【part.C】 悪魔たちの夕暮れ

 見慣れない建物の中を進む。


 歩くだけで靴の鳴る床。同じ景色の続く回廊。

 ついさっき外から見ていた時は頭痛がしそうなほどニンゲンが居たのに、今はしんっと静まり返っている。


 なんとなく、慣れない場所だ。


 何と無しに壁を指でなぞりながら進んでいく。

 白い壁に指の跡は付かない。


 そうして曲がり角に差し掛かった時、そいつは出てきた。


「うん?」


 驚いたような顔と声で飛び退いたのは、若い男だった。


 男は「びっくりした」などと言っているが目と体のこなしで分かる。私が視界に入った直後に反射ではなく、考えて今の動きをしたのだ。恐らく曲がり角の度に準備や心構えをしていたのだろう。


 それが私に対するものか、他のモノたちに対してのものかまでは分からないが。


「お前でいいか」


 面倒だから適当なやつを捕まえてそれで終わりにしようと思っていたけれど、この男は存外、良いかもしれない。


「お前、力が欲しくないか?」


 私の言葉に「どういうことだ?」と困惑している男。


「どうした、欲しくないのか?」

 男は「いや、急にそんなこと言われてもな」と更に眉間の皺を深める。


 昔と今ではニンゲンは大きく変わったと聞いていたが、まさか一目散に力を欲さなくなっているとは。


「他者を圧倒し、上に立つことが出来る。王にでも、大罪人にでもなれる力だ」


 そこまで言うと男はやや悩んでから


「今は必要かもしれない」と答える。

「ならば、成立だ」


 さぁ、契約を始めよう。







 逃げ出した野球部員と、それを追う長谷本を追いかけて飛び込んだ校舎。


 散り散りに走り去っていったヤツらを探すために廊下を走り回っていると、悪魔を名乗る少女と出会った。

 つい半年前までなら演劇部の練習に巻き込まれたか、新手のドッキリなんかを疑うが、今のご時世ではそうもいかない。


 半年前、この世界でが確認された時から。


「ならば、成立だ」


 赤と黒のドレスを着た少女がこっちに手を差し出してくる。


「いや、成立じゃない。まず契約って何なんだ?」


 俺の言葉に「む」と不機嫌な顔をする悪魔と思われる少女。


「いや、確かに契約はフェアじゃないと駄目か」


 しかし創作物に出てくる悪魔と同じで、やっぱり契約には律儀なようだ。


「では最初に、私からお前に与えられるものを提示してやる」


 少女はそう言って華奢な拳を握ると、おもむろに壁を殴りつける。


 ドゴン。


 そしてその拳はそうなるのが当然であるかのように易々と壁に突き刺さっていた。


「私は武闘派ではないが、人間からすればこれだけでも十分に魅力的だろう?」

「まじかよ……」


 長谷本はこんなヤツらと契約してたのか。


「そしてこの力を得るために貴様たちニンゲンが払うものは、自身の体だ」

「体……」

「そうだ。悪魔はこっちの世界ではあまり力を振るうことが出来ない。だが──」


 そこまで言うと少女は俺の方を指さす。


「ニンゲンと契約していれば、本来の力に近づく事が出来る。だからニンゲンと契約し、その体を借りる」

「ということは、力は手に入るけど、結局その強くなった体を使うのは悪魔ってことか?」


 それではまるで契約なんて言えない。悪魔らしいといえば、悪魔らしい気もするが。


「早計だ。焦るな。確かに契約を結んだニンゲンの体を悪魔が使うこともできるが、よほど酔狂なヤツでもない限りそんなことはしない」

「悪魔だったらそれぐらいのことしそうな気がするけどな」

「悪魔である自分の力で強くなったニンゲンを、分け与えた悪魔自身が使って意味があるか?ということだ」


 確かに。随分回りくどくて、悪魔側にうまみが無い気がする。


「まぁそれでもそこに意味を見出す奴も、居なくはないがな」

「居るのかよ」


 やっぱり悪魔は悪魔か。


「体を借りるというのは、文字通りの意味ではない。その体に楔を打つということだ。楔がある限り悪魔は力を使いきっても消滅しないし、契約した人間に入れば姿を隠すことも出来る」

「契約してない悪魔は倒せば消えるのか?」

「まぁ、色々と細かな違いはあるが、未契約の悪魔は消滅するという認識で構わない。ちなみに契約した悪魔は致命傷を負っても契約相手であるニンゲンの中に戻されるだけで済む」


 超次元的なイメージのあった悪魔だが、未契約の悪魔であれば万物のルールに漏れないようだ。


「とまぁ、こんな感じだろうか。これが悪魔と契約をするということだ。ああ、ちなみに楔を打たれたからと言って貴様らの体に悪い影響はない」


 これが悪魔契約の全容らしい。


「なるほど。そんなに悪い話じゃないってことか」


 自分に起こることだけであれば。


「で、?」

「ほう?」


 てっきり嫌な顔を浮かべると思ったが、そうはならなかった。


「そこまでは気が回るか」


 むしろ笑顔を浮かべたが、それは用意した障害を越えた実験動物に向けるような笑みだった。


「悪魔は基本的には善行などしない。そしてその多くが──」


 一度、言葉を切ったは笑みを消して言った。


「破壊を望んでいる」


 心底、つまらなそうに。






「ひいっ、ひいっ、ひいっ!」


 怪人となった長谷本から逃げる後藤。


 長谷本が追うターゲットに含まれているか分からない部員達に職員室に行って教師に助けを求めるように指示をして、自身は校舎を経由して裏手の部室棟へと来ていた。


「どっか、どっか開いてないか!?」


 通りすがった部室のノブを手当たり次第に回していくが、さっきのグラウンドでの騒ぎの間に下校時間を過ぎてしまった部室棟に人気は無く、どこもしっかりと施錠されていた。


「ちくしょう!開けよ!」


 そうして着いた廊下の突き当たり、最後のドアの前で物音を耳にした後藤は即座にその『映画研究部』のドアを開いた。


「頼む!匿ってくれ!」


 この部屋の主たちは静かに映画を見ていたらしく、突然の闖入者とその第一声に驚いていた。


「誰ですか?どうしたんですか?」


 その内の一人、妙に冷静な眼鏡の生徒がイヤホンを外しながら後藤に声をかけるが、その声は聞こえていない様子で、後藤はガチャガチャと部屋の鍵を閉める。


「今からここに化け物来るけど!映研なら慣れてるよな!」


 そう言って所狭しと置かれている雑多な映画グッズの奥に身を隠す。


「は?化け物ぉ?」

「何、何なの?だれなの?」


 3人居た映研部員の内、男子二人は口々に動揺をこぼすが、冷静な部員だけが茜色の窓から外の様子を窺う。


「……ん?」


 映研部員が窓の外に向けた視線の中に一瞬だけ赤いモノが映る。それが何だったのかを頭の中で見直そうと思った刹那、部室棟入口の方向から何かが破壊された音が響く。


「ひいっ!」


 更に怯えて奥へと潜っていく後藤。


 そのまま重い足音のようなものが一歩ずつ近づいてくるのに合わせて、部室に満ちていた混乱が鋭い緊迫感へと変わっていく。


「隠れている人。化け物は君を狙っているんですよね?」


 その中で冷静な部員は後藤へと質問する。


「ああ、そうだよ!頼むから化け物が来ても俺を売らないでくれ!」


 もぞもぞとグッズの中に埋もれながら後藤は懇願する。


「分かりました。売りはしません。ですが君の安全の保証できません」

「おい、それはどういう意味だよ!」


 後藤の言葉に答えず、冷静な部員は静かに部室の鍵を開けた。


「い、いいの?鍵開けちゃって?」

「はぁ!?お前、やっぱり俺を――」


 ガツン、ガツン。

 硬質で重い足音が部室の前で止まり、その気配に慌てて後藤は押し黙る。


「江口君、寺田君、イヤホンをしながら映画の続きを」

「え?」

「いいから」


 冷静な部員はそう告げると、自身もイヤホンをして映画の続きへと戻る。

 言われるがままに二人もイヤホンを装着。


 その直後、部室の扉が開かれた。


「おい、ここに野球部、来なかったか?」


 姿を見せたのは怪人となった長谷本。

 映画を見るフリをしていた映研部員達は振り返り、演技でない驚きを見せる。


「うわぁ!ほ、本当に化け物!」

「ひ、ひいいいいいいい!」

「なるほど……化け物」


 冷静だった部員も流石に本物の怪人を見て驚く。


「野球部のユニフォームを着てるくせに、茶髪でセットしてるやつなんだが。知らないか?」


 杖のように突いた棍棒がゴツンと音を立てる。

 落ち着いた口調ではあるが、その音がただ事でないことを現していた。


「見ていないです。僕たちはさっきまで3人でトイレに行っていて、いま戻ってきたばかりなので」


 張り詰める空気の中、冷静な部員がしっかりとした言葉を返す。


「そうか」


 そう答えると長谷本は部室内を見回し、乱雑に散らばったグッズの山に目を向ける。


「……」


 部員たちはまずいと思いながらも押し黙ることしかできない。


「……グッズくらい大事にしたらどうだ?」


 呆れたように言って後藤の隠れていたグッズの山から目を逸らす長谷本。


「いえ、先ほどトイレで凄い音と衝撃を感じたので、その時に崩れたのかと」

「ああ、さっきドアを突き破った時か、それは悪かったな」


 そう言って長谷本が振り返って部室から出て行こうとしたとき、は長谷本の目にとまった。


「これは……グラウンドの土?」

「……!」


 その一言で部室にいた全員が、後藤が土足厳禁のこの部室棟にスパイクで上がってきていたことを思い出した。


 がさり。


 そこでグッズの山から僅かに音が漏れた。


「……おい、後藤。居るんだろ?」


 長谷本はこの部室に後藤が居ることに気づいたようだった。


「どうやらここの部員が居ない内に忍び込んだみたいだな」


 冷静な部員の機転により映研部員達が巻き込まれることは無かったが、後藤の存在を隠し通すことは出来なかった。


「大人しく出てこい!」


 長谷本の張り上げた声に、後藤は思わずグッズの山から飛び出す。


「くっそお!なんでだよ!」

「やっぱり居たか」

「何なんだよ……!そんなにレギュラー降ろされたのがムカついてんのかよ!」


 半ば自暴自棄になっているのか、激昂する後藤。


「そうだ。とんでもなくイラついてる」


 その言葉とは裏腹に、変身直後より落ち着いた態度を見せる長谷本。


「きっとこの怒りは、お前を消すまで消えない。だから、消えてくれ」

「ひいいいいいい!」


 長谷本は逃げようとした後藤の頭を鷲掴みにし、片手で吊り下げる。


「やめろ!離してくれ!誰か、誰か!」


 なりふり構わず手足を振り乱しながら、なんとか逃れようとする後藤。しかし長谷本の手は一向に緩まず、その怪力の恐ろしさに映研部員は誰一人として動くことが出来ない。


「それだけ叫んでおいて、謝罪は一言もなし、か」


 長谷本は静かに呟くと、腕を振り上げて後藤を宙に放る。


「へ!?」


 突如として投げられた後藤の視界に、棍棒を振りかぶる長谷本の姿が映った。


「じゃあな」

「だ、誰か助けてえええええええ!」


 無慈悲なバットが後藤へと直撃するその直前──。


 ガシャアアアン!


 部室の窓が割れ、1つの影が飛び込んでくる。


「フウゥ……」


 後藤に迫るバットを弾いた影。


 それは折れた大剣を持った赤い怪人だった。





 映研部室を飛び出した廊下。


「ウオオオオオオ!」


 刀身の半ばで折れた大剣が馬の怪人オロバスの<コンダクター>を切り裂く。


「ちっ!お前、誰だ!」

「ウウウウウウウ!!」


 返答せず、オロバス・コンダクター目掛けてさらに剣を振るう。

 両腕で振るったかと思えば、今度は片腕で強引に横薙ぎ。


 でたらめで、破壊的な剣。


「アアアアアアア!」


 上段から両腕で剣を振り下ろすと、それをオロバス・コンダクターは棍棒で受け止める。


『クソ、なんて力だ!この私でも押し勝てないだと!』


 長谷本とは違う声がその体から響く。


『貴様は一体、誰だ!どの悪魔と契約した!ニンゲン!』


 オロバス・コンダクターはなんとか剣を受け流し、距離を取る。


「ガアアアアアア!」


 答えない相手に『っち、<モラトリアム>に飲まれている状態か!』と悪態を吐くオロバス・コンダクター。


「ガアッ!!」


 折れた剣をオロバス・コンダクターに向けて力任せに投げる。


「クソッ!」


 間一髪その一撃を回避したオロバス・コンダクターだったが、頭部に靡いていた鬣の一部が剣に巻き込まれ、無くなっていた。


 そして回避に意識に向けた瞬間を、抉られる。


「ウガアアアアア!」


 投げられた剣が地面に突き刺さるより早く飛び出してきた拳。


「ぐあっ!」


 防御が間に合わずに殴り飛ばされ、オロバス・コンダクターは廊下を転がる。


 相手が倒れている間に床に突き刺さった剣を引き抜こうとするが、深々と刺さった剣は容易に抜けなくなっている。


『なんて力だ……!』


 何とか立ち上がったオロバス・コンダクター。

 しかしその顔面を力強く掴まれる。


「クソッ!離せ!」

「ウゥゥウウ……!」


 その声に答えることなく、掴んだ相手を刺さったままの剣に投げつける。


「ぐぁっ!」


 鈍い音を立てて僅かに剣が傾く。


「ガアアアアアアアア!」


 そして緩衝材オロバスを挟んで剣を蹴り抜く。


『ぐあああああああああああ!』


 容赦のない衝撃と共にオロバス・コンダクターと折れた剣が吹き飛ぶ。


 抜けた剣を拾い、倒れたままの相手へと近づく。


「ぐぅ……!」

 折れた剣を音を立てて引き摺り、──潰すべき相手の元へ。


 さぁ、くたばれ……。


 ……え?


 俺は今、何を思った?

 倒す?潰す?

 相手を?誰を?


 そうして剣を振り上げ、その姿が目の前にあった鏡へと映る。


「……俺?」


 振り上げた剣を馬の怪人へ振り下ろそうとしていたのは、俺だった。


 赤い怪人は、俺だった。





「俺が、俺がやったのか……?」


 鏡に映った赤い怪人が慄く。

 いや、この怪人が俺なのか。


 赤黒い肌に、鮮血のような鎧。

 その鎧にはびっしりと読めない文字が黒く綴られている。


「さっきまで暴れてたのは……」


 俺だった。


「俺が、俺が俺が俺が俺が!」


 俺だったのだ!


「うわああああああああああ!!」


 持っていた剣を取り落とし、両手で自分の顔を覆う。


 俺は、やっぱり――!


 ガシャアアアン!


「っ!?」


 そのとき突然に真横の窓ガラスが割れ、右半身に衝撃が走る。


「ぐあっ!」


 窓から飛び込んできたに蹴りとばされたらしく、その凄まじい威力によって窓とは反対側のドアを突き破ってどこかの部室へと突っ込む。


『全く、何をしている。オロバス』

『すまない……』


 体の上に乗っている何に使うのか分からないガラクタを跳ね除けてすぐさま廊下へ戻ると、そこには倒れた長谷本と、その前に立つ異形の怪人が居た。


『貴様……誰と契約している?』


 出てきた俺の姿を見るなり、値踏みするように全身を眺めてくる異形の怪人。


「契約……?」


 俺自身に起きていることについてはよく分からない。

 けど、とりあえずは長谷本を……。


『モラトリアムか……。どちらにせよ我の同志では無さそうだな』


 その言葉と共に異形の怪人が手にしていた槍を俺に向けて投げる。


「くぅ!」


 足元に落ちていた剣を拾い、なんとか槍の軌道を逸らす。


 が、逸れたのはこっちの意識もだった。


『穴へ帰っていろ』

「っ!?」


 異形の怪人は一瞬の間に片刃剣を取り出し、その一撃で俺の首を捉える──。


 キィン。


 しかし、その刃は眼前で煌めいた白刃によって落とされる。


『ふん。あくまで邪魔をするか。狼よ』

『若い人間を狙う貴様たちのやり方は認めないと言ったはずだ』


 剣と共に俺と怪人の間に割って入ってきたのは、新たな怪人。

 けれどその純白に輝く白い姿に『怪人』という言葉はあまり相応しくない気がした。


『相手をしてやりたいところだが、今は契約を済ませたオロバスの回収が先だ。また会おう』


 オロバスを抱えると異形の怪人は入ってきた窓から飛び出していく。


『待て!』


 それを追って『狼』と呼ばれた白い怪人も外へ飛び出していく。


「長谷本!」


 俺も遅れて窓へと駆け寄るが、怪人達はそのまま宙を舞って彼方へと消えていった。


 結局、長谷本を止めるどころじゃ無くなったな。


「はぁ……ん?」


 やるせなく窓枠にかけた手には粘着質な糸が絡まっていた。


「なんだこれ……糸?」

『どうやら、逃げられたみたいだね』

「誰だ!?」


 手についたそれを調べるより前に、どこからか声が聞こえてくる。

 更に怪人が増えるのはもう流石に勘弁して欲しいんだが。


『もう忘れたのかい?ボクが誰で、どこにいるのか』


 その言葉と共に俺の体から円状の紋章陣が浮かび上がると、そこから見覚えのある赤と黒のドレスを来た少女が現れる。


 それと同時に俺の体も元の体へ。


「戻った……じゃない!お前はさっきの……そうだ、悪魔!」

「ふぅ、もう名前は言ったはずなんだけどな。それに『悪魔』って呼ばれるのが嫌だってこともね」


 俺と契約した悪魔は妙に気だるそうな口調でそう言うと、ゆっくりとした歩みで俺を一周する。


「しっかしモラトリアムでボクを飲み込むなんてね」


 再び俺の前に来た悪魔は右の口角を上げてから言った。


「この、化け物」


 それが俺の、悪魔たちとの出会いだった。

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