第10話

 熱を出して三日間寝込んだ。怪我のせいだとお医者様は言っていたような気がする。


 熱を出すなんて普段あまりないから、「ああ、私は死ぬんだ……」と熱にうかされながら思ったことは言うまでもない。勿論、そんなことで死ぬはずもなく、私は四日目の朝、ようやく起き上がったのだ。


「ケリー、おはよう」

「おはようございます。熱も下がったみたいですね」


 私のおでこを触りながら、良かったとケリーが胸をなでおろす。


「全然良くないよ……」


 私の口からはため息がこぼれた。それも仕方ないと思う。


「約束破っちゃったぁ……」


 ガサついた声が絞り出される。そう、あの日私は、ライナス様に「明日」と約束したのだ。きっと彼は約束通り会いに来たに違いない。そして、お兄様あたりに追い返されたのは確実だ。


 居ても立っても居られなくて、私はまた布団の上に倒れた。


「子爵様でしたら、毎日いらしてますよ。今日もいらっしゃるのではないでしょうか」


 ケリーが目尻を下げて笑う。


「えっ……?! 毎日? だって私、結構寝込んでいたよね……?」

「ええ、三日でしょうか。毎日いらしておりますよ」

「だって……ライナス様だよ?」

「はい。お嬢様がご心配なのでしょう」

「だけど……」


 ライナス様は暇じゃない筈だ。私じゃないんだよ? 王太子殿下の執務の手伝いをしながら、おじ様のお手伝いまでしているんだよ?


「そんなに信じられないのでしたら、本日聞いてみてはいかがでしょう?」


 ケリーの笑顔から察するに、本当のことなのだろう。熱を出したことで迷惑かけちゃったのかもしれない。私の馬鹿……。


「今日来たら絶対会うからね。絶対迷惑かけちゃった……どうしよう〜」


 ケリーはニコニコ笑うばかりだった。





 ケリーの言う通りライナスが来たのは、西日が部屋にさし込む頃。そわそわしていたのに、到着の知らせを受けた瞬間、胃がキリキリと痛み出す。


 最初になんて言おう? 「ごめんなさい」? さすがに突然過ぎるかも。「ありがとう」? これも突飛すぎる。


「エレナ、元気になってよかった」


 沢山考えたというのに、彼の一言と蕩けるような笑みに、私の考えた言葉は全て吹き飛んでいった。普段の五割増し……いや、八割増しでキラキラしている気がする。


 久しぶりに見たからかな?


 ライナス様は、私の肩を抱くとすぐに長椅子に着席するように促す。彼の隣はいわば私の定位置なのだけれど、今日はなんだか少し緊張した。


「体調はどう?」

「もう大丈夫。熱も下がったし、傷も良くなってるって」


 お昼頃に来たお医者様にお墨付きをもらっている。痛々しいからという理由で包帯は巻かれたままだから、まるで大怪我をした人みたいだけど。


「ライナス様こそ大丈夫?」


 私が問うと彼は首を傾げた。


「あのね……毎日来てくれていたんでしょう? 忙しいのに大丈夫だったかなって」

「それは大丈夫。エレナは気にしなくたって良いんだよ」

「良くないよ……。これ以上迷惑かけたくないもん」

「こんなの迷惑のうちにも入らない」


 ライナス様はいつも通り私の頭を撫でる。ほんの少しだけ、いつもよりも弱々しいような気がした。


 気遣われているのかな。


「色々と話さなくてはいけないことがあるんだ」

「……うん」


 色々……。心当たりがありすぎて、胃が痛い。多分、一つはマノンのことだよね。あとは壊しちゃったネックレスかな。あとなんだろう。私何かやらかしてないかな?


「本当はすぐに説明しなければならなかったのに、こんなに時間が経ってしまった」


 ライナス様の声は少し重々しい。胃が締め付けられる。気づけば私は誤魔化すように笑っていた。


「えっと、マノンさんのことだよね? なんと言ったら良いのか……。その、す、好きなんでしょう?」


 自分から言ったのはいいけど、彼の顔を見ることはできなかった。あの後マノンがどうなったのかは知らない。実のところあの薬がどんなものなのかも知らないのだ。あれを使うことで何か罪に問われるのだろうか。


 もしも、マノンが捕らえられたとしたら、ライナス様は相当苦しいはずだ。だって、好きな人だもんね。


「そのことなんだが、私はマノンという女性とはなんの関係もない」

「えっ……? だってあの日、一緒に……」

「彼女とはあの夜会の時初めて話した。屋敷に入る前に声をかけられたんだ」


 ライナス様はあの夜会の日のことを語った。マノンに声をかけられたこと、知人の勘違いでエスコートする羽目になったことを。


「それに、どうやら彼女はエレナの悪い噂を広めていたらしい」

「えっ?! そうなの?! じゃあ、みんなに逃げられていたのはマノンさんのせいってこと?」

「ああ……」


 それは知らなかった。あんなに親身になってくれていたのは演技だったのか。彼女は何を思ってこんなことをしようと決めたのだろう。


 それにしても、どんな噂を広められたのか気になる。影でなんて呼ばれているのかしら?


 ライナス様がマノンを好きになったわけではないと分かって嬉しい筈なのに、素直に喜んでる良いのかわからない。結局、私は彼の理想の女性にはなれていないわけだし。


 駄目。悪い方にばかり考えてしまう。振り払うために、私は何度も頭を振った。


「私は、よくわからないんだけど、マノンさんの持っていた薬はなんだったの? 何をしようとしていたの?」

「……知りたい?」

「言いたくない話なの?」

「そうだね。エレナをこれ以上巻き込みたくない」

「それなら教えて。もう片足を突っ込んでるもの。私にも知る権利はあるでしょう?」


 私が足を踏み入れたところがどんな場所で、どんな無謀なことをしていたのか知らなくてはならない。「助かって良かった〜」と笑っていてはいけないと思うのだ。


 ライナス様と真っ直ぐ視線を合わせる。彼は少し悩んだ後に小さなため息を吐き出した。


「分かったよ。少し長くなるけど体調は大丈夫?」

「うん、全然平気」


 私は強く頷いた。


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