15の旅

ロム

家出

 俺こと、佐藤弘人さとうひろとは、ある日、家出を決意した。とは言っても、大した理由があるわけではない。ただなんとなく家出がしたくなったのだ。

 

 5月19日 火曜日


 誰かに体を揺すられている感覚がして、目が覚めた。


 真横に1人の女性がいた。しゃがんで俺の体を揺すっている。

 20代前半くらいだろうか。髪はきれいな茶色で、少し高い位置でポニーテールにして、シュシュでまとめている。服は花柄のロングスカートに白色のブラウスを着ている。優しいお姉さんみたいな雰囲気だ。


 なぜこんな状況になったのかを、ぼーっとした頭で思い出す。確か、自転車で家出を始めて、江ノ島周辺まで来たのだ。その後、近くの公園で寝袋に入って野宿をしたはず。


「君、大丈夫?」


 お姉さんが心配そうに尋ねてきた。


「大丈夫です」


 俺の返事に、お姉さんは安心した表情で立ち上がった。

 寝袋に入っているのでよくは見えないが、お姉さんは中々にスタイルが良い。おそらく、170センチ近くあるだろう。


 ここで、俺の頭では嫌な予感がした。


「良かったぁ。ところで君、こんなところで何やってるの? まさか、家出だったりする?」


 嫌な予感が見事に的中してしまった。身体から嫌な汗が吹き出る。


「えっと、星の観察をしようと思っていて」


 すると、お姉さんは不適な笑みを浮べた。


「ふぅ〜ん、じゃあ、どんな星を見ようと思ってたの?」

「オ、オリオン座、とか……」

「ふふっ、オリオン座って、冬に見れる星座だよ。5月だとほとんど見えないって」


 お姉さんは口を手で隠しながらおかしそうに笑った。


「君、やっぱり家出してきたでしょ?」

「……はい」

「ふふっ、私のアタリだね」


 お姉さんに家出とバレてしまったので、諦めるようにして、寝袋から出て、ベンチに座る。


「おっ、想像よりちっちゃくてかわいい。君、中学何年生?」


 質問をしながらお姉さんは俺の隣に座ってきた。


1年です。あと、かわいいって、言わないでください」

「ふふっ、ごめんね。それより君、どこから来たの?」

「山梨です」

「山梨!? 全部自転車で?」


 首を縦に振ると、お姉さんは目を輝かせて驚いた。


「君、凄いね! ねぇ、なんで家出なんてしたの?」

「なんとなく家出したくなって……」

「ふぅ〜ん、私には話したくないんだ」

「いや、そういうものじゃなくて……」


 すると、お姉さんは明るい空を見た。


「そっかぁ。それじゃあ、君の名前は?」


 嘘をつくと、警察に引き渡される時に困りそうだ。諦めて、正直に答えることにした。


「佐藤弘人です」

「サトウヒロトくんね。私の名前は高橋美咲たかはしみさきだよ。よろしくね」


 ミサキさんは握手を求めてきた。

 何がよろしくなのかは分からないが、とりあえず握手をしておく。


「よ、よろしくお願いします」


 すると、ミサキさんはパッと立ち上がってこちらに向き直した。そして、


「よしっ、ヒロトくん。これから私と一緒に旅をしよう」


 と、言ってきた。


「え? 旅ですか?」

「そう、旅だよ。だって、ヒロトくんって、家出してるんでしょ? だったら、私と一緒にどこかに行ってみようよ」


 俺はしばらく悩んだが、行き先を決めていなかったので、ミサキさんの提案に乗ることにした。


「分かりました。でも、旅って、一体どこに行くんですか?」


 すると、ミサキさんは再び不適な笑みをした。


「それは、到着するまでのヒ・ミ・ツ」


 そう言って、ミサキさんは俺の手を掴むと、俺をベンチから立たせ、どこかに向かって進もうとする。しかし、俺は乗ってきた自転車があるので、自転車を公園の近くにあるというミサキさんの家に置かせてもらうことにした。

 ミサキさんの後ろを、自転車を押しながら付いて行くと、クリーム色の2階建てアパートにたどり着いた。


「ここですか?」

「そうだよ。結構きれいでしょ? 建物自体は古いんだけど、数年前にリフォームしたんだって」

「へぇ〜」

「ここの駐輪場に置いて」


 そう言って、ミサキさんは端の方にあった屋根付きの駐輪場を指差した。


「分かりました」


 俺は自転車を駐輪場に置き、しっかりと鍵とチェーンを締めておく。それを確認したミサキさんは、


「これから駅に向かうよ」


 と、元気に言ってきた。


「電車に乗るんですか?」

「そうだよ。早く早く!」


 ミサキさんが俺の方に向けて手招きする。

 俺はミサキさんの隣を歩いた。


「えっと、ミサキさん」

「ん? なに?」

「ミサキさんはあそこのアパートで1人暮らしですか?」

「そうだよ。あっ、もしかして、私で変な想像でもしちゃった?」

「ち、違いますよ!」


 慌てて否定する俺を見て、ミサキさんはおかしそうに笑った。


「ふふっ。やっぱり、君はかわいいよ」

「だから、かわいいって言わないでください」

「ごめんね。でも、なんでそんな事を聞いたの?」

「いや、女性がアパートに1人暮らしって、実際どうなのかなって思って」

「心配してくれてるんだ。ありがとね。でも、大丈夫だよ。あそこのアパートはオートロック付きだから」

「オートロックって、なんか凄いですね」

「うん、わかる! なんか、未来的って感じだよね。それじゃあ、私からも1つ質問しても良い?」

「良いですよ」

「ヒロトくんはなんで家出なんてしたの?」

「だから、言ったじゃないですか。なんとなくです」

「まだ答えてくれないのかぁ〜。それじゃあ、別の質問! なんで私と旅をしてくれるの? ついさっき知り合ったばかりなのに、なんで私の提案に乗ってくれたの?」

「行き先を決めてなかったからです」

「ふぅ〜ん。でも、知らない大人についていくのは危ないよ。何をしてくるか分からないからね」

「それをミサキさんが言わないでください」

「ふふっ、確かにそうだね」

「それにミサキさんって、大人って言うほどの年齢ですか?」

「女性に年齢を質問するとは。それじゃあ、ヒロトくんから見て、私は何歳に見える?」


 ミサキさんはだいぶ大人びた雰囲気をしている。それでも、言葉の端々から、どこか子供っぽさを残している様に感じ取れる。

 それらを踏まえて、俺は妥当な年齢を答えた。


「う〜ん、だいたい21歳ぐらいですかね」

「おっ、良い線行ってるね。でも、残念。答えは22歳でした」

「22歳ですか。えぇ〜と、つまり、大学4年生ですか?」

「そうだよ。ここから近くの大学に通ってるの」


 などと会話をしていると、ミサキさんの言っていた駅に到着した。

 俺とミサキさんは東京行きの電車に乗り込んだ。


「東京に行くんですか?」

「ううん、違うよ。東京駅まで行って、京葉線に乗り換えるつもり」

「つまり、千葉県に行くんですか?」

「おっ、正解! ヒロトくんって、意外と頭良い?」

「いや、京葉線って言われたら、だいたい予想がつきますよ」

「そっかぁ。ヒロトくんは見た目に反して、大人だね」

「できれば、見た目から大人になりたいですけどね」


 すると、ミサキさんがいきなり俺のほっぺたを摘んで、横に引っ張った。


「は、はんへふか(な、なんですか)?」

「やだよ〜、こんなにかわいい子が大人になっちゃうなんて」


 俺はミサキさんの手を、自分のほっぺたから離した。


「だから、かわいいっていうのやめてください」

「ふふっ、ごめんね」


 すると、電車がゆっくりと動き出した。

 俺は無意識に車内に垂れ下がっている広告を見た。そこには、近日公開予定の超有名アニメの映画の広告があった。


「ねぇ、ヒロトくんは、どんな秘密道具がほしい?」


 どうやら、ミサキさんも同じものが目に入ったらしい。


「いきなりですね」

「いきなりじゃないよ。オートロックっていう未来的なものが当たり前になっているのなら、秘密道具も当たり前になるって」

「それと、これとは違う気がしますけどね……。でも、秘密道具が1つだけ貰えるのなら、俺は成長薬が欲しいです」

「成長薬? あっ、大人になりたいから?」

「そうです」


 すると、ミサキさんは動く車窓を見ながら、どこか遠い目をした。


「私は……、逆の薬が良いかな」

「逆ってことは、子供になる薬ってことですか?」

「んー。まぁ、そういう事かな」

「なるほど……」


 なんとなく、ミサキさんの醸し出す空気を感じ取って、俺はそれ以上話すことを止めてしまった。


 そこから約1時間ほど、俺はミサキさんと何も話さなかった。


 東京駅に到着すると、俺とミサキさんは、すぐに京葉線のホームへと向かった。東京駅は通勤時間ということもあり、多くの社会人や学生で混雑していた。

 こんな中で、旅をしようとしている高校生は、恐らく俺だけだろう。


「凄い混んでるね。迷子にならないでね」

「分かりました」


 人と人の間を何回もくぐりながら、俺とミサキさんは、やっとの思いで京葉線のホームに到着した。

 しばらくすると、電車がヒューンという音と共にやって来た。その電車に大勢の人が流れ込むように入っていく。その中に、俺とミサキさんも周りの人の真似をして入った。


 車内は先程の電車よりも明らかに混んでいた。人と人との距離がほとんど無い。俺とミサキさんは周りの人に押されるようにして立っていた。


「しばらくはこのままだから、我慢してね。降りる駅に到着したら、教えるね」

「はい」


 電車がゆっくりと動き出す。

 一体どこへ向かうのだろう。

 そんな疑問を抱きながら、俺は動く車窓を眺めていた。


 すると、後ろから妙な息遣いが聞こえる。振り返ってみると、ミサキさんが顔を赤くしながら、何かを我慢するように下を向いていた。俺は何も言わずにミサキさんと立つ位置替わった。


「ありがとね」


 ミサキさんの小さな感謝の声が聞こえた。

 俺とミサキさんは、それからすぐに電車を降りた。

 電車から降りたミサキさんは、ホームにあるベンチに力が抜けていく様に腰を下ろした。


「はぁ〜、怖かった」

「大丈夫でしたか? ごめんなさい、もっと早く気付けていれば」


 すると、ミサキさんは顔を横に振った。


「ううん、ヒロトくんが居なかったら、私ダメだったよ。本当にありがとね」

「その……、ああいうのは、よくあるんですか?」

「うん、よくある。満員電車に乗っちゃうとね。だから、普段は女性専用車両に乗るの。だけど、最近になって、なんとなく、普通の車両でも大丈夫かなって思っちゃって」

「ミサキさんはスタイル良くて、美人なんですから、気をつけてください」

「うん……。え? 今、スタイル良い美人って言った?」

「あっ」


 すると、ミサキさんは不適な笑みを浮かべた。


「ふぅ〜ん、ヒロトくんは私をそういう風に見てるんだ。いやらしい〜」

「いや、そういう意味じゃなくて」

「ふふっ、ごめんね。ヒロトくんがそんな子じゃないのは分かってるって」

「なら、からかわないでください」


 ミサキさんは笑顔を取り戻してくれた。


 俺とミサキさんは電車の乗車人数が少なくなるまで、しばらく待って、ある程度空いた頃にやって来た電車に乗り込んだ。

 人の少ない車内で動く車窓を眺めていると、


「さて、そろそろ降りるよ」


 と、ミサキさんが声をかけてきた。


「そろそろ降りるってことは……」


 俺は車内にあった駅名の書かれた紙を見る。次に止まる駅は舞浜駅だった。


「まさか、2人で夢の国に行くんですか?」

「ふふっ、残念。私達は舞浜に降りるだけで、大人が子供になれる夢の国には行かないよ。もしかして、私と一緒に行きたかった?」

「そんな事、言ってません」


 俺はミサキさんの後に続いて電車を降りた。エスカレーターに乗って、改札まで行く。夢の国があるのは南口だが、


「ヒロトくん、こっちこっち」


 ミサキさんが向かったのは北口の方だった。


 北口の改札を通って駅から出る。そこには長い通路が続いており、高速道路の下をくぐるようになっていた。


「ヒロトくんは今までこっち側に来たことある?」

「いえ、初めてです。こっち側には何があるんですか?」

「住宅地とか、小学校とか中学校があるよ」

「え? それじゃあ、なんのためにここに来たんですか?」

「なんでだと思う?」


 俺は理由を考えたが、一向に考えが浮かばない。


「……分かりません」

「それじゃあ、歩きながら答えを探そっか」


 そう言って、ミサキさんは嬉しそうに歩き始めた。俺もそれに合わせて横を歩いていく。

 しばらく歩くと、普通の住宅地が広がっていた。

 ミサキさんは様々な方向を見ながら、時折何かを思い出した様子で、小さく微笑んでいる。


「ここってもしかして、ミサキさんの地元ですか?」

「おっ、正解! なんで分かったの?」

「だって、さっきから、ミサキさんがいろんな所を見ては、少し笑顔になっているので」

「へぇ〜、やっぱりヒロトくんは頭良いね」


 ミサキさんは、どこにでもいる元気な小学生の様な笑顔を見せた。やっぱり、どこか子供っぽい。

 しばらく歩くと、小学校らしき建物が見えた。中では体育着を着た子供たちが元気に元気に走り回っている。


「ここは小学校ですか?」

「そう。私が通ってた小学校だよ」

「ってことは、ミサキさんの家って、本当に夢の国から近い場所にあるんですね」

「そうだよ。まぁ、近いからと言っても、いつでも行けるほどのお金は持ってなかったけどね」


 そう言って、苦笑いをしている。しかし、ミサキさんは視線を小学校に向けると、子供っぽさのある笑顔に戻る。


「でも、夢の国に行かなくても、ここは十分に楽しくて、良い思い出の場所だよ」


 そんなセリフを言って、小学校の正面を通り過ぎていく。


「そうですか……。俺は小学校も中学校も良い思い出なんてありませんけどね」

「なんで?」

「……言いたくありません」

「ふぅ〜ん、ヒロトくんはそうやって、また私に隠し事をするんだ〜〜」


 小学校を通り過ぎると、すぐ隣に公園があった。


「ねぇねぇ、公園行こうよ」


 ミサキさんが笑顔で誘ってきた。


 公園の中に入ると、ミサキさんは隅っこの方に走っていった。何かあるのかと思い、近づくと、


「あった!」


 と言って、何かを掴んで上に掲げた。ミサキさんが掲げたのは、茶色に汚れたテニスボールだった。


「テニスボールがどうかしたんですか?」

「ヒロトくん、これから私と勝負しない?」

「勝負?」

「私がボールを上に投げるから、それをキャッチできたらヒロトくんの勝ち。できなかったら、私の勝ち。どう?」


 そう言って、ミサキさんが再び不適な笑みを浮かべた。


「別に良いですけど、負けたら何か罰ゲームでもあるんですか?」

「うん。私が勝ったら、家出の理由を教えて」

「俺が勝ったら?」

「ヒロトくんが勝ったら……、私のスリーサイズを教えてあげる」

「ゴホッ」


 ミサキさんの言葉で思わずむせてしまった。すると、ミサキさんはおかしそうに笑っていた。


「ふふっ、大丈夫? これぐらいで慌てちゃうなんて、やっぱりヒロトくんはかわいいね」

「だから、かわいいって言うのやめてください」

「はいはい。それじゃあ、行くよ〜。それっ!」


 という掛け声と共に、ミサキさんはテニスボールを真上に投げた。俺はすぐに落下地点に入って、キャッチする準備をする。


 すると、


「電車でのヒロトくん、カッコ良かったよ」


 と、ミサキさんの声がした。


 ミサキさんの方を見ると、ミサキさんは優しい笑顔を見せた。タイミング良く風が吹き、ミサキさんの綺麗な髪を揺らす。

 その姿に見とれてしまった俺は、頭に強い衝撃を受けてしまった。


「ぐはっ」

「あっ、大丈夫?」


 ミサキさんが慌てて近寄る。


「多分、大丈夫です」

「良かったぁ」


 ふぅ、と息を吐き一安心したミサキさんは、


「さぁ、ヒロトくん。理由を教えて」


 と、笑顔で話を本題に戻した。


 勝負に負けたので、仕方なく理由を教えることにした。とは言っても、家出に特に理由もないのだが。


「俺は……、大人になる理由が欲しかったんです」


 自分で言っていて驚いた。自分の頭では理由などないと思っていたが、口からはポロポロと理由が溢れてくる。


「小学生の頃から、俺はちっちゃくて、同級生に常に馬鹿にされてきました。中学生になってもそれは変わらず、俺はそんな毎日に嫌気が差していました。そんな毎日を過ごしている内に、早く大人になりたいって思ってしまって」


 ミサキさんは俺の話をウンウンと頷きながら聞いていた。そんな姿に、俺はいつの間にか安心感を抱いていた。


「でも、大人になる理由って馬鹿にされるのが嫌だからなのか、という疑問が浮かんだんです。考えているうちに分からなくなってきて……。だから、俺は家出をすることにしたんです」


 俺の話を最後まで聞いたミサキさんは、笑顔で感想を言った。


「ふぅ〜ん。やっぱりヒロトくんって、かわいいね」

「え? ミサキさん、話をちゃんと聞いてました? 俺はそうやって、かわいいって言われたくないから大人になりたいんですよ?」

「ふふっ、だって、家出って普通はちっちゃい子がやることでしょ? それを早く大人になる理由が欲しくてやるなんて、かわいいに決まってるよ」

「はぁ〜。だから、かわいいって言うのはやめてください」

「ふふっ。それじゃあ、ちょっとだけ移動してみよっか」

「移動ですか?」

「うん。ちょっとだけついて来て」


 俺は、歩き出したミサキさんの後ろをついていく。ほんの少し歩くと、


「ここだよ」


 と言って、ミサキさんが歩く足を止めた。


「おぉ〜」


 目の前には川が流れていた。海が近いため川幅が広い。


「えっと、ここは?」

「旧江戸川。川自体はそんなに綺麗とは言えないけど、じっと眺めているとなんか落ち着くんだよね」

「確かにそんな感じがしますね」

「おっ、ヒロトくんもここの良さが分かる? ここって、夕方になると夕日に照らされてとっても綺麗になるの。小さい頃は夕方になると毎日ここに来てずっと眺めていたんだ」

「良いですね。こういう川が自分の家の近くにあるのは」

「うん。私は夢の国よりもこの川の方が好き」


 ミサキさんは笑顔でそう言った。その笑顔には1つの嘘もない様に見えた。


「さぁ、そろそろお昼ごはん食べよっか」

「そうですね」

「それじゃあ、私がオススメのお店を紹介してあげる。ちょっと遠いかもだけど、ついて来て」


 俺とミサキさんはそこからしばらく歩いた。道中ではミサキさんの子供の頃の話やこの周辺についての話をしていた。


 少し古めのお店に到着すると、2人でお好み焼きを堪能した。


「よしっ、ヒロトくん。今日の旅はそろそろ終わりにしよう。今日は私の家に泊まってね」

「え?」

「だって、暗くなるのに高校生1人で帰らせるのは悪いでしょ?」

「……分かりました。では、ありがたく泊まらせていただきます」


 こうして今晩はミサキさんの家に泊まることになった。


 俺はミサキさんの歩くペースに合わせて少しゆっくり目に歩いた。恐らく、ミサキさんも疲れているのだろう。


 駅に到着すると、すぐに東京行きの電車に乗り込んだ。中にはそこまで多くの人がいなかったので、俺とミサキさんは座席に座ることができた。座席に座ると、前日の自転車と今日の歩きでの疲れが一気にこみ上げてくる。


「ヒロトくん大丈夫? 凄い疲れた顔してるけど?」

「大丈夫です。ちょっと疲れただけです」

「本当に大丈夫? 疲れたなら寝てても良いからね」

「大丈夫です」


 しかし、この言葉をあっさりと裏切るように、俺の瞼は、東京駅での乗り換えと同時に閉じていった。


「……トく〜ん、ヒロトく〜ん。あっ、起きた? もう少しで降りるよ」


 目が覚めると、1番に自分の状況を確認した。どうやらミサキさんに体を預けるようにして寝ていたようだ。俺は慌てて自分の体勢を戻した。


「ごめんなさい」

「ふふっ、大丈夫だよ。それに君のかわいい寝顔を見れたからね」

「だから、かわいいって言わないでください」

「ふふっ、それじゃあ、降りるよ」


 俺とミサキさんは電車から降りると、ミサキさんの家に向かった。


 オートロックを開けたミサキさんは、


「どうぞ、入って入って」


 と、迎え入れてくれた。


 ミサキさんの部屋はとても綺麗に片付いていた。と言うより、置いている物が少なかった。ミサキさんはミニマリストなのかもしれない。

 俺はミサキさんとテレビを見て楽しんだ。その後はミサキさんが作った夕飯を美味しく頂いた。


「先にお風呂入ってくるね」


 と言って、ミサキさんはお風呂へ向かった。


 ミサキさんがお風呂から戻るまでの間、暇だった俺は、本棚の中から一冊のノートを見つけた。開くと、中から手紙の様な物が出てきた。

 見てもいいか少し悩んだが、バレないと踏んで、思い切って見ることにした。

 だが、俺は手紙の題名を見ただけで手紙をノートに挟んでしまった。見てはいけないものを見た気がしたからだ。


 俺は手紙とノートを元の場所に戻し、ミサキさんと入れ替わるようにお風呂に入った。久々のお風呂ではあったが、手紙の題名が頭の中でぐるぐると動き回っているため、リラックスできるようなことはなかった。


 お風呂から出ると、2つの布団が敷かれていた。ミサキさんは右側の布団で座っていた。俺は左側の布団に座り、ミサキさんの方を向いた。


「ん? なに?」


 と、俺の視線が気になったミサキさんが聞いてくる。


「ミサキさん、ってなんですか?」


 俺の問いにミサキさんは驚いていたが、すぐに落ち着いた表情に戻った。


「……気づいちゃった?」

「はい。あのノートの中の手紙を見て」


 俺はノートのあった本棚を指差す。


「ミサキさんは死にたいんですか?」


 ミサキさんは何かを諦めた様にして複雑な笑顔を作った。


「う〜ん、ちょっと違うかな。……私は死にたかったんだよ」

「どういうことですか?」


 ミサキさんは少し上を向いて、何かを思い出すようにして話しだした。


「私はね、大人になりたくないの。ヒロトくんには良く分からないかもしれないけど、大人に近づくにつれて、どんどん辛いことが増えていくの。だから、完全に大人になる前に死のうと思ったの」


 ミサキさんの表情が暗くなっていく。きっと、辛かったことを思い出しているのだろう。


「でも……、だからって死ぬ必要は」

「あるよ。だって、この先に生きる理由がないもん。それに、これはワガママ。ワガママは子供しか許されない。だったら、子供の内に死ぬしかないでしょ?」


 正直、ミサキさんの考えは理解できなかった。でも、ミサキさんの暗く真剣な表情が説得力を持ってしまっている。

 その様子を見た俺は、俯いたまま黙ってしまった。嫌な沈黙が流れる。


「でもね、今日、私の考えは変わったの」


 意外な一言に俺は顔を上げた。ミサキさんは体育座りになって、もぞもぞと脚を動かしながら話した。


「今日、寝袋に入っているヒロトくんを見つけて、こんなに面白いことをする子と、最期の1日を過ごしても良いかもって。でも、一緒にいる内に、生きたいなって気持ちが強くなっちゃった。……ねぇ、ヒロトくんは私に生きていて欲しい?」


 俺は自分の気持ちを正直に伝えた。


「生きていて欲しいです」


 すると、ミサキさんは頬を赤くしながら照れたように笑った。


「ふふっ、嬉しいな。それじゃあさ、私に生きていて欲しいって証明してくれない?」


 俺はミサキさんの言葉に戸惑った。それでも、今の自分にできる最大限の証明をしようと思った。


 俺はミサキさんの身体を優しく抱きしめ、そのままキスをした。

 ミサキさんの身体は見た目よりも細く、ガラスのようだった。でも、そこから伝わる体温には、確かに生命の暖かさがあった。

 柔らかな唇からそっと離れ、目を見つめる。


「ふふっ。いきなりキスとは、ヒロトくんって大人だね」


 ミサキさんは俺の顔を上目遣いで見つめながら小さな笑顔を見せた。


「だ、ダメでしたか?」

「ううん、良かったよ」


 その後、俺とミサキさんは1つの布団で身体を重ねた。


「こういうことするのは初めて?」

「はい」

「私が初めてで良いの?」

「俺は、ミサキさんが初めてが良いんです」

「ふふっ、やっぱりかわいいね。それじゃあ……、良いよ……。ん……」


 薄暗い中で、ミサキさんがどこか遠くに行ってしまわないように、俺は必死にミサキさんの身体を抱きしめ続けていた。

 俺ができる限りの事をした後、遠のいていく意識の中で、ミサキさんの声がした。


「私が大人になる理由になってくれてありがとね」


 5月20日 水曜日


 日の光で目覚めた俺は、隣で寝ているミサキさんを見つめた。静かな寝息をしながら幸せそうに寝ている。しかし、しばらく経つと、俺の視線に気づいたのか、ゆっくりと目を覚ました。


「おはようございます」

「ふふっ、おはよう」


 ミサキさんは俺の顔を見た後に嬉しそうに笑った。

 俺とミサキさんは布団を畳んで、軽めの朝食を食べた。


「どうする? 今日も私と旅する?」

「いいえ、家に帰ります。大人にならなければいけない理由ができたので」

「ふふっ、そっか」


 俺は自分の荷物を持って、駐輪場まで歩いた。自転車に跨り、しっかりとハンドルを握る。そして、後ろを振り返り、見送りに来たミサキさんを見る。


「ミサキさん、俺が大人になるまで、待っていてください」

「うん、そうする」


 俺はペダルを力いっぱいに踏み込んだ。


 家出を始めたときよりも、背中に背負ったものが増えた気がした。

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15の旅 ロム @HIRO3141592

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