閣議決定

江川太洋

閣議決定

 禍山かやま六郎が地元の寺院に常軌を逸した金額の寄進をしていたことを最初に暴いたのは赤旗だった。

 禍山は与党でも最大派閥の黒沼くろぬま派に属する中堅議員で、同じ黒沼派出身の官房長官とは同郷の出身というパイプがあり、これから重用されていきそうな厭な成り上がり感があった。

 禍山は別名、歩く女性蔑視発言と言われていた。「種付けされて女性は格が一つ上がる」だの、「触って何が減りますか?」といった発言をしては、謝罪に追い込まれていることを度々繰り返した。

 その禍山は代々地元の寺院の檀家でもあり、他に汚職へ繋がる糸口も見出せなかった為、赤旗のその記事は一端忘れ去られた。

 今やタイムラインがすっかり政治垢の伝言板めいた状態と化した私のフォロワーの中に、禍山と同じ選挙区に在住していると思われるえびソースというアカウントがあった。えびソースはあまりに多過ぎる与党の問題議員の中でも、特に禍山に粘着することで有名なアカウントだった。

 えびソースは赤旗の記事を常に念頭に置いていたようだった。フリーライターのえびソースは一個人として、寺院関係者に突撃取材を敢行した。えびソースは関係者の口から、禍山が寄進と引き換えに浄土宗伝来の怨敵退散の調伏を受けたという、俄かには信じ難い情報を引き出してツイートで連投し、これで一端立ち消えたこの記事が一部の政治垢の間でまた再燃し、他の政治垢も個々に収集した情報を持ち寄り始めた。私には彼らのツイートを拡散するくらいしかできなかったが、彼らの異常な情報収集力には目を見張らされっ放しだった。

 えびソースの始めた孤独な聖戦に、特に情報収集と咀嚼力に優れたザワオカというアカウントが参戦してからは、その界隈では禍山の存在が旬なトレンドと化してきた。とっくに発覚した献金疑惑にいつまでも拘泥して、両論併記の煮え切れない態度を蒸すだけの大手メディアを早々に見限って、特定の政治垢界隈は独自に禍山の抱える闇に迫りつつあった。

 早速ザワオカが、週刊誌の膨大な穴埋め記事の中から、禍山の不倫問題を報じた過去記事をスキャンした画像をツイッター上で拡散した。それは家族と暮らす一軒家と愛人を囲ったマンションで二重生活を続ける禍山の醜態を憶測混じりに綴った記事で、一年ほど前の女性誌のものだった。

 次のヒットもザワオカだった。今度は特にタブロイド色が強いスポーツ新聞から引っ張ってきた、「霞が関を彷徨う幽霊たち」という記事で、それが八月の記事だったので私はなるほどと思った。記事自体は、何処そこの省内を深夜に歩く人影だの、呼び出されたタクシーの運転手が省庁の玄関で女性の幽霊を拾っただの、信憑性も疑わしい上に手垢の付いた怪談だらけの典型的な三文記事だったが、そこに禍山だけ突然個人名で記されていたのが嫌でも目を惹いた。記事によると、禍山は最近奇矯な言動が目立ち、眠る度に女の夢を見るだの、大真面目に秘書に幽霊を信じるかと質問したといったことが、ここだけ妙にリアリティを感じさせる些事を事細かに報じていて、記事全体の捏造感とは明らかにトーンが異なっていた。

 私は勿論、政治垢の多くのアカウントがザワオカのアップしたこのソースに戸惑いを覚えたようだが、当の本人は平然と、引き続きソース掘ってきまーす、と宣言した。

 ここで事態が急進展したのは、この共同体の中に当時禍山が通っていたマンションの常駐管理人だったという、PEKKOというアカウントが参入してからだった。PEKKOのツイートによると、それまで週に二度ほどマンションに通っていた禍山が、半年ほど前から急に姿を見せなくなったとのことだった。

 そのPEKKOに、えびソースがツイッター上で取材を申し出て承諾を得たことで、界隈の禍山熱は一気に沸騰した。

 その後、その件は数週間音沙汰がなく、私たちは続報を望んで焦れてきたが、ある夜満を持してえびソースが連投した渾身の取材内容に、私たちは一人残らず度肝を抜かされた。その取材内容からの記事によると、禍山は愛人を殺害してS山に埋めていた。

 PEKKOから愛人の身元を引き出したえびソースは、地元の繁華街の高級クラブのホステスだったという女性の職場などに突撃取材を繰り返し、PEKKOが禍山を見かけなくなったのとほぼ同じ時期に、その女性がふいに消息を絶ったまま未だに見付かっていないことを明らかにした。実家や友人などの関係者も、その女性の消息を知る者はいなかった。

 ここからえびソースの記事は俄かに作りものめいた信じ難い様相を帯びてくるのだが、彼は禍山の地元で女性の行方を探るうちに、自分を尾行されていることに気付き始めた。それは小柄で吊り目の中国人らしき男で、黒い衣装を纏ったその男は、どう考えても堅気には思えない空気を漂わせていたそうだ。

 ツイート群から鑑みるに、このえびソースという人もどうにも素性の知れない闇を抱えていそうな人で、ツイート内容をそのまま鵜呑みにすると、何と彼には自衛隊の近接戦闘術の教官だったキャリアがあったとのことだった。

 彼はその中国人をわざと人気の少ない工場跡地に誘い込み、ナイフ片手に襲いかかってきた中国人の関節を取って捕縛してしまったそうだ。彼は関節を取って中国人を尋問し、地元に根を張る中国系の黒社会の一員であることや、禍山の為に対立候補の選挙妨害も含む汚れ仕事を引き受けた事例があること、禍山が扼殺した女性をS山に石灰をまぶして埋めたことを明らかにした。石灰をまぶすのは遺体の腐敗を早める為で、その中国人は他にも二人ほど山に埋めた経験があるとのことだった。

 えびソースのすさまじいところはとにかく徹底的に追及することで、彼は中国人とレンタカーに同乗すると、そのまま遺体を埋めた場所まで案内させたそうだ。そこで事前に用意していたシャベルで中国人の示した場所を掘り返すと、土の中から人の腕の骨が出てきて、彼は迷わずに警察に通報した。ここに至ってようやくこの事件は大手メディアの報じるところとなった。

 一体どのような脅迫に訴えたのか、えびソースの通報と共に自首した中国人が警察に禍山の関与を証言したことで、禍山とえびソースは一挙に鬨の人となった。官房長官の子飼いでもある現職議員の殺人疑惑は、さすがに与党でもメディアを完全に封じることは不可能だった。

 ところが与党は圧力の矛先を警察に変え、芦滑あしなめという刑事部長が全く不可解な経緯で一端は取得した起訴状を握り潰した事実が発覚し、さらに報道が過熱した。

 その折に開催されていた国会は、毎回禍山の証人喚問を求める野党の追及で紛糾し、野党はついに禍山本人の証人喚問の実施に漕ぎ付けた。

 国営放送による国会中継が放送された十一月半ばのその昼下がり、カメラは一人壇上に立ち、刑事訴訟を控えていることを理由に黙秘を貫く禍山の姿をアップで抜き続けた。原稿に目を落としたまま、棒読み口調で同じ答弁を繰り返す過山を捕えた何台かのカメラの一つが、禍山の右肩の後ろに垂れた長髪の間から緑色に変じた顔を覗かせた女性を捕えてしまった。それはカメラが切り替わるほんの一瞬の映像に過ぎなかったが、それで十分だった。その日は深夜までその映像が引用され続け、テレビ東京とEテレ以外のどのチャンネルもこの報道で持ち切りになった。それは国会中継史上で間違いなく初めての、カメラに幽霊が映り込んでしまった瞬間だった。

 情報番組やニュースで答弁を求められた多くの識者が絶句し、中にはこんなあからさまな証拠は生まれて初めて見た、と放言して後にコメンテーターを解雇された与党派の御用学者もいた。

 この心霊動画は世界中に飛び火し、連日禍山の正式な捜査を望むデモや署名運動が頻発したが、与党は既に関係者によって調査は行われた為、再調査には当たらないという姿勢を頑なに崩さなかった。

 鉄面皮を貫いて日に日に顔から表情を欠いていく閣僚や総理大臣に反して、当の本人はたった数日で末期癌が進行したのかと思うほどやつれて瞼が窪み、顔色が土気色に変色していった。誰がどう見ても死相がべったりと貼り付いていた。

 禍山は国会に出入りする度にジャーナリストの群れに囲まれ、方々からマイクを突き出されて釈明を求める彼らの怒号のような声が殺到した。秘書に先導されて人の山を掻き分けていく禍山は、たいてい唇を引き絞って黙秘を貫いたが、ある日禍山は国会議事堂を出た瞬間にメディアに捕まって、目の前にマイクを突き出した女性記者に向かって突然歯を剥いて怒鳴り出した。

「だからその幽霊が誰かなんて、私が知ってる訳がないでしょうが。何なんですか一体? 私が毎日幽霊を見てるとでも言えば満足なんですか? ええっ、そうなんですか? だったら言うてやりますよ。ええ、そうですよ! 毎日あの幽霊に付き纏われてますよ! ああっ! どうですか、これであんたも満足ですか?」

 目を爛々と光らせ、人が違ったように喚き散らす禍山を捕えた映像が再び茶の間を席巻した。

 その二日後、禍山は無断で国会を休んで消息を絶ち、その日の夜に不審に思った親族によって、愛人を囲っていたマンションのクローゼットで首を吊った姿が発見され、その一報がさらなるスクープとなった。

 この事件はもはや政治動向を離れた形でワイドショーの恰好の餌食となり、ツイッター上に、「#禍山六郎元議員の成仏を拒否します」だの、「#呪殺された禍山元議員の殺人事件の立証を希望します」といった奇怪なタグが頻出して長いことトレンド入りし続けた。

 政府はこの件に黙秘を貫いたが、それから半月ほどして、右祖田うそだ政権が本日の閣僚会議で、禍山六郎元議員に憑依したとされる幽霊は存在しない、と閣議決定したことを報じた時事通信の速報を見た私は腰を抜かしかけた。幽霊の不在を閣議決定するような常軌を逸した政権は間違いなく右祖田政権が初めてで、今の私は冗談のような反知性的な社会の中を生きていることを、これ以上ないほど実感させられた。

 勿論、この閣議決定は即座にトレンド入りし、超常現象の肯定派と否定派の大論争にまで飛び火して、ツイッター上に多くの話題を振り撒いた。

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