第11話
「南の悪魔――」
その名前に意味もなくふるりと震えた。
それは薬という名の毒なのだという。人の思考を鈍らせ、快楽を与える毒。辛いことも悲しいことも忘れさせてくれる。
マノンはその薬を使って、力ある貴族を意のままに操ろうとした。
ナンシーの両親はその毒に侵されているのだという。マノンに意のままに操られ、多くの人を巻き込んだ。
「これの怖いところは、人を殺すためのものではないということなんだ」
「じゃあ、思考を鈍らせるのが目的?」
「そう、それとこの毒には一度口にするとやめられなくなる。ある一定時間摂取しないと、体が欲するようになる」
「それじゃあ……あの薬を集めて床を舐めていたのも……?」
「多分そうだろうね」
なんだが怖い。そんな場所に足を踏み入れたのだと思うだけで、肝が冷える。
「じゃあ、解毒はできないの?」
「解毒薬はない。ただ、ひとつだけ毒を抜く方法はある」
ライナス様はここで言葉を濁した。あんまり良い方法ではないのかもしれない。でも、ここまで聞いたら、どんな方法なのか気になって仕方ない。もしも今後、その毒に侵された時に対処ができるようになった方が良いのではないかと思ったのだ。
「教えてくれる?」
ライナス様はゆっくりと息を吐き出す。ちょっと苦しそうで、申し訳ない気持ちになった。
「体から毒が抜けるまで動けないように縛る」
「……それだけ?」
ライナス様は静かに頷いた。もっと何かないのだろうか。沢山の水を飲ませて吐き出させるとか。方法はありそうなものだと思う。
「一度口に含むと、毒が抜けるまでは、ずっとあれを欲して暴れまわるんだ」
「暴れ……まわる……」
暴れまわると言われても、その苦しさが想像ができなかった。けれど、ライナス様の顔は暗い。そして、「あの時エレナが飲んでいなくてよかった」と言った。もしかしたら、彼はすでに暴れまわるその姿を見たことがあったのかもしれない。
そんな怖い毒が当たり前のように振舞われる場所に自らの足で行ったんだ。きっと想像以上に心配させてしまっただろう。
「迷惑かけてごめんなさい」
私は謝る以外の方法を知らない。「もう怪しいところにはいかない」という約束はできるけど、それが守られるのだと安心して貰えるのって、最後まで約束を守った時なんじゃないかって思う。
落ちた信用を取り戻すのって凄く難しい。
「いや、何も教えていなかった私の方に落ち度がある。危ない場所に足を踏み入れて欲しくないと思って、何も言わなかったのがいけなかったんだ。教えていればこんなとこにならなかっただろう?」
「それは……そうかもしれないけど。怪しいと思いつつも役に立てるかもと思ってついて行っちゃったのは私の責任だよ」
ライナス様は優しい。こんな時でも怒らないで自分のせいにしようとする。そんな優しい彼に沢山迷惑かけてしまったことが悔やまれるのだ。
今回のことで『妹のような存在』から『手に負えない迷惑な奴』になっちゃっていたらどうしよう。不安ばかりが募る。今までずっと胸に溜まり続けていた不安は、ついに口から溢れ出てしまった。
「あのね、私これからもっと頑張るから……ライナス様が私のこと一人の女性として見られるように努力する。だから、嫌いにならないで……」
すがる思いで彼の袖を掴む。皺になっちゃうから離さないといけないと、分かっているのに手が離れない。
上質な布地が歪むのを見ながら、更に手に力が入った。
「エレナは今のままで十分魅力的だよ」
ライナス様が頭を撫でる。いっつもそればかりだ。頭を撫でるのだって、お兄様がやっていたのを真似ているのは知っている。
婚約者だけど、未だに妹以上にはなれていない。今は妹以下にならなかったことを喜ぶべきなのかもしれない。
大切にはしてくれているのはよく分かっている。でも、これ以上求めるのは罪深いことだろうか。
「でも、ずっと妹は嫌だよ……」
何をやっても失敗ばかりだけど、一人の女性として見られたい。しかし、私の心を読めるわけがない彼は、首を傾げた。
「妹?」
「私のこと、妹くらいにしか見えていないでしょう?」
ライナス様は私の言葉に小さく眉を寄せた。彼自身はそのことに気づいていなかったのかもしれない。
「なぜそう思ったのか教えて欲しい」
「それは……」
言えるわけないじゃない……! 恋人同士なら、口づけをするのが普通なことを知っているのよ。なんて。
「えっと……。いつもお兄様の真似して頭を撫でるでしょう?」
「それは妹に対してのものとは違う」
「そうなの?」
「たしかに、最初は何かあるとエレナの頭を撫でるケイトさんが羨ましかった」
「やっぱり妹が欲しかったからでしょう? 昔ね、お兄様に妹が欲しいって言ってるの聞いちゃったことがあるの」
「そんなこと言ったかな?」
ライナス様は覚えていないのか、難しい顔で首を傾げる。もう随分前だもの、忘れていてもおかしくはない。そんな昔のことずっと根に持っている面倒な女と思われただろうか?
「もう忘れちゃったかもしれないけど、お兄様が私を『いらない』って言った時に、『なら、欲しい』って返してたの」
「ああ……。それなら覚えている」
彼は、目を細めて遠くを見た。
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