さんざめいて、その膜を破って

阿瀬みち

1.

1.

「おかん」

「俺留年しそうや」

 とメッセージアプリ越しに報告したとき

「お! そうなんや」

 と面白げなスタンプとともに送られてきたのを見てほっとする。大学三回ともなると息子の将来への期待が諦めの方に傾きつつあるというところか……胸を撫で下ろしかけたそのとき、

「ところでおかんから息子へ報告があります」

「離婚しました」

 と続く画面に俺は「は?」と叫んでしまう。構内を歩いていた人間の視線が俺に集まって、また散っていく。更に追い討ちをかけるように

「実家、処分しました」

 というメッセージが届く。処分しました、のあとに続くうさぎがハンマーを振り下ろしているスタンプに言いようのない怒りを覚え、しかし握った拳を振り下ろす先がないことに困惑した。

 っていうか勝手に家売る? なんで? え? 俺の思い出とか私物とか、どうなって、え? おとんが俺が生まれた年に撒いた種から育ったという庭のポンカンの木ももうないということ? ペットのカメのタロウの墓も? 「処分した」という言葉の意味が徐々に実感を伴ってきて、感情処理が追いつかない。春休み実家でだらだらする。という目論見が外れたのは百歩譲って我慢するとして、実家が消滅したという事実を俺は今どう受け止めたらいいのか? しばらく無言で考えたのち、指先を動かし

「俺は今精神を病んでいます」

「休養のために戻る実家が必要」

 というメッセージを送る。少しでも同情を引きたかった。

「…」

 返信入力中を示すマークが点滅する。

「お父さんに聞いてみて?」

 母親からの返信に絵文字もスタンプもなかった。ガチのやつやんけ、と怯んだものの、言われるがままおとんの連絡先を探す。しかしメッセージアプリのアカウントは消滅していて、電話をかけても繋がらなかった。おとんが管理していたはずの趣味の園芸ブログも、二年前で更新が途絶えている。


2. 


 藁にもすがる思いで父方の祖母に電話をした。ところがオレオレ詐欺を疑われ速攻で切られてしまった。いや、俺あんたらの孫やで? どんどん経済的な不安が昂ってしまい、バイト先でミスを連発し客にキレられた。コンビニの接客にそないな期待をされても、と普段なら思うのだが、タバコをレンジに入れて温めようとしたりしたのは、まぁ確かにひどい。精神が不安定な時に働くべきではないのかもしれない。しかし情緒不安定が引き起こす失敗やミスやディスコミュニケーションよりも、通帳に残金がない現実の方が恐ろしかった。もしかするとこのまま経済的な理由で大学を中退することになるかもしれない。就職、今から、スーツもいるし、なにかと金が必要になるだろう。手持ちがないのは怖い。以下エンドレスループ。っていうかおとん生きてんの? 連絡とれへんのはさすがにおかしくない? 事件に巻き込まれてたりせぇへんのか。

「広瀬さん元気ないすね」

 ゴミ捨てを終えた後輩がにやにやと話しかけてくる。

「おとんと連絡とれへんくなった」

「失踪?」

「いやわからん。ってか両親離婚してたみたいや」

 末松はきょとん、と目をしばたたかせ、げらげらと笑った。

「なんやねんお前、人が落ち込んでるときに」

「いやー、広瀬さんも人間やったんやなぁと思って」

「俺のことなんや思てん」

 鉄面皮、というのはよく言われる。小学校の頃は百五十やそこらしかなかった身長も、中学で百六十九、高校で百八十二まで伸びた。要はいかついのだ。見た目が。大学でも怖がって誰も近づいてこなかった。頭のおかしいオタクの女がひとり話しかけてくるだけだ。

「これからどないしはるんです? 今の部屋引き払っていったん実家帰ろうかなとか言うてはりましたけど」

「なんか実家処分したとか言うてた」

「ファーッ」

 末松は人の不幸を喜んでいるように見えた。うるせぇよ。俺は心の中で毒づき、商品の梱包を開け棚に並べる作業に戻る。ふと外から視線を感じて振り返る。誰もいない。ここのところ神経質になっているのかもしれない。末松と喋った後は必要以上に人目を気にしてしまう。


 ラインで母親に「精神を病んでいる」と説明したのはまったくの嘘、というわけでもなかった。参っているのだ。精神的に。

 例えば夜勤明けに疲れて帰った部屋の新聞受けにゴトンと投函される本。雨の日は丁寧にビニール梱包されているそれは新聞紙ではなく、なぜなら俺は新聞をとっていない。紛うことなき手作りの同人誌。できたてほやほやのBL本。を投げ入れた人間が目の前のドアを一枚隔てて存在していることへの恐怖。暗闇に耳を澄ませ、足音が無事遠ざかっていくのを確認したときの脱力とも嫌悪とも恐怖ともとれない感覚。新聞受けから取り出した本の表紙に描かれた密着した男と男。それはどうやら俺と末松を戯画化したキャラクターのようで、よく見ると漫画の舞台も俺の通っている大学や普段使用している最寄り駅、バス、そしてコンビニ。はじめて読んだ時は心底ゾッとした。怖気が走るというのか、硬直してしばらく動けなかった。家や通学ルートやバイト帰りに立ち寄る牛丼チェーンまで、これを描いたやつは、なんでこんなことを知っているのだろう、と思った。それよりなにより、俺と末松がヤる描写が定期的に挟まれているのが、きつかった。読まんでもいいのに読んでしまうんだこういうのは。怖いもの見たさというやつかもしれない。いや、それ以前に俺が確認しないことには、誰もこの被害を認識しないのだ。この世界では。そのことがなによりおぞましかった。

 ストーカー被害と言っていいものか、時々家の前をうろつく不審者と、定期的に届けられる奇妙な漫画のことは誰にも相談できず、一か月寝かした後、どうにも耐え切れなくなって、結局末松に見せた。末松は姉がいるとかで慣れているのか、普通に俺と末松が性行為をする漫画を読んで笑っていた。「俺すごい美化されてますね。おもろ」笑いごとではない、と言いたかったけれども、年下の後輩の手前平気なふりをして、せやな。と言った。ムカつくので定期的に投函される本を末松に押しつけ処分を任せていたのだけど、最近は押し返されるようになった。「家に持って帰るといつの間にか姉貴が読んでて」と言い出しにくそうに言われた日には、押し返された本をそのまま大人しく持って帰るしかなかった。自分がモデルのBLエロ漫画を身内に見せるな……。ストーカーの手に寄る漫画を携帯した帰り道は、普段より気分がずっと沈んだし、自分が変態になった心持がした。



 コンビニのバイトは意外と自分と合ってたし、デカい図体は夜勤のときに重宝されるし、そもそも深夜から早朝にかけては時給も高いし、利用者も少ないし、価値とか意義を感じられて良かった。まさかこんなデカい男をストーカーする女がいるとは、店長も俺も、っていうか世の中の人の誰も信じてなかったと思う。

 できたら早いことこの部屋を引き払ってストーカーのいないところに引っ越したかった。引っ越し先やその他もろもろのことを実家でゆっくり考えたかった。その実家がもうないという、「事実」をどうやって受け入れるか、それが問題よな。

 廃棄されるはずだったコンビに弁当を食べながら、母親に「おかん今どこ住んでん」と尋ねる。「大阪」「俺来月から住むとこないねん。寄せてんか」ダメもとで頼んでみたものの、「しらん」「自分でなんとかしぃや」と素っ気ない。「頼むわ」特大の拝み倒すうさぎスタンプを送る。おかんはしばらくして矢継ぎ早にメッセージを送ってきた。「ていうかわたしな」「あのさ」「…」「一緒に住んでる人いるんやんか」えっ、て声が出て思わず弁当の白米を気管に詰まらせてしまった。「えっ」文字にするとえっのまぬけさやばない?  ってかおかん離婚したんいつなん。もしかして浮気の可能性ある? えっ、咳き込むこともできずに息を呑んだ。


 詳しく話を聞いてみるとおかんの同居人というのは若い女らしかった。「若い言うてもあれやで」「わたしより、若いいう意味や。まだ三十代やから」えっ、おかん、どういうことなん? 俺ちょっと頭がついていかへんけど、っていうか俺まだ白米気管の入り口に詰まらせたままやわ。大きく咳き込んで涙目になりながらおとんの顔を想像する。おとん。ちょっとおとん。親父。あんた。俺の内心を見透かしたようにメッセージが届く。「変な想像せんといてや、」「家賃勿体ないから折半してんねん」「五十過ぎて一人暮らしも大変やからね」おかんは三姉妹の末っ子で帰る実家もないらしい。未婚の長女と出戻りの次女が母方の祖父母と暮らしている。「ええ子やねん」「なんか家出るときに色々あったみたいで」「バツが二個あるらしいけど」「大人しゅうて」俺の頭は知らない間にストーカー女の創作に影響されていたのかもしれない。全ての人が同性を愛するわけではない。ペットボトルの茶を飲んで落ち着いてから、改めて母親に事情を話して相談する。おかんにもわかりやすく言葉を尽くしたつもりでも、ストーカーの危険度は全く理解されなかった。俺は肉体的な脅威にさらされているのではない、精神的な脅威に悩まされているのだ。と何度説明しても、わかってもらえない。「え、っていうかその子どんな子?」おかんが俄然乗り気になってきた。あかん。そもそも俺はストーカー女の顔なんかひとつも覚えていなかった。顔も知らない相手に付きまとわれているというのはいっそう、不気味なものだ。「おかんはさぁ、自分のことを一方的に追いかけまわしてくる得体のしれん人間を性的な目で見れるん」「え」え、という文字のなんか可愛さ、脚がついているような擬人的なフォルムに気がついてからというもの、それ以外に見えなくなってきた。「わからん。そんな経験ないし」「俺はさぁ、迷惑をこうむってるわけよ」「いや、でもなんか実害あんの?」う。と喉の奥で息がつまる。同人誌の件をおかんにどうやって説明すればいいのか。「ご、ごみをさあ勝手に荒らされたりしてて、それはつまりプライバシー権の侵害と言うやつで」「プライバシー」おかんが笑っているのが目に見えるようだ。「いや俺は実際に嫌なんだから」「そらそうなんやろけど」くっそ伝わらねぇな。俺は同時に末松に実況報告し始める。末松は面白がっている。そうこうしているうちに郵便受けにどさっと音がする。また手作りのポルノコミックが投函されている。漫画の中では俺が末松を休憩室で犯している。とりあえず末松に新しい漫画の表紙を送って、あらすじを解説している間に夜が更けた。末松は好きなアイドルの動画を見ながら俺の相手をしてくれているようで、通話に動画の音声が混じっていた。ああ見えて末松は腹筋バッキバキの海外女性アイドルが好きなのだ。人は見た目によらない。俺がでかい図体をして、こんなに小心者なように。

「っていうかおかん、なんで離婚したんよ」

 母親に最後に送ったメッセージに返事はない。寝てしまったのかもしれない。


3.

 レジ打ちをしていると、ストーカーが今日も電柱の影からこちらを見ているのがわかった。じっと見つめられると自分の身体が指先から凍りついていくように感じた。何度も商品を落としそうになる。ストーカーが外にいるとわかっているときは、レジに来る人が女性だとほっとする。男性だとまた何を描かれるかわからないな、と考えてしまい、身構えて不自然な接客になる。実際、女の手にかかればどんな些細なしぐさも性欲の象徴に感じられるようだった。それこそ、目が合っただけで。


 その日郵便受けに屈強な外国人男性に俺が組み伏せられている漫画が届いた時、もう限界だ、と思った。荷造りをはじめ不用品を引き取ってもらう手はずをする。バイト先でもらってきた段ボールに手当たり次第に荷物を詰め込み、送り先を考える。そのとき通知が光る。

「広瀬君大学辞めるってマ?」

 赤尾からだった。俺に陸上自衛官のコスプレを執拗に迫ってくるオタク。俺の周りには頭のおかしい女しか寄ってこない。

「留年はもう決まった」

「じゃあ記念コスプレ大会しよ」

「たわけ」

 昼飯を適当に作って食って、ひと段落してからまた荷物を整理しているとインターホンが鳴った。ぞく、と背筋が凍る。

「広瀬く~ん」

 聞き覚えのある声のような気がする。怯えていた自分をごまかすように、無表情を取り繕ってドアを開けると、「差し入れ」と言って缶チューハイを掲げる赤尾がいた。赤尾は有無を言わさず玄関に侵入してくる。そしてさっそく引っ越しの気配を嗅ぎつけ、古紙とマジックで書いた段ボールに紛れたお手製同人誌の存在に気がつく。

「広瀬君こんなの読むの?」

「いや、勝手に新聞受けに入ってる」

「なにそれおもろ」

 赤尾は段ボールの中から無造作に一冊引き抜いてぺらぺらとめくる。

「広瀬君受けじゃん」

 赤尾が読んだのは一番新しい、さっき届いたばかりのやつだった。がはは、と笑いながら真剣に読む赤尾が無性に憎らしくなる。

「笑いごとちゃう」

「ん~、まぁたしかに気持ちの悪い話だよね~」

 また漫画が中途半端に上手いからこわいよな、これでもっと下手だったら説得力あるのに。と赤尾はぶつぶつ言う。俺ははじめて気持悪さや違和感をすんなり受け入れてもらえて、どこかほっとする。

「赤尾は普段からこういう本読むん」

「こういうって、BL? ふつうに読むよ。でもこういうのは普通のBLではないw」

 じゃあどういうのが普通やねん、と言いかけてこらえる。墓穴を掘りそうだったからだ。赤尾はにやにやと俺の顔を覗き込んだ。

「なんかさぁ、広瀬君痴女センサーついてるんじゃない?」

「は?」

「痴女受けする顔」

「なんや、痴女ってお前のことか」

「わたしは広瀬君いいからだしてんなって思ってるだけ~」

 赤尾はまたがはは、と笑って他の本も読みだす。

「うっわ、この人、広瀬君のがちストーカーじゃん」

 バイト先、自宅、大学、通学の交通手段とか経路、全部把握してんの。え、大学の構内、リアル、こっわ。なんか泣きそうになってきた。という赤尾の言葉に、そうだよな、怖いよな、と安心する。やっぱ、不気味やよな。気味悪いし、怖いよな。俺はすこしだけ安心して赤尾に心を開く。

「俺さぁ、大学辞めて引っ越そうかなとすら思ってて」

「そうだね~、それがいいかもね」

 赤尾はうんうん、とうなずき、ふと「ってかわたしもやばいんじゃない? 広瀬君と二人きりで親し気に話しちゃったりして、ストーカーさん怒らせたりするんじゃない? どうする? 次の回で広瀬君とわたしががっつり絡んでたら」「それはさすがに変態すぎる」「いやわからんよ、こんなことする人の考えることは」赤尾は部屋中に積み上げられた段ボールの山と梱包テープを見て、なるほどねぇと言った。「夜逃げしようと思ってたんだ」「夜逃げってか普通に引っ越そうとは思ってたけど、あてにしてた実家がないって言うから」「実家? ないの? 広瀬君そうゆう複雑な出自?」「いや親が離婚したらしい。詳しくは全然わからんけど、実家も処分したって言われた」「へ~、運がないね」赤尾はぱたんとコピー本を閉じた。そしてこれは私が処分してあげる。とカバンの中にしまって持ち帰ろうとする。「ちょ、やめろ。置いていけ」「なぜ」「恥ずかしいやろ普通にボケが」「この末松とか言う受け激ツボなので……」「ツボだからなんなんだよ」「おかずにしようと思って」はじめて女を殴ろうかと思った。本気で。

「お前末松に謝れよ」

「やだよ~、ってかなぜ? やっぱ実在なの末松氏」

「実在やからキモいんやろ」

「え~、すごい性癖だなこの本描いた人……すごすぎて逆に尊敬すら覚える。会いたい。会って話がしたい」

 赤尾は自分の言葉に興奮しているように見えた。やばい。

「ってか広瀬君住むとこないの? 困ってる?」

「困ってる。見たらわかるやろ」

 いい加減イライラしてきた。俺が女ならこいつのことを殴ってる。

「コスプレグッズ収納するのにトランクルーム借りてるんだけど、まだけっこうよゆーあるから、一緒に使う? お金半分出し合ってさ」

「え、まじ? 荷物置かせてくれるの?」

「うんうん」

 なんだこいつけっこう良い奴~~~話通じるやん。拳をぶつけ合い笑って、俺たちは陽気な気分で乾杯する。家にあったビーフジャーキーをつまみにだらだら飲んでたらそのまま眠っていたらしく、翌朝目が覚めると赤尾はいなくて、ポストに女と寝たことがばれて末松と口論になり仲直りのセッ、に励む俺を描いた漫画が入っている。朝だと思ってたらとっくに昼過ぎで、ぼーっとしたままシャワーを浴びた。とりあえず荷物の安全は確保できそうなので俺は今日は機嫌がいい。この部屋は引き払って、ストーカー女の知らないところへ引っ越す。俺はなぜかとてもすっきりした気持ちで物件を探す。不動産屋のサイトを見るけど、良さそうなところがなかなかない。というか、金。先立つ金がない。


4.

 俺の通っている大学には有名なネットアイドルがいるらしい。たまにファンが押し寄せて大混乱になる。赤尾はそのアイドルをモデルに特撮ショートムービーを撮り学生映画の部門で賞をもらったとかなんとか言ってた。でも人間性に問題があるのか、その後映像研究会を追い出されたとかいう話だ。さもありなん。


 相変わらず父親の行方はわからず、母親は第二の青春だと言って人生を楽しんでいる様子を毎週報告してくる。俺はリュック一つでファストフード店や漫画喫茶を渡り歩き生活している。ときどき赤尾が俺のいるところにやってきていつもの勢いで会話をまくしたて、なにかを撮影して帰っていく。熱心にスマホをいじりやがってさてはあいつ、受賞に味を占めたな? 賞金が手に入って気が大きくなっているらしい。一説によると金の使いみちで他の部員ともめたとかなんとか。こないだも赤尾は俺のバイト先に現れて「すごい、漫画と一緒だ、寸分たがわぬ……」とかぶつぶつ言いながら、ホットスナックを買い占めて出て行った。気前のいい赤尾に比べ、貧乏な俺は手持ちの金がつきそうになると赤尾に借りているトランクルームで眠る。トランクルームにはポストがないから、エロ本が届かなくなったのはありがたい。でもいつかこういうことがあるんじゃないかと想像する。俺がコンビニレジを打っているところに、ドサッと紙袋が置かれる。顔をあげるとあの女がいる。表情はうまく想像できない。紙袋いっぱいの同人誌、どれも主役は俺の――――がどさどさどさ、と何袋分も、積み重ねられ、一部は袋の外にあふれてカウンターや地面に落ちる。俺は他の客の視線からそれらを遠ざけようとするが、女がなおも新しい本をレジにあふれさせる―――――――。


 そんな精神状態なのにコンビニでのバイトはまだ続けていた。いつ金が尽きるかわからない、住所も定まらない、両親に支援を頼めるかもわからない、という状況で無職になるのが怖かった。女は時々店内に入ってきては、コピーをとったりコーヒーを買ったりして帰っていく。

 ある日赤尾が店に来て、ミルクティーを買ったついでに「今日はストーカーさん来てるかなぁ」と尋ねるので、今日も店の前で見かけたよ。意外と普通の見た目の女だったよ。うさぎのリュックを背負ってたよ。と教えてやった。赤尾は「え? ほんとに? やった、絶対捕まえる!」と目を輝かせて店の外へ出て行った。しばらくしてコンビニ正面の道路を女が走り出すのが見えた。その後ろから赤尾が女を猛スピードで追いかけていた。逃げ切るのはむずかしそうだ。高校の頃赤尾は短距離走の選手だったらしい。いつもどおりレジを打ったり賞品の補充なんかをしたりしていると、前の通りを赤尾とストーカーが並んで歩いて行くのが見えた。なんか楽しそうに話している。ガールズトークって感じだ。ああしているとストーカーもまともっぽい奴に見える。赤尾が俺に気付いて手を振った。俺は無視して接客を続ける。


 仕事上がりにスマホを見る。赤尾が今ストーカー女子と一緒に飲んでいるのでお前も来いといっているメッセージが目に入った。末松も呼んでほしいと。なんでやねん。と俺はすかさず返した。「わたしが間に入って話をつけてあげる」「何の話や」「ストーカーやめてほしいでしょ」「その場に俺、必要?」「お酒おごるから」「いやや」「まあそう言わずに」結局断り切れずに赤尾が待っているという居酒屋に向かった。赤尾はでかい複数人用のサラダを一人で占領し貪っていた。なんや不気味な奴やな。ストーカーは座敷の奥の方で小さく縮こまっていた。机の上にはたくさんのエロ漫画が出しっぱなしになっている。

「やめてくれや」

 俺はすべての表紙を伏せ、煽情的なイラストが人目に触れないようにメニューの下に隠した。末松は俺の連絡に「なんすかそれ」「おもろ」と返事をしただけで、来るとも来ないとも断言しない。

「まあまあ広瀬君。座って」

 赤尾は俺に正面の席を勧めた。ストーカー女は俺の顔からわかりやすく目をそらす。俺はなんとなくムッとして、首を鳴らして、言った。

「あのさ」

 漫画を指さして、できるだけ低い声で女に告げる。

「こういうの迷惑なんだけど」

「まぁまぁまぁ」

 赤尾が両手をひらひらと振った。

「広瀬君が来るまで私たちふたりで話してたんだけどさ、意外と良い話なんだよ」

 なにがやねん。ええ話もくそもあるか。赤尾は女のうさぎリュックを勝手にがさごそと漁って、なにかを取り出した。スケッチブックだった。

「広瀬と末松シリーズ記念すべき第一巻」

 バーン! とか言いながら赤尾がページをめくる。

「あの!」

 女が叫んだ。

「か、傘!」

「そうそう、傘をね、借りたことがきっかけだったんだって」

 赤尾がめくったスケッチブックにはコンビニで品出しをしている俺が描かれている。美化されている。表情も子どもみたいに幼い。外では雨が降っている。出入り口のところで女が困っている。俺が傘を差しだす。女が受け取れない、と言う風に手を動かす。女の顔は描かれていない。💦。目線の高さから汗が飛び散っている。涙なのかもしれない。赤尾がページをめくる、次のページでは女が外に出て傘を広げている。コンビニの方を振り返ると、さきほどの恐ろし気な男、つまり俺が小柄な男と談笑している。男と男の間にめちゃくちゃな効果、✨とかふわふわした飛行体(ケサランパサランかもしれない)が飛び交っている。まるで天国だ。という女の吹き出しがあぶくとなってあふれている。

「え、これのどこがいい話なのかまったくわからん」

「ごごご。ご。後光が、射してて、振り返ると、すすすすすすごく仲が良さそうに働いている人たちがいて、それで」

「傘貸してもらったのがありがたかったんだって。人から優しくされたのが久しぶりで嬉しかったんだって」

 対面したところで、想像通り俺は女の言っていることがまったく理解できない。赤尾は初対面にもかかわらず、なんとなく女と意思疎通を図れているようで逆に怖い。赤尾が翻訳した言葉を通して俺は何となく女の言いたいことを理解しつつある。ということは赤尾は女の発言や行動の意図を理解している? いったいなんなんだこいつ。赤尾が一番怖い。そのとき間の抜けた末松の声が響いた。

「ちっす、広瀬さんお疲れっす。赤尾さんどうもー。スト女さんもどうもー」

 凍りついた空気を意に介さず、へらへら笑いながら末松がやってくる。がさごそと上着を脱ぎリュックを降ろしながら奥の席、俺の隣、女の正面に座る。俺はあからさまに顔をしかめた。

「なんで来んねん」

「赤尾さんと飲むのはじめてやし、なんや面白そうやから。俺のことなんか言ってはったんでしょ」

 なんかっていうかまぁ、ストーカーの描いた漫画に描かれていた末松のことはなんか言ってた。確かに。内容が内容なのでお前に直接伝えることができないのが心苦しい……。末松は何も考えてなさそうな軽やかさで女に話しかける。

「スト女さん絵うまいっすよね。どっかで勉強してたんすか?」

「独学なんだってー」

 赤尾がメニューを広げて、これとこれとこれは注文済み。あとふたりで好きなの頼んでー。と言う。スト女って。略し方。と俺は思う。

「ね、ネットで見た、こ、古代ギリシャの彫刻とか、おおおおおおお男の人の、か、………ゕかかか体描く時の参考にしてて」

「だから俺のちんこ小さかったんや」

 末松が呟いたのを見て、赤尾がゲラゲラ笑う。

「気にしてたんだ」

「いや作為的なものを感じますよね、俺としては。広瀬さんのが馬並なのに対して俺のこのサイズ、悪意感じません?」

 ジェンダーロールの再生産だ! と言ってグラスを卓上にたたきつけ、赤尾はまた笑う。出来上がってんのかこいつ。しかし見ると赤尾はソフトドリンクしか飲んでいないようである。こっわ。なんやこいつ。もはやホラーの域なんやけど。

「す、すいません」

 女は縮こまって頭を下げる。その様子がなんとなくカチンとくる。俺が腹を立てているのはそういうことではない。ちんこのサイズとか描かれていることがどうのとかいう次元の話ではない。

「ちょっとスケッチブック貸してね」

 赤尾がスケッチブックの新しいページをめくり、なぜか懐から出現した2Bの鉛筆ですらすらと線を引き始める。

「さきほどのわたくしの聴取によりますと、つまりこういうことらしいのですよ」赤尾は女の半生を漫画化しようとしているらしかった。

 女が空気の読めなさで仕事をクビになりオフィスを追い出される。失意の中求人誌を探しにコンビニに立ち寄るも財布を落として金がない。外ではにわかに雨が降り始める。雨宿りのつもりがどんどん雨が激しくなる。コーヒー一つも買えず店内で長居していることが申し訳なく思えてくる。これまで人生で受けたすべての叱責がフラッシュバックしてくる。奇しくも店員はこの世の不遇をすべてその身に引き受けたかのような幸薄そうな若い青年と、この世の理不尽をすべて煮詰めた苦虫をかみつぶしたような強面の青年である。かねてより男性恐怖症を患っていた女はパニック発作に似た焦燥に襲われ、店内から走り出したい衝動に駆られる。強面の青年が近づいてきて、とうとう無用の長居を注意されるのだと思う。震える。しかし青年の手には傘が握られており、確かに壊れかけた安いビニール傘ではあったものの―――――、「使って下さい」と差し出してくるではないか。お金を、と慌てる女に「どうせ捨てるんで。みんなビニール傘コンビニで買ってそのへんで忘れていくんすよ。中には店の前に置いていく人もいます。どうせゴミなんで、別に、金は良いです」財布のない女はいたくこれに感謝し、何度も頭を下げて店を出た。道すがら振り返ったコンビニがまるで天国のごとく、あたたかい思いやりと信頼に満ち足りた場所であるように思えたのであった。~ぼくとわたしの憩いのコンビニ雨宿り編~(完)


 いや(完)って! 

「おかしいやろ、思いやりと信頼に満ちた場所で性的暴行事件を起こすな」

 俺が叫ぶのと同時に、恐縮する女の後ろで赤尾がスケッチブックに書いた巨大な💦のエフェクトを小刻みに振る。うっざ。きもっ。

「その後財布は見つかったんすか」

 末松が心配そうに尋ねるけれども、そういうことではないだろ、そこじゃないだろ。

「あ、み、みみ見つかりました。オフィスに忘れてきてたみたいで、ごごごご、後日同僚が届けてくれたんですが、……、こういうのわざとやってんのかって、そういうところが嫌われる原因なんだ、いい加減にしてくれと、ひ、ひどく憤慨した様子で」

「あー、届けてくれたんすね。よかったよかった」

「そうだよ、性格悪い奴なら金抜いて捨てられてたよ」

「え、そういうものですかね……みみみ身分証が手元に帰ってきたのはよよよよよかったなと思うんですが」

 っていうかさっきから末松と赤尾がやたら女を庇うのも気に入らない。俺は? こいつに付きまとわれている俺の立場は。

「っていうかさぁ」

 三人のやり取りに割り込んだ俺の声は棘を含んでいてる。

「どういうつもりなん? 人の家にこういう本を投函するっていう、その精神構造が俺は知りたいんやけど」

「あっ、そ、そそそそれはですね……」

 女がしどろもどろになる。まぁまぁ、と末松が俺にドリンクメニューを差し出す。「飲みなよ、わたしおごるから」赤尾が言う。最近やたら気前が良くて怪しい。

「気持ち悪いと思わん? 人の家の前にまで来て、特に挨拶するわけでもなく、ただ漫画を投げ入れていく他人の存在」

 俺は三人の顔をそれぞれ見つめる。挨拶、すればよかったですかねと女が赤尾に耳打ちする。そういうことではない、と俺は机に手のひらを叩きつける。

「自分の私生活を改変された娯楽作品を、なぜ見せつけられらなあかんの。その想像力のなさこそがさ、気持ち悪さの根源でありあんたの独善、独りよがり、ってことで今まで失敗してきたすべての原因なんちゃうんか」

 女の顔がいまだにうまく認識できない。ぼーっとした顔をしていると思う。夢を見ているような顔だ。赤尾が言う。

「嫌だったんだよね、広瀬は」

「そら気持ち悪いやろ、人の家に勝手に近づいてさ」

「それはあの、ははは、はは反省してます。さっき赤尾さんとも話しました。もうし……ません」

 女は土下座するように俺の目の前で頭を下げた。いや、もうしませんって言われてもさぁ。末松と目が合う。末松の目は女になんの感情も覚えていないようで、すこし怖い。俺は末松に尋ねる。

「お前こういうの描かれて嫌やないん」

「嫌ってか、名前しか似てないんで別に……まぁちょっとは恥ずかしいっすけど、先輩よりは他人事っすね。ってかスト女さんは先輩のことが好きやった、っていう理解でいいっすか」

「ちちちち違います。すs、好きというのはは、その人と結ばれたいというつつつ、強い思いですよね。わっわわわわ、私は、そういうのとは、そ、そそそういうのとは、ち がい ま す」

 と俺たちが話している間も、赤尾はエロ本の末松と目の前の末松をじーっと見比べている。

「お前もそんな目つきで人を見るな。こいつまだ未成年やぞ」

「えー、末松君学生?」

「専門学校通ってます」

「どういうこと勉強してるの?」

「映像系の学科っすね」

「動画編集とかできる?」

「いちおうは。でもまだ一年やから……」

「すごい! わたしこのあいだ自主製作フィルム短編部門でこういう賞をもらったんだけど」

 赤尾がスマホの画面を末松に見やすいようぐっと近づける。

「え、すごいっすね、これ赤尾さんが撮影した?」

「そうそう。ひとりで時間をかけて一年間コツコツ撮影しました」

 赤尾の笑顔はうさんくさい。うさんくさいけど人をその気にさせるオーラを放っている。末松は新しくできたばかりの学部だからか、男女比が八対二とか以前言っていた。女に飢えているのかもしれない。騙されるな、赤尾はお前の手に負える女ではない。俺は冷えた水を飲む。ストーカー女がなにかイラストを描いている。

「なぁ、あんた名前は」

「えっ」

 声をかけると、女は明らかに挙動不審になった。

「ささささ、斎藤ゆきのです」

「へぇ」

 俺は店員から大皿を受け取り机の上に置く。あの店員の目には俺たちがどういう集まりに見えているのか怖い。

「すッ、すいませんでした。赤尾さんとお話して気付けたんですが、よよよよ要は私は、お、ふたりの間柄に嫉妬していたのかもしれません。あ、あこがれだったんです。同僚であり、友人であり、仲間、みたいな関係」

「友人はセックスせんけどね」

「は、はい、そういうものみたいですね。わわわわ、私あの、ほんとに、友達いなくて。親が転勤族で、あの、引っ越しは多かったし、それにききき、きき吃音があって」

「あのさぁ、こうやって俺に直接、たとえば名前とかでも、聞いてくれたらよかったのに。勝手に家を把握されたり、漫画描かれたりしたら、そら迷惑やと思わん?」

「……。」

「まぁええか。せっかくの機会やし、なんかある? 俺について知りたいこととか」

「え……」

 女はそれっきり黙ってうつむいてしまった。赤尾と末松の楽しそうな声が店内に響く。

「いくつなん?」

 俺は枝豆をつまみながら聞いた。

「二十九……」

 うさぎのリュックから想像していた年齢よりもずっと年上で、俺は一瞬面食らう。年上の女の年齢と言うのはなんかぶわぶわした捉えどころのなさが煮過ぎたはんぺんみたいであり、っていうか女の顔が年齢不詳過ぎるのかもしれなかった。二十九、と言い放った女の顔が自分でその事実に驚いているように見えて、俺は笑ってしまう。

「よく言われます。見えないって」

 幼いんですよね、全体的に。と女は落ち込んだ様子を見せた。俺はつい申し訳なくなり、励ましの言葉を探してしまう。

「あ~、でも漫画? ストーカー行為は気持ち悪いし許されることではないけど、絵がどんどんうまくなっていくのには驚いた」

 初めの頃は中学生の落書きみたいな稚拙な漫画だったのに、いつのまにかセミプロレベルには上達していたように見えた。女はふふ、と笑う。

「広瀬さんが非番の時にコンビニの写真を撮りに行って、それを資料に。休憩室とかはネットで資料を探しました」

「努力家なんやね」

「でもだめです。いいいいい、いいくら絵が上手くなったって、だめなんです。人間が描けない。私には想像力がないんです。広瀬さんがさっき仰ってた通りなんです」

女はほとんど泣きそうな顔で言う。さっき聞いた女の名前を俺は忘れてしまっている。

「すすすすいません、さ、最初はほんとに、おふたりへのあこがれの気持ちで描き始めた漫画だったんですけど、い、つのまにかそういう、関係性がだんだん危うい感じに、なってしまって、浮気とか、仲直りセックスとか、その、すみませんでした」

「まぁ俺が引いてるのはそこやないんやけどね。実在の人物をモデルに勝手に描いたエロ漫画を本人に送るかということなんやけどね」

「すいません……自分でも、ちょっと変だな、だだだだだめだな、これ以上やったらいけない、とは思ったんですけど、でも、やめられなくて。今日あ、あ赤尾さんにすごく励ましてもらって、それであの……。」

 いくら待っても、女の言葉は後に続いてこなかった。気がつけば俺のウーロン茶は空になっている。

「あっ、斎藤ちゃん見てみて。ランキング載ってるよ」

 急に赤尾が叫んだかと思うと、女の方にもたれかかってスマホの画面を掲げる。

「えっ! こここここ、コメント来てる!」

 そうだ、斎藤だった。斎藤が嬉しそうに赤尾の顔を見る。手を取り合って叫ぶ。俺は酒をあおる。

 女二人が盛り上がっているのを尻目に唐揚げと枝豆を貪っていると、末松からメッセージが届いた。

「スト女さん、けっこう普通っすね」

「斎藤さんだって」

「斎藤さん。」

「さっき赤尾がそう呼んでた」

「もっとやばげな人かと思ってましたよ」

「お前赤尾のこと好きなん?」

「え、それ聞きます?」

 ふと隣の席に目をやり、末松の顔を見る。笑っている。図星なのだろう。末松は下を向いてなにかメッセージを打ち込んだ。俺のスマホが鳴る。画面を見る。

「年上ってなんか、いいですよね」

 末松のメッセージには返信せず、海鮮片焼きそばを頼んだ。赤尾がおごるって言ってるんだから何食ってもいいだろう。言ってる側から赤尾からURLが送られてくる。「斎藤ちゃんのまんがだよ」と書かれている。うんざりしながらリンクを踏む。コンビニを舞台にしたBL漫画だった。#オリジナルBL #創作BL とタグがつけられている。筋肉質な男と筋肉質な男が絡んでいる。もうお腹いっぱいだ、と思う。確実に絵は上手くなっている。男同士のセックスが実際にどんなんか、童貞の俺にはわからんけども。「っていうかやっぱちんこでかすぎ」ツッコミが心から漏れていたらしく、斎藤さんがうなずきながらメモしている。「そんなに言うなら見せたげてよ」赤尾が意味の分からんことを言い出す。酔っているのか? しかしどうもしらふのようである。まじ頭おかしい。

「そんなんネット上になんぼでもあるやろ」

「いいい、いちおうネネネネネットの画像を見て参考にして描いたんですが」

「あれやで、東洋人の、ジャパニーズちんこ見た?」

「いや、そ、そそそそこまではちょっと……その……」

 斎藤さんは口ごもる。というかさぁ、というか。

「なんでそこまでして男同士のセックスにこだわるわけ? 全然理解できへんねんけど」

 俺の言葉が気に障ったのか、赤尾が唐突に膝立ちになった。

「じゃあさぁ広瀬君はさぁ! 自分がなんで巨乳に弱いかとか女教師ものに弱いかとか、異世界で性奴隷になったり風俗に行ったりするジャンルに弱いかわかってんの?」

「いやそれは、それはそういうジャンルが俺の性癖やと勘違いされたら嫌やからまず断っておくけど、あくまで例であって赤尾の妄想であるそれらの性癖が……」

「違うの? じゃあ何が好きなのかはっきり言いなさいよ」

 赤尾がバン、と机を叩く。

「そういう問題ではなくない?」

「いいえそういう問題です!」

 赤尾の圧がすごい。怖い。

「俺は……ってかまず自分が言えやボケ」

「私はシチュエーションものが好き!!!先輩と後輩とか」

 末松がはっと顔をあげて俺を見る。いや、待って、赤尾が言うてるのはそういう意味ちゃうと思うで。

「性癖は刷り込みと一緒!!!」

 言いながら、ものすごい勢いで赤尾が注文パネルを押した。そして不意にしらふに戻って普通のトーンで問いかける。

「パフェ食べるけど、いる人?」

「赤尾やっぱ頭おかしいな? そんなんやから映像研究サークル実質追放されたんや」

「追放ではなく独立ね」

「同じことやろ」

「わたしはわたしの実力が最大限発揮される場所を探しているだけ」

 赤尾は一旦そこで言葉を区切って、全員の顔を見まわした。

「さっき末松君の話を聞いて天啓を得ました。わたしはこの春ぎっとぎとのBL映画を撮りたい。ここで集まったのも何かの縁、斎藤さんには脚本を、末松君には編集を、そして広瀬君には主演をお願いしたい」

 ぎっとぎとというのがどのような内容を指すのか意味が不明だった。俺は吐き捨てる。

「誰がやるか」

「もちろん無報酬とは言いません」

 そのセリフの裏に、おめーがトランクルームで寝てるのは知ってんだからな、という凄みを感じて、俺は怯む。赤尾の得体の知れなさは怖い。

「あっ、まままっま、ままたコメント来てます」スマホを握りしめたまま斎藤さんが叫ぶ。

「最高にえっちです!!!ありがとうございます!!!だって」

「え、なにコメントって」

「漫画、投稿サイトで公開してるの。読んだ人から評価とかコメントがもらえるんです。私、誰かに漫画読んでもらうのって、初めてで」

 斎藤の赤尾への目が信頼に満ちていて、俺はなんとなく嫌な予感を察知する。

「あッ、これはおおおおおおふたりをモデルにした漫画ではないので」

 斎藤が慌てて否定した。

「そうそう、さっきね、昼間に公園で、斎藤ちゃんが描きたい漫画って一体どんなんなんだろうね、って聞き取りして、ふたりで話し合って、五ページくらいのストーリー漫画を描いたの。」

「はじめて、はじめてあの、とととともだちと一緒に、漫画を描きました」

 斎藤さんは今にも泣き出しそうだった。

 それが恐らくさっき送られてきた漫画なのだ、と俺は気がつく。サイトを見ると、BL専門の漫画投稿サイトらしかった。付き合いきれないな、と思う。

 斎藤さんと赤尾がオタク談義をしだしたので、俺はその隙に退席した。焼きそばはキャンセルした。キャンセル、間に合っただろうか。間に合ったことを祈る。万が一テーブルに届いていても、赤尾なら問題なく平らげるだろう。


 しばらくすると末松が後を追いかけてくる。

「なんで置いていくんすか」

「赤尾といい感じになれるかなと思って」

「ああそう、そうっすか」

 置いて行かれたのが気に入らなかったのか、末松はムッとしている。

「映画って本気なんすかね」

「主演とか死んでもいややわ」

 ってかあいつら絶対通じてないよな、俺のこの傷ついた自尊心が、心の痛みが……。


5.

 とは言ったものの、赤尾に撮影一日につき一万円の条件を提示され、結局主演の話を呑んでしまった。留年に親の離婚が重なったことが辛かった。人間やはり結局は金なのだ。


 斎藤さんが書いたという脚本は謎だった。日本に来た留学生が俺に一目惚れをするという筋書きらしい。まぁ話自体は別にいいのだ。俺は元から恋愛映画がよくわからない。それは同性の恋愛がテーマでも異性の恋愛がテーマでも同じことだったと思う。ストーリーに興味が持てないというのは百歩譲るとして、問題は見た目格差が浮き彫りになったことだ。相手役の男がめちゃくちゃ小顔で俺のなけなしの自尊心が死んだ。横に並ぶとどうにもならなかった。十頭身あるのか? と言いたくなるようなペルー育ち中華系イケメンが金髪に染めた髪をほぼ丸刈りにしていたことで小顔が強調され俺の立場がほぼなかった。汪という苗字だそうだけども、髪を染めてからみんなにひよこと呼ばれていると言っていた。ひよこって。せめてなんかこう、汪君にもっと髪があったら、俺の顔のデカさもそこまで強調されなかったのではないか。忘れてた、見た目の話よりも脚本の内容やった。話自体はなんかふつーの漫画でよくあるような感じ。基本的に謎。突然の幕引きと見せかけた感情の高ぶりを何度か経た後、帰国のためのチケットを不意にしてまで、日本の自宅でふたりでセックスして終わり。

 絡みと言うか身体的な描写はクライマックスの一回しかなかったものの。人前で脱ぐとか脱がされるってめちゃくちゃ恥ずかしくない? 俺はもう無理。そしてその動画を他人が見るという屈辱。もう勝手に見といてくれ。俺はあとは知らん。と赤尾と他のメンツに言い渡してクランクアップ後放置していたところ、赤尾から編集後の動画が送られてきた。見る勇気がなくて消した。


「めっっっっっちゃエロかった」


 編集中、もしくは完成後の動画を目にしたと思しき末松の姉からメッセージが来たのもすぐ消した。アパレルの販売員をしているという末松の姉。やたら行動力のある押しの強い姉。その後も何回か熱のこもった感想が送られてきた。


「我々はこういうのを求めていた」


 我々とは? 主語でかすぎやねん。


「いかにもテンプレという要素が少なく現代日本を生きる男たちの日常を感じさせるリアリティある人物造形、BL要素もばっちり押さえてあって女性向けの間接的な接触の多い演出に心拍数がわんわんわんわん暴れイヌです演技の絶妙な素人っぽさとかもふたりの国籍の違いという設定にソフトに包み込まれ違和感が消えていて半ドキュメンタリーとして物語に没頭できました脚本書いた人はまぎれもなく天才あと演出と監督も天才ですありがとう、ありがとう」


 長い。句読点がない。怖い。圧がすごい。暴れイヌ? 意味わからん。


 その後もなにやら送られてきたけど全部消した。末松が「姉がすんません」というメッセージと謝っている漫画キャラのスタンプを送ってきたけど無視した。ほんま頼むからもう触れんといてくれ。そのころにはもう、斎藤さんは俺の部屋やバイト先には現れなくなってた。俺はコンビニを辞めて居酒屋チェーンで働き始めた。末松と赤尾はなんだかんだ上手くいってるらしい。末松姉と赤尾が意気投合したとかで、どうでもええわボケ。

 赤尾にもらったギャラで新しい部屋は見つかったし、バイトも増やしたし、通学にちょっと不便になり無事卒業できるか怪しいところやけど、俺はやるときはやる男やからな。大丈夫や。大丈夫か? おかんが「あんたの大丈夫ほどあてにならへん言葉はない」といつか言ってたっけ。


 日々を忙しく暮らす中で、映画のことはすっかり忘れていた。ある日、末松から「斎藤さん、BL漫画家としてデビュー目指すらしいですよ」というメッセージが届いた。「そうか」とだけ返した。すぐにまたスマホが鳴る。めっちゃ返信早いな。画面を見ると、おかんからや。

「その後どうなん」

「大丈夫なん?」

 大丈夫も何も、なるようにしかならんかったわ。無視しているとすぐに電話が鳴った。おかん。ついイラついた口調が口を突いて出た。

「なんなんさっきから」

「そないに怒らんでも。心配してるんやん」

「大変やった時期は過ぎ去ったよ。授業料の振り込みありがとうな。余分に一年長引かしてごめん」

「あ、その話忘れてたわ。まさか留年すると思ってなかったから、口座のお金ちょっと足りへんかもしれへんね」

「すまん。俺もできるだけ自分で稼ぐから」

「うん。体壊さへん程度にね。お父さんは隼人やったら大丈夫や言うてたけど」

 なにを根拠に、おとんはいっつも適当やな。

「おかんはおとんと連絡ついてるん」

「つく、言うていいんかなぁ。お父さん仕事辞めて退職金で旅に出たみたい」

「旅!」

「今どこに住んでるかわからへんねん。っていうかまぁその退職金の使いみちで喧嘩になって離婚してんけどな。言うてなかったっけ?」

「聞いてへん」

 おかんはなにがおかしいのかけらけら笑った。 

「お父さんある日突然仕事辞めるって言い出してな。退職金で行きたいとこがあるとかどーたら」

 離婚の顛末を話そうとしているのか?

「なんか聞いてたら腹立ってきてな。老後の資金も不安やし、あんたのこともまだまだ心配やし、孫なんかできたらほら、お金かかるやん。わたしは毎日いろんなことが心配で、心配でたまらへんのに、お父さんだけなに浮かれてんやろ。と思て、なんで今になってそんなこと言い出すんよ。やめてや。って止めてん。そしたら翌週離婚届突きつけられてん。こっちは頭真っ白よ。でも恥ずかしいから何でもない顔して受け取ったわ。判子押しとくから出してくれる? って言うたった。ほんまは、その時点ではまだ、お父さんの気が変わるんちゃうかなと思って期待しとった。見栄張ってたんやね。今思うとね。まさかその足で市役所に行くとは、思ってなかった」

 おかんは短く息を吐くと、また笑った。

「おとんいま何してるんやろ。俺連絡先知らんねん」

「携帯の番号は? かけた?」

「かけたけど電話出ぇへんかったで。折り返しても来ぃへんし」

「そういえば最近お父さんあんま電話でぇへんな。向こうからかけてくるだけやわ」

「大丈夫なん? おとん生きてるんかな……」

「生きてるやろ。ときどきブログ更新してる」

「ブログ? あの園芸のやつ?」

「ちがうやつ。別の。noteやっけ、旅の写真上げてる」

 おかんに教えられたURLをクリックすると、ピカピカ光ったバイクがホーム画面で燦然と輝いていた。齢五十にして迷いまくりです。って書いてあるけどおとん、一体何にそんな迷ってんねん。最新投稿記事では、おとんは宗谷岬にたどり着いていた。

「北海道はでっかいど~☆

 とうとう旅も折り返し地点🌸 

 もちろん、安全運転で!」

 という本文がおとんの声で再生されて、どうしようもなくいたたまれない気持ちになり、俺はそっとブラウザを閉じた。とりあえず生きててくれて良かった。でも電話とかメールを無視してるのはどういうつもりなん。俺はまだ一応、あんたの息子のつもりやけど。


6.

 ストーカー問題が変態の介入により消滅して、俺は安心してバイトに精を出すことができた。もとから大柄で体も強いから体を動かす仕事は向いている。居酒屋のバイトを軸に空いている時間、どんどん日雇いの現場系の仕事を入れた。帰る実家が無くなったおかげで、春休みの間にそこそこの金が溜まった。口座の余裕は人生の余裕。これで俺はほぼ無敵です。母さんありがとう。新しい家の住所は親に、おかんにしか知らせへんかった。

 友達もなく口座に溜まってゆく金だけが心のよりどころ、という状態でしばらく暮らしていたところ、労働に身を入れ過ぎて、このまま大学卒業戦でもええかもしれへんな、という考えがふと過った。適当に就職して、適当に食いつないで、適当に生きていけるやろ。とか考えていると、新しい住所におかんから米やらインスタントラーメンやら紅茶パックの謎の詰め合わせが届く。勉強がんばってください。おかんもがんばります。ファイト! と走り書きで書かれたメモが入っている。胸が痛くなって、今年こそきちんと卒業しようと思う。とりあえず疲れたから寝るか。勉強は多分そのうちやる、やると思う。


 部屋でひとり横になっていると、ときどきふと、斎藤さんの気配を思い出す。今の部屋を彼女は知らないから、尋ねてくる方法もないのに、それでもなお彼女の気配を感じることがある。あんなに迷惑だと思っていた行為も、ぷつりと止んでみると、どこか虚しかった。斎藤さんの投稿している漫画を読んでみる。相変わらず男同士が痴話げんかをしたり仲直りのセックスに励んだりしている。キレたり泣き喚いたり、素直でいいな。現実はこうはいかない。

 斎藤さんが描く漫画には共通項があった。好きという気持ちを伝えられずに遠回しな暴力とかわがままで表現するコミュニケーションの失敗と、緊張状態を緩和するためのセックス。別れたくても別れられない関係というものに、斎藤さんが希望を見出していたのだろうか、などと考えると俺は自分の感情がわからなくなってくる。気持ち悪いとか怒りとか吐き気とかを通り越して、斎藤さんはなんでこんなのばっか書いてんだろう。俺が感じている違和感とは裏腹に、斎藤さんの漫画はそこそこの評価を得ているようだった。確かに絵も綺麗だし丁寧だし、読みやすい。評価されている、ということは多くの人の共感を得ているということでもあるのだと思う。俺にはわからない。斎藤さんの漫画に共感する人たちの気持ちがわからない。あそこまで必死になってまで人間と繋がりたい気持ちがわからない。

 映画の時もそうだった。斎藤さんが書いた脚本は、コンビニで働く男に一目ぼれした留学生が、あらゆる手段を講じて男にアプローチするものの無碍にされ続け、コンビニに侵入してきた鹿を追い出したことをきっかけにやっと少しと距離を縮めることができたと思ったのもつかの間、唐突に男に「もう会わない方がいい」というようなことを告げられ大混乱に陥った末、帰国する寸前になってなにかが堰を切ったようにお互いに求め合い、記念にセックスするというわけのわからん話だった。まずなんで鹿なん? ここが奈良ならまだ百歩譲る。というかむしろリアルかもしれん。大阪で鹿とか、なんなん? 奈良から電車乗り継いで観光に来た鹿なんか? ほんで記念にセックスとかどういうあれなん? 俺が童貞やから知らんだけで、世の中の男女や同性はみなこんな気軽にセックスするもんなん? 


 ところがその変な映画が意外と人気を博してしまった。困った。同じ大学に通う腐女子からものすごい声をかけられる。ほんま、勘弁してくれ。役名の桐生で呼ぶのやめてくれる? キャーて叫ぶのやめて、犯罪者になった気分やから。周りの人間の目が怖い!

「胸筋触っていいですか?」

 やないねん! やめて。恥ずかしがってるの喜ぶのもやめて!

 でも俺の留年情報を聞きつけて、テストの傾向とかレポートのコツとか教えてくれる人間が集まってくれたのは嬉しいよね。俺は勉強が苦手やから。入試もなんで受かったんか未だにわからん。運としか言いようがない。賢い人間の言うことはとりえず鵜呑みにしとけば間違いない。現に単位とれた。やった。

 もちろん俺に親切にしてくれる彼女たちにとって、俺は広瀬隼人ではなく、架空の受け、桐生真人なわけですが。それは斎藤さんが俺に授けてくれた第二のペルソナなんやろ。そういうふうに理解しておきます。って開き直らな生きてかれへんしな。このあいだ学食でうどんをすすってたら寄ってきた女に聞かれた

「なんでBL映画出ようと思ったんですか?」

 という質問に、

「金に困ってたから」

 正直に答えたら聞き耳を立てていた全員が一瞬引いた。


 けれども翌週から俺の元にカンパと称して弁当や洗剤やシャンプーなどの食料、生活必需品が届けられるようになった。憐れまれている。今日も届いた荷物の封を開けるなり、

「桐生の部屋の玄関でキスしながら床に崩れ落ちるふたりのシーン最高でした♡」

 みたいな一筆書きが添えられており、脱力する。映画のシーンよろしく玄関に崩れ落ちてしまった。俺はスニーカーを尻に敷いて玄関でするなんか一生嫌やね。しかも映画の撮影日、外雨やってんで。ほんまやったら床どろどろやで。

 しかしあれやな。腐女子というのは推しに金を惜しまへん習性があるらしく、ありがたいことです。っていうかこんなようけの人に見られると思ってなかったんやけど。赤尾、今度会ったら殴る。女の子は殴ったらあかんておかんは言うてたけど、あいつは女ではなく異星人やから殴ってもいいと思う。



7.

 女子に囲まれているせいか、男子学生からの風当たりがきつくなってきた。自分らが思てるようなそんなあれ違うけどね。これはモテとかそういうことではないんや。わかるか。わかってくれとは言わんけども。しっかしなんなん、BL映画に出たことのこの風当たりのきつさ。女なんかクソやと思ってたけど意外とあいつらの方が優しいかもしれんね。俺の映画出演を知った男どもがちょいちょいバカにしていじってくるのなんなん? はじめてAVに触れた男子中学生か? 

 はじめは女子学生の間でひそかなブームとして消費されていた様子の赤尾のBL映画、『踏み渡るしじま』というタイトルがつけられたそうなのだけども、まぁタイトルを連呼するのは恥ずかしいのでその映画、なんかどっかの市の主催しているコンテストで入賞したらしく多くの人前で上映されたとか。授賞式くる? って呼ばれたけど断った。その後市内の映画館でもかかったらしい。学生映画の祭典とか言う。もちろん俺は見に行ってない。それで割合多くの学生の目に触れたらしい。まぁ確かにお子様にキスシーンは衝撃的やったんかもしれんね。俺もなんでキスシーンを了承したのか覚えてない。お互い気を遣ってタブレットを食べたりしたものの、ミントやレモンの味とかそういう風味は一切感じられず、相手役の汪君は無味無臭でしたわ。ってかカメラの前でなんかするのってものすごく緊張するから、手汗だけはものすごくかいて、汪君の手が異常に乾いていたのを覚えている。くちびるの感覚は0だった。撮影後汪君が「ちょっと興奮しました。ちょっと」と笑っていたので気を遣ってくれていたのかなと思う。汪君にはペルーに彼女がいるらしい。写真を見せてもらった。アジア系の顔立ちの、浅黒い肌の活発そうな女性だった。俺はふざけて、「自分めっちゃキスうまいな」と言ってみたものの、ジョークがいまいち通じなかったらしく、「彼女に鍛えられたので」と汪君は言っていた。これがモテる男のちからか。俺の視線が棘を含んでいたのか、汪君は笑って言った。「ぼく、キス下手だったんですよ。はじめては緊張しました」「はじめてっていつ?」「十一歳のとき」汪君の笑いが屈託なく、俺はその時初めて、持つ者の余裕と言うものを知った。これ。真の王者というのはこういうものなんやな……。「キスが下手って振られて、それからずっと、コンプレックスだった」汪君は肩をすくめる。「でも広瀬と、赤尾ちゃんがさっきすごく褒めてくれたから。怖いものないです」汪君は俺にウインクして、ですよね。と言った。イケメンのくせに性格まで良いとかどうなってんねん。神。平等の概念を知ってんのか。おい、神。仕事しろ。神よ。


 なので基本的に俺のこの女子人気は汪君の魅力に底上げされたものであって、腐女子には「外の世界でまず目にしたカップリングを親だと思い込む習性がある」と赤尾は表現していたのだが、その習性のせいでみんな俺をかまいたがっているのだ。そしてこの男どものいらん嫉妬。なんなん? 正直に自分も異性にちやほやされたいと言えばいいのに。俺に苛立ちをぶつけて笑ろてる場合か。女子のからかいに比べて男子のからかいの具合がひどい。胸糞が悪い。


 という苦情を赤尾にぶつけたところ、見舞金と称して金を包んでくれた。金がもらえるならまぁええか。と一瞬納得しかけて、しかし俺の自尊心はそんなことで回復されへん。という冷静な感情が沸き起こってくる。

「ってかこんな大事になるなら最初から言うといてくれる? コンペとか映画祭とか」

「わたしだって悪いと思ってるけど、まさかこんな人気が出るとは。嬉しい誤算とはこのことですよ」

 赤尾は商魂たくましく、汪君のサインを売りさばいたりしているらしい。汪君と同じ大学でなくてよかった。もし日常的に横に並べられたら、劣等感で死ぬところやった。

 ある日、末松から赤尾のインタビューが掲載されたwebメディアのリンクが送られてくる。赤尾が自主制作の映画を撮ることについて語っている。文字で見る赤尾の言葉は軽薄で、とてもまともな雰囲気を醸していて、普段の逝かれ具合は鳴りを潜めていた。これは文字に起こしたライター氏の妙技なのだろうか。写真もコメントもまるで常人のようだ。それとも赤尾は気分で頭がおかしい時とまともな時を切り替えられるのだろうか、だとしたらそっちの方が怖い。


 学食で豚の生姜焼き定職を食べていると、赤尾が斎藤さんの漫画が掲載されたBL雑誌の写真を見せてくれた。商業誌に読み切り短編が掲載された、快挙だ、とも言っていた。俺は斎藤さんがひとりでクソみたいな落書きから雑誌に載るまで上達していった過程を想像して、複雑な気持ちになった。複雑というかムカつくに近い気持ちかもしれない。踏みにじられた感じがする。

 踏みにじるって、何を? わからん。俺の男としての尊厳とか、それともなんやろう。単に踏み台にされた、に近い感覚なのかもしれん。そう、俺はまるで、マリオに出てくるクリボーみたいやん。理不尽や。割りに合わへんと思う。不機嫌な俺の顔を見て何かを察したのか、赤尾は俺の肩をぽんぽんと叩いて、大手コーヒーチェーンのコーヒー無料券をくれた。俺は釈然としない気持ちで米を噛み締める。

 ただ、なんやろう。なんていうか、斎藤さんの書く脚本や漫画の中の人間みたいに、気軽に人間を好きになって好きの気持ちを表現できるのは、うらやましいかもしれへんけど。うーん、いや、やっぱないな。めんどくせぇ。


 一度駅のホームで斎藤さんに会った。気付かれる前に立ち去ろうとしたものの、斎藤さんは俺を発見して駆け寄ってきた。開口一番、「やあ大学生! 元気にせせせせセックスしてますか?」みたいなことを言われたので音楽を聴いているふりをして無視した。斎藤さんは慌てて「……ジョークです!」と俺の前に立ちはだかり、「今から漫画の持ち込みに行くんです。きききき、緊張しているので、気合を入れてください」と大げさに頭を下げた。俺は周囲の目を気にしながら、斎藤さんに、がんばって。と声をかけた。本心では早くどこかへ、斎藤さんのいないところへ行きたかった。それにしても斎藤さん、こんなにテンションが高い人だったっけ。変な感じだ。目の下に化粧で隠し切れないクマが見えて、少しだけ斎藤さんのことが心配になる。でも斎藤さんを乗せた電車を見送った三分後には、俺はもう斎藤さんのことなんか思い出しもしない。


 乗り換えの電車を待つ間何となくスマホをいじっていたら、noteと連携してあったおとんのTwitterアカウントを発見して、若い友達と仲良くやっていることを知った。遅れてきた青春、とか自分で呟いてたけど、俺はおとんがなにを考えているかわからへんくて、怖い。なんでいきなり会社辞めて離婚したんやろう。そんなに働くのが嫌やったんやろか。それとも、いい加減自分の好きに金を使いたくなったんやろか。今までお前を育てるのにかかったコストを回収させてくれとか言い出したら、どうしよう。子ども一人大学までやるのに、全部公立を選んだとしても、学費だけで一千万やっけ。私立やとこの倍以上かかるらしい。想像しただけで背筋が寒くなる。

 しかし考えてみると、俺はおとんのことをほとんど何も知らへん。休みの日にソファで横たわっている姿や、テレビを見ながらリビングで寝落ちしておかんに叱られている姿、土曜の夕方、机いっぱいに積まれたのビールの空き缶。マンガ喫茶連れて行ってくれたり、ラーメン連れて行ってくれたりはしたけど、でもなぁ。親って、ふつう、子どもに断りもなく離婚するもんなんやろうか。もしかしたら俺はおとんから嫌われて短歌もしらんな。俺の知らへんところで、俺はおとんに恨まれたり、憎まれたりしてたんかな。わからん。十歳の頃、酔っぱらったおとんが買ってきた野球グローブ。俺はほとんど触らへんまま近所の子供にあげてしまった。体格が小柄でいじめられるのが嫌で、野球みたいな団体競技には近づけへんまま、中高と柔道をやった。ちょっとでも強くなりたかった。でも、今考えると、おとんが息子にほんまにやらせたかったんは、もしかすると野球とかサッカーやったんかなって、そういう集団でコミュニケーションをとりながらやるスポーツやったんかなって、たまに思う。

 電車が運んできた人がホームにあふれ出す。俺はそれなりに混んだ電車に乗り込む。斎藤さんの行き先にほんの一瞬想像を巡らせて、どうでもいいか、と足を開いた。がたん、と車体が傾いて、立っている人たちの身体が揺れる。俺は音楽配信サービスの提供する音楽を聴く。知らない西洋の歌手がなにか歌っている。ライムしている。Bull shitと言う単語が耳に入って、ほんまそれな。と俺は腕を組みなおす。


8.

 学食で素うどんをすすっていると、日替わり定食を乗せたトレーをもって赤尾が隣にやってきた。斎藤さんの描いたwebBL漫画がバズって書籍化される運びになった、という話を聞かされる。ああ、持ち込みとやら、上手くいったんかな。赤尾に駅で斎藤さんを見かけたことを話す前に、「夏休みどうするの?」と尋ねられて身構えた。

「私、また新しい映画撮りはじめたんだ。映像研の機材を借りて」

「え、なんで?」

「政治の力ですよ」

 赤尾は札を数えるジェスチャーをした。

「いやらしいなぁ」

 俺はうどんに七味をぶち込む。

「人間所詮名誉より金なんですよ」

 赤尾は俺のうどんの上に、自分の白身魚のフライを乗せた。

「頼み事なら聞かへんからな」

 俺は赤尾の皿に乗っていたタルタルを根こそぎさらって白身魚にかじりつく。赤尾はふふふ、と笑う。広瀬君は私に頼み事されたほうが気が楽なのかな? 女の子苦手だもんね。と言われて、喉の奥に七味が入り込んでむせてしまった。苦手って、俺は一言もそんなこと言ってないけどな。

「なんか就職内定決まって暇なんだよね」

 そう言って赤尾は箸をぶらぶらさせる。行儀悪いな。

「就職って……意外やな。お前がすんなり将来決めてまうとか。映像監督とかそっち系は目指さへんの?」

「うーん。そこまで才能ないのはわかってるから。受賞とかで履歴書に箔をつけたかっただけで、なんていうか、証明したかったって言うか。自分の実力を。でも結局私は自分が何か作るよりも、斎藤さんみたいな頭おかしい人の妄想を具現化するための金策を練るのが好きみたい。だからまずは、社会に食い込んで足場を作りたいなぁと思って」

 なるほど。と俺は声に出さずに呟いた。

「斎藤さんに初めて会った時は興奮した。こんな人いるんだ? って、感動した。行動する方向は間違ってたかもしれないけど、その瞬発力って言うの? 自分の好きなものに向かって行くエネルギーが、すごいなぁって思って、すっごいわくわくした」

 赤尾の目が珍しくきらきらしている。でもそのきらきらは、すぐに薄まってしまった。つまらなさそうなしぐさでエビフライにフォークを突き立てながら尋ねる。大して興味もなさそうに。

「広瀬君は夏休みどうするの?」

「どうする、っていわれても。戻る実家もないし、行く場所もないし」

 赤尾はふふふ、と笑った。

「困ったら私を頼ってくれてもいいよ。暇なら地元に遊びに来て」

「いやや。お前の言うことまともに受けて、良い目をしたためしがない」

「いやいやいや、これはほんとに、あれだよ。広瀬君のことを心配しているんだからね」

「騙されへんからな」

「親離婚したんでしょ、大変だよね。私も小学生の時に両親が離婚したから、わかるよ」

「え」

 赤尾はにこっと笑って、味噌汁を口に運んだ。

「そんな可哀相な目で見ないでも大丈夫。見ての通り私は元気だし、広瀬君と違って卒業はほぼ確実だし」 

「……なんか赤尾が真人間みたいに見えてきた。俺があかん人みたいや」

 真人間って、と赤尾はくすくすと笑う。

「年始は若干躁転してた感じもあって、やり残したこと今から全部やるぞ、青春やってやんぞ! って感じだったんだけど、映画撮り終えたあとは……なんか燃え尽きちゃった。どうしていいかわかんないや。わたし、ほんとに社会人なれるのかな」

 赤尾が珍しく弱気なので、面食らってしまった。かける言葉が見つからない。こいつのことだから恐らくどんな異常な状況でもやっていけると思うのに。しかし赤尾は俺からの励ましの言葉なんかを望んでいるのだろうか。汗をかいたコップに手を伸ばし、やけに乾く喉をうるおす。それから、小さく息を吸って、言った。

「赤尾なら……他人のポジションぶんどってでもやってけるやろ」

 赤尾は素っ気なく、そうだね。と言った。

「わたしも斎藤さんみたいに、自分の力で何かを生み出せる人だったら良かった」

「生み出してるやん。映画とか人間的しがらみとか金銭の受け渡しとか」

「そういうのじゃなくて、もっと、根源的なものを作り出したい」

 赤尾の言いたいことが俺にはいまいちわからない。赤尾はすこし傷ついたような顔を見せて、すぐにまたいつもの、笑顔とも少し違う、弛緩した表情を作って見せた。

「まぁなんせ、芸術家肌って羨ましいよ。わたしは斎藤ちゃんになりたかった」

 赤尾は食べ終わったトレーを持って立ち上がると、またね、と呟いて去っていった。そういえば俺は赤尾の地元を知らない。


 バイト帰り、自転車を走らせながら、地元か。地元。田舎のない人間は夏休みの間どこに帰っていくんだろう、ということをふと考えた。地元。つまり、知己のいる場所、盆暮れ正月に帰る場所。程度の意味。意味だろ、今となっては。いや、でも。実家はもう今は両親の手にはないというので、俺の帰る場所は、ない。


 その夜家に帰るとすぐおかんからの電話があった。

「夏休みどうするん?」

「どうもせんよ。バイトくらいしかすることないし」

「今だけやで、しっかり遊んどきなさいよ」

 いつもどおりの定型の会話が、そのときの俺にはなぜかカチンときた。こっちだっておかんやおとんの懐事情をそれなりに心配して遠慮しているつもりやったのに。おとんはバイクで日本一周旅行に出るしおかんは知らんシングルマザーとその子どもたちと同居を始めたとか言い出すし。

「遊ぶって言うてもさ……」

 でも結局険を含んだ声が出ただけで、なにも言えなかった。

「わかった。しっかり遊ぶから」

 無理やり自分を納得させて言葉に出す。おかんも気まずさを察知したのか、気遣うように声をかけてきた。

「あ、一回くらいご飯食べにくる? 水曜の夜なら空いてるけど」

「相手の人は? ええの?」

「気さくな子やから大丈夫やで。小学生の息子さんがふたりいてるから、話し相手になってあげてよ。このあいだ、息子まだ大学生やねんていうたら、うちとこの子の勉強見てもらえませんかね? って言うてはったわ」

「社交辞令やろ」

「まぁそうやろけどね。でも安心し、さき言うといたげた。うちの子勉強からきしやねん、ごめんな、って」

 おかんはからからと笑った。俺はおかんとの話を適当に切り上げて電話を切った。離婚してからというもの、おかんの声が明るくハリがある。俺が知らんかっただけで、ふたりはもしかして仲の悪い夫婦やったんやろか。そう言えば俺、おとんとおかんのことなんも知らへん。


 久々におとんのSNSをチェックすると、日本一周の旅を終えてどこかの町に腰を据えたみたいだった。ラーメン屋でバイトを始めたと書いてある。俺はおとんの本当にやりたかったことについて考えを巡らせて、ラーメン屋バイトがおとんのやりたかったことなんだろうか? と考えた。


 地図アプリで調べると、おかんの新しい家は、今俺が住んでいるところから電車を使って三十分ほどで行けるみたいやった。俺はでも、おかんの新しい暮らしぶりを見に行くのが少し怖い。家族やったものがなくなってしまった。実家じゃないところで暮らすおかんの想像が上手くできない。俺が「おかん」と呼んでいい人なのかすら、不安になってくる。離婚したからって、家を売り払ったからって、他人になるわけではあるまいし。そのことはわかっている。理屈の上では重々承知している。俺はでも、怖いねん。俺の知らんところで変わっていく家族の姿が。存在が。遠くで確実に変化してしまった家族のことを知るのが。


9.

「おじゃまします」

 おかんの住む部屋は、築二十年のマンションの一室だった。駅からは少し遠いけど、すぐそばのスーパーでパートをしているから特に不便は感じない、と自転車があれば事足りる。とおかんは言う。ほんまにそうなんかな? 我慢してるんと違うか。

 玄関は埃っぽく、汚れたスニーカーが二足、サッカー用のスパイクも二足あった。小学生の子どもがふたりいてるんやっけ。

「うわぁ、おばちゃんの息子なん?」

 あほ面をしたガキがふたり、玄関横の引き戸を開けて飛び出してきた。子供部屋のようだ。

「大学生ってほんま?」

「ダイガクセーや!」

 ふたりが次々に言葉を吐くので俺は返事をする暇がない。ガキってこんなうるさいもんやったかな。

「あー、いらっしゃい。よう来たね」

 おかんが奥から出てきた。見た目も前より若返っているような気がする。髪型は確実に前よりも気を遣っている感じになった。

「足の踏み場ないやん」

 俺がこぼすと、こどもたちが慌ててリュックやおもちゃを回収する。部屋に押し込んだだけに見える。

「おばちゃん今日の晩御飯なに?」

「ハンバーグやで」

「やったー!」

 こどもたちの小柄な体から発せられるでかい音声、そして尋常ではない熱量が俺を圧倒していた。俺も昔はこんなんやったんやろか。信じられへんな。

「すいません、遅くなっちゃって」

 玄関の扉が開いて女が入ってくる。黒縁眼鏡の地味な女だった。

「あ、はじめまして」

 女が頭を下げるので、俺もつられて会釈した。

「一緒に住んでるねん。千原さん」

「千原です」

 千原と呼ばれた女は、巨大な買い物袋を提げていた。

「手伝いますよ」

 俺はカバンを受け取り、冷蔵庫のあるであろう、キッチンへと向かう。食材を冷蔵庫に詰めていると、おかんがやってきて手伝い始めた。

「良い人でしょ、千原さん。短期のパートで一緒になって、仲良くなっちゃって」

「やからって一緒に棲まんでも」

「家賃勿体ないし、家事も分担出来て一石二鳥よ? お父さんと住んでた時よりずっと楽んなった」

 おとんの話を出されて、思わず黙り込んでしまった。コメントしづらい。キッチンでは千原親子がハンバーグをこねている。クソガキだと思っていたけど、料理を手伝う優しさはあるのか。俺はほとんどしなかった、夕飯ごしらえの手伝い。それにしてもハンバーグ作りってこんな狂暴な音がするものなのか? お前ら兄弟全力で野球のキャッチボールでもしてんの? って音がしている。

「おかんは納得してるん、離婚」

「まぁねぇ、あんたがこんな立派んなって暇やったから、ちょうどよかったわ」

 おかんはころころ笑いながら、付け合わせのサラダを用意している。茹でたブロッコリーとレタスとカイワレをドレッシングで和えるだけのサラダ。五十代のおかんと三十代とおぼしき千原さん、小学生のふたりの子供の暮らし。家の中には生活の匂いが充満していて、俺はなぜか疎外感を覚えている。

「なんか、俺まだ実感ないねん。実家、もうないんやろ?」

「うん。ないよ。まっさら。地面もきれいにコンクリートで埋められてた」

「……」

 自分が一体何に傷ついているのかわからなかった。胸の辺りがそわそわしてちくちくして、どうにも座りが悪い。

「離婚ってさ、おとんの酒癖が悪いとか、暴力ふるうとか、そういう――――運の悪いひとらがするもんやと思ってた」

 俺は冷蔵庫にあらかた荷物を詰め終わって、手伝うことがない。おかんの背後に立ってぼーっと作業を眺めている。おかんは小皿にサラダを少し盛って、食べてみて。と俺に手渡した。おかんの好きやったキューピードレッシングの味がした。

「うまいけど。こどもらカイワレとか平気なん?」

「あんた食べられへんかったもんな」

 おかんはなにが面白いのか、笑いだした。

「だって辛いやん。あんなハッピークローバーみたいな見た目してさ。味は実質大根やもん。詐欺やと思うで」

「だってカイワレって大根の新芽やもん」

 おかんはゲラゲラ笑っている。俺はなぜか恥ずかしくなってくる。IHコンロで千原さんがハンバーグを焼き始める。部屋中に香ばしいたまねぎとひき肉の匂いが立ち込めてくる。こどもらが歌を歌い始める。しまいには歌の歌詞をめぐって喧嘩を始める。俺はこどもらの間に割って入って、YouTubeで歌詞を確認するよう勧めた。ふたりはスイッチをもってきてソファで眺めはじめる。子犬のようにひっついて一つの画面を眺めている。俺は何とも言えない気持ちになって、ベランダに出た。虫よけの薬剤と洗濯物が放つ洗剤の匂いがした。

 見下ろした道にはコンビニがあって、俺は斎藤さんのことを思い出す。元気にしているだろうか。別の人間をストーカーしていないだろうか。それともストーカーをするような暇を見つけられないほど、忙しくしているのだろうか。

 しばらくしてこどもらに呼ばれる。スマブラをして遊んだ。スイッチはやったことないけど、ゲームなら負けへん。妙に本気を出してしまい、おかんに笑われた。こどもたちは次々と新しいソフトを出してきて、何本持ってんねん? これやから兄弟のおるやつは。とうとう全く見たことのないゲームを出されて、負けた。お前らさっきまで喧嘩しとったくせに、俺を倒すために団結しやがって。

 とは言いつつ、負けたのに妙に清々しくて、俺は自分が子どもの頃に戻ったように感じているのに気付く。

「ごはんもうできるよ~」

 という千原さんの掛け声に、は~いと返事をしそうになって、咳払いしてごまかした。俺の代わりにこどもたちが元気よく返事をして、ゲームを片付けて食卓に向かって走り出した。こどもたちをにこにこ笑いながら見守っているおかんの顔を見たら、なぜか泣きそうな気持ちになる。甘いケチャップも丸い俵型のハンバーグも、なにもかも懐かしくて、外で食べる味の濃い、うまみの強いハンバーグではない、あっさりしたひき肉の甘みと白コショウの香りが特徴的な家庭的なハンバーグ。たまねぎが甘くてケチャップをつけて食べるとちょうどよい塩味と酸味が口いっぱいに広がる。俺は自分が普段食べているコンビニ飯がいかに濃い味付けを施されているのかを知る。指でたまねぎをほじくり出して肉だけ食べようとしている弟を見ていると、あの頃にはどうしたって戻れないことがわかってしまって、帰らねば、という気分になった。俺は俺の帰るべきところに、帰らねば。

 でも肝心の「帰るべき場所」に心当たりがない。俺が帰りたいのは今借りている部屋ではなくて、そこじゃなくて――――――――

「お代わりいる?」

 千原さんにのぞきこまれて、返事もせずに、慌てて空の茶碗を差し出した。本当は大して腹も空いていない気がしていたのに、いざ白米をよそわれると全部食べてしまう。

 夕飯を食べ終えたこどもたちは食器をシンクに運ぶと、俺の近くにまとわりついて、「公園行こ~」「外行こうよ」「サッカーやるやろ?」と口々にねだった。

 結局断り切れず、マンションのすぐそばにある公園にこどもふたりを連れて行くことになった。夏の夕方は明るい。蒸し暑い空気の中で達者に動き回る小学生に追いつけず、「あとは若いもんに任せた」と無責任に言い放ってベンチで休んでいると、様子を見に来た千原さんが話しかけてくる。

「あのね、映画見ました」

 あまりの驚きに、俺は千原さんの顔を二度見してしまった。

「わたしアニメショップで働いてるんです。社員割り効くので、あの、好きで」

「アニメが?」

「アニメも漫画もゲームも同人誌も、全部」

 千原さんは一層声を低めて、実はそれも離婚の原因なんです。と言った。そういえば、この人見た目に寄らず、二度も離婚しているらしいんだっけ。母の話によると。

「一度目の夫は、そういうのに理解がなくて、子供出来たらやめるよね? って言ってきて、私も辞めるべきかなと思ってたんですけど、ダメだったんです。オタク、全然卒業できなくて。二度目の夫はゲームや漫画に理解はあったんですけど、BL本がダメだって言われて、気持ち悪いって。ショックでした。兄弟の母親として不適だって言われました。現実とBLは違うのに。たまたま元夫に見つかった本が、近親相姦ものだったのが、私もさすがにまずったなとは思ってるんですけど」

 千原さんはそこまで一気にしゃべると、ふと俺の顔を見てハッと我に返ったようだった。

「あ。喋りすぎちゃいましたね。すいません、一方的に」

 斎藤さんと少し似ているな、と思った。

「それで、あの、なんだっけ。でもやっぱ子供いるのに家の中にBL漫画集めるわけにもいかなくなって、電子書籍買ったり、投稿サイトに公開されてる漫画を読んだりしてて、それでshamaさんの漫画を見つけて。最高だって思って、好きだって、好きなんです。感情のじっとりした重い手触りとか、なのにやけにすっぱり終わるところとか、細い線と細部まで書きこまれた背景のリアリティとか、切なそうな表情とか、全部」

 shamaってそんなペンネームやっけ、斎藤さん。

「そのshamaさんが別名義で脚本を務めた作品があるって知って、どうしても見たくなって、見たんです。すごくよかった。切なくて、重くて、苦しくて、でも愛しくて、ふたりともなんでこなに不器用なんだろうって、そこがたまらなく可愛くて、感動しました」

 おおむね俺が今まで聞いてきた感想と同じでしたね、ありがとうございます、はい。俺は彼女たちの熱っぽい視線をどうあしらっていいかわからない。現実の俺ではなく俺の肉体の上に貼りつけられた仮想のキャラクターに向けられた視線を、どうしていいのかわからない。いつも何を答えればいいかわからなくなってしまう。だからこう聞き返した。

「千原さんにとって、BLって、なんなんですか」

 俺の質問に、千原さんは微笑んだ。

「オアシスです。生活の彩です。すぐ会いに行ける、ディズニーランドです」

「そうですか」

 俺は千原さんから、斎藤さんの本が来年発売になることを聞かされる。正直驚いた、書籍化なんか、自分には縁のない世界の話だと思っていたから。千原さんは好きな漫画家のことを話題に出してもらったことがよっぽど嬉しかったのか、熱っぽく語りだす。

「shamaさんの作品って、好きな人のことを好きだってわかってるのに、なかなか認められない自分とか、キャラクターがとにかくままならないんです。自分が自分を全然コントロールできない人たちの話なんです。そこが共感できるなぁって」

「千原さんも、ご自身のこと、そういう風に感じられてるんですか。ままならないって」

 熱に浮かされたような顔をしていた千原さんが、ふと虚を突かれたような顔で俺を見返す。それからふっと頬を緩めた。

「ままならないですよ。全然思うようにならない。二回も離婚してるし、見たらわかると思うんですけど、計画性もないし、最悪です。全然気ままに生きられない。踏み渡るでもそうですよね。あの映画の中でも、好きな人には全然近づけなくて、踏み込めなくて、でも最後、自我や関係性が壊れる寸前に、やっと触れることができる。相手のパーソナルスペースに踏み込むことができる。そういう痛い人たちを描くのが、shamaさんは天才的に上手いんです」

「壊れる前に、言うたらええのに。壊れそうですって」

 千原さんは呆気にとられた顔をして、そうですね。できたらとっくにやってるはずなんですよ。と言った。子どもたちは夕陽が落ちた公園で影踏み鬼をしている。長く伸びた影が交わって離れて、遠ざかっていく。

「千原さんストーカー気質なんですか」

 俺の質問に、千原さんは驚いた顔で、自分の顔を指さした。

「そういう風に見えます?」

「いや、なんていうか、俺の中では不器用ってそういうイメージなんで」

 千原さんがあはは、と笑ってくれたので、ほっとした。すごい失敗をしてしまったかと思った。

「私は気がつくのが遅いんです。この人のこと、そんなに好きじゃなかったかなぁって、気がついた時には子供がいて、苗字も変わってて、逃げられなくて、こういうものだよなぁ人生って。って舐めたこと言ってる間に、心とか体を痛めちゃって、動けなくなって、それでやっとわかるんです。ああ、合わないとか、嫌いだなとか、苦手だなって。結婚、向いてないなぁって」

 千原さんはこどもたちが影を追う姿をじっと目で追っている。表情が逆光でよく見えない。

「でもね、そういう不器用な人たちでも、手を伸ばして求め合ったらいいんだって、BLは教えてくれるから」

 千原さんがどういう気持ちで自分の産んだ兄弟を眺めているのか、俺にはわからない。怖い。千原さんと別れた旦那さんの気持ちが少しわかるような気持がしてきて、苦しくなる。

「不器用同士で手を伸ばして求め合ったら、こんがらがってほつれてしまうんではないですか。つまり、共倒れみたいな」

 映画のラストを思い出す。玄関の暗がりの中で泥だらけでもつれあった記憶。千原さんは俺を見た。真っ直ぐに目を見て言った。

「たおれたら、また立ち上がったらいいのではないですか。取るための手はもうあるんだから」

 兄弟たちが俺の方に向かって走ってくる。子犬のようにころころと。

「おかあさーん」

 千原さんはふたりの兄弟の方を見て、小さく笑った。とても幸せそうに。

「そろそろ帰ろうか」

 千原さんたち親子が歩き出す。俺は駅に向かって倒れるように足を踏み出した。

「もう帰るの?」

 千原さんが俺を振り返る。

「おかんに、よろしく言うといてください。ごちそうさまでした」

 俺は頭を下げた。千原さんはそう、と息を吐くように言った。

「お話できて楽しかった。shama先生に会うことがあればよろしく」

 shama先生ってだれ? とこどもが尋ねる。千原さんは笑っている。楽しそうな家族だと思う。とても幸せそうで。バイト先に移動しながら、自分の母親が千原さんくらいの年齢だった時に、いったい何を楽しみに生きていたのか思い出そうとしたけど、思い出せない。

 そのとき不意に、新着メッセージを知らせる短い通知音が鳴った。赤尾からだ。「広瀬、脱いで」と書いてある。続いてすぐに短いメッセージが届く。「斎藤ちゃんが死にそう」俺はスマホの電源を切って、駅の方角へ歩き出した。なんやねん、それがBLって。ってかBLってなんなん? ほんまなんなん。お前らの男の身体への執着、なんなん。

 

10.

 斎藤さんが死にそう、というのは比喩ではなく事実らしかった。心療内科で処方されている薬を飲まなかったり大量に飲んだりアルコールと併用したりして救急搬送されたらしい。死にそうというか死にたがっているというほうが正しくないか? 斎藤さんが死にたがっている。正しい言葉を口にしたところで、俺には斎藤さんの気持ちは全然わからない。赤尾に返事をしないまま一週間が過ぎた。正直もう、赤尾とも斎藤さんとも連絡を取りたくない。斎藤さんのことを忘れるためにも、前より一層バイトに励んだ。


 新人アルバイトの後始末にほとほと疲れて家に帰ると、シャワーを浴びる気力もなくソファに横になる。普段ならこのまま寝落ちしてしまうところだった。電話が鳴って、ふらふらとスマホを取り出し、応対する。

「もしもし隼人?」

「あのな、お父さん、職場で突然倒れたみたい」

「私が行くのもなんやから、様子見てきてあげてくれへん?」

 肯定とも否定ともつかないうめき声をあげて、俺は通話を切った。続けて母親から父親が入院している病院の連絡先が届く。なんやねん、どいつもこいつもばたばた倒れよってからに。一瞬、起きておとんのSNSをチェックしようかなと考える。でも体が重くて動けない。結局起きられないまま眠ってしまった。夢に真っ黒な犬が出てきて、無言でこっちを見上げていた。なんかの予兆か? と不安に駆られて飛び起きて、冷や汗とも脂汗ともつかない汗でぐっしょり濡れている自分に気付く。熱いシャワーを浴びたあと、職場に休みの連絡を入れて、おとんが入院しているという、岐阜の病院へ急ぐ。


 医師の話によると、軽い脳梗塞とかで、素早く処置ができたことが幸いして予後は良いだろう、との説明だった。病室に入ると、オトンはよう、と小さく声をあげた。近くに寄ると、パジャマの裾をめくりあげて、倒れた衝撃でできたのだろうか、青紫に変色した大きなあざを見せてくれた。

「おとん、ラーメン屋でアルバイト始めたって聞いたけど」

「うん。弟子入りしてん」

「なんでラーメンなん?」

「なぁんもないとこで、ぽつんと見つけたラーメン屋で食べたラーメンが死ぬほど旨かったんや。弟子入りさせてくれ、言うて大将に頼み込んだ」

 おとんが恥ずかしそうに笑った。いや、そうは言うても、いきなり仕事辞めて、離婚まで、する必要あったんかな。喉まで出かかって、結局聞けない。勇気が出ない。間が持たせられなくて、無意味に病室の冷蔵庫を覗いたり、台を拭いたりしてしまう。せっかくここまで会いに来たのに。

「ってかなんで電話でぇへんかったん」

「ごめん、スマホに変えて、使い方わからんかって」

「もう、なんなんよ。いきなりスマホにしたり会社辞めたり旅に出たり」

 俺は頭を掻きむしる。おとんはそれを見て笑っている。

「俺もうわからんわ。おとんのことなんもわからん」

「お父さんも自分のことなぁんもわからんわ」

 親父は大きな口を開けて、がはは、と笑った。調子狂うなぁ、もう。

「離婚、いうてもな、別にお母さんにはなんの不満もないんや。ただもう、ふたりでできることは終わったんちゃうかなぁと思てな」

「旬過ぎたバンドみたいなこと言いなや。おとんと違っておかんは今、パートで苦しい生活してるんやからな。企業でぬくぬく飼われてたあんたと一緒にすんな」

 言ってから、しまった、と思った。恨み言を言いにはるばるやってきたわけではなかったのに。顔が歪む。親父の顔を見られない。旅をはじめたせいか、引き締まった顔つきや、日焼けの気配の残る肌の色。昔みたいに親父に接することができない。そもそも昔って? 俺は、俺の知ってるおとんに、戻ってほしくて、いや、戻ってというのは違うな。おとんが変わってしまうことが怖くて、不安で。

「おかあさん、なんか言うてた?」

「いや。なんも」

 ほんまはなんか聞いた気がするけど、わからん。もうなんもわからん。

「お父さんの会社、このままやったら退職金でんかもしれんって言われて。早期退職の希望者を募って、なんやしてたみたい。お父さんも、もうええかなぁと思ってな。大学卒業してから、ずっと同じとこで世話んなって、気がついたらお前も大きなって、ふと自分の人生振り返って、なんやったんやと思ってしもたんや」

「なんやったんや、っていうのは……」

「なんもなかったなぁと思ってな」

「そんなわけないやろ」

 俺は怒鳴る。

「結婚して子供育てて、その間ずっと、ずっと働いて、なんもなかったわけないやんけ。俺が、俺が成人するまで、あんたらずっと、その間ずっと、」

 続きはうまく言葉にできない。喉の奥が重い。苦しい。頭が真っ白になる。おとんはふふっと黙って、それから小さく、ありがとう。と呟いた。

「会社辞めて、離婚届だしたその日に、二輪の免許取りに行った。昔取ったのはもうとっくに失効しとったし、っていうかお父さんな、バイク乗ったん、二十五年ぶりやねん。びっくりするやろ。自分でもびっくりした。お前が生まれてから、自分が何を好きやったかとか、そんなこと全部忘れてしもてたんやなぁって、思い知ったわ」

「グローブ」

 俺は呟く。

「おとんほんまは野球好きやったんちゃうんか。

俺、一回も触らんと誰かにやってしもた」

 おとんは目を丸くして、それから少し笑った。

「お前そんなこと気にしてたんか」

 酔った勢いやったんや、忘れてくれ。おとんは笑う。顔が赤い。

「俺らの子どもの頃言うたら、男の子はみんな野球が好きやった。でもな、お父さんあかんかってん、スポーツ。もうさんざ笑われたわ。親にも友達にも、それがほんまに恥ずかしくてな。でもお前はお母さんに似たんか、空手やら柔道やら、好きやったやろ。やから……、やから。よかった。ほんまに。よかったなぁと、思てるんや」

 おとんは照れたように笑う。俺は言葉を探す。自分の言いたいことがうまく見つからない。どんな言葉を選べば自分の言いたいことが相手に伝わるのか、全然わからない。斎藤さんの気持ちがわかるような気がしてくる。どもる気持ちが、わかる。無言になる気持ちが、怖いくらいわかる。こわばった喉から絞り出すように、口に出した。

「俺まだ、あんたの子どもでいてええんかな。もうわからん。育った家ももうない言うし、おかんも知らん女の人と住んでるし」

「ええに決まってるやろ」

 おとんが声を荒げた。

「ちゃうねん、お父さん、そういうつもりやなかってん。離婚って言うのはもっと、お互いの選択肢を増やすための手段であって、なにもお前を、お前にそんな風に思わせるつもりは、微塵もなかったんや」

 俺も言い過ぎた、と思って、でもそれを取り返す術を知らない。

「これ、俺の新しい番号やから。登録してくれ」

 黙り込んだ俺を見かねてか、おとんがメモを渡してくる。俺は呆気にとられた。

「俺の電話番号知ってるやろ? 鳴らしてくれたらよかったのに」

 おとんは電話帳を移行する方法がわからずに、誤って連絡先をすべて消してしまったのだ。と説明した。ほんまかいな。俺、なんべんもおとんの番号にかけたやん。と思いながらその番号が書かれたメモを受けとる。ふと言い添えた。

「あ、新しいブログ見てるで。noteやっけ。最近書いてないみたいやけど」

「え!」

 俺の言葉におとんは明らかに動揺した。

「ななな、なんで知ってんの」

「おかんに聞いた」

「ああそう、あー、そう」

 おとんは両手をうちわのようにして、顔に風を送る。室温は完璧に調整されているのに。こんな照れると思ってなかった。なんかおとんに申し訳なくなってきた。

「俺今日はこっち泊まるから。また明日顔見せに来るわな」

 うん、とも咳払いともつかない声を出して、おとんはまたベッドに横たわった。

「なぁおとん」

 帰る準備をしながら、呟いた。

「俺の知り合いが自殺未遂したんやて。お見舞い行ったってくれって言われたけど俺、自分が自殺未遂したとしてやで、あんまり人に会いたくない気もするし、そもそもそんな仲良くない人やし、行きたくないなー、て思てんねん。おとんやったらどうする」

 俺が質問をしたことが珍しかったのか、おとんは面食らった様子でしばらくぼーっとしていたけど、やがてこう言った。

「俺なら、行くと思う」

 しばらくして小さな声で付け足す。

「人はいつ、ほんまに亡くなるかわからへんから」

 人というのは、おとん自身のことを指しているのかもしれない。俺はおとんの手を握る。おとんは俺の背中を軽く叩くと、大丈夫や、と小さく言った。俺はおとんに小さな声で「またな」と言って、病室を出た。スマホをチェックすると、赤尾から連絡が入っている。俺はすこし考えて、赤尾に斎藤さんの安否を気遣うラインを送る。


 その夜赤尾とのスカイプを通して、斎藤さんと少し話すことになった。赤尾はひんぱんに、斎藤さんの家に泊まり込んでいるらしい。酔狂が過ぎるな。

「ああああの、赤尾さんが、ここここのあいだはどうもすみませんでした」

 斎藤さんがいつものようにまったく整理されていない語順で謝ってくる。

「なんのこと?」

「赤尾さんが、脱いでって」

「ああ」

 通信速度のせいか、時差があるので、いつも以上にコミュニケーションを成立させるのが難しい。

「入院してるときに赤尾さん来てくれて、聞いてくれたんです。思い残したことはないか、やりたいことはないかって。わたし、そそそそその質問に、こう答えました。ほ、本物の男の人が描けなかった、かかか悲しいって」

「本物って?」

 斎藤さんは赤面する。

「わたし男の人の裸を見たことがありません」

「ああ」

 裸を、裸をね。俺は一応人前で半裸になってるし、その映像を斎藤さんも見ていると思うけど。

「なんていうか、あの、裸、というか違うんです。ししししし真の姿? 真実の、おお、お男の人を知らないというか」

「そんなん俺かってそうや。真実の女なんか知らんし、そもそも女とそんな喋らへんから、わからん」

「え」

 斎藤さんは困った、とも驚いた、ともつかない顔をした。表情の変化が速くて、作画が追い付かない。ブロックノイズになる。ホテルのWi-Fi環境が安定しない。

「広瀬さん、赤尾さんといつも一緒にいるじゃないですか……?」

「ああ、ちゃう、全然そんなんちゃう。ってか、なんで赤尾と俺が……」

「付き合ってない?」

「赤尾は今は末松と付き合ってるみたいやで」

 斎藤さんは驚いて、絶句した。なんや、知らんかったんか。女同士って、恋愛にまつわる話ばっかりしてるもんやと思ってたけど。赤尾は普段斎藤さんと何話してるんや……ほんまにわからへん。

「ともだち?」

「いや、そういうのはなんか、言葉にすると腹立つから赤尾本人に聞いてみてくれる? カモとか。言うとくけど、俺、男版斎藤さんみたいなところもある」

「ストーカー同人作家?」

「そっちちゃうわ、あほ。童貞やねん。わかるやろ、なんとなしに」

 斎藤さんは心底驚いた顔をした。たぶんBLの読み過ぎで男は全員底なしの性欲を持て余しているのだと思い込んでいるのだ。

「え、ちょっとまって、あの、え、……ほほほほほんとうですか。え? コミュニケーションツールの発達した現代において、性欲を持て余した男子学生が、そんなことって、ああああるんですか……」

 斎藤さんは著しく混乱しているようだった。

「大学生男子ってそのへんのでででで電柱とでもセックスしているのでは?」

「そんな偏見どこで仕入れてくんの?」

 こっちが大混乱だわ。と言ったはずが、音声が入り混じってしまった。斎藤さんの速いまばたきに画面が追い付かない。俺はテレビ電話機能を切って、音声通話に集中する。

「わたしの読んだBL本の中ではそうなんです」

「斎藤さんが読んできた本の中ではそうなんやろうけどさ」

 前に調べた統計では、大学生の処女・童貞率が四割を超えていたこと、三十代未婚男女の性経験の割合に突然差が現れるのは、多くの男性が風俗で性経験に準ずる体験をするであろうこと、などを説明する。俺はコンプレックスを理論武装で解消するタイプなので、すまんな。斎藤さんは声だけになってもまだうろたえていた。一旦通話を切ったものの、またかかってきて、

「あのー、広瀬さんがおっしゃる性経験の定義には、第三者による手淫や口淫を含みますか?」

 と聞いてきた。俺は呆れる。

「こうやって綿密に童貞の定義を説明させられることがすでにセクハラ体験として俺の脳裏に蓄積しそうやからやめてくれる?」

「あ……。はい……。すみません……でした」

 斎藤さんの落ち込んだ声と、赤尾の笑い声をBGMに、通話が切れる。赤尾からメッセージが届く。斎藤さんのことについて少し話して、ふたりで斎藤さんの家を見舞う計画に同意する。俺は空いている曜日を赤尾に教えた。赤尾が家の近くまで車で迎えに来てくれるという。わかった。とだけ返事をする。

 俺はどっと疲れを感じてベッドにあおむけに倒れた。しばらくぼーっと天井を見つめていたけど、それから気を取り直して、シャワーを浴びるために立ち上がった。明日またおとんの病室に寄って、それから大阪に帰る。おかんにおとんの様子を知らせるラインの文章を打って、シャワー室に向かう。

 斎藤さん、自殺未遂直後とは思えへんくらい、元気やったな。


11.

 待ち合わせ場所に乗り付けた赤尾の車は、艶消しの黒だった。助手席に乗せてもらう。相変わらず足元にはティッシュとかバケツとか謎の貝殻とかが散乱していた。雑然としている。

「斎藤さん元気なん?」

「体は元気みたいだけど、ひどいスランプで落ち込んでる。マンガ描けなくなっちゃったんだって」

 言いながらハンドルを握り、赤尾は乱暴に角を曲がる。曲がった拍子に、シートの下から砂が出てくる。寿命が二年縮んだ。赤尾に運転なんか頼むんじゃなかった。


 赤尾は週末には必ず斎藤さんの家まで通って、一緒に買い物へ行ったり、食事の用意を手伝ったり、掃除をしたりしているらしい。介護か。俺には赤尾がなぜ斎藤さんにそこまで執着するのか、理解が及ばない。好きなんかな、斎藤さんのこと。

 赤尾に連れていかれたのはニュータウンの成れの果てだった。巨大な建造物が道路沿いに立ち並ぶ様子は、監獄みたいだ。斎藤さんが暮らしてるという部屋もやっぱり、ハンコみたいな建造物のどこかにあるらしい。建物の側面に、雨垂れがいくつも黒い筋になって壁に染みついている。カビみたいで汚らしい。強いて言葉にすると、しみったれている。斎藤さんはどうしてこんな建物に住み続けているのだろう。古びた、安全装置がついているのか怪しいエスカレーターに乗り込みながら、考える。足音ががらん、と大きく響いて、板一枚隔てた足元には深い縦穴が、奈落のように広がっていることを思い知らされる。

「昔ね、以前に家族でここに住んでいたことがあったんだって」

 赤尾が何かのはずみに口にする。

 そういえば親の転勤で引っ越し続きで、子どもの頃に碌な思い出がない、みたいなことを言っていたっけ。それでも同じ場所を選ぶのは、なぜなんだろう。

「俺やったら、とっとと自分を知ってる人間のおらへんところ引っ越すけどな」

 赤尾は曖昧に笑う。赤尾にも、俺にも、たぶん斎藤さんの本当の気持ちはわからない。斎藤さんが何に悩んで、なにを憎んでいたかとか。

「イントネーションと吃音でだいぶんいじめられたみたい」

 赤尾が言った。

「お前もそういう、言葉でいじめられたり、いじられたり?」

「わたしはもとは東京の大学に憧れてたんだけど、全部落ちて、遅れて願書出して通ったのが、今の大学。西の文化にも憧れてたし。広瀬君とか斎藤さんみたいな変な人に会えて、面白かったよ」

「俺を変人のくくりに入れるな。お前らよりよっぽどまともやからな」

 ごめんごめん、と赤尾は俺をいなす。

「私は逆に、友達の関西弁がうつっちゃって、笑われたな。変だって」

「まぁそらな、お前ら言葉のはじめにイントネーションをおくやん。そのままの発音で言葉だけこっちの真似するやん。やから余計変や」

「向こうに行ったら君らが少数派なのにね、変なの」

 エレベーターの扉が開く。こもっていた音が外に向かって開かれる。赤尾は歩き出した。俺も黙って赤尾に続く。

「赤尾は自殺とか考えたことなさそうやな」

「ないよ。全然。生きてるの楽しいし」

 結局、俺にも赤尾にも、斎藤さんの本当のところはわからないのだ。わからないのに、周りにまとわりついて、滑稽だな、クソに群がる蠅みたいだ。俺たちはなんで。

「ついた」

 チン、と音がしてエレベーターの扉が開く。旧いエレベーターに独特なにおいから解放されて、俺は思い切り息を吸った。十一階から見下ろす街はちっぽけだった。遠くの空が霞んでいて、よく見えない。似たような構造の建物がいくつも並んでいる。そのどれもが、たぶん、最後の住人が出ていくことを待ち望まれている。再開発の話が何度も立ち消えになった土地だと聞いた。

「あ、ごめん。車にお菓子忘れてきた。取ってくるから、先行ってて」

 赤尾が俺に斎藤さん家の部屋番号を耳打ちして、慌てて来た方向に走っていく。取り残された俺はなんだか急に帰りたい気持ちがしてくる。


 ひとりで訪れることになった斎藤さんの部屋は、なんだか生活のにおいがした。

「ごめん、あんまり掃除ができてなくて」

 斎藤さんはほとんど寝間着に近い姿で、青白い顔をしていた。画面越しに見るのとは違う、温度を伴った質感に圧倒される。あまりに強く存在する、存在感の薄い人間に、どんな言葉をかければいいのか見当がつかない。

「適当にかけてて」

 よろよろとした足取りでホストとしての役割を全うしようとする斎藤さんは、目のクマが濃くて、疲れているように見えた。俺はなにも言えないまま、勧められた椅子に腰かける。色褪せた合板の椅子。家族と暮らしていた頃に使っていたものなのだろうか、五人分の椅子があるダイニングテーブル。冷蔵庫も大きい。持て余している。という言葉が頭に浮かんだ。斎藤さんが持て余している「暮らし」や「ことば」、「からだ」のこと。

「体はもういいの」

 間が持たなくて、声に出して尋ねる。

「…………はい、もう。一時はどうなることかと思いましたよ。すごく気持ち悪かったー、苦しくて、恥ずかしくて、さ、ささ散々な目に遭いました」

 斎藤さんは笑っている。あっけらかんと、なんでもないことのように、自殺未遂のことを笑って話す。手元が落ち着きなさそうに動き回っている。日にあたっていない、白い手。

「スランプなんやって?」

 斎藤さんの目が泳いで、巨大な余白が斎藤さんの口の中を席巻する。しばらくばくばくと口を動かした後、やっと声が出た。斎藤さんはときどきこうやって声を失う。

「……そうそう、漫画描けなくなっちゃって、どうしたらいいか」

 斎藤さんはさっきから戸棚を漁っている。なにを探しているのだろう。買い置きの除菌シートがたくさん積まれているのが見えた。斎藤さんはその中の一つを取り出して、机を拭き始める。

「わたしね、ひ、非正規で働いてて、漫画の原稿料、サイトの払ってくれるお金と合わせて、かろうじで人間としての生活がで、………できてて、もし漫画が描けな、く、かかかか描けなく、なっちゃたら、どうやって生きて行けばいいかっ」

 斎藤さんの顔は泣きそうにも見えたし、笑っているようにも見えた。

「描けへんから死のうと思ったん?」

 斎藤さんの顔から、すっと表情が消える。

「わかりません」

 小さく答えた斎藤さんの声が、やけに人間味がなく聞こえた。

「………なんかこう、欠陥品みたいな気持ちがしませんか。人から抱きしめられたことがないって、ひ、人を抱きしめたことがないって、なななんだか、人間として、だだだだだだだだ、だだダメな存在なんだって、現実を突きつけられているみたいで、」

 斎藤さんは何かを言いそうになるたび、途中で言葉を切る。黒目がきょろきょろと動き回って、やがて一点を見据えて座った。

「斎藤さんこないだ言うてたやん、現代はコミュニケーションツールが発達してるって」

「え」

「そういのを使ってさ、ないの」

「な、ななななななないのって?」

「抱いたり抱かれたり言葉を交わしたり」

 斎藤さんはさっきまでの言葉とは裏腹に、自分にそんな機能がついていることを前提で話をされるのがおかしい、異常だ、というような驚いた顔をした。なんやこいう、大丈夫か? 思わず正気を疑ってしまうけど、そう言えばこの人、ついこの間まで入院していたんだったな、と考え直す。俺はでもイライラし始めている。言葉が上手く通じないことに、苛立ちを覚え始めている。

「斎藤さんが言いたいのは要はさ、自分には他人とコミュニケーションをとる資格がないか不安ってこと違うん。セックスがどうこう言う前にまず」

 俺のイライラを察知して、斎藤さんがかすかに怯えているのが空気を通してわかる。

「わ………かりません」

「自信がないとかそうこと?」

「わか………。りません」

 俺は息をため息を吐いた。

 「お待たせ」

 赤尾が手土産を持って部屋に入ってくる。斎藤さんはあきらかにほっとした表情を浮かべて、赤尾に駆け寄る。ふたりで会話をしているときは斎藤さんがまるで普通の人間のように見えた。ふたりが台所でなにか作業している間に、そっと部屋を出た。重い扉を開けて外に出る。外の空気は排ガスのにおいがした。でも部屋の中にいたときよりも俺はずっと気分がいい。団地を出て、駅の方角に向かって歩き出す。地図アプリが駅まで徒歩二十分だと告げる。赤尾に「帰るわ」とだけメッセージを送って、知らない街をぼんやりと歩く。駅について料金も見ずにICOCAをかざして改札を通った。スマホが家までの帰り方や乗るべきを教えてくれる。言われるがままに電車を乗り継いだ。知っている駅が近づくにつれて、どっと疲れが出てくる。

 疲れた重い頭をなんとか働かして歩く。サラリーマンと思しき人間とすれ違うたび、性経験の有無を想像してしまう。斎藤さんの病気がうつったのかもしれない。自分がなぜセックスもせずにバイトに明け暮れているのかわからなくなる。自分のことがわからなくなる。なぜ、なんて尋ねたところで意味がないことを俺は知ってるのに。頭の中を意味のない質問が圧迫してくる。少しだけ斎藤さんの気分がわかるような気がしてくる。俺は頭を振った。俺と斎藤さんは別の人間だ(あんな変態と一緒にしないでくれ)。俺は自分自身から出てきた言葉の強さに少し驚く。

 家に帰るとシャワーを浴びる気力もないほど消耗していた。顔だけ洗って布団に潜り込む。眠る寸前、昔好きだった幼なじみの顔を思い出して、気分が淀む。家が近くて仲が良かった。中学に入って三つ上の先輩と付き合いだしてからもしばらく二人で会っていた。彼氏面をしているうざい高校生のニキビ面。一度三人で口論になったことがある。俺を殺すとか潰すとかわめいていた、幼稚な男だった。俺はなぜか彼女に腹が立って

「中一と付き合ってデカい顔してる高校生なんかろくな人間やない。年下相手にイキりたいクズやろ」

 と乱暴に言い捨てたけど、一顧だにされなかった。でも確か俺の忠告は現実になって、夏に付き合いだして同じ年の冬には捨てられていたと思う。しばらくして、高校入試の帰り道、俺たちは付き合い始めることになった。合格発表も終わって、春休み、彼女の家に招かれて「親は今日は遅くなる」と告げられていざ性交渉をもつ雰囲気になったとき、勃たなかった。できなかった。詫びる俺を慰めようとする幼馴染が妙に手馴れていて、心が粟立つ感じというのか、ぞっとした。違うのかもしれない。怖かった。処女信仰、みたいなものが自分の中にあったことがおぞましかったのかもしれない。腹が立って、無理やり行為に及ぼうとした瞬間の、彼女の顔が、怯えている演技、興奮しているふり、その実心の中で思い切り見下げられている、と言う想像が頭にこびりついて離れない。俺はあのとき彼女になんて言って欲しかったんだろう。思い出すたび横隔膜がひくひくする、電気が走ったようになる、嫌な記憶。

 赤尾からラインが届いた。「なんで帰っちゃったの」。黙読して、そのままアプリを沈めて寝た。


12.

 おとんのTwitterアカウントにツーリングの様子があげられていた。中年の女の手がおとんの腰に添えられてる。ピンクベージュの爪にちいさな光る石。彼女がおとんの心酔したラーメン屋の大将なんだそうだ。おとんはすっかり元気そうだった。退院して、バイクに乗れるまでなったらしい。塩分の採りすぎはよくないとかで、さすがにラーメンは諦めたようだけど、新しく仕事を見つけ元気にやっているみたいだった。今はふたりで減塩ラーメンのレシピを探求しているらしい。などということをおかんに連絡すると、「お父さん元気そうでよかったな」とあっけらかんと笑っていた。

「うらやましかったりしてな」

「なにが。わたしが? お父さんのこと?」

「嫉妬してるんちゃうん」

「あほ。なに言うてんの。よかったなあて、それだけよ」

 おかんはパート先でもらった美味しいおかきのことを話しだす。俺は何も言わず、黙っておかんの話を聞いている。おかんが楽しそうで良かったと思う。もっと、離婚直後にこうしておかんの話を聞いてればよかったのかもしれない。おかんの声は明るくて、実際なんの未練もなさそうだった。俺には二十年連れ添った相手が、新しく誰かと写真に納まっている状態に働く想像力がない。おかんの気持ちなんか、きっと一生分からないと思う。

 今度、おかんと俺と、ふたりで淡路島へ観光へ行く約束をして通話を切った。斎藤さんの家に行ってからというもの、俺は何となくずっと体調が悪い。体の中から意欲が失われてしまったみたいで、毎日がただしんどくてだるかった。


 バイト先の居酒屋に赤尾が来て「仕事終わったら少し話そう」と声をかけられる。赤尾は一人でソフトドリンクを飲みながら、たいして旨くもない飯をひたすら口に運んでいた。「終わったらって、俺今日多分日付変わるまで帰られへんと思う」「じゃあそれまで待つから」「危ないやろ、ひとりで」「ひとりがだめなら、末松君呼ぼうかな」「そういう問題ちゃう」「まぁもう別れたんだけどね」赤尾はふふ、と口元だけで笑った。俺はバイトリーダーに無理を言って早めに仕事を上がった。

「なんやねん、話って」

 店を出てしばらくして、聞いた。赤尾はなかなか話を切り出さない。散々待って出てきた言葉が、

「やっぱり広瀬の身体が必要なんだよ」

 だったので俺は呆れた。

「広瀬は斎藤さんのミューズなの。お願いだから、一肌脱いで。お金なら私が出すよ。日給三万円でどう」

「さ」

 さんまん。俺は絶句する。正直少し心が揺らいでいる。

「いやでもわからんわ。誰でもいいから他になんぼでもおるやろ。もっと顔のええのんとか体のええのんとか」

「違うの、広瀬君じゃないとだめなの」

 赤尾の真剣さに俺はぞっとして、男なんか星の数ほどおるんやから、誰でもええから金出して抱いてもらったらええねん。と冗談めかして呟いた。

「ばかたれ」

 赤尾が俺の背中をバシンと叩く。

「お前らがすぐそういうことを言うから」

 語気を荒らげた赤尾の顔が真剣に怒っているように見えた。赤尾にしてはめずらしいほど感情がむき出しだ。俺は自分の発言を反芻する。そんなにまずいことを言っただろうか。

「裸見るんもちんこ突っ込まれるのも同じようなことやろ」

 口に出した瞬間、ケツに衝撃が走って前につんのめった。赤尾に蹴り倒されたのだ、と理解するまで少しかかる。

「全然違うわ、ボケ」

 赤尾は関東風のイントネーションで言い捨てて、すたすたと歩いていく。

「おい、三万の話は」

「もういい。忘れて」

「ああもう! 悪かった!」

 俺が悪かった、と赤尾に向かって叫ぶ。通りすがったサラリーマンが、痴話げんかか? にいちゃんがんばれや! とかなんとか叫ぶ。そんなんやと先が思いやられるな! 尻に敷かれっぱなしになるぞ。

「うるせぇ、ほっとけ」

 俺は外野に叫ぶ。赤尾がようやく俺の方を振り返って、近づいてきた。

「こんど斎藤さんの処女ネタいじったら、私がおめーをぶちのめすかんな」

 と言ってすごむ赤尾に、なぜか俺は頭を下げて謝っている。胸にわだかまりがわきあがってくる。どう考えても納得がいかない。俺のことを散々妄想で弄んでいた相手に、なにを言ってもかまわないではないか。だって。

「俺かてもっとひどいこと言われてんのに」

 なんか言った? という赤尾に、主にお前の友達とお前の映画のせいで、俺がどんな思いをしたか知らんのか? と聞き返したくなった。

「大体なんで俺が脱がなあかんねん。ふざけんなよ」

「斎藤さんの漫画の打ち切りを回避したいの。お願い」

 脅しの次は泣き落としだ。赤尾みたいな人間がとる行動パターンはだいたい予測がつく。それでも三万は魅力的だった。金のことを考えている俺はもう、以前斎藤さんの家で味わった気まずさや疲労をすっかり忘れている。三万あれば、欲しかったスニーカーが買える。


13.

 脱ぐ。服を脱ぐ。バイト先で仕入れるたまねぎのことを思い出す。厨房スタッフが剥いていく皮。外皮と可食部の区別ははっきりとしない。青みがかって辛みが強くなった層を剥ぐと現れる、白い水気の多い層。中心の糖度が高く柔らかい層、何重にも着込んだ球根のことを考えながら俺は服を脱ぎ捨てていく。色々気になったあげく、一日に三回もシャワーを浴びて、乾燥気味の粉を吹いた皮膚。赤尾が借りっぱなしにしているトランクルームは乾燥してて、空調の音が静かに響いている。斎藤さんが息を呑む音が聞こえた。

 去年俺が間借りしていた時に見かけた赤尾の荷物はほとんど整理されてた。末松と別れたのをきっかけに私物を整理したとか言っていたっけ。目につく場所には、衣装ケースに楽器とか電子機器とか冬物の衣料が入って詰まれている。室温は二十度、湿度は五十%。


 女の前で裸になるのあの高校進学の前の季節以来で、胃が引き攣れそうになる。記憶に引っかかりが多すぎて、なにを思い出しても気分が悪くなりそうだ。赤尾の用意したお洒落なスツールに腰掛けて、意識しないようにする。睾丸がぺたりと座面に貼りついて冷たかった。俺は今なにも身に着けていない。脱ぐのをためらって、下も? という顔をした俺に、斎藤さんは無機質な視線を向けただけだった。悔しくなって全部脱いだ。それでも斎藤さんは無関心を装っていた。

 斎藤さんは無言で鉛筆を走らせている。赤尾と末松と四人で飲んだ時に持ってきていたスケッチブックと同じ銘柄の、でもきっと別の冊子の表面を、何度も黒鉛でなぞる。す、す、す、す、と荒い画用紙の表面を鉛筆の芯がこする音が響く。心臓が粟立つ嫌な音。

 部屋には時計がない。俺はなにも身に着けていないから、時間を計る術を持たない。斎藤さんの顔はいつになく真剣で、とても話しかけられる雰囲気出なかった。じっとしているのに疲れたので、適当に動いていたら、それを咎めるわけでもなく、斎藤さんは何パターンもポーズを次々描き留めている。今日の斎藤さんは喋らないな、と思っているとおもむろに

「立って」

 と言われたので立ち上がる。ぶらり、と動く性器がいつもと違う生き物のように思えた。ナマコみたいなものが突然そこに噛みついて存在しているような感覚。思春期の頃に覚えた違和感。運動に応じてゆらゆらと揺れる。排泄のための器官。裸になることの社会的意義。人間の身体の温度。黄ばんだ肌。人間の肌色が密集しているのを見ると萎える。気持ちが悪い。俺は自分の太ももの辺りに手のひらを置いた。日に焼けていない太ももと、浅黒くなった手の甲の色のコントラストに今更ながら驚く。黒い毛が長く細くまばらに生えていた。斎藤さんの描く漫画の登場人物は、きれいに除毛されて皮も余っていない、整えられた見た目をしている。

「もう少し、こっち」

 斎藤さんの手が俺の脇腹あたりにそっと触れて、押す。生ぬるい人間の体。湿っていて、気持が悪い。映画を撮ったときのイケメンの距離を詰めるうまさを思い出す。いつの間にか初対面やよくしらない人間には詰められたくない間合いに入っている。なのに俺は不快だとも止めろとも言えない。知らない間に共犯関係が結ばれている気がする。後から振り返って気がつく。あれは近すぎたんだとか、戸惑いとか、何とも言えない、敵わなさ。実力や容姿が優れた相手に抱く劣等感だとか、それが転じた無力感だとか、怒りだとか、不公平さとか、言葉にできなかった自分の感情に。

 俺は斎藤さんの手が伝える温もりを、湿度を、気持ち悪いと思う。でも振り払うことができない。斎藤さんの手が尻の方に滑る。咎めようかと考える。でもわざとではないのかもしれない。

 精一杯広げた手のひらに尻の肉をがっちりと掴まれているのがわかる。こわばった手の動きは、決してなめらかではない。感触を確かめるというよりも、なにか塑像を作るような動きに似ている。斎藤さんの手が、尻から徐々に動き、俺の股座に差し掛かろうとした。

「触らんといて」

 なるべく平板な発音を心掛けたけど、実際口から出た言葉はなんとなく弱弱しくて、自分で聞いていて寒々しくなる。斎藤さんは一瞬怯えた犬のように身をすくめて、静かに手を下ろした。おどおどした目つき、苦しそうな口元、それからまた、泣きそうな顔になった。傷つけた? まるで俺が悪いみたいな、アンビバレントな気持ちになって、右手で顔を隠すように、「ストップ、」の意味のジェスチャーをして、カバンにかけておいたシャツを頭から被った。下半身丸出しにシャツって、なんか事後みたいやな、と考えたところで、赤尾に叱られた記憶が蘇って、渋い顔になる。

「帰るわ」

「あ、あ……」

 斎藤さんがどもる。

「別に怒ってへんから」

「で、でも、だだだだッ、ぁ」

「斎藤さんの漫画の良さは俺にはわからへんけど、斎藤さんの漫画を必要としてる人がこの世にいっぱいおることはわかった。やから、また気が向いたら漫画描いたらええと思う」

 俺は千原さんのことを思い出している。

「すごいよ、斎藤さんは。いい漫画が描けると、ええな」

 カバンを持って部屋を出た。同じようなドアが並ぶ廊下を抜けて、非常階段から地上に降りる。


 帰る途中、住所を持たなかった頃の生活がしのばれて、複雑な気持ちになった。親に対する不平や混乱が、手付かずのまま街の景観のあちこちに埋もれている。注意深く思い出を掘り当てないように歩くけど、勝手に向こうから襲ってくる。風俗店の看板がふと目に入った。

「いや、俺も童貞っすけど」

 末松が言っていたのを思い出す。

「気にするのもくだらなくないっすか」

 末松はなにごとにも執着しない。うらやましい、と思う。

「たかだか、そんなもんで人間の優劣が決まったら苦労せーへん、つぅか」

 たかだかそんなもん、俺にとってはそうではなかった。あのとき、俺は、彼女をがっかりさせたくなかった。

「目的とかゴールを取り違えてないですか。」

 俺は末松と赤尾が分かれた理由を知らない。ほな男と女が通じ合う目的とかゴールってなんなんかな。俺は、だって、俺にもできると思てた。そんな簡単なこと、簡単なことやと思てた。当たり前の、やさしい、人生の一部。

 斎藤さんのことは別に好きでも嫌いでもない。ただ斎藤さんと過ごした後はいつもどっと疲れる。斎藤さんはいつも近すぎるし、遠すぎる。適切な距離感と言うものを知らない。適切な距離感? それが何なのか俺も分からない。でも外では斎藤さんと過ごすときのような消耗を感じたことがないから、バイト先や大学で出会う人間の大半とは、適切な距離を保てているのだと思う。

 駅で電車を待っていると、階段から女の叫び声が聞こえてきた。

「ひろせさっ」

 斎藤さんがぜぇぜぇと苦しそうにあえいでいる。

「まってくださ」

 ひゅう、とのどが鳴った。喘鳴だ。

 ホームに電車が入ってくる。俺は斎藤さんの方に向かってゆっくりと歩きだした。人が電車から降りる。電車に向かって歩く人、走る人、待つ人。人の流れが斎藤さんの周りでぱっくりと割れる。誰も斎藤さんに関心を払わない。俺は人の群れと一緒に動いている。斎藤さんの方に向かって歩いていく。

「ごめんなさい」

 斎藤さんが叫んだ。

「お尻触ってごめんなさい!」

 何人かの人が斎藤さんを見る。そしてまた前に向き直って目的の方向へ歩いていく。

「なにもそんな大声で叫ばんでも」

 俺は呟いた。そして斎藤さんの背中をさすり、肩を貸す。人の流れが面白いように俺たちを避けて歩く。モーセになった気持ちでホームのベンチへ誘導する。斎藤さんは俺の買ってきた水を飲み、少し落ち着いたようだった。

「お尻、結婚前の男の人のお尻を勝手に触って、まことに申し訳ございませんでした」

 斎藤さんはものすごい勢いで頭を下げた。

「恥ずかしいからとりあえずその話は止めよ」

「わっ、わたしっ、広瀬さん」

 斎藤さんは顔を真っ赤にしてなにか喋ろうとしている。俺は斎藤さんの言語を赤尾みたいにうまく日本語に変換できない。なだめるために触った斎藤さんの身体は熱かった。湯気が立ってるんじゃないか、と思うほど熱い。しかもじっとりと湿っている。

「ああああ、あや、あやまらなきゃ、ってわた、ゎわわわわ、たし」

「いいから」

 ホームで電車を待つ人がちらり、とこちらに顔を向けて、すぐにまたスマホの画面に視線を落とす。

「あやまってくれてありがとう。気持ちは嬉しい」

「ききき、気持ち 悪くて、ごめんな、さい」

「いいよ、大丈夫、気持ち悪くないから」

 俺はベンチに腰掛けて斎藤さんの背中をさすっている。汗ばんだ背中、肉がついている。ブラの紐が肉を押し上げている。俺はたぶん、美しくない外見の斎藤さんを、侮っている。あざけっている。意識しなくても、心か体かそのどこかで。そのことが空気を通して斎藤さんに本人に伝わっている。斎藤さんの身体から肉まんみたいなにおいがした。

「ごごご、ごめん」

 斎藤さんが除菌効果のあるウェットシートで手をぬぐい始める。何度も、なんども、なんども。携帯用のウェットシートはあっという間に使い果たされてしまう。

「大丈夫やから」

 俺は斎藤さんの手を取った。

「汚くないから」

 子どもに言い聞かせるような口調を心掛けるけど、うまくいかない。どうしても苛立ちや呆れがにじんでしまう。これじゃだめだ、俺は。

「斎藤さんは、汚くないから」

 俺は斎藤さんを抱きしめた。

「汚くても、気持ち悪くてもええねん。どっちでも」

 斎藤さんの身体は熱くて太陽みたいで、じっとりと汗ばんでいて、にくまんのにおいがして、どくどくと血管の脈打つ気配がして、端的に言って、生きた核融合機みたいだった。かくゆうごうせいぶつ。

「世の中は大体汚くて気持ち悪い。わかるか」

 俺の質問に斎藤さんは目を丸くして、呆けたように口を開けっ放しにしている。

「なぁ、こんな汚いベンチとか電車のつり革でも、みんな平気で手に持ってるやん。触ってみ、ここ。誰も座ってへんベンチの座面。ほら。な。斎藤さんが触っても、なんも変わらへん。わからへんやろ、汚れ。それは世の中が最初から汚れてるから、わからへんねんで」

 俺は自分でも自分の言っていることがよくわからない。でも次の瞬間、斎藤さんは堰を切ったように泣き出した。ぴったりくっついた太ももが熱い。背中をさすると、太ももよりももっと熱が高まっていることが分かった。体の熱が真ん中に集まってたぎっている。生まれたての太陽みたいになった斎藤さんの丸い背中。猫背の背中を撫でながら、俺は昔付き合った彼女のことを考えている。指を突っ込んだ彼女の性器は熱かった。内臓がマグマみたいに思えた。「あ、これは内側、皮膚の裏側なんや」と思った瞬間性欲が吹き飛んで、体から熱が引いて行った。「いいよ、勃たないなら、勃たせてあげるから」そう言った彼女がとても慣れた様子で俺の性器に顔を寄せたので俺は。慣れてるやん。俺やなくても。っていうかたぶん、誰とやっても。こんなん同じことやん。横隔膜が大きく震えて俺は。吐きそうな衝動を抑えながら萎えたままの性器に顔を寄せる彼女を見下ろしていた。太ももの辺りに落ちた斎藤さんの涙が生ぬるい。他人の体液を浴びて俺は気持ちが悪くなる。斎藤さんは俺の身体にしがみついて泣き続けた。シャツに染みこんだ斎藤さんの涙は最初驚くほど熱いのに、すぐに冷えて冷たくなってしまう。じわじわと染みこむヒリヒリした涙が、電車に乗り込む乗客と降りてきた乗客の目線と相まって、痛い。


14.

 就活をはじめてとんとん拍子に電子機器メーカーへの就職が決まった。人手不足なのだという赤尾の説明は正しかった。親世代のリストラだの人員整理だのの姿を見て、すっかりびびっていたけど、あっけないくらいに決まってしまって驚いた。大学の卒業もほぼ確定しているし、卒論の出来も上々で、春から暮らす新しい物件も決まっている。おかんは俺のことをあまり心配していないようだった。たぶん俺よりも自分や千原さんの子どもたちのほうが心配なのだろう。引っ越し先の住所を教えるとすぐに、母親から荷物が届いた。通帳と印鑑が入っていた。

「あんたのお年玉、貯めてたぶんです。せっかくなので、渡しとくね。今からなにかといりようになると思う。自分のために使ってください」

 という手紙が添えられている。そんなん、おかんが困ってた時に使ってくれてよかったのに。こっちはそのつもりでおったんや。それからひとりで晩飯に親子丼を作って食べながら、泣いた。

 おとんはおとんで、新しい家族ができたらしい。一度だけおとんと、その奥さんとの食事に同席した。幸せそうだった。就職と卒業が無事決まったことを知らせると、おとんは誰よりも喜んでくれて、ほしいものはないか、と聞いてきた。「ないよ。気持ちだけでありがたいわ」と答えた。その一週間後、おとんから荷物が届いた。中身は高そうな、いかつい時計だった。「俺金属アレルギーやねん」と呟いて、思わず笑ってしまった。通勤カバンに付けて持ち歩いたっても、まぁええけど。年下の嫁と結婚式挙げるために金がいる、とか言うてたんやなかったか。


 荷物の整理をしながら、まさか在学中に二回も引っ越しの準備をせなあかんは、入学前は予想もしてなかったな、と考えたら笑いが漏れた。住所不定の暮らしをする羽目になるとも思ってなかったし、それもこれもすべて斎藤さんのせいなんやけど。そのとき、玄関の方でふと誰かの気配がした。ポスティングのアルバイトだろうか。ガタン、と新聞受けに何かが投げ込まれる。差出人や宛先が書かれていない、A4サイズの茶封筒が入っていた。中から斎藤さんが描いたしたという商業BLコミックと、俺のヌードデッサンが出てくる。口から乾いた笑いが漏れた。斎藤さん。なんで俺の新しい家まで知ってんの。まぁもう引っ越すからええけど。ヌードデッサンに描かれた俺は思っているよりもずっと、温和そうな顔をしていた。漫画は短編集で、明らかに汪君をモデルにした造形のキャラがいたけど、俺はいなかった。たぶん。わからない。不安になる。漫画の中でセックスしたり喧嘩したり略奪したりしている男の姿が、斎藤さんが俺を見て学んだ姿でないと言い切れるだろうか。斎藤さんから見た俺の姿が作中にに現れていないと、誰が言いきれるだろうか。短編集の中には、男が男に傘を借りるところから始まるBLがあった。映画のセックスシーンも、雨の日が舞台だった。

 読み終わった漫画のページの隙間からQRコードの印刷された紙が出てくる。息が止まりそうになる。恐怖心だと気がつくのに数分かかる。一瞬読まずに捨てようかと思った。でも気になって、QRコードリーダーで読みこむ。書かれていたのは、斎藤さんの新しいweb連載漫画のURLだった。去年までの出来事を思い出して少し不安になる。今度こそ斎藤さんは俺が主役のBL漫画を全世界に向けて発信しようとしているのではないか。背筋が冷える。

 漫画は吃音の少年が主人公だった。小学校でいじめられ、中学で不登校になった少年が、編入した高校で出会った同級生に転校直後に抱きしめられるところから物語は始まっている。はじまったばかりのそれを、俺は何となく読んでいて笑っている。斎藤さんがそこからはじめられるなら、はじめられたならそれでよかった。


 ブラウザを閉じて、読みこんだURLを破棄した。QRコードリーダーをアンロードして、荷物を込めた段ボールに封をする。デッサンはしばらく迷った後、赤尾に送り付けることにした。赤尾は会社に勤めながら、今も映画を撮っている。赤尾の動画アカウントには、俺が主演した映画の短縮版も載っていて、俺のキスシーンが今も誰かの目に届いている。性的に消費されたり、あるいは絶望を産んだりしているかもしれない。架空の性体験が俺の人生を侵食していくことを想像する。不安になったり、気分が悪くなったり、落ち込んだり、怒りが沸いたりする。YouTubeのコメント欄を眺めていると、俺の演技を褒めている人がいることに気付く。「人間が許せない人間の目をしている」俺はすこし笑った。架空の人生と架空の男と男に自分の人生を重ねている人たちの多さ。画面の向こうにある、たくさんの生身の身体を想像して、俺は斎藤さんの湿った温度を思い出す。大学に、通勤電車に、バスに、商業施設に、ビルに、詰め込められたたくさんの身体。名前の付いたたくさんの身体。赤尾の情報によると、斎藤さんも俺と同じ時期に引っ越しを決めたそうだ。出版社の集まる東京で暮らすことにしたらしい。だから、俺の部屋のポストに斎藤さんがなにか投函していくことは、きっとこれが最後になる。新しい部屋で、きっと前よりもずいぶん狭い部屋で、ひとりで暮らす斎藤さんの背中を想像して、俺はその背中をそっと叩いた。想像の中の斎藤さんが小さく震える。「怒ってないよ」俺は呟く。斎藤さんの小さくてつぶらな目が、ゆっくりとこちらを向く。

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さんざめいて、その膜を破って 阿瀬みち @azemichi

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