第9話

「……え?」


 コンヤクカイショウ? それって、婚約を解消するって意味だよね? なんで?


「エレナが狙われたのは、ライナスの婚約者だからだ」

「そんなこと……ないと思う」


 尻すぼみになった言葉は、兄の元まで届いただろうか。たしかに、私がライナス様の婚約者でなければ、マノンに見向きもされなかったかもしれないと思ってしまったのだ。


 なにせただの引きこもり。こんなのおかしな地下のパーティメンバーに加えても意味がないもんね。


「これからだってそうだ。いつ狙われるか分からない。王族に近いだけあって、ライナスを利用したい奴も多い。まあ、ライナスはあんな性格だから、手懐けられないことは周知の事実だけどね。そうなったら、次に狙われるのは誰だと思う?」

「……私?」

「そう、エレナだよ。毎度、今回みたいにお粗末な計画なら良いさ。もっと巧妙で汚い大人は沢山いる」


 そっか。だから、ライナス様の理想は悪役令嬢なのか。合理的で納得できてしまうから怖い。


「だから、お兄様は婚約をやめた方が良いと思っているっていうこと?」

「ああ」

「……お父様も?」

「ああ」

「じゃあ……ライナス様もかな……?」


 何かあった時に足手まといになる私は、ライナス様にとって邪魔な存在だろうか?


 お兄様は少し難しい顔をした。それは肯定だろうか?


「……いや」

「なら、婚約解消はしたくない。ライナス様にいらないって言われるまでは婚約者でいちゃ駄目?」

「あのな……」

「分かってるよ。私がライナス様に相応しくないことくらい。でも、いらないって言われるまでは頑張りたいの。自分から逃げたくないの!」


 思わず身を乗り出すと、馬車がぐらりと揺れた。バランスを崩した私は、お兄様に抱きつく形となってしまう。


 お兄様がガシガシと私の頭を乱暴に撫でる。ドレスも顔もボロボロだし、別にどうってことない。でも、なんとなく悔しくて、睨みながら髪の毛を直した。


「その意味の分からない後ろ向きな考え方と、前向きな考え方の掛け合わせは健在だなぁ」


 お兄様は呑気に笑いながら、私と一緒に乱れた髪を直してくれる。直すならぐしゃぐしゃにしないでほしい。


 それに意味がわからない。後ろ向きと前向きの掛け合わせってどういうことだろう。


「背伸びして得たそれは、お前にとっての幸せか?」

「背伸びした程度で得られるなら大したことじゃないよ」


 ちょっと背伸びしただけで、ライナス様の隣が手に入るなら、私にとっては幸運だ。彼は遥か先にいるのだから。


「お前が等身大でいられる相手といる方がもっと幸せかもしれないだろう?」

「お兄様ったら馬鹿ね」


 お馬鹿さんなのはお兄様の方だ。


「好きな人の隣に立てる幸せに比べたら、そんなのないにも等しいのよ」


 馬車が揺れる。彼はまだ納得できない様子で、難しい顔をしていた。いつものへらへら顔に戻って欲しい。


 私がうんっと強くなって、背伸びしなくてもライナス様の隣に立てるようになったら、そんな顔しなくなるだろうか。それはないかも。だって、お兄様は顔に似合わず心配性だものね。


「お兄様。もしもライナス様にいらないって言われちゃったら、ずーっとノーベンのお屋敷にいても良い?」

「……馬鹿だなぁ。ライナスがお前を離すわけないだろう?」


 お兄様が笑う。馬鹿ね。そういうことだってあるのよ。もしかしたら、それは明日かもしれない。


 貴族の娘に生まれた以上、結婚してどこかの家に嫁がなければならないのは理解している。だけど、ライナス様以外のところには行きたくない。


 だから、もしも彼の前に私よりも公爵夫人に相応しい人が現れたら、家に置いてくれないかな。勿論、お兄様のお嫁さんには迷惑をかけないわ。引きこもりには自信があるの。


 駄目、かなぁ。


 コツンとお兄様の拳が私の頭に当たる。


「また悪い方に悪い方に考えてるだろ」

「最悪の事態は考えておかないと、突然だと対処できないのよ」

「前向きなんだか後ろ向きなんだか。とりあえず、明日はきちんとライナスと話しな?」

「うん、いっぱい迷惑かけちゃったもんね。あのね、ライナス様から貰ったサファイア……。あれって高いんでしょう?」

「まぁ、宝石だからそれなりには。公爵家の財産から考えればはした金だとは思うけどけどね」


 そんな物だろうか。だって、つけている私から離れたがらないほど大切なサファイアなのよ? パッと見は良くあるサファイアだけど、実は……みたいな秘密があったりするのかも。


「心配になってきた。何で償えば良いかな? ノーベン家、お取り潰しになったりしない?」

「あのなぁ……うちだってネックレスの一つや二つくらい弁償できるさ。どんな貧乏だと思っているんだよ」

「だって、家も古いし……」

「歴史あると言ってあげなさい。死んだお祖父様が泣くぞ」

「使用人も少ないし……」

「人を選んでいるだけだって。生活には困らないだろう?」

「本当? 本当に本当? 私のせいで爵位売らなくちゃいけなくなったりしない?」

「しないしない。落ち着け。ライナスだって怒っていなかっただろう?」

「それは……! ライナス様は優しいから……」


 そうだ。彼はいつも優しい。今回だって、もしかしたら、バラバラになったサファイアを見たとき、絶望したかもしれない。


「はいはい。惚気は良いから。今日はしっかり身体洗って、治療して貰え」


 お兄様が言ったと同時に馬車はゆっくりと停車した。もう屋敷に着いたようだ。


 すぐに扉が開かれて、ケリーの泣き顔に迎えられた。ケリーの泣いた姿なんて初めて見たかもしれない。


 お父様とお母様が一緒に出迎えてくれた時は一瞬嬉しかった。けど、まさかそのあと治療をしながらずーっと説教されるとは思ってもみないじゃない? あんなに怒られたのはいつぶりだろうか。


 とは言え、みんなに迷惑をかけたのは私だし、なんなら全部自分のせいなので、甘んじて受け入れるほかない。


 安心しきった私はその日の晩、熱を出してしまった。


 意図せぬかたちで、次の日の約束を反故にしたのは言うまでもない。

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