君の葉を重ねて

あろん

君の葉を重ねて

 注文していたものが店員の手により僕たちのテーブルに届けられた。

 僕の前には一杯のコーヒー。はるかの前には紅茶とミルフィーユ。

 僕は薄く湯気の立ちのぼるカップを取り、一口すする。遥はフォークの先でミルフィーユのぱりっとした表面を撫で、話し始めた。

「ねぇ、人間って、ミルフィーユに似てると思わない?」

 何の脈絡もなく発せられた言葉に、僕はしばし固まってしまった。

「急にどうしたの?」

 持っていたカップをソーサーにおろした。カチャリ、と不穏な音が鳴った。

「ちょっとね、そんな感じがしたの」

 遥はミルフィーユの側面にゆっくりとフォークの背を撫でつける。層がいくつあるか数えているかのように。

「人間って、過去を何層も重ねた結果、いま存在している感じがするでしょ。それがミルフィーユに似てるなって思ったの。それに――」

 遥は手を止め、フォークの切っ先をミルフィーユの上に突き立てる。じわじわと指先に力をこめていき、ついにはミルフィーユに突き刺した。

 途端、均衡を失ったミルフィーユから、クリームがドロリと溢れ出た。ミルフィーユはかつての美しい姿とは縁遠いものに成り果てていた。

「――それに、壊れると醜く汚い」

 遥は冷たい声色でつぶやいた。


  ◇


 あの日から数日後の真夜中、彼女は大型トラックにねられて死んだ。即死だったそうだ。

 事故の原因は分かっていない。飛び出し自殺の可能性も考えられたが、偶発的な事故の可能性を拭い去ることはできなかった。彼女が死んでしまった今では真相は定かでない。

 事故の現場は凄惨な有様だったそうだ。トラックの運転手のブレーキが間に合わなかったために、遥の身体がトラックに十数メートル引きられ、現場には彼女の血肉が散乱したらしい。

 それこそ彼女が言ったように、中身をドロリとこぼれ落とした、醜く汚い最期だったのかもしれない。


 僕はいま、彼女の葬儀に参列している。

 場内には嗚咽おえつと涙があふれ、彼女へのいたみに満たされていた。

「惜しい人を亡くしました」

 皆が口をそろえて哀悼の意を表していた。

 明るく快活で、周囲に気配りができ、思いやりのある、彼女にふさわしい言葉だろう。でも、それらはどれも彼女の深層をかくすための、偽りの仮面だったのかもしれない。

 僕は彼女のを聞き逃していた。

 あの日の会話の続きを思い出した。


  ◆


 遥の皿の上で、クリームを零れ落としながらミルフィーユが倒れた。

 僕はコーヒーカップを手に取り、少し啜ってから答える。

「さすがにそれは可笑しいよ」

「……そう?」

 遥は冗談っぽく笑い、フォークの先で倒れたミルフィーユを突き刺すと口に運んだ。ぱらぱらと破片が皿の上に降り落ちた。

「人の死を醜く汚いって言うのは罰当たりだよ」

「でも実際にそうじゃない」

 遥は淡々とミルフィーユを食べた。皿の上のミルフィーユにはもう、最初の姿の面影は見当たらない。

「まあ最後のことは同意できないけど、人間がミルフィーユみたいだって言うのには同感できるところがあるね」

「へえ、一体どんなところ?」

 遥はミルフィーユを食べ終え、皿の端にフォークを置いた。皿の上にはミルフィーユがかつて存在していたことを示す残滓ざんしが無数に散らばっていた。

「食べ終えた後のお皿がさ、人の死んだ後みたいじゃないか。こうやって欠片とかが残ってる感じが、他の人たちの中に自分の一部を残してるみたいに思えない?」

 僕の言葉を聞いて、遥はミルフィーユのあった皿を見つめた。表面に無数の欠片が張り付いていた。

「嫌だな」

 遥が呟いた。

「嫌?」

 遥はすぐさま置いていたフォークに手を伸ばし、独り言のように答えた。

「私は壊れたら、そのまま消えて無くなりたい」

 そう言うと遥はフォークの角で皿の表面をこすり、残っていた欠片を取り始めた。

 力を込めてガリガリと削り取る。皿とフォークがぶつかり、キィキィと高い音が鳴った。

 しかしどんなに頑張っても、すべてを取り切ることはできない。どうしても小さな欠片が皿に残ってしまう。

 遥はついに諦め、フォークを捨てるように皿に置いた。皿の表面にはまだ、どうしても取れなかった欠片が剥がれず付いたままだった。

 遥はその欠片を見つめながら、ぽつりと呟いた。

「私は何ものこしたくなんかないのに……」


  ◇


 彼女の棺が葬儀場から出棺される。

 棺の蓋は、葬儀が始まってから最後まで開けられることはなかった。おそらく事故のせいで見るも無残な姿になってしまったためだろう。けれど最後に一度でいいから、じかに君の顔を見たかった。

 親族の人たちの手により、棺が霊柩車に乗せられた。

 長いクラクション。もう君に会うことは叶わない。

 走り出した霊柩車を見ながら、僕はあの日の君のミルフィーユの皿を思い出した。

 どうしても取れない欠片。あれはきっと僕だ。僕のなかの、君だ。

 走り去る霊柩車が他の自動車に紛れて消えて無くなるまで見送った。

 千枚の葉を重ねたミルフィーユのように、僕は自分のなかに新たに一枚の葉を重ねた。

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君の葉を重ねて あろん @kk7874

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