【part.B】 誠実な悪魔とクサい水

「いや、だから私には必要ないと……」

「わたしも、大丈夫です……」


 久々に浴びるには少し強すぎる日差しの下、私は何の因果か見知らぬ少女と共に、二人組の人間から詰め寄られていた。


「自分は大丈夫って考えが1番怖いのよ!」

「そうよ!詐欺も病気も一緒。その考えが危ないの!!」

「だから私は――」

「だからもおからも卯の花もないのよ!」


 困った。とても困った。


 自らの目的のために行動をしている最中、妙な婦人二人に引き止められている短髪の少女を助けようと割って入ったのだが──。


 この年配の婦人二人、全く話を聞こうとしない。


「悪魔も一緒。いつ、どこで襲ってくるか分からないの!」

「だから貴女たちみたいな若くて可愛い子にこそ、この『退魔の滋養神水』が必要なの!」

「はぁ……」


 片方の婦人が出してきたのは何やら荒々しい文字の綴られた小瓶。

 自信満々に差し出してもらって悪いが、まだこの時代の人間と契約を行っていない私にはその文字が読めない。


「名前の通り悪魔はこれを見ただけで逃げ出しちゃうし、中身をかけようものなら途端に燃えて消えちゃうのよ!」


 言われて瓶を見るが、特に私の体に影響は無い。とりあえず最初の効果はこれで嘘だと判明したようだ。


 むしろ私の隣にいたはずの少女が婦人の余りの勢いに私の後ろに隠れてしまった。


「そうなの!それに人間ならお肌にもいいんだから!」


 そう言って私の袖を捲ると、おもむろにその『なんとか』という水をかけてくる婦人。


「っ!おい、何を勝手に!」

「ニンニクが入ってるから匂いはちょっとするけど、ちょっとしたら肌がツヤツヤに――」

「離せ!」


 条件反射で腕を振りほどくと、袖を即座に降ろす。


「あ、あらあらごめんなさい!そんなにおめかししてるんだものね、これから人に会う約束でもあったのかしら?」

「まぁ!それじゃあニンニクの匂いは困っちゃうわよね、ごめんなさい!」

「い、いや分かったのであればいい。では私たちはこれで」

「し、失礼しますっ」


 内気そうな少女を庇いつつ服の上から謎の液体を塗られた部分を確認するが、とりあえずこの二人の言っていた炎上などという現象は起きていないようだ。


「……っく」 


 違った。


 どうやら面倒なことに、今塗られた変な液体は僅かにではあるが本当に悪魔に対して効果を持つらしい。


 婦人二人から隠れて確認した袖の中で、塗られた部分の皮膚が赤く、火傷のような状態になっていた。


「どうしたの?もしかして、アレルギーでもあった?」


 心配そうな顔で婦人が訊いてくる。隠したつもりでいたが、どうやら目ざとく見られていたらしい。


「アレ、ルギー?」


 まだ理解していない単語だ。


「ちょっと見せて!」

「いや、アレルギーというものは分からないが、大丈夫だ」


 再び私の腕をとろうとしてくるが、今度ばかりはそうもいかない。


「アレルギーかどうか分からないの?じゃあとりあえず見てみないと!」


 っく。本当に話の通じない……!


「だから何度も言うが、私は大丈夫だ!」


 多少、乱暴に腕を振り払い、この場を後にしようと背を向ける。

 しかし、その言葉は私に届いてしまった。


「貴女たち……もしかしてだけど、悪魔じゃあ、ないわよね?」


 言われてしまった。その言葉を。


「そういえばさっきからもう一人の子も後ろに隠れちゃってるわ……」

「……っ!」


 短髪の少女は自分に注目が向いたせいか、さらに縮こまる。

 君は人間なのだから正直に答えればいいだろうに。余計に誤解に生むだけだ。


「……私は」


 けど少女と違って私は、その質問に答えるわけにはいかない。


 私は、


「何者だって、いいだろう」


 そう言って走り去ろうとした私の手を、今度は捕まえてきた二人。


「良くないのよ。悪魔なんてものは、存在しちゃいけないの」


 至極真面目な顔で言う婦人。


「悪いことしかしない、人間の、世界の敵なんだもの!」


 世界の、敵。


「そうなの。だから悪魔を見つけたら私たちはこのブザーを押して、私たちの会の<クルセイダー>さんたちを呼ぶの」

「クル、セイダー?」


 また理解出来ない単語か。


「悪魔を……倒す人たち……」


 少女が後ろで呟く。


「そう、悪魔を倒すことが出来る私たち人間の希望」


 婦人はブザーというモノを握りしめて私を見つめる。


 クルセイダー……。かつての巫女のようなものか。


「どうなの?貴女たちは悪魔なの?」


 この二人の信仰している教えの巫女が持つ力は分からないが、契約を結んでいない私の力が余りに弱いことは理解している。


 呼ばれれば無事では済まないだろうが、こんなところで倒れるわけにはいかない。


 けれどそれと同時に嘘を吐くことは絶対に出来ない。


 誠実であるという『信条』を譲ることは出来るが、嘘を吐かないという『信念』を曲げることは出来ないのだ。


 ……まったく、いつになっても、何年経っても、私は『助ける』というのが下手だな。


 観念して真実を伝えるとしよう。


「私は──」


 剣を抜く覚悟は出来ている。


「はい、そこまでー」


 しかし、そこに突如として現れたのは、妙に野暮ったい雰囲気を纏った青年だった。






「あら、貴方はどなた?」

「通りすがりの学生ですよ。そんなことより、こんな夏場に長々と外にいたら大変なことになります――よ!」


 パァン!


「「きゃあ!?」」


 急に両手の平を合わせて打ち鳴らす青年。


「な、何!?どうしたの!?」


 婦人たちは突然の音に驚いていた。


「こんな風に、蚊がいっぱい来ますよ」


 閉じていた手を開く青年。そこには蚊が潰れていた。


「あらあら、そうよね!ごめんなさい!」


 急に現れた第三者のせいか、婦人たちはさっきまでの張り詰めた空気を霧散させる。


「今の間にこっちのも腕を刺されたみたいだし。さっき何か塗ってるように見えましたけど、その匂いのせいで蚊が寄ってきたんじゃないんですか?」


 さり気なく私たちを庇う様に立ち、腕を掻く動作をする青年。

 よく分からないが、どうやら私が蚊に刺されたと勘違いをしているらしい。


「あら、それはごめんなさい!気づかなかったわ!」

「虫は匂いに敏感みたいですからね」


 そう言って青年は婦人の手にあった瓶を傾けて自身の腕に少量塗る。


「ほら、結構匂う。悪魔は燃えるから大変かもしれないけど、人間だってこの夏場に虫にたかられたら困りますよ。あなた方も虫がいっぱい来たら嫌でしょ?」

「そうよね!ごめんなさい!こんな可愛い子たちに虫が来たら大変よね!」

「それに、悪魔だったら今頃こんなものじゃ済まないわよね!ごめんなさい、悪魔なんかと勘違いしちゃって!」

「いや、構わない。では本当に私たちはこれで」

「本当にごめんなさいね。あ、でもこれは是非持っていって!」


 間に入った青年の影響もあってか今度は追い縋って来なかったが、よく分からない水を私と青年の手に握らせる。


「じゃあまたご縁があればね!」

「貴方達の一日に祝福のあらんことを!」


 私はなんとか生まれて以来、一、二を争う窮地を脱したらしい。


「君のお陰で助かった。礼を言う。ありがとう」


 婦人たちと居た場所からそれなりに離れたところで助けてくれた人間の青年に頭を下げる。


「気にしないでくれ。俺も前に面倒な勧誘に捕まって蚊に刺されまくったことがあったからさ」


 これくらいは何でもないという顔で言う青年。


「あのじゃあ、わたし、急いでるのでこれでっ」

「ああ、すまなかった。助けられなくて」


 私の言葉に短髪の少女は「いえ、嬉しかったです」と笑顔を見せる。


「そうだ俺も急がないと!リョーコとか長谷本とかが大変なんだった!」

「え?」


 青年の言葉に少女が反応する。


「今、なんて言いました?」


 走り去ろうとした少女の動きが止まる。


「リョーコが大変?」

「そこじゃなくて、次の……」

「長谷本?」

「それです!!」


 思ってもみなかった少女の反応に、私と青年は顔を見合わせた。







 少女から事情を聞いた私と青年。


 あの少女は悪魔と契約してしまった友人を止めるために奔走しているのだという。


 少女は話を終えると、私たちを置いて一目散に走り去ってしまった。


「なるほど。これは、面倒だな」


 話を聞いた青年は前髪を掻き上げて空を仰ぐ。


「まぁ、悪魔が絡んでいてはな」

「でも……なんとかしないとな」


 自然な口ぶりで言う青年。


「ただの人間がか?さっき婦人たちが言っていたクルセイダーとやらの出番だと思うが」

「あー……、今そんなこと言ってたか俺」

「ああ、なんとかしたい、と」


 自分で分かっていなかったらしい。


「そうか。そうだよな。そうなんだけどさ……はぁ」


 青年は呆れたようにため息を吐く。

 多分、それは自分自身に向けたものだろう。


「出来れば、俺が出来る範囲でなんとかしてやりたいんだ。多分、長谷本はこのままでも、クルセイダーを呼んでもダメだ」

「何が駄目なんだ?」


 私は、どうしようもなく気になってしまった。


 少なくとも普通の青年よりはこの時代の巫女クルセイダーの方が事件を解決する力を持っているだろう。それにこの賢そうな青年の口ぶりからすると、恐らくそのことを自身で理解している。なのに何故そうすることを良しとしないのか。


 それが私の中でどうしようもなく興味を引いた。


「長谷本はこのままだと……」


 そして青年の口からその正体が明かされる。


「きっと俺みたいになる」

「──」

「だから、俺が止めてみる」


 その言葉と顔に、私は目を奪われた。

 彼は、きっと私に似ている。


「そうなると、この水貰っておいてよかったかもな」


 真面目な空気を濁すためか苦笑を浮かべながらさっきの瓶を取り出す青年。


「そうなのか?私には分からないが」


 効果が無いわけではないが、効果てき面と言われると怪しい。


「だって、



 その言葉と共に私の目を見てくる青年。


「──っ」


 完全に油断をしていた。


「お前、何故私が悪魔だと分かった」


 この姿で普通の人間に正体を見破られるとは露ほども思っていなかった。


「さぁ、わからん」

「……は?」


 しかし当の本人は余りにもあっさりと、そう言ってのけた。


「何かそんな気がして。あとは色々加味した結果そうなんじゃないかと思っただけだ。だから詳しい理由は分からないんだ」

「なんて適当な理由だ。それだけで悪魔だと判断した挙句に、あろうことかその悪魔を助けるか」


 どこまで酔狂な人間だ。


「いや、助けたわけじゃないさ」


 左の口角を上げながらその人間は言った。


「俺はああいう手合いの方が嫌いだったってだけさ。どっちかっていうと我儘な悪戯だ」


 伏し目がちに、そう笑って見せた。


「お前は……」

「それに、ウチにはお前よりよっぽど意地の悪そうな悪魔がいるからさ」


 目線を上げた青年は瓶を手の中で弄び、「あいつにも効くかな」と言ってにやりと笑う。


 そうか、この青年は既にいずれかの悪魔と契約していたのか。


「ふっ。それ、悪魔にとってはちょっと熱いくらいだぞ」


 袖を巻くって赤くなった腕を見せる。


「なんだ、思ったより効果あるんだな」


 この反応を見るに、どうやら蚊に刺されたという勘違いまでこの青年の手の上だったらしい。


「って、こんなところでゆっくりしてる場合じゃない!俺も急いでるんだった!」


 そう言うと青年は短髪の少女が去っていった道へ走っていく。


「助かったよ、ニンゲン!」


 私の声が届いたのか、軽く手を上げる青年。


「さて、私も行くか」


 私も、私の使命を果たそう。

 私一人の使命でなくなったそれを。

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フェイス/黒と白のコンダクター 右端燕司 @tuusuto

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