第12話
「昔はね、エレナと一緒に暮らすケイトさんが羨ましくて仕方なかったんだ。妹が欲しいというよりは、エレナが欲しいって意味で言ったんだよ。……そんなの聞かれていたのは知らなかった」
「嘘……! だって、あの頃はちんちくりんだったでしょ?」
今も変わらずちんちくりんだと言われたら、「違う!」とは言い返せないけど。
「ちんちくりんか。どうだろう? エレナは出会った頃から可愛かったから」
ライナス様は優しく笑った。そんな綺麗な顔で微笑まれたら、どう返していいか分からない。「ありがとう」と言ってみれば、嬉しそうに笑っていた。
「まだ納得できない? 私がずっとエレナのことを好きだって」
「だって……」
「ケイトさんの真似をしていつも撫でるのは、エレナに触れていたいから。必要以上に撫でたせいで誤解をさせてしまった? ほら。他にも気になることがあるなら言って?」
「じゃ、じゃあ……夜会でいつも離れずに一緒にいてくれるのは?」
「そんなの、他の男に話しかける隙を作らせないために決まっている」
そんな綺麗な顔で覗き込まれたら、どうしていいか分からない。彼の目は真剣そのもので、嘘などついているようには見えなかった。
でも!
「でも! 理想の女性は悪役令嬢みたいな人なんでしょう?」
「アクヤクレイジョウ?」
彼は意味が分からないと言った風に首を傾げた。私はこんなに悩んでいるのに、当の本人は忘れてしまったのだろうか。
「聞いちゃったの……殿下と二人で話してるところ……。ちょっとだけ。ちょうど扉が開いて……。その時、悪役令嬢が理想だって」
ライナス様は少し考え込むように眉根を寄せた。そして、すぐに「そういえば」と口を開いた。
「敵が多いから、したたかな人が公爵夫人には向いているかもしれないという話はしたような記憶がある。エレナに出会っていなければ、そんな女性と結婚する可能性もあったかもしれない。でも……」
「でも?」
「エレナが良いんだ。いや、エレナじゃないと嫌、かな。公爵家は力もあるが敵も多い。今回みたいなことが起こりうるかもしれない。この先ずっと君を守るから、側にいてくれないか?」
「……それって、なんだかプロポーズみたいね」
「プロポーズのつもりで言っている。今回は、変な勘違いはなしだよ」
「変な勘違いって……」
「そうだろう? 妹なんて一度も思ったことないのに」
「それは……そうだけど……でも……!」
「でも?」
「だってだって! 私って、口づけしたいほど好きではないんでしょうっ?!」
気づけば、立ち上がり叫んでいた。思わず自分自身の口を両手で塞ぐ。今更塞いでも発した言葉は消えやしないのにだ。彼は目を丸くして、私を見上げていた。
「えっと……今のは忘れて。なんでもないの! あ……なんだか熱が上がってきた気がするの。今日はもうお部屋に戻るね!」
なんて恥ずかしいことを言ってしまったのだろうか。頬が熱い。本当に熱が上がってきたみたいにクラクラした。
足早に応接室を出たけど、ライナス様はあっという間に私に追いついた。
「部屋まで送ろう」
彼はそれだけ言うと、私の肩を抱く。恥ずかしくて顔は見れなかった。なんてことを言ったんだろう。口が滑ったなんてものじゃない。
お兄様の言う通り、私はお馬鹿さんだ。
ライナス様は何も言わずに私を部屋まで送ってくれた。それなりに広いとはいえ、同じ屋敷内だ。いつもは短いと感じるのに、今日はとても長い時間に思えてならない。
「病み上がりなのに無理をさせてしまったね」
「ううん。私の方こそごめんなさい。まだ熱があって変なこと口走っちゃっただけなの……。だから……忘れて」
なかなか顔をあげられなくて、私は彼の足元に向かって話しを続ける。
穴があったら入りたい。埋まりたい。引きこもりたい。もう、恥ずかしくて彼の顔なんて見れない。
「エレナ、少しだけで良いから私を見て」
ライナス様の言葉に返事ができないでいると、ふいに彼の手が私の頬に触れた。ゆっくりと顎に流れ、私の顔を持ち上げる。半ば強制的に上げさせられた視線は、まっすぐ彼の方を向いた。
どんな顔をしたらいいのだろうか。彼の瞳には随分と狼狽えた顔の私がうつる。それが妙に恥ずかしくて顔をそらそうと思った。だけど、彼の手がそれを拒む。結局逃げられなくて、目だけくるくると彷徨ってしまった。
「エレナ」
少し艶のある声で私を呼ぶ。それだけで肩が震えた。
「今まで口づけをしなかったのは、エレナを女性として見れなかったからじゃない」
彼の親指が私の唇をなぞった。今まで他の誰かがそこに触れたことがあったろうか。
ただなぞられただけで胸が跳ねる。ソワソワする。そして、なんだか恥ずかしい。
「エレナに会った時から、私の心はエレナのものだった。口づけをしなかったのは、狼になるのが怖かったから」
彼は静かにそんなことを言う。心臓の音がうるさくて、彼がなんと言っているのか理解するのにも時間がかかる。
オオカミ? 口づけると狼になっちゃうの? 物語みたいに? 彼が狼になってもきっと綺麗なのだろう。
そんなことを考えていれば、彼の顔が近づいてくる。髪の毛よりも少しだけ暗い色のまつ毛をこんな間近で見ることはない。あまりの恥ずかしさに私はぎゅっと目を瞑った。
ふいに、暖かな感触が唇を覆う。先ほどの指とは全く別物のそれは、柔らかくて暖かい。すぐに彼の唇だと理解した。
唇と唇が触れ合う。それが口づけだと本で読んだことがある。でも、口づけの間、手はどうすべきかなど書いてなかった。宙を彷徨った私の手は、結局彼の服に皺を作る。
彼の唇が離れていってもなお、呆然としてしまっていた。
彼はいつものように微笑むと、やっぱりいつものようにポンポンと頭を撫でる。
「ゆっくり休んで。また会いにくるから」
彼の背が扉で隠されるまで、私は呆然とその背中を見つめた。
一人残された私は、床にへたり込む。
まだ、唇の感触が残っているみたいだ。指で唇を確かめようとして、ギリギリのところで止めた。触ってしまったら、消えてしまうような気がしたのだ。
頬に熱が上がる。両手の甲を頬に押し当てたら、焼けるように熱い。
目の前がぐるぐると回った。
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