茶盤館殺人事件
犬怪寅日子
探偵、死す
朝食に首を切られた花が添えられていた。昨日は濃紫のよく知らない花だったが、今日のは恐らく天竺牡丹だろう。首から上しかないのでじきに死ぬ。
まったくもってよく死ぬものだ。
「大変です! 喜志岸さまが」
どうもこの屋敷にはメイドが多すぎる。一体、三人の家族を世話するのに三十人も世話人がいるだろうか。加えて執事は数え切れないほどの数がいる。これはメイド以上に姿形が似ているので、もしかするとすべて同じ個体の残像なのかもしれない。
「あの」
その数いるメイドのうちの一人が声をかけてきた。いつの間にか、食堂には俺と彼女の二人しか姿がない。
「なにか?」
「ですから、喜志岸さまが」
「死んだのですか?」
メイドは驚いたような顔をした。
「見ていないのにおわかりになるのですか?」
階上からは悲鳴めいたものや、怒号めいたものや、忙しない足音が聞こえてきている。
何が起きたかしらないが、これだけの騒ぎのなか、あの男が黙っているはずはない。喜志岸は冗談みたいに探偵業には向かない声量をしているのだ。ならば喋れる状態にないのだろう。簡単な式だ。
頼んでいないのにメイドは語りだした。
「朝、私が呼びに行ったときには返事があったのです。けれどなかなか出てこられないもので、もう一度呼びに戻ったのですが、返事はありませんで。執事長のヒゲタに頼んで、合鍵で中に入ったら――」
ヒゲタという名前は名字だろうか。珍しい名前だ。
日下田か。あるいは髭多か? 被下駄、なんていうのだったら、そいつの人生は、誰かに踏みつけられるためだけに存在するのかもしれない。たとえば合鍵を持ってくるだけが彼の仕事で、合鍵を開け、場を前に進めるのはいつでも誰か別の者、というように。
メイドは勝手に話を続けている。
「昨日の夜、すこし妙な物音がしたのです。様子を伺いに行こうとしたのですが、ヤシキさまに止められて」
ヤシキというのはこの家の当主の名前で、全体的に縦に長い人間だった。両指に都合五つの指輪をはめていて、すぐに人の話を遮る。威厳を保つために大事なものをすべて捨ててしまったらしく、自分以外の人間をほとんど虫けらのように扱っている。
どうもこのメイドはヤシキの気に入りらしい。まだここに来て二日目なのに、もう百回はあの男がこのメイドを呼びつけるのを見た。キミ、というのがこのメイドの名前なのか、単なる呼びかけなのかは分からない。
「今、ダイシ様が喜志岸さまの部屋に来ておられますが」
ダイシというのは白衣を着ていたのでたぶんこの屋敷のかかりつけ医だろう。ヤシキの娘は病気が人体を得たような姿形をしていた。
喜志岸がその娘を見て、何か大仰に嘆き悲しんでいた。
「なあ見たか、あのいたいけなお嬢さんの姿! 俺は必ずこの屋敷の呪いを解いて、お嬢さんの笑顔を取り戻すぞ。おい! 聞いているのか?」
頭の中だけでもあの男の声はうるさい。
でももう死んだのだから、当然、この探偵の分の腸詰めは俺が食べてもいいのだろう。
「あの」
メイドは手袋をもみほぐすような妙な手付きで、床だか自分の足だかを見ている。もじもじと。なんだというのだろう。
「喜志岸さまが亡くなられたのです」
「はぁ、それは聞きましたが」
「探偵がいなくなってしまったのですよ?」
「死んだのならそういうことになりますね」
「それでよろしいのですか?」
よろしい、よろしくない、という話であれば徹頭徹尾よろしくない。
俺は本来ならば今日、帝都で白い獣を見る予定だったのだ。もう三ヶ月も前から楽しみにしていた。舶来の白虎だ。その毛玉を見るために、俺がどれだけあの男にこき使われたか。ここに来たのだって、荷物持ちがチケットを受け取るための最後の仕事だったからだ。
喜志岸は自らの探偵能力を低さを自覚しているからか、やたらと最新の機器――あの男に言わせるとひみつ道具――を数多と持っていて、毎度、金とコネに物をいわせて俺にそれを担がせる。
けれど来るなり、この屋敷と外界とをつなぐ唯一の橋が突然燃えた。俺たちは帝都どころか敷地外へも出られないというわけだ。
今頃白い毛玉はとっくに帝都を離れ、どこかの洋上で朝寝をしているに違いない。探偵に纏わりつく不運を見越していなかった自分の責任だと言われても、俺は断固認めない。こんなものは詐欺だ。あんな男は殺したっていいくらいだ。
「今や助手のあなたしか頼るべき人は」
何を勘違いしているのか、メイドはそんなことを口走った。
「俺は助手じゃなくてただの荷物持ちです。何が悲しくてあんな恥ずかしい男の助手なんてしなきゃならないんです? 金のない狐だってやりゃしませんよそんな仕事」
「きつね?」
「狐は言葉のあやです」
「ですが、喜志岸さまはあなたを事件解決の鍵だとおっしゃってましたわ」
「それはあの人が馬鹿なだけで、俺が優れているということではありません。あの人は引き算でさえうまく出来ないんですよ。信じられますか? 十一人のうちの四人が死んで、残っているのが何人かも分からない探偵なんて、ぞっとしない話だと思いませんか? だから、死んだというならそりゃ慶事です。あなたも一人ぶん仕事が減って、睡眠時間が増えますよ。昨日からずっと働いているでしょう。もう少し寝たほうがいい」
それに、探偵が死ねば朝食が二倍食べれる。
俺は向かいの皿に手を伸ばし、外つ国からやってきたのであろう上等な腸詰めに歯を立てた。ぱきん、と音がして肉汁が飛び出る。もう冷たいが、それでも何もかも忘れ、無心に口を動かすだけの生き物になるくらいにはうまかった。貴族の屋敷はこれだからやめられない。
俺がそれらをすっかり食べきってしまうまで、メイドは静かに止まっていたらしい。顔を上げると、停止から動き出して、不可思議な表情を見せた。
驚きではない。
恐れでも、怒りでも、喜びというのでもない。
強いていうのなら、ほのかな恍惚と焦がれとでもいうような。まさか。
「君は早くここから出たほうがいいんですよ」
「どうして、そんなことをおっしゃるのです」
「もっと人が死ぬことになるからに決まっているでしょう」
「喜志岸さまの他に?」
「探偵に暴かれるような目的があるからまず探偵を殺したのでしょう。殺しの後にくる大目的が殺し以下というのは考えづらい。それが起こる前に逃げるべきです。まだ遅くない」
「犯人の考えがお分かりになるのですか?」
「そんなこと、土の中のもぐらにだってわかりますよ」
「もぐら?」
「殺すために殺したのでなければという話ですが」
メイドはぼうっとしながら話を聞いていたが、ふと耳たぶを触り、小首をかしげた。
「殺すために殺すとは、どういうことでしょうか」
「誰彼かまわず、殺すのが目的ということです」
そんな、とメイドはかすかに唇を横に広げた。ように見えた。
「恐ろしいですわ。そんなこと」
とても恐ろしがっているようには見えない。いずれにせよ、俺もこの騒ぎに乗じて早いことここから逃げなければ。早くしないと。
しかし、数秒後に階上の乱痴気騒ぎが食堂へなだれ込んできた。ヤシキが実に偉そうに俺に詰め寄ってくる。
「君、君はあの探偵の助手だろう? どうにかしてくれ!」
どうやら俺はまた、事件から逃れることに失敗したらしい。
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