新築の事故物件

らきむぼん

新築の事故物件


 寒さに身震いし、阿良木は目を覚ました。立ち上がろうとすると、ソファがギィギィと音を鳴らす。いつになくうるさく感じる。もうそろそろ捨てどきかもしれない。つま先で軽く蹴飛ばして、テーブルの上のリモコンを手に取った。電子音が鳴り、エアコンが口を閉じる。

 そのまま窓際に寄ると、阿良木は窓を開けた。秋の空気が部屋に入り込む。昨夜から降り続いていた雨は止んだようだ。

 さて、と彼は大きく一度伸びをした。二度寝したい気分だったが、そうもいかない。今日はゴミ出しの日だ。自由な大学生もゴミ出しの規則には逆らえない。

 リビングに無造作に放られたゴミをひとつクシャクシャと丸めて、キッチン横の市指定のゴミ袋に突っ込む。慣性で膨らみ戻ろうとするゴミを強引に封じ込めて、彼はアパートの部屋を出た。ほんの数分、鍵は面倒だから施錠しなかった。

 彼の住む二階から、地上に降りると、階段前の通路一面に金木犀の花が散っていた。雨に塗れた花弁は無残にアスファルトにへばりつき、気味の悪い絨毯のようだった。

 雨上がりの匂いが金木犀の香りと混じりあっている。そんな奇妙な香りも、睡眠不足の阿良木にはどうでもいいことだった。

 ゴミ捨て場に着くと、近所に住む女子大生と会った。十分ほど立ち話をする。どうやら最近彼女はストーカーに悩まされているらしい。物騒だから戸締まりは気をつけろと忠告したが、まさに今部屋を施錠せずに外に出てきた彼に言えたことではなかった。

 別れ際、地面がふわりと揺れた。地震のようだ。不快な緊急地震速報のアラームが隣でなる。女子大生のスマホからだった。外にいるとあまり強い揺れには感じなかったが、震度はそこそこ大きかった。

 部屋に戻ると、中は滅茶苦茶なことになっていた。脚の一つが折れたらしく、ベッドが傾いでいる。そして、床の中央にうつ伏せの死体があった。



「で、俺を呼んだのかよ」

 隣の部屋に住む大学生、細谷は死体を見ながらそう言った。

「意外と驚かないな」と阿良木。

「一周回って現実味がなくてね。悲鳴の一つでも上げたい気分だが。でもなんで俺?」

「犯人かと思ってね」

「冗談はよせ」

「お前じゃないのか?」

 阿良木は真剣な顔で言う。細谷は不快そうな表情で睨みつけてくる。実際不快だったのだろう。

「なんでだよ、誰だよこのおっさん」

「知らん、僕も誰だか判らん。ゴミを捨てて戻ったら、絞殺死体があった」

 死体の首には絞められたような痕跡があった。明らかに他殺である。

「まあともあれ、警察だな」

「それはよせ」

「なんでさ」

「僕が疑われるだろ」

「でも殺ってないんだろ、殺ってんだったら俺はもう、すぐにここを立ち去りたいんだが」

 細谷は眉を顰める。殺人犯を見る目だった。阿良木はというと、殺人犯だと思われるのは別に構わなかったのだが、警察は呼ばれたくなかった。なぜなら、このアパートは密室だったからだ。

 阿良木はこのアパート「クアンタムキャット」の二階、二〇三号室に住んでいた。細谷はその隣、二〇二号室の住人。そしてこのアパートは一階に三部屋、二階に三部屋の合計六部屋の構造となっている。そして階段の前の通路には金木犀の花が散っていて、まるで絨毯のようだった。それは踏めば足跡が残るような均一な様で、阿良木は先程、そこに自分の往復の足跡しかないことを確認、記憶していた。

「なるほど、そんで密室ってわけか。だから犯人は俺って言いたいわけ?」

「僕じゃないなら君だろ」

「二階は三部屋だろ? もうひとりは?」

「留守だよ」

「なぜ判る? 誰だっけ、二〇一号の人、不動って人だっけ?」

「ああ、不動久遠。僕の彼女だ。だから留守と知っている。電話すれば証明できる。ということは君が犯人だろ」

 阿良木は半ば決めつけるように言う。細谷は頭を掻きむしりながら呆れたように言い返す。

「おいおい、それだったら俺だって犯人じゃないんだから、犯人はお前ってことになるだろうが。だいたいお前の部屋だろ、ここ。無理がある」

「だよな、だから警察を呼ばれちゃ困るってわけだ」

 冷静に阿良木は言う。他人事のようだった。

「あっ」

 阿良木は何かを思い出したように口をポカンと開けた。

「どうした?」

「いや、なんでもない。まあそんなことより、君も見てくれ、金木犀の密室を」

 阿良木は半ば強引に細谷を連れ出した。



「見ろ、やっぱり密室だろ?」

 阿良木は履いてきた靴で実際に金木犀の絨毯を踏んでみる。足裏を細谷に見せると、そこには金木犀がへばりついていた。そしてアスファルトには足跡が残る。

「うーん確かに。そんで足跡は一回分の往復。確かに金木犀が散ってからは出入りはそれだけか。そんでお前はゴミ捨て場で女子大生と会っているから、この足跡はお前のもので確定ってわけね」

 細谷はまるで探偵のように言う。

「飲み込みが早いな。掌編ミステリの登場人物みたいだ」

「何言ってんだお前、俺から見たらお前が犯人、俺は犯人に犯人だと疑われてんだよ」

 細谷が怒鳴る。朝なんだから静かにしてくれよ、と阿良木は思った。

「うるさいな、いいか? 重要なことを言うぞ。これが散ったのは昨日の二十一時から未明まで降った雨によってだ」

 阿良木は言う。それは彼が自信を持って言えることだった。

「うん、でもなんでそんな正確に?」

 阿良木はスマホの写真を細谷に見せる。そこには階段と階段下の通路、そしてそこを横切る謎の黒い物体が写っていた。データの時刻は昨夜二十一時。そこには金木犀が散った様子はなく、アスファルトは雨で濡れていた。

「これは?」

「最近この辺りに住んでる黒猫が懐いていてね。昨夜ここにいたから写真を撮ったんだが、その瞬間逃げられてしまった」

「ほんとに懐いてんのかよ、そいつ」



 阿良木の部屋に戻った二人は議論を再開した。

「さっき見たとおり、昨夜の雨のあとにアパートに出入りした人物はいない。二階から、まあ一階もだが、外に出ようとしたら金木犀を踏むことになる」

 阿良木は再度強調する。それは論理的に自分か細谷が犯人ということを示している。

「雨の降っている最中はどうだ? 出入りできるだろ?」

「死体の服は濡れていないし、僕の部屋には死体を運べるだけのトランクもない」

「なるほど、じゃあ雨具を確認しよう。俺の部屋と阿良木の部屋だ。使ったなら濡れている」

 細谷の提案で、お互いの部屋を確認した。結果として、どちらの部屋にも濡れた服や濡れた傘はなく、濡れていない傘も撥水性が弱まっていることが確認できた。ちなみに不動の部屋の合鍵は彼女の親以外持っていない。

「これで、どう考えても僕か君かが犯人になるということがはっきりしたな」

「だとしたらお前だけどな」

 細谷は自信満々に言う。

「まず、俺にはアリバイがある。もし二十一時以降に誰もここを出入りできなかったなら、この死体のおっさんはその前に入ったってことだ。つまり昨日俺が犯行に及べないと証明できれば、お前が犯人だ」

「まあ、それは認めよう。どう見ても死後一日以上とか経過している死体には見えんからな」と、阿良木は頷く。

「俺は昨日、夕方くらいから『TENET』の感想会をオンラインでやっていたんだ。映像はなかったが、ボイスチャットで十人の仲間が俺のアリバイを証明してくれる」

「ふうん、でもそれって、大人数なら君がいなくても気づかないんじゃないか? 無言の時間はなかったと言えるのかい?」

 阿良木は人差し指を立てて左右に振る。それを見て、細谷はいよいよ苛立ちが最高潮に達したらしく、大声で何かを喚いたあと「帰る!」と叫んだ。

「待て! 待ってくれ、細谷、君はここに残るべきだ、絶対に」

 阿良木は少し焦った様子で彼を宥めた。

「なぜ」とムッとした顔で細谷は唸る。

「大麻」

「!!!!!!」

「知ってるぜ、君が大麻をやっているってことは。しかも栽培もしている。いまも、隣の部屋でね」

「お前、なぜそれを…………」

「前に酔って部屋を間違えてね。君はシャワーを浴びていたようだったが、僕はそのまま居間まで気づかずに入室した。だから知っている」

「脅す気か」

「いや、何も僕は君を脅迫するわけじゃない。お互い警察が来たら困ると言っているんだ。しかも僕、本当は無罪だからな。まあ、それに君が大麻の売買にうまくいってないことは判る。そこにある君のボロボロの靴を見ればね。靴一足も買い替えられないとは、ジリ貧だな。そこでだ。僕に協力してくれれば少しばかりの資金も提供しようじゃないか」

「……くそお、お前なぁ」

 悔しそうに細谷は歯軋りする。悪い話ではないだろう、阿良木はそう思っていた。こういうときのためにジョーカーは取っておくものだ。

「解った、だが最後に一つ聞かせろ」

 細谷は覚悟した様子で言う。

「なんだい」

「お前のアリバイは? お前は本当にこのおっさんを殺してないのか?」

 彼は死体を指差す。阿良木は「なんだそんなことか」と死体を軽く蹴った。

「僕は昨日、不動久遠と長電話をしていたんでね。通話記録もある。喋っていた内容も再現しようか? 彼女も証言してくれるだろう」

「……なんだよ、お前な、身内の証言で誤魔化せると思ってないか? 警察はそんな甘くないぜ」

 細谷は呆れた表情で言う。もはや半ば懐柔された彼はあまり元気がない。可愛そうな男だ。

「そうだよ、だから君と一緒にこの死体は処理しなくちゃいけないんだ」

 阿良木はそう言うと、冷蔵庫を開けてプリンを二つ取り出した。

「とりあえず、朝飯でもどう?」



「それで?」

 プリンをスプーンで崩しながら、細谷は顎で死体を指す。

「それで? とは?」

 阿良木はプッチンに失敗したので、グチャグチャのプリンを落とさないように慎重にスプーンで口に運ぶ。

「いや、どうすんの死体。山に埋める?」

「まあ、それがいいかな。知らないおっさんバラバラにしたくないしさ」

「じゃあ一週間用の旅行カバン持ってくるわ」

 善は急げ、と言わんばかりに細谷は立ち上がろうとする。

「ああ、でも死後硬直が始まってると思う。そこのカラーボックスの中板ぶち抜いてそれを棺にしよう、で君の車で山に運ぶ」

 阿良木は立ち上がろうとする細谷を制して指示する。

「なんで俺の車?」

「ペーパーだから山は無理」

 阿良木はスプーンを持ったまま顔の前で手をひらひらと振る。

「お前、もしかして足がないから俺巻き込んだ?」

「まあね。君しか巻き込めなそうだった、密室だし。まあ僕は殺してないけどね」

 阿良木はそう言って、悪びれもなく笑う。

「お前こわ」

 細谷はそう言って、部屋の端のカラーボックスをひっくり返した。阿良木も立ち上がってそれを手伝う。

「それでさ、本当に大麻やってるの?」

「は?」

「適当に言ってみるもんだね」

「…………お前こわ」



 ピンポーン、と間延びしたチャイムが鳴る。誰かが訪ねてきたようだ。

「ただいまー」

 ドアを開けると、不動久遠が立っていた。宵闇に浮かぶ金木犀を背景に、彼女は魅惑的に笑う。

「随分遅かったな」

 阿良木は何気なく言う。お陰で無駄なロジックを省けたのだが。

「久しぶりの旅行だったから、楽しくてね」

 彼女は旅行に出掛けていた。ちなみに昨夜電話したのは本当だった。

 それにしても、と阿良木は思う。ゴミの日が今日で良かった。レインコートを捨てるにはベストのタイミングだった。ただ死体の履いていた靴を捨て忘れていたのは誤算だった。ともあれ、機転を利かせて策を弄した甲斐もなく、結局気づかれることもなく、完全に杞憂だった。

「うわあ! なにこれ! どうしたの?」

 久遠がベッドを見て声を上げる。阿良木はすっかり脚が壊れているのを忘れていた。ソファと併せて結構な出費になりそうだ。

「ポルターガイストでね。まあ丁度いい。事故物件に住んでみたかったんだ」

「えーー何言ってんのよ、ここ新築のアパートでしょ?」

 阿良木は記憶を探る。確かに、ここは新築アパートだ。

「ああ、でも今日から二人憑いてる」






あとがき


読了感謝致します。

解説は不要かもしれませんが、リドルストーリー系に慣れていないと、意味が解らないという可能性もあるので伏線部分だけ羅列しておきます。


・冒頭ソファで目覚めた阿良木、ではベッドはなぜ使えなかったのか?

・季節は秋、寒さで目覚めた阿良木は何のために冷房を点けていた?

・リビングのゴミとは?

・女子大生のストーカーとは?

(・緊急地震速報は拙作『リリスかく語りき』からのリンク)

・クアンタムキャット→量子猫 死体の入った部屋の暗示

・「あっ」と何かに気づき、阿良木は金木犀を見に行くよう誘導

(・今回登場する黒猫は拙作『オムファロスの密室』『リリスかく語りき』で阿良木が飼っている猫「らきむぼん」)

・「二人憑いてる」


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