【ソード・オン・ハート】

【part.A】 カフェオレ式悪魔講座

『この、化け物』


 違う。

 俺は違う。

 俺の『裏』はもう居ない。


 俺は──化け物じゃない!


「っはぁ!」


 意識の覚醒と共に上半身を跳ね起こす。


「夢……か」


 さっきまで寝ていただけのはずなのに心臓は怖い位に早鐘を打っていて、息は乱れ切っていた。

 何度か深呼吸をして、息を整える。


 カーテンからは朝陽が漏れていた。

 ……とりあえず顔でも洗ってこよう。


 洗面所に向かい、いつもより冷たい水で、いつもより多く顔を洗う。


「何か飲むか」


 いま用意できる飲み物と言えばコーヒーか牛乳、麦茶くらいだったか。


 廊下を歩いてリビングへ向かっていると、香ばしい匂いがしてくる。

 コーヒーのいい香りだ。よし、コーヒーにしよう。


 そしてリビングへ続くドアノブを回す時に思ったんだ。


 この家には俺しかいないはずなのに、なんでそのコーヒーの匂いがしてるのか。


「やぁ、おはよう。灰志」


 そこにはモーニングを楽しむ悪魔が居た。

 






「さて、とりあえず質問がいくつかある」


 悪魔の少女が座っている対面の席にコーヒーを持って座る。


「面倒だけど、構わないよ」


 言葉通り、気怠そうな雰囲気を隠さずにカップへと口をつける少女。


「まず……昨日のことは夢じゃないんだよな?」

「ボクが目の前に居るのにそれを聞くかい?」

「分かってるよ。質問ていうか、今のは『そうだったらいいな』って願望だ」


 勿論、容易く崩れ去ったが。


「じゃあ次。どうして長谷本は馬の怪人になったのか。なんで俺も怪人になったのか」

「フム、どうやら<モラトリアム>のせいで契約前後の記憶が曖昧にあっているようだね」

「モラトリアム?」

「ああ。それも含めて<コンダクター>についてもう一度だけ説明しよう」


 そう言うと少女はキッチンの冷蔵庫へと向かい、牛乳を透明なグラスに注いで戻ってくる。


「思ったんだけど、ボクはコーヒーのブラックがそんなに好きじゃないみたいだ」


 俺の「じゃあ何で飲んでたんだよ」というツッコミには反応せず、持ってきた牛乳をグラスへと注ぐ。


「この牛乳を君たち人間。こっちのコーヒーを悪魔としよう。それで──」


 カップを持ち上げ、中のコーヒーを牛乳の入ったグラスへと注いでいく。


「これが<契約>。この契約が交わされた時点でその人間は契約者になって、契約者は契約した悪魔の力を借りることで君の言うところの怪人、<コンダクター>になることが出来る。その中でもこの状態のことを<モラトリアム>と呼ぶんだ」

「この状態?」

「このグラスの中さ。白い牛乳の中に急に黒いコーヒーが入って来て、中で両方が乱れているだろう?これが<モラトリアム>。そして──」


 少女がスプーンでその中身をかき混ぜると、グラスの中でコーヒーと牛乳がコーヒーミルクの1色へと変わる。


「こうなると完全な契約者、本当の意味で<コンダクター>になる。まぁ、例外もいるけどね」

「コン……ダクター」


 あまり実感のないその言葉を口にすると、自分の中で何かが騒めいた気がした。


「そう、コンダクター。その中でも完全に混ざり合う前に起きる不安定な状態が<モラトリアム>」


 少女は「それも昨日説明したんだけどね」と言いながらスプーンをグラスから抜き、空になったカップへ。


「昨日、オロバス・コンダクターをボコボコにした時の君と、ボクさ」

「昨日……」


 おぼろげな記憶の中で昨日の出来事を思い返す。


 用具入れの前で激昂していた長谷本。そして長谷本は後藤という同じ部の部長を憎んで馬の怪人、オロバス・コンダクターとなって逃げた後藤を追って校舎へ。


 俺はその二人を追いかけて飛び込んだ校舎の中でこの悪魔と出会った。

 そこで何を思ったのか、俺は少女と契約。


 俺はコンダクター、赤い鎧の怪人になった。


 そしてその怪人になってからの前後の記憶が一番、はっきりとしない。


 少女と話した内容はぼんやりとしているし、怪人になって暴れていたことは感覚的に覚えているが、その最中の記憶は上から絵の具で塗りつぶされたように断片的にしか覚えていない。


「駄目だ。やっぱり半端にしか……」

「だろうね。あそこまでの<モラトリアム>になったんだから、何らかの影響が出ててもおかしくないはずだよ」


 いや、待てよ……?


「……思い出した」

「ん?なにを思い出したんだい?」


 そうだ、この悪魔との契約の中で一番印象的だった言葉。いや──。


「……約束」


 


「そうか。それは、よかったよ」


 悪魔は何でも無さそうに笑って見せるが、その笑顔と雰囲気は覚えている。

 この『約束』をしたときと同じだ。


「あとそれに関連してもう一つ。確かお前、そんな喋り方じゃなかっただろ」

「ム。覚えてたか」


 ややバツの悪そうな顔をする悪魔。


「確か最初に会った時はもっとこう、古臭──」

「んんーっ」


 俺を横目で見ながらわざとらしい咳払い。


「偉そうな──」

「んんっ。んんーっ」


 これでも不満らしい。


「……仰々しい喋り方だったよな」


 微妙そうな表情でこっちを見てくるが、咳払いもしてこないので続ける。


「それが今じゃあ随分とラフというか、フランクになったもんだ」


 昨日と違って『私』が『ボク』になって、『お前』が『君』になってるし。


「それも契約が大きく関係しているんだよ、

「そうだ、名前もだ!確か俺はまだお前に名乗ってないはずだ」


 俺の言葉に「やっと思い出したのかい?さっきもわざと呼んであげたのに」と言ってコーヒーミルクをもう一口。


「悪魔は契約した時に相手の人間に楔を打つと言ったのは覚えてるかな?ボクの喋り方も、君の名前を知っていることもそれが関係しているんだ」


 再び席を立ってキッチンへと向かう悪魔。


「今度は何を探してるんだ?」


 さっきと違って冷蔵庫ではなく、戸棚の中を漁っている。


「何かおやつのようなものは無いかな?クッキーみたいなもので構わないんだけど」

「クッキーならそこじゃなくてシンクの反対側の引き出しの中だ」

「お、本当だ」


 今度はクッキーを箱ごと持ってきて席に着く少女。


「ボクがどうして君のことを知っているかだけど、人間と契約した悪魔はその人間について、いくつかのことを知ることが出来るんだ。ボクはその中の一つである契約者の『外面そとづら』を見たことによって、君が零門高校に通う高校二年生の久我灰志だということを理解したというわけさ」

「俺の『外面』?」

「……ふふふ」


 いまいち要領を得ない言葉に首をひねっていると、悪魔は得意げな顔でクッキーの箱を持ち上げる。

 どうやらまたモノに例えて説明するようだ。


 というかこの笑顔を見るにこの説明が気に入ったらしい。


「君が気になっている『外面』だけど、これはボクからしたら感覚的なものだから伝えづらいんだ。だけど君たち人間にも分かりやすく例えるとしたら、この成分表示と似たようなものさ」


 そう言って俺に見せてきたのはクッキーの箱の裏面。 


「ここにカロリーや栄養素が書いてあるだろう?それと似たようなカンジで、君のことが大雑把に分かるんだ」

「大雑把って言われてもな」


 その説明が大雑把というか。


「うーん。じゃあ灰志、この成分表示に書かれている『砂糖』がどういうものか分かるかい?」

「そりゃあ、甘いに決まってるだろ。砂糖なんだし」


 随分と当然のことを訊いてくるな。


「じゃあ他に書かれているショートニングや、全乳粉というのは?」


 こっちが本題と言いたげな顔で訊いてくる悪魔。


「全乳粉は確か牛乳を乾燥したやつだったな。けど、ショートニングの方は知らないな」

「知らないってことは、そのショートニングというものが加わったことでこのクッキーがどういう変化をしたのか、君には分からないということだね?」


 箱の中からクッキーを取り出すと、表面と裏面をゆっくりと俺の方へ向けてくる。


「それが、ボクが知った君の『外面』さ」


 そう言ってパクリ、とクッキーを食べてしまう悪魔。


「つまりはそのクッキーが俺で、お前ら悪魔が見ることの出来る『外面』っていうのがその箱に書いてある成分表示ってことか」

「そういうこと。だからいくら箱を見たところで中のクッキーは食べてみるまでどんな味か分からないのと同じように、契約によって君が獅子座の高校生男子ということが分かっても、実際に話してみるまではどんな性格なのかも分からないのさ」


 なんとなくではあるが、クッキーの説明によってさっきよりは理解出来た気がする。


「あとはボクの喋り方についてだけど、悪魔は人間と契約することによって現代の知識を得ることが出来るんだ。だから君が持っている知識の中から今のボクらしい喋り方を選んだというわけだよ」


 再び笑みを浮かべてグラスに口をつける悪魔。


「……さっきクッキーを探す時に戸棚を調べたのも、その知識から手に入れた情報か?」

「ご名答」

「ってことは俺の持っている知識がいくらか手に入っても、記憶までは知らないってことか」

「へぇ。どうしてそう思うんだい?」


 薄く微笑む悪魔。

 そういえばこの笑顔も昨日の廊下で見た気がする。


「おととい引き出しに仕舞ったばかりのクッキーの場所を知らなかったし、俺が昨日の契約の説明を忘れていることも知らなかったからだ」


 俺の推理を聞き終えた悪魔は、浮かべていた笑みを深める。


「ご名答。フフ、やっぱり契約するのならこれぐらい頭の周る相手じゃないとね」

「それは、よかった」


 そう、よかった。


「灰志?」

「いや、なんでもない。しっかし、俺の知識の中だと『お菓子は戸棚』になってるんだな」

「ボクが積極的に覗いた君の知識は『娯楽』の領域だったからね。そこにある知識だとお菓子というものは戸棚というスペースに入っている法則だったのさ」

「数ある知識の中で何より娯楽を優先するってことは、悪魔の中でも随分と堕落したヤツなんだな。お前は」

「フフン。歴史を知るには文化からだよ。まず今の時代の人間のことを何も知らずに動き出す悪魔が愚かなのさ」


 鼻で笑ってから「それに」と付け加える悪魔。


「何千年と何もないところに閉じ込められてたんだから、せっかくだったら楽しいことを知りたいだろう?」

「何千年って……悪魔ってそんなに長い間、どこかに閉じ込められてたのか?」


 現代において悪魔だなんだと言ったら非現実的なものだと言われているくらいだから、それなりに古いモノだというのは頭のどこかで理解していたが、そこまで古いのか。


「ムム。今の言葉を聞いて、灰志の中の知識を見たけれど悪魔について知らなさすぎじゃないかい?まぁ、他の人間と比べたわけではないけれど」

「そうなのか?」

「ああ、悪魔と聞いて君の中に浮かぶイメージは不細工な顔に真っ黒な肌。そして角と尻尾。これはあんまりじゃないかい?確かに似たような知り合いが居ないわけではないけれど」


 確かに悪魔と聞いて浮かぶのは今言われたようなイメージではあるが。


「ていうか、もしかして君はオロバスと聞いてどういった悪魔かとか分かっていないのかい?」

「どういった悪魔って言われてもな」

「いま調べたよ。……君は『ソロモンの悪魔』についてほとんど知らないんだね」


 呆れたように言う悪魔。


「ああ、名前は聞いたことあるな。70くらいいる悪魔だったか」

「72柱。君と昨日戦ったオロバスという馬の怪人も、後に現れた2体もその72の中の悪魔さ。遠い昔にソロモンという男に封印されたね」

「ソロモンの……悪魔」


 俺と契約しているこの悪魔と、長谷本と契約しているというオロバス。そして飛び去って行ったあの2体。あんなのが合計で72体もいるのか。


「ところで、今日はどうするんだい?オロバスと契約したあの長谷本とかいう男子を追うのかい?」

「ああ、そうだった」


 時計を見ると7時半。夏休み初日にしては健康的な朝だった。


 ……ん?何か忘れているような。


「ああ!そうだった!」

「うわっ!びっくりしたなぁ。急に驚かさないでくれるかい」

「今日も学校へ行くんだった!」


 あの幼馴染は長い付き合いだけあって俺に対しては良い意味でも悪い意味でも遠慮がない。

 恐らく今日の会議を欠席すれば、後者の意味が適用される。


 行かないわけにはいかないだろう。


 それに長谷本や後藤の所在を探るにも学校へ行くのがベストのはずだ。


「あ、灰志」


 着替えるために自室へ急ぐ俺の背中に悪魔の声がかけられる。


「よければ君のコーヒーももらっていいかな?」

「もうゆっくりする時間も無さそうだし、好きにしてくれ!」

「じゃあもらうとしよう」


 自室に飛び込んですぐさま着替えるとそのまま玄関へ走る。


「あ、灰志。最後にもう一つ」

「なんだー!」


 悪魔の声が聞こえるが、リビングに顔を出す時間もないので靴を履きながら返事だけ届ける。


 トストスと軽い足音が近づくと、悪魔がリビングから顔だけ出す。


「いってらっしゃい」

「……いってきます」


 言い馴れない返事をして、うだる暑さの外へ。


 そういえば、彼女の名前を訊き忘れた。





 リビングに戻った悪魔はコーヒーを一口。


「やっぱりボクはコーヒーが嫌いだ」


 そう呟いて、新たなクッキーを一口に食べてしまう。


「うん、こっちの方がいい」

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