では一緒に夏を始めよう

水谷なっぱ

では一緒に夏を始めよう

「先輩! 俺と長距離走で対決してください! そんで俺が勝ったら先輩に告白させてください」



 部活の先輩に告白をしようと思った。しかし俺はヘタレだ。ドヘタレだ。普通に真正面から告白とかホント無理。かといってスマホからメッセージで告白するほど阿保ではない。つーか先輩の連絡先知らねえ。それが聞けたらとっくに告白してるっての。それでも大好きな先輩だから頑張って告白しようと思う。そこで冒頭の発言である。俺と同じく陸上部で長距離走専門の先輩。対する俺は短距離走が専門だけど、この日のために1学期は体力作りと称して先輩と走りこんだ。そして1学期の期末テストが終わり、久しぶりに部活動が再開する今日、俺は先輩に対決を申し込んだのだった。

 先輩は着替えて部室から出てきたところにいきなり挑まれてぽかんとしているけれど、すぐに勝気な笑顔に変わる。

「喜んで受けて立とう。私が勝ったらどうする?」

「あ」

 考えてなかった。どうしよう? 逆に告白してくれていいですよ、とか? 阿保か。

「自分が負けるだなんて考えてなかったのか? そうかそうか。じゃあ私が勝ったら私のお願いを一個聞いてもらおう」

「……わかりました」

 先輩は物凄い笑顔でなにを言われるか分かったもんじゃないけど、でもここで引くわけにはいかない。俺は何としてでも先輩に告白するんだ。

 

 

 2人でスタートラインに並ぶ。俺はガチガチに緊張してるけど、それを先輩に見せるのは悔しくてできるだけ余裕を取り繕う。先輩の方はいつも通り余裕しゃくしゃくといった体だ。

「でもなんで長距離? きみは短距離専門だろう?」

「好きな人に告白するのに自分の得意分野で挑むなんてかっこ悪いじゃないですか。先輩の得意なことで勝たないとダメなんです」

 訝しげだった先輩だけど、答えを聞いてなるほど、と頷く。

「気概はいっちょ前だな。でもそれだけで勝てるほど、甘い先輩だと思わないでほしい」

 先輩の顔が試合の時の顔になった。ヤバい。勝てる気がしない。っていうか負ける。いやいやダメだ。ここで引くわけにはいかない。そんな格好悪いところを先輩に見せるだなんて絶対にできない。俺はなけなしの勇気を振り絞ってスタートの姿勢を取る。互いのせーのの言葉で走り出した。

 

 

 コースは校庭をぐるっと回ってから校舎沿いを2周して校庭に戻り、再度ぐるっと校庭を周るという陸上部がいつも走っているコースだ。

 最初の方は先輩がやや先を走る。俺は瞬発力はあるものの持久力では先輩に到底敵わないので序盤は先輩に風除けになってもらいながら温存しつつ走る。後半になったら残りの体力で一気に追い上げたい。それを許してくれるかどうか、そこまで体力を残しておけるかが勝敗のカギだ。

 先輩は規則正しく呼吸を繰り返しながら着々と進んでいく。息が上がる様子はなく、この人は生まれた時から死ぬまでこのペースで走り続けるんじゃないかと、そう思わせるような走りだ。その姿が俺は好きだ。静かで、焦りや悩みなどとは無縁で、ただただ走るだけの人だ。すごくかっこいいと思った。振り向いて欲しいと思った。先輩、俺の声はそこに届きますかと聞きたかった。

 そんな俺の思いなど気づくこともなく、先輩は静かに前へと進んでいく。俺はそんな先輩に並ぶべく、ただただ足を進める。気付いてほしいから、振り向いてほしいから、いつかは並びたいから。今はまだ追いつけないけど、あと少しなんだ。

 中盤まで行っても先輩のペースは変わらない。淡々と同じペースで進んでいる。このままの距離で付いて行って、最後100メートルくらいのところでスパートをかけたい。行けるだろうか。今のままなら行けそうだ。そんなにハイペースなわけではなく、付いて行くのにも十分、余裕を持って着いていけている。

 ふと不安がよぎる。こんなに簡単にいけるものなのか。先輩は高校の陸上界では優秀な人だ。県大会くらいまでなら余裕で上位に食い込むし、今年の春は全国大会で入賞もしていた。そんな先輩に対して、ほんのちょっと練習しただけの俺が勝てるだなんてことあるのか。

「だとしても、だ」

 それは俺が諦める理由にはならない。なんとしてでもゴールまで駆け抜けなくてはいけないのだ。そしてあなたが好きだと言うんだ。一瞬先輩が振り向いた気がした。気のせいだろうか。

 

 

 そうこうしているうちにコースも後半になり終わりが近付いてくる。校舎を回り終えたところでスパートをかけたいのでじわじわと追い上げ始めた。順調に先輩との距離が詰まっていき、無事に校庭に着くころには追い抜くことができた。あとはこのまま一気に速度を上げてゴールまで駆け抜けるだけだ。

 後ろの先輩のことはもちろん気になるけど、振り向くわけにもいかず必死に速度を上げる。あと少し。あと少しでずっと憧れだった先輩に手が届くのだ。今ここで負けるわけにはいかない。とはいえ短距離走程とは言わずともかなり速度を上げているから、まさかこんなところで追い抜かれるなんてことはないだろう。そんな余裕を持って俺はとにもかくにも足を進める。

 そしてゴール目前。あと数歩でゴール、というところで先輩に抜かれた。何が起きているかわからない。慣性の力で持ってとにかくゴールラインまでは足を運ぶ。そこでは先輩が笑顔で待っていた。

「お疲れ様。ずいぶん頑張ったじゃないか」

「でも勝てませんでした」

「当たり前だ。君程度で私に長距離走で勝とうなんざ100年早い。私はこれでも小学生のころから走り続けてるんだ。長距離走なめんな」

「……そう、ですね。すみません」

 叱りながらも先輩はドリンクを手渡してくれる。疲れた体に薄いレモン入りのポカリが染み込む。先輩もドリンクを飲んでいて汗はかいているものの息が乱れた様子はなかった。なんていうか、勝てないなと思った。そもそも全国クラスの人に付け焼刃で勝とうなんて考えがそもそも大間違いだった。

「で? 私が勝ったからお願いを一個聞いてもらおうかな?」

「そ、そうでした」

 ヤバい。先輩がすっごい悪い顔してるのが分かる。逆光で顔が見えないのにそれがわかるくらい先輩の声が楽しそうだ。一体どんな無理難題を押し付けられるというのか。

「おや、私のお願いは聞けないのかな?」

「いえ! なんでも言ってください! 大好きな先輩のお願い一つ聞けないなんて男がすたります」

「そうかそうか。いい勢いだ。じゃあ私と付き合ってくれ」

「は?」

 ちょっと意味が分からなくて口をパクパクさせてしまった。付き合う? なんだ? 買い物とか? 荷物持ち的な?

「なんだぽかんとして。好きなのは自分だけだと思っていたのか? 私の彼氏になれと言っているんだ」

「え、え? 好き? 先輩が俺をってことですか?」

「そういうことだ。君の返事は?」

 返事? あ、彼氏になれっていうお願いの返事か。ていうか『彼氏になれ』ってお願いじゃないし。命令だし。

 俺は自分の力で先輩の上をいって、それから告白したかった。でもそれは俺の独りよがりだったんだろうなって、今更気付く。だって先輩はそんなことしなくても俺のことをちゃんと見ていてくれたのだ。だとしたら返す言葉は一つしかない。

「よろしくお願いします」

「そうか。良かった。よろしく。じゃあとりあえず、連絡先の交換からしようか」

 笑顔の先輩に手を引かれて立ち上がる。まだ手をつなぐまではいかないけれど、それでも俺は先輩の彼氏なのだ。思ってたのとだいぶ違っちゃったけど、悪くないかと顔をにやけさせて先輩の後に続いた。

 

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では一緒に夏を始めよう 水谷なっぱ @nappa_fake

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