第14話

 ずっと顔が見れないわけじゃない。会って少したてば、この綺麗な顔にも慣れてくる。馬車の中で話せば、よくわからない羞恥心も消えていった。


「今日は私に口裏を合わせて欲しい」


 そんなことを言われたのは、会場に着くちょっと前。何がなんだか分からずも、「うん」と返事をしたのは言うまでもない。


 そして、会場に入って気づいてしまったのだ。私、まだ避けられてる……!


 先ほどから遠巻きに見られている。目が合えばサッと顔を背ける人達。


 あれ? なんで避けられているんだっけ? 色んなことがありすぎて、すっかり忘れてしまっていた。確か、マノンが変な噂を流したとか言っていたような。


 そういえば、どんな噂だったか聞いてない……!


 きっと、ライナス様はこのことを知っていたのだろう。だから「口裏を合わせて」と言っているんだ。


「やあ、ライナス君。元気そうでなによりだ」


 恰幅の良い男性が私達に声をかける。私達というよりは、ライナス様にだけど。殆どの私の方は見ていない。


「お久しぶりです」

「ああ、噂は聞いているよ。大活躍だったんだってね。南の悪魔と言ったか……怖い物がこの国に入り込んだものだ」

「無事に制圧できましたから、ご安心を。今は他にもルートがないか調べているところです」

「そうかそうか。さすがは公爵家の嫡男。恐れ入ったよ」

「いえ、今回は私の婚約者のお陰で全員捕らえることができました」


 ライナス様は目を細めて笑った。そして、私の肩を抱き寄せる。私は何がなんだか分からなかった。


 けれど、彼の「口裏を合わせて」という言葉を思い出し、なんとか狼狽はしなくて済んだ。男に向かってにこりと笑ってみけた。ちょっと、ぎこちなかったかもしれない。


 男は目を細めて私に視線を向けた。


「ほう……? こんな可愛らしいお嬢さんが? 噂で聞いたんだが、彼女もあのアジトに居たそうじゃないか」


 いつのまにか静かになっていた会場。男の言葉を受けて、小さな話し声が広がっていった。何がどうなっているのだろうか。


 この十日で、私の噂はどんなものになったのか分からない。ただ言えるのは、好奇の目に晒されているということだ。


 見えないものほど怖いものはない。


 気づけばライナス様の服に皺を作るほど強く握っていた。


「ええ、実はここだけの話ですが……」


 ライナス様は顔色ひとつ変えずに、嘘を語り始める。「ここだけ」とか言いながら、声は随分と大きかった。何をするのだろう。


「今回は私の婚約者に協力をして貰っていたのです」


 えっ?!


 口には出さなかったけど、驚いて目を見開いてしまった。何も協力していないのに! むしろ、迷惑ばかりかけたのに?


「彼女はそうは思っていないみたいだな」


 男はくつくつと笑う。私の心の内を見透かされたような気がして、手に力が入った。


「皆には秘密と言っていたので驚いたのでしょう」

「そうかそうか」

「ええ、男の私では相手も尻尾を出さなかった。彼女のおかげで被害を最小限にできました」

「なかなか勇敢な女性のようだな」

「ええ、マノンという女の手のひらで転がされた振りをし、アジトをつきとめてくれたのです」


 ライナス様はしれっと嘘をつく。いや、全部が嘘ではないんだよね。確かにあのパーティ会場をつきとめたのは私かもしれないけれど。どちらかというと、自ら踏み込んだだけというか。


 言い方を変えただけでこんなに私が活躍したみたいになるのだろうか。


 男は何度もライナス様の言葉に頷いている。


 集まる視線は先程とは違った色になったような気がする。


「それで、ライナス君。その君の自慢の婚約者を紹介してくれるんだろう?」

「ええ、勿論。私の婚約者のエレナ・ノーベン嬢です」







「はぁ……。疲れた……!」


 突如として、私のめまぐるしい一日になった。ライナス様の言葉を皮切りに、話しかけられ続けたのだ。こんなに話しをしたのは初めてかもしれない。


 ずっと笑っていたせいか、頬が痛い。こんなに愛想笑いをしたのはいつぶりだろうか。


 ライナス様のおかげで、私の名誉は回復したようだった。それどころか、前よりも良くなったような気さえする。それもこれも、彼が気を回してくれたおかげなのだろう。私ではここまで頭は回らない。


「エレナ、今日はありがとう」

「ううん。私こそありがとう。私のことを考えて私が協力したってことにしてくれたんだよね?」

「エレナは最初から協力しようとしてくれていたんだから、似たようなものだろう?」


 ライナス様が私の顔を覗き込む。突然近づいた顔に肩が跳ねた。最近、耐性がなくなった気がする。いつもなら、キラキラしていて眩しいくらいだった筈なのに、今じゃキラキラとかそういう次元ではなくなってしまった。


「……私が怖い?」

「そ、そんなことないよ!」

「それともあんなことした私が嫌いになった?」

「そんなことないって! ライナス様のことは……す、好きだ……よ」


 声が尻すぼみになったのは、決して嘘をついたからではない。恥ずかしくて顔が見れないだけだ。そう、伝えたいのに言葉が出なかった。


「そうか。じゃあ、恥ずかしいのかな?」


 ライナス様は私の唇をなぞる。全部お見通しらしい。目がぐるぐると回る。だって、こんなの恥ずかし過ぎるじゃない。


 彼はうんと大人だから、口づけをするのだって余裕かもしれないけど、私はあの日が初めてで……。


 私はどうにか頷くことで返事した。不意に思い出してしまうのは不可抗力だ。


「意識して貰えるのは嬉しいけど、エレナの瞳に私がなかなか映らないのは寂しい」

「ごめんなさい。こういうのどうして良いかわからなくて……」


 心頭滅却すればどうなかなるのだろうか。私ばかり意識しているみたいで恥ずかしい。


「一つだけ方法を知っている」

「本当っ?!」

「ああ、試してみる?」

「勿論!」


 藁をも掴む勢いで頷いた。このままでは毎夜夢に出てきそうな勢いなのだ。どうにかしなくては!


「じゃあ、目を瞑って」

「うん。わかったわ」


 私はライナス様の言われたとおり、まぶたを落とした。精神統一的なあれかしら?


 小さな風が吹く。そして、頰に熱を帯びた何かが触れる。これは多分、ライナス様の指だ。綺麗な指が頬を撫でたと思った瞬間、唇に柔らかくて暖かいものが触れた。


 思わず目を開ける。そこには彼の長い睫毛が視界いっぱいに広がっていた。


 私が記憶するに、それをこの世界では口づけというのだ。押しのけることなどできず、やっぱりどうして良いか分からない手は、彼の服に皺を作る。


 長いとも短いとも分からない口づけから解放された後、彼のサファイアの瞳が私をとらえた。


「どう? 慣れそう?」

「な、なれ……?」

「こういうのは慣れるしかないからね」


 頬に熱が上がる。


「そ、それって……」

「会うたびに触れれば、すぐに慣れるよ」


 それって、つまり……毎回……?


「恋人同士ならそれくらい普通だから、安心して」


 ライナス様は私の心が見透かせるのだろうか。彼は優しく笑うと、私の頭を撫でた。


 ああ、また熱が上がりそうだ。ううん、もう出ているかも。ふわふわとした頭で彼を見上げれば、未だ優しく笑っていた。


「ほら、もう一度しようか」


 彼の言葉には逆らえない。だって、好きなんだもの。私は魔法でもかかったように瞼を閉じる。


 手は未だどこに置いていいのか分からない。彼に聞いたら教えてくれるだろうか?


 大人の恋って分からないことだらけだ。





 おしまい

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あなたのための悪役令嬢計画! たちばな立花 @tachi87rk

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