第13話
私には幼い頃に決められた婚約者がいる。
眉目秀麗。そんな大袈裟な言葉が似合う人。国宝のサファイアよりもずっと綺麗な青の瞳と、金糸の髪を携えた美しい人だ。
最近分かったことなのだけれど、この婚約は親同士が決めたものではないらしい。どうも彼が自ら願ってくれたのだと教えられた。
「お嬢様。とてもお似合いですわ」
サファイアのネックレスをつけながら、鏡の中でケリーが笑う。
「ありがとう、ケリー」
新しいドレスと、ネックレス。これはライナス様が贈ってくれたものだ。誕生日でもなんでもないと頭を横に振ったけど、彼は「なら、今日は新しい記念日にしよう」と囁かれてしまった。勿論、私になすすべはなく、無言で頷いたのだ。
あの事件からまだ十日しか経っていない。
その間、私はお父様とお母様に謹慎を言い渡され、暇な引きこもり生活をしている。とはいえ、半分は熱を出して寝込んでいたから、それを謹慎と言って良いのかはわからない。
あの日からライナス様は毎日、私に会いに来てくれていた。忙しいみたいで、ほんの少しの時間だけど。
実を言うと、未だに顔を見れずにいる。見ちゃうと思い出しちゃうんだもの。ああ、駄目。思い出したら熱が上がってきた!
忘れようと頭を横に振る。ケリーが首を傾げた。いけないいけない。なんか話さなきゃ。
「ええっと……。ナンシー様、大丈夫かな……」
「侯爵家のご子息とご息女は、他家の預かりとなるみたいです。現侯爵様と夫人は静かな場所で療養なさるという話ですよ」
「そっか……」
侯爵家のことは、国中の噂になっているらしい。被害者とはいえ、その力を貸してしまった形になった侯爵家は、非難の的のようだ。
私が耳にすることができるのは、噂程度のものだった。どうも、ライナス様はあまりことの詳細を伝えたくないらしい。私があの事件を思い出して、また熱を出すと思っているみたいだ。
でも、関わった者として、ことの次第は知っておきたい。今日はようやく謹慎がとけて、ライナス様と夜会に参加する予定だ。その時に聞けたらなと思う。
「そういえば、お嬢様。悪役令嬢になる計画は取りやめでございますか?」
「そっか。もう、悪役令嬢を目指す必要はないんだよね」
悪役令嬢のような女性はライナス様の理想というわけではないらしい。そうなると、そもそも計画の意味がなくなる。元々、これは彼の理想の女性を目標にしていたのだ。
あれ? 悪役令嬢が理想じゃないなら、理想の女性ってどんな人なんだろう?
「悪役令嬢が理想じゃないって聞いたけど、理想の女性がどんななのかは聞くのを忘れてしまったわ!」
「まぁ……。それは分かりきっているからお話しなかったのだと思いますが……」
「えっ?! ケリーは知っているの?」
「ええ……まあ……。だいたいの予想はついておりますよ」
「えっ! 教えて!」
ケリーは答えの代わりに困ったように眉尻を落とす。
「あ、駄目よね。人に聞くなんて。こういうのは、自分で答えを見つけないと。ケリー、言わなくても大丈夫。私、自分で見つける」
ケリーから聞いてばかりでは、ライナス様の理想には近づけないものね。
「はい。かしこまりました。さあ、お嬢様。そろそろお迎えの時間ですわ。ほら――」
ケリーが窓の外を見ると、一台の馬車が入ってくるのが見えた。
「本当だっ! 行かなきゃ!」
私は慌てて部屋を出る。
あ、いけない。ケリーにちゃんと返事をしていなかった。
駆け出しそうになる足を止めて振り返る。
「ケリー、悪役令嬢計画はやめないつもり。だって、公爵夫人は少しくらいしたたかな方が良いってライナス様言っていたもの」
何か言われるかと思ったけど、ケリーは少し微笑んだだけだった。
そのあと、迎えに遅れないように廊下を駆けた。周りには怒るような人は誰もいないし、大丈夫だよね。
階段に到着した頃には、既に扉が開かれていた。輝く金の髪が眩しい。広間に両親とお兄様の姿を見つけて、ピタリと足を止めた。
走っていたのが知られるとうるさいのだ。
「エレナ」
ライナス様の声が広間に響く。少し甘い声色に頬に熱が集まった。声を聞いただけで恥ずかしくて、目を彷徨わせてしまう。
あまり彼の方を見ないように歩を進めた。
「いらっしゃいませ」
ちゃんと視線を合わせられなくて、胸元ばかり見てしまう。
「エレナ、もしかして調子が悪いのか?」
妹の気持ちを知らないお兄様は、私の顔を覗き込んだ。このまま体調が悪いことになると、今日の夜会に参加するのは中止になってしまう。私は大きく頭を振った。
「大丈夫だもん」
なんだか心の中を見透かされそうで、兄から逃れれば、ライナス様と目が合う。瞬間、体の熱が顔に集まった。
また熱が出ちゃったんじゃないかと思うくらい熱い。
「……ライナス。エレナに何をした?」
お兄様の言葉に肩が跳ねる。
何って……。
思い出したのは長い睫毛。かぞえられそうなくらい近づいた時のことが脳裏をよぎる。一気に熱が上がった。
「エレナ? ライナスに何をされた? お兄様に話してみな?」
「な! 何もないもんっ!」
手の甲で頬の熱を冷ます。全然冷めなくて、結果手の甲も熱くなった。
言えるわけないじゃない! ライナス様とく、く、口づけたなんて……!
頭がぐるぐるしてきた。やっぱりまだ熱があるのかもしれない。
「怪しい……」
お兄様が目を細めて私を見つめる。その視線から逃げるためにライナス様の背に隠れた。ここに来てしまえば、彼の顔も見えないし大丈夫な気がする。
「ライナス君、夜会の後で少し話しをしようか」
お父様の声がどこかほんの少し冷たい気がする。そっとライナス様の背から顔を覗かせれば、お父様がライナス様の肩に手を置いて、良い笑顔で笑っていた。何がそんなに楽しいのかな? お兄様も隣で笑っている。いや、二人とも目が笑っていない気がする。
ライナス様には事情が分かっているようで、僅かに眉を寄せていた。彼は「分かりました」と短い返事をする。
なになに? 私にだけ秘密なの?
教えてという期待を込めてお父様やお兄様に視線を向けたけど、教えてはくれなかった。
「エレナ、遅れてしまうからそろそろ行こうか」
「う、うん……」
結構時間に余裕はあるのよ? 首を傾げたけど、やっぱり誰も教えてはくれなかった。
なんか、一人だけ仲間はずれみたいだ。
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