【part.B】 夕陽に忍び寄る影

 7月初旬。


 平年より少し早く梅雨明けを迎えるや否や、強く照りつける太陽。


 そんな日射しに晒され、教室の窓際席でけだるしそうにしている青年、久我灰志。


 彼の他にも窓際で太陽光に晒されている生徒はいるが、彼のように不機嫌そうな顔を浮かべている生徒は居なかった。


 それもそのはず。この<零門学園>は明日から夏休み。そしてその夏休み明けに待っている文化祭での出し物の会議をしているのだから。


「他に新しい意見はないですかー?ないかなー?」

「……あっついなぁ」


 机の上に溶けるようにして突っ伏したまま窓の外を見る灰志。

 2階の教室から見降ろした校庭にはすでに出し物を決めていたクラスの生徒が積極的に練習や製作準備を始めていた。


「……あっついなぁ」


 重ねて言うと灰志はそこから目を逸らす。


「うん……?」


 視線を逸らした先の校門、そこには1人の坊主頭の男子生徒がいた。

 ネクタイの色は2年の灰志の赤色と違い、3年であることを示す緑。


 色んなクラスが準備のために校庭に出てきている中で、その光景は特別に目を引くものではなかったが、その生徒の向かいにいる人物が灰志の目に止まった。


「あれは暑すぎだろ……」


 頭の先から足首までを赤い布で覆った出で立ちの人影。


 そんな夏にはあり得ない服装をしている人物が敷地内に居るのにも関わらず、他の生徒たちは存在に気づいていないようだった。


 そのまま灰志が成り行きを見つめていると、突如として赤い男は消失し、男子生徒だけが残された。


「……え?」


 灰志は少しだけ姿勢を起こして目を凝らす。

 すると赤い男が消えた代わりに、男子生徒の手の中にが握られているのが確認出来た。


「もしかして……」


 その光景に1つの予想が灰史の頭に浮かんだが──。


「久我くん。聞いてる?」

「っ。ああ……」


 会議の司会をしていたクラスメイトの女子に話しかけられ、意識が日常へと引き戻される。


「久我くんも何か意見無い?」


 灰史が黒板を見ると、劇や模擬店などの候補で意見が割れているようだった。


「俺は……」


 横目にさっきまで見ていた校門を確認すると、そこには誰もいなかった。


 それを見た灰志は、まさか自分の日常が巻き込まれることはない。そんな何の根拠もない結論を出すと、再び机に突っ伏す。


「何でもいい」


 そう言って超常から日常、そして内面へと意識を変えて眠りにつく。


「ちょっと!久我くん!」


 彼女の言葉に反応することなく、灰史の意識は深いところへ落ちていく。


 そう、世界の日常は超常に侵蝕されつつあるが、自分の日常には関係ないのだと。





 照明が点いておらず外からの光さえ遠い、暗いバーの一室のような場所。

 かつては多くの利用者がいたらしくデザインのまばらな椅子が多く置かれているが、今はそのどれもが埃を積もらせていた。


「オロバスが動いたか」


 誰かが曲を披露することもあったのか、部屋の隅には小さなステージが設けられており、その上に置かれた演奏者のための椅子で老齢の影が口を開く。


「そうみてぇだな。へへっ楽しみだ」


 ステージからほど近い柱を背もたれにしていた影が、指先から出した炎で咥えた煙草に火を点けた。


「ふふっ。私に合うニンゲンがいるといいんだけど」


 ステージから離れたカウンター席。そこに座っている女の影は両耳に光る蛇のイヤリングの片方を撫でると、妖しく笑う。


「毎回、お前に気に入られたニンゲンのことを思うと可哀そうでならねーよ、ははははは!」


 大仰に笑う咥え煙草の影に対して「ふん」と鼻を鳴らす女の影。


「あんたには言われたくないわよ」


 そう言って椅子ごと回転して咥え煙草の影から顔を背ける。


「まったく、貴様らは相変わらずだな」


 そう言って呆れたように息を吐く老齢の影。


 暗がりに浮かぶ3つの影。この3つの影は普通の人間と変わらない姿かたちをしているのにも関わらず、明らかにこの世界に対して異質な雰囲気を纏っていた。


 その姿の中に何か得体のしれないものを抱えていることを、見る者の本能に伝えてくるのだ。


「じゃれ合いもその辺にしておけ。そろそろ動くぞ」


 仕切り直すように言って老齢の影が立ち上がると、言い合っていた影も続いて出口へと向かう。


 狭いドアを老齢の影が抜けた後、同時に踏み出してドアで突っかかりそうになった2つの影だったが、咥え煙草の影が「お先にどーぞ」とおどけると、女の影はまた鼻を鳴らして「お先に」と言って外へ向かう。


 最後に咥え煙草の影が出ていくと、再び廃墟に静けさが戻ってきた。






「おーい久我ー、もうHR終わってるぞー」


 クラスメイトの男子の声に目を覚ます。


「……ぬぅんー」


 なんとか返事をしようと口を開いたが、変な鳴き声のようなものしか出せなかった。


「じゃあなー」


 部活へ行くのか帰るのかは知らないが、クラスメイトは教室の出入り口に消えていく。


「……じゃあなー」


 それを見送ってからぼちぼち帰りの準備を整える。


 ……そういえば。


 黒板へ目を向ける。


「『何でもいい』なんて言ってたのに、一応は出し物が気にしてるんだ?」

「ああ、一応、な。知らないうちに変な役割にされてたら困るし」


 いつの間にか隣に立っていた『司会の女子』は会議の時より幾分と気さくに「なら起きててよね」と軽く笑う。


「見ての通り全然決まらなかったよ。だから夏休み初日で申し訳ないけど、私たち2年C組は明日もここに8時しゅーごー」


 黒板には食べ歩き系や喫茶店のような模擬店に、定番の演劇やお化け屋敷などの候補も書かれていたが、そのどれにも票が細かく入っているようだった。


「この中だと『ショー喫茶』ていうのがいちばん票数あるから、それでいいんじゃないのか?」


 俺の意見に司会をしていた女子、幼馴染の<善田良子ぜんだ りょうこ>は苦笑する。


「んー……それでもよかったんだけど、やっぱりある程度クラスの皆が納得してくれるヤツじゃないと、ね」


 幼馴染は相変わらずらしい。


「だから、明日はもしっかり会議に参加するように」

「分かったよ。というか、それを伝えるために待ってたのか?」

「そうだよ。長い付き合いだからね」


 それが当然であるかのように言ったあと「どうせ部活も入ってないし」と付け足す。


「じゃ、明日も来てね。


 そう言って良子も教室を出ていく。


 時計を見ると、いくら夏とはいえゆっくりしていると日が沈みそうな時間だった。

 そんな時間まで起きるのを待っていてくれた『幼馴染』に感謝しつつ、茜色が差し込んできた教室を出る。


 いつもなら聞こえてくる吹奏楽部の音色も運動部の掛け声も聞こえない。どうやら部活動も解散の時間らしい。


「流石に寝すぎたな」


 昨日夜更かしをしたわけでもないのに、変だな。


 そんなことを考えながら茜色の階段を降りて昇降口で靴を履き替えた時だった。


『きゃあああああああああああ!』


 突然、女子の悲鳴が校庭の方から響いてきた。


「っ!?」


 思わず校庭へ駆け出そうとした体を、自分の意志で抑えつける。


 ――なんでいま俺は走り出そうとした?


 今までの学校生活で悲鳴なんていくらでも聞いてきた。そしてそのどれもが些細な理由で発された、緊急性のないものだったはずだ。


 それなのに何で今、俺は走り出そうとしたんだ?


 いや、どうせ分かってるんだ。無意識のうちに頭の中で情報が整理されて、HRの時に見た光景を中心に繋がっていくのが分かる。


 でも、それがどうした。今ならまだ無関係だ。駆け付ける必要なんてない。俺が自分に気づかないでいれば、俺が気づいていることには誰も気づかない。


 だから、やめておけ。


 最後にもう一度、自分をきつく抑え付ける。


 正しいことなんて、疲れるだけだ。






 夕日によって赤く染まったグラウンド。その端の体育倉庫の前には肩を抱いて座り込むソフトボール部の女子数人と、動揺して立ち尽くす野球部の面々。


 そして歪んだバットをもって佇む一人の野球部員がいた。


「お、おい長谷本。落ち着けって、な?」


 取り囲むように立っていた野球部の内、1人の男子が引き攣りつつも笑顔を浮かべて『長谷本』と呼ばれた野球部員に近づいていく。


「うるせぇんだよ……」

「え?」

「うるせぇんだよ!!!」


 激昂した長谷本が手にしたバットを体育倉庫の壁へ叩きつける。


 ドガァン!


「ひぃっ!」


 強烈に響く音と共にそこには人間の力によって出来たとは思えないほどの大きな窪みが生まれる。


 そしてその隣には同じような穴がもう一つ。つい数分前にソフトボール部の女子が叫んだ時に出来たものだった。


「お前らが悪いんだろうがよ……!」


 さらに歪んだバットを握りしめながら、吹きこぼれる熱湯のように怒りを露わにする長谷本。


「今日一日、せっかく最後に判断する時間をくれてやったのに、お前らは変わらなかった」


 長谷本が自分を囲むチームメイトを1人ずつ睨みつけていくと、最後にその中で一番体格のいい部員の前で視線が止まる。


「なぁ、後藤部長。お前、ソフトボール部の部長と付き合ってるんだよな?」

「な、なんだよ。その質問。何か関係あるのか?」


 部長らしい男は少し動揺した様子で返すが──。


「付き合ってるかどうか訊いてんだよ!答えろ!」


 長谷本の怒号とともに、今度は地面にクレーターが出来る。

 あまりの衝撃に長谷本自身を含めて、近くに居た野球部員の帽子が飛ばされる。


「そ、そうだ!俺はユキと付き合ってる!」


 あまりの恐怖に野球部部長は即答し、同時に怯えているソフトボール部の女子の中の一人を指さす。


「そうだよな。やっぱりそうだよな。はははははは……」


 怒気を隠さないままで少しのあいだ笑みを浮かべる長谷本だったが、彼の中で何かが切り替わったのかピタリと笑うのをやめる。


「やっぱり、やるしかないよな。……あゆみのためにも」


 そして決意の表情で呟く長谷本。

 長谷本の口にしたその名前を聞いた瞬間、怯えているだけだったソフトボール部部長がぴくりとわずかに反応した。


「力を貸せ……<オロバス>」


 長谷本がポケットから取り出したのは、ハンドグリッパー。握力を鍛えるためにあるそれを野球部員が持つことにおかしなところはない。


 けれど彼が持つそれは、それ以外に重大な意味持つ。


「うおおおおおおおおお!」


 バキンッ!


 長谷本が握り込んだハンドグリッパーはクローズを越え、文字通りにクラッシュして砕け散る。


 そして響く声。


『孤独に嘶け孤高の馬』


『うわああああああああ!』


 次の瞬間的、長谷本の体から強烈な衝撃波が巻き起こり、野球部員がまとめて転倒する。


「はぁああああ……!後藤……、てめえだけは……!」


 その衝撃が止んだ後に立っていた長谷本の姿は、逞しい体格とそれに張り付くように装着された銀の鎧、そして馬を思わせる鉄仮面のヘルムから赤い鬣がなびく怪人になっていた。


「ひ、ひぃいいいい!」


 長谷本に狙われている後藤だったが、変身した長谷本の姿に腰を抜かし、立ち上がれずにいた。


「お前が、お前があああああああ!!!」


 馬のような怪人になった長谷本が、変身と同時に握っていた棍棒のようなものを、後藤に目掛けて振り降ろす。

 その場にいた誰もが最悪の光景を想像し、目を瞑る。


 しかし、そこにその声は響いた。


「っちい!間に合え!」


 正しいことを諦められなかった青年の声が。




 何故か駆けつけてしまったグラウンドの体育倉庫。


 とりあえずここまで足を走らせてしまった自分への叱責は後回しにして、駆けつけたなりに出来ることをする。


「上がれ!」


 野球部の男と怪人の元へ走りながら足元に転がっていたバットを無理矢理にキックアップすると奇跡的に打ちあがり、キャッチに成功。


「後藤おおおおおおおおお!」

「うわあああああああああ!」

「間に合ええええええええ!」


 そのまま二人の間に走り込み、拾ったバットの両端を持って怪人の振り下ろした棍棒の一撃を受け止める。


 ガギィン!!!


 鈍く重い音が響き、両腕にとてつもない鈍痛が広がる。


「ぐううううぅいってええぇええええ!」


 なんとか、なんとか間に合ったが、あまりの痛みにとてもじゃないがバットなんて握っていられず、即座に手から滑り落ちる。ていうか芯に響いてくる痛み以外に腕の感覚が無い。


 けどまぁ、たった今取り落としたバットのひしゃげ方を見れば当然か。


「誰だお前は!」

「入部希望者のつもりだったんだけど、今ので選手生命終わったかもな!」


 邪魔に入った俺に対して怪人は露骨な敵意を見せるが、攻撃はしてこない。

 どうやら無闇に人を襲う気はないらしい。



「おい、今のうちに逃げろ!」

『う、うわあああああああ!!』


 野球部員たちの方を振り返って叫ぶと、ようやく全員が立ち上がって走り出す。さすが運動部、走れば早いもんだ。


「俺の邪魔をするな!あいつだけは!後藤だけは許せん!」


 そう言って俺を突き飛ばして野球部の背中を追いかけようとする怪人。


「本当に許せないのはアイツだけか?さっき言ってた彼女ってヤツは?」


 逃げた野球部と違って地面に座り込んだままのソフトボール部の部長に目を向けると『余計なこと言いやがったな』という目でこっちを睨んでくる。


「……ふん。こいつも最低なヤツだが、今は一番憎いあいつ、後藤が先だ」


 やっぱりソフト部の部長も深く関係しているらしい。

 それだけ言うと見た目通りに鼻息荒く去って行った部員たちを追い始める。


「さて、どうしたもんかな……」


 遠ざかる馬の背に呟いた声を、グラウンドの風が巻き込んでいく。

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