね」

 たしかに。運命から逃れるすべがゼロというわけではない。希望はまだある。

「あの、俺の結婚相手探してくれませんか。婿になりたいんです」

 それは管轄外だと言われた。階下からまた探偵の大声がしている。仕方がないので、俺は犯人の話を聞きに階段を降りていった。

 また長い夜になりそうだ。

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茶盤館殺人事件 犬怪寅日子 @mememorimori

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