キミとの距離

藤井杠

君といると、少しくすぐったい。




 蝉の声はひぐらしへと変わり、ひんやりとした風が道を吹き抜ける。夏の終わり、悩ましい季節が変わると同時に、今日という日が君と共にやってくる。


「よっ!久しぶり!また音楽聞いてんの、れん。」

「…君こそ、夏休みが終わったというのに、その暑苦しさは変わらんな。」

鈴元 きょう。小学校からの仲で、自宅も近い。俗に言う、幼馴染というやつだ。何の因果かずっと同じクラスということもあり、高校生になった今も何かというと突っかかってくる。例えば、


「なぁ、昨日のテレビ見た?プロ野球の中継なんだけどさ。凄かったんだぜ、特にさぁ…」

登校中にしばしば見られるこのような他愛もない話だ。ただ、こちらの反応が無くてもしゃべり続けるものだから、今となっては気にもしていない。耳元で流れる機械音に体を預けると、君は口をすぼめて拗ねるように

「何だよ、またボカロかよ。ワイヤレスイヤホン、俺無くしちゃったからさ。蓮はよく無くさないよな。」

そう言い、少しつまらなそうな顔をして、話を続けていく。

何も変わらない、いつもの日常が今日も過ぎていく。


 ペンと紙とが擦れ合い、時折声を洩らす

記憶の中の文字をなぞるだけの、単調で、退屈な時間。いくら言葉を並べようと、どれだけ意義を連ねようが、ここに楽しさというものは見えてこない。

むしろ、虚しさすら最近は感じてしまう。

それでも、やらなくてはいけないのだから。

終業の鐘が、これほど心地よいものとは。とても始業の鐘と同じ響きとは思えない。

「あーあ、やっと終わったな、授業。普通始業式の後にミニテストまでしねぇよな。」

「そうだな。授業が終わると直ぐに僕のノートを写しに来るなんてことはしないな、普通は。」

「それとこれとは話が別だよ」

そう言いながら僕のノートを見、手慣れた様子で書き写していく。僕はそんな享の様子を、肘をついて見つめる。コロコロ変わるその表情は、見ていてとても興味深い。

「いつまでもそんなだから成績が伸びないんだよ。見ろ、・・・他の女子も笑ってるぞ?」

そして、たまにこうして君をからかう。休息中での数少ない楽しみだ。

「あぁ・・・そうだな」

手を止め、向こうへと視線をやる。いつもと同じ行動、同じ台詞のはずなのに、

見たこともない、表情だった。


「享!あんた部室にイヤホン落としていったでしょ!」

茅野かやの!」

見慣れない女子生徒が、享の名を読んでいた。


 享は、野球部所属、一年にしてレギュラー。成績はいまいちだが、顔は中盤並みと女子の間では言われているそうだ。…全て、享が自分で言ってきたことだが。

まぁ、おそらく、モテないということはないんだろうな。

数分後、話を終えたのか、足早に享が僕の席へと戻ってくる。

「いやー。まさか部室に落としてたとは…。でもこれ結構高かったからさ。見つかってよかった~。」

「さっきの…彼女は?」

「うん?…あぁ!茅野のことか。夏休みからうちの野球部のマネージャーになったんだ。夏休みは試合もあってあんま蓮と会わなかったからな、そっか。知らなかったのか。」

「…そうか。最近入ったにしては随分と仲がいいんだな。」

「そうかな?でも茅野、すごく色んなことに気がつくし、結構いいマネージャーだと思うな。」

享の誰とでもすぐに打ち解ける性格だ。いつものことじゃないか。


 夕焼けが窓の外を包み始めた。気付けば下校時間になっていた。今日は、なんだか課題に集中出来なかった。…妙に頭の中がうるさかったせいか。

部活も終わりかけの時間。生徒の数もまばらに見えた。図書室を出て、生徒玄関で靴を履き替え、校門の横、グラウンドへと向かう。

享の部活が終わる頃の時間まで図書室で課題や読書をし、一緒に帰る。いつからかこんな日常になっていた。


 享は、いつものようにユニフォームに泥だらけの姿で、あのワイヤレスイヤホンを見つけてくれたマネージャーと片付けをしながら、仲良さそうに話している。

どうして、気になるのか。

心の中のもやもやに、疑問を持った。

それは、退屈な授業の中で、時折生まれる疑問とは何かが違う、どうしても胸のうちから取り除けないような、そんなもどかしささえ感じられた。

 選手と、マネージャーなんだから、当然じゃないか。他の女子と話しているところだって、何度も見ている。

夕焼けが、地面に落ちかけていく。

なのに、僕はどうして君から目を離せないのか。

どうして、今の君はそんなに嬉しそうなんだ。

どうして僕の心は、こんなにも。

幼なじみとして何も思ってなかったはずなのに、ずっと、一緒に居るのが当たり前だと思っていたのか


 もう、何も考えたくない。

イヤホンを取り出そうとして、手探りで鞄の中を探った。イヤホンは中々見つからなくて、そのうち、くちゃくちゃにコードが絡まって出てきた。

どうして僕は、有線のこのイヤホンを使い続けてるんだっけ。


その理由を思い出す前に、享が、こちらに気づく。

「よぉ蓮!もうすぐで終わるから、もうちょっと待っててくれ!」

いつものように手を降り返せばいいのに、どうして僕は下を向いたまま、享の顔を見ることができないんだろう。

「どうしたんだ、蓮?具合でも悪いのか?」

だから、君は心配して僕の方へと小走りでやってくる。彼女は、マネージャーはどんな表情だろう。

ぱっと顔を上げて、二人の顔を見る。夕焼けがこっちを向いて、よく見えなかったけれど、

「・・・君は、どうして僕と居るんだ?こんな根暗で、勉強しかできない僕と、居ても楽しくないだろう?」

「・・・は?」

どうして、心配して来てくれた君に、辛い僕は当たってしまうんだろう。僕の勝手な、思い込みのはずなのに

ブレザーに、皺ができる。耐えがたい滴が零れる前に、僕は享の前から逃げだしていた。


君を好きになったのは、僕のせいなのに。



 あれから、どう家に帰ったのかあまり覚えていない。気づくとベッドの上にいた。電気もつけずにいたから、部屋の外がいつの間にか暗くなっていたことに気づいた。

まだ頭がボーッとしていた。

もう、寝てしまおう。

眠れないときは、いつもイヤホンをつけて、小さい音でラジオを流す。

あぁ、でもなんだか今日は、コードがすごく邪魔くさい。寝返りを何度しても落ち着かない。

そうすると、享の顔が思い浮かぶ。

どうして、あいつの顔が。

面倒くさいと思うこともあったのに、

どうしてこう、離れがたいのか。


この気持ちはなんなんだ。

どうして、享なんだ


結局よく眠れないまま、次の日を迎えてしまった。まぶたはまだ重く、心地よい世界へ引き返したいと、向き合いたくは無いと、弱気な僕は普段より遅い支度と足取りとなる。

それでも、いつもと似たような時間に、支度が終わってしまった。


 家族にこの気持ちを言葉にできるはずもなく、僕は少し早めに家を出た。でも、いつもと同じように学校へ行く気にはどうしてもなれず、いつもとは逆の道に歩を進めた。

少し見慣れない道を、当てもなく歩き続ける。いつも見慣れた車が、逆方向に進んでいく。まるで、この世界ごと逆再生されているみたいで、不思議な感覚だった。

しばらくすると、耳障りな鐘の音が遠くで聞こえる。今日に限っては、自分がさして行動的な生徒ではない事に、どこか心地よさも感じられる。

享は、遅刻しなかっただろうか。

そんなことを考えて、ぶんぶんと頭を降った。

君はきっと、『あの子』と学校に行くんだろう。それでいいんだ。

僕が居なくたって誰も   

君も、気にはしないだろう?

どうせ、幼なじみってだけなんだから


 ベージュ色が、赤茶色の地面に変わる。下ばかり向いて歩いていたせいか、いつの間にか、知らない場所へと出てしまっていた。

急に、学校をズル休みしてしまったことへの罪悪感と、不安感が押し寄せてきた。

灰色に曇り始めた空を見上げて、さらにその気持ちに重みが増す。

街を歩く人たちを見て、友好関係の広くない僕は、否が応にも君の顔を思い出す。

 君の顔に、彼女の顔が重なる。それと同時に離れていく僕の心は、温度差が大き過ぎて、いつの間にか黒い雲を広げ、耐えられない滴が溢れ出していた。

頬に大粒の雨が当たる。

どうしてこんなときに限って僕は傘を忘れたんだろう。

あぁ、いつもより家を早く出たから、いつもの天気予報を見なかったから。

…学校になら、置き傘があったのに。

今更気付いたところで何も変わらない。


どうか、どうか このままの距離で

そう思うのとは裏腹に、

我が儘な嘘は雫と溶け合い、ポタポタと地面に落ちていく。

君とずっと、居られればいいのに。


どうしたら、この胸のうずきを消すことができるのか。


 シャッターが降りた建物の前で、雨宿りをする。雨はしばらくやむ気配もなく、しばらくここで待つしかない。

退屈しのぎに、鞄からイヤホンを取り出した。

「……。」

降りだした雨のせいか、中学から大事に使い古した布製の鞄のせいか、イヤホンは大胆に濡れてしまっていた。ハンカチで軽く拭いて、音楽を流す。

聞きなれた筈の機械音にはノイズが混ざり、癖がついたコードは何度伸ばしても絡まり合う。雨は止むことなく、次第にその音が大きくなる。

ワイヤレスイヤホンなら、このノイズを消すことが出来たんだっけ。



 君から、このイヤホンを貰った日を思い出した。中学3年の秋、その日も雨だった。

珍しく二人とも傘を忘れ、ずぶ濡れになってしまい、近くの屋根の下で雨宿りをした。

享は暇潰しに!と昨日買って貰ったイヤホンの話を始める。

「で、このワイヤレスイヤホンさ、ノイズキャンサー?って、周りの音を消してくれるんだって!凄くね?

でも、前まで使ってたイヤホンもまだ使えるんだよな…捨てるのもなんかもったいないし…

そうだ!蓮!これおまえによかったらあげるよ」

そう言うと、享は僕の耳にイヤホンを当てる。


「この色、お前にスゲー似合ってる!」

君の笑顔が、太陽に照らされてとても綺麗に見えた。

「あ、もちろん耳のこのふにふには予備のやつと取り替えるからさ!

おっ!雨も上がった!」

あの日は、とても輝いていた。


 目を現実に向けると、雨の線が未だに強く降っている。見慣れた景色から君という色が抜けただけで、こんなにも色あせてしまうのだろうか


曲の向こうで皆が言う。

どんな悲劇だって、必ず救われると

奇跡は起こるんだって


そんなノイズの中に、君の声を見つけた。


「れーん!!どこだー!?」

雨の中、享の声が聞こえる。そんなはずない、と思いながらその姿を探していた。


道の向こうから、享が走って来た。

「蓮!」

「君は…どうして」

「お前どこ行ってたんだよ!朝ギリギリに学校についたら教室にいないし!親からもなんも連絡なかったって!それで俺、心配して…へっくしょい!!!」

こちらからなにかを言う隙もなく、これまでのことを言いきる前に、大きなくしゃみをする。

そんな君の姿に、思わず笑みがこぼれる。

「君は、変わらないな。」

そんなところが、好きなんだろう。


「…なに笑ってるんだよ。すげー心配したのにさ。」

「ふふっ。ごめんごめん。」


あんなにうるさかった雨の音は、やんでいた。雲の隙間から、光がもれだし、あの日の虹をつくる。

「前に雨凄かった日も、こうやって蓮と虹を見たっけ。二人ともべっしょべしょでさ。

そのイヤホン、まだ使ってくれてるんだよな。ありがとう、蓮。


…あ!それと!サボるなら言えよな。それくらい付き合うのに。」

享と二人、家までの道を歩く。


今日もまた、僕にとって忘れ難い日になるのだろう。君との思い出を積み重ねて、思い出した日に、君とまた二人で笑えるように。


君に、伝えようと思う。





 毎日の日常は、少しずつ変わっていく。

僕は、君にこの気持ちを伝えることを決めたはずなのに、曲の中の聞きなれたフレーズは、なんだかくすぐったくて。



だけど、

そんなノイズも君となら 

聞いていられるような気がするんだ。

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キミとの距離 藤井杠 @KouFujii

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