第2話 ガルムと赤鬼

巨躯の鬼と出くわしていた天羽春樹と三島朱音は、商店街を疾走していた。


「畜生! まだ追ってくるぞ」

「これぞ鬼ごっこだね!」

「言ってる場合かよ!」

「でもあいつ、走るのは遅いから逃げ切れるよ。きっと」


 三島朱音は必死に走る天羽春樹にそういって微笑んで見せた。

 その天使のような笑顔の後ろでは、怪物がまさに鬼の形相で電柱をなぎ倒しながら迫ってきていた。

 倒れた電柱が渋滞中の自動車に直撃すると、その周囲の車からワッと人々が飛び出してきた。


「む、無茶苦茶しやがるな」

「春ちゃん、まだ走れる?」

「もう少しは、大丈夫、だけどさ、あいつは、ちっとも、疲れて、なさそうだぞ」


 春樹が忙しく呼吸をしながらそう答える。


「私もちっとも疲れてないよ」

「……」

「春ちゃん最近うちのジムをサボってゲームばっかりしてたからだよ」

「そうじゃなくても、お前の体力は異常なんだよ……」


 不意に、朱音が立ち止まって後ろを振り返ったため、春樹も慌てて足を止めた。


「おい、早く行くぞ、朱音!」

「は、春ちゃん、あれ……」


 朱音が指さす先では、怪物が標的を変え、車から飛び出した人たちの方へと向かっていた。

 怪物はすし詰め状態の車を軽々とかき分けながら、逃げた人々を追って車道をつっきっていく。

 跳ね飛ばされた車は高々と宙を舞ったあとで、別の車に突き刺さり、炎を上げた。


「皆、早く逃げて!」


 朱音が叫ぶより早く、車道を挟んだ向かい側の歩道では、人々が蜘蛛の子を散らすようにして逃げ出していた。

 ただ一人、地面に尻餅をついて愕然としている少年を除いては。


「まずいよ春ちゃん、あの子! あのままじゃ……」

「どうするって言うんだよ朱音」

「助けないと!」

「無茶言うなよ、お前だって見ただろあいつの馬鹿げた力を!」

「でも……やっぱり放って置けない!」 


 春樹の制止の声を振り切るようにして朱音が走り始める。

 朱音は道路に敷き詰められた自動車のボンネットの上を、器用に飛び移りながらあっというまに子供の元までたどり着いてしまった。


「もう大丈夫だよ。さあ、逃げ――――」


 朱音が少年の肩を抱いてそう呟いたときには、怪物の作る巨大な影が二人をすっぽりと覆っていた。

 運の悪いことに、二人の背後にあったのは建設途中の高層マンションであり、のっぺりとした工事用のフェンスが延々とそびえるだけだった。

 これでは建物の中に逃げ込むこともできそうにない。

 怪物は両手を広げて、左右の逃げ道にプレッシャーを掛けてくる。

 朱音はゴクリと喉を鳴らすと、怪物に視線を向けたまま呟いた。


「今からお姉ちゃんがあの怪物をぶん殴るから、その隙にあっちの方へ走ってくれるかな?」


 恐怖を顔に浮かべたままの少年は、少し間を置いてから二度、三度と首を縦に振った。


「良い子」


 朱音は彼の頭を軽く撫でてからゆっくりと立ち上がり、少年を背にして構えた。

 両拳をしっかりと顎に添えて、足取りは軽やかで一定のリズムを刻みながら左右に揺れている。

 怪物はもの珍しそうにその動きを眺めていたが、やがてゆっくりと両腕を頭上へと振り上げ始めた。

 その時だった。

 いや、その時には既にというべきだろう。

 朱音の拳は深々と怪物のみぞおちの辺りに突き刺さっていた。

 朱音が手ごたえを感じながら唇の端を釣り上げる。

 怪物の動きがとりあえずは止まった。

 だがそれも束の間。

 すぐに頭上から岩のように大きな拳が朱音に向かって振り下ろされる。


「オォオオ!」


 しかし、悲鳴をあげたのは怪物の方。

 懐にもぐりこんでいた朱音に加えようとした一撃は、自らの腹部を強打する結果となっていた。

 怪物が腹を抱えて膝を折る。


 (わかってる、これだけ体重差があるんだもん。私の攻撃なんて急所をついても大したダメージは無い)


 半身になりながら身をかわしていた朱音は、間髪入れずに手の平を捻りながら打ち合わせ、上体を捻じる。


 (普通なら狙うのは顎……けどこの場合なら!)


 そして膝を落として体勢を崩していた怪物の正面へと大きく踏み込む。


「目だ!!」


 その小さな体中に蓄えた力を一気に放出するかのようにして放たれたひじ打ちが、鋭利な弧を描きながら怪物の顔面を捕えると、鮮血らしき真っ黒な液体が朱音の顔を汚した。


 (顎を狙っても、あんな太い首で支えられてるんじゃあ効果は薄い。そもそも揺れる脳みそがあるのか怪しいもんね)


 怪物は大きく仰け反ると、潰された片目を押さえながら咆哮を上げた。

 その隙に朱音が辺りを見回すと、少年は無事に駆け出して、迎えにきたらしい母親の元へとたどり着いていたようだった。


 ほっと胸をなで下ろした朱音だったが、その直後には彼女の体はロケットのように吹っ飛び、背後のフェンスにめり込んでいった。








 「こっちはOKです! 部長、早く!」


 剣道の防具に身を包んだ男子生徒が、校舎のガラス扉に手をかけながら声を張り上げる。

 斎藤兼光は木刀を構えたまま獣たちを牽制しつつ、少しだけ振り返ると、生徒全員が校舎の中に入ったことを確認して、一気に走り始めた。

 背を向けた兼光を見た6頭の獣たちもまた、ここぞとばかりに一斉に走り出す。

 校庭の砂地を蹴り上げながら袴をなびかせて懸命に走る兼光。

 しかし、そのとき彼は後悔していた。恐らく獣たちに、あとわずかの所で追いつかれてしまうであろうことが予想できてしまったからだった。


「ああっ! だめだ、追いつかれるぞ!」


 扉の後ろから、あるいは廊下の窓から見守っていた他の生徒たちもそれに気が付き、悲鳴の混じったわめき声を上げた。

 そして先頭を走る獣がついに彼の影を捕え、大きく地面を蹴って飛び上がる。

 誰もが目を覆うその瞬間、何か鈍い音が聞こえたかと思った後には、飛びついた獣が空中でバランスを失って無様に地面に転落していた。

 よろよろと立ち上がった獣の側に転がっていたのは、その黒い血で汚れた硬式の野球ボール。

 しばらくぽかんと口を開けていた生徒たちだったが、やっと状況を飲み込むと、わっと盛大な歓声を上げた。


「ナイスピッチ!」


 兼光が走りながらそう叫ぶと、非常口から飛び出していた大喜多健吾おおきだけんごは左肩を軽く回してから力強く拳を握り、無邪気に笑った。

 地面を転がる野球ボールを興味深そうに眺めてしまっていた他の獣たちが、慌てて兼光のほうへ向き直ったときには、兼光と健吾は既に校舎の中へと滑り込んでいたのだった。


「助かったよ、健吾」


 兼光が剣道着の裾で額を拭いながら微笑む。


「どやっ。ストライクだったろ?」

「そうだな。いいデッドボールだった」


 兼光が茶化すと、健吾は満足げに笑った。


「どわぁ! こ、こいつら!」


 突然、背後で男子生徒が叫んだ。二人が振り返ると、強化ガラス張りの非常扉に向かって、獣の一匹が激しく体をぶつけていた。

 しっかりと鍵がかけられているはずの扉が、大きく軋んで前後に揺れる。


「やばいぞ! たぶんこのガラス扉じゃ、そう長くはもたない!」


 数人の生徒が必死の形相で扉を押さえながら声を張り上げる。

 扉の外では獣たちが唸り声を上げながら代わる代わるに飛びかかっている。

 突然、大喜田健吾が不安げな他の生徒たちを押しのけながら走りだした。


「ちょっとごめんよっ、教室から机運んでくる!」


 健吾の背中を見送ったあとで、他の生徒たちもお互いに顔を見合わせてから頷くと、一斉に走り始めた。


 彼らは次々と机を教室から非常口へと運び込むと、健吾の指示どおりに横に寝かせながら整然と隙間なく積み上げていく。

 これに抗議をするかのように喧しく吠えていた獣たちも、山積みになった机でその姿が見えなくなったころには、あきらめてどこかへと去ってしまったようだった。


「ふぅ、これでここは大丈夫っしょ! みんな、とりあえず一階の窓なんかが開いてたりしてないかチェックして回ろうぜ!」


 ユニフォーム姿の健吾が元気に腕を振り上げると、ほかの生徒たちも声を上げてそれに応えた。


 (健吾には敵わないな)


 先ほどまで青い顔をしていた生徒たちの目に力が戻り始めているのを感じた兼光が、目を細めてため息を吐く。

 野球部3年左腕のエース、大喜多健吾には不思議な魅力があった。

 この高校の生徒のみならず、多くの地元住民が期待を寄せるほどの野球の才能を持ちながら、誰に対しても平等に接し、どんな時にも陽気に笑っていた。

 物静かで実直な兼光とはタイプが大きく異なりはしたが、だからこそ互いに互いを尊敬し、信頼し合っていた。


「取りあえず、戸締りが終わったら3階の多目的教室に集まろう! 皆にもそう伝えておいてくれ!」


 兼光が叫ぶと、健吾はわざわざ立ち止まって敬礼のポーズを取ってから、再び走り始めた。







「はぁ! はぁ! はぁ! あー……歩きづらい!!」


 風町美砂はそう言って、肩に腕をかけてぶら下がっていた女生徒を壁へと突き飛ばす。

 先ほどまで獣に腕を噛まれて引きずられていたその女生徒は、力なく壁からずり落ちた。


「あんた、足を噛まれたわけじゃないんだから、少しは自分で歩きなさいよ!」


 女生徒は何も言わずに焦点の合っていない視線をじっと床のタイルに向けてる。


「あとは自分でなんとかしなさいよ」


 そう言い残して去ろうとした美砂だったが、しばらく歩いてから振り返っても変わらず放心状態で固まっている彼女を見かねて、足早に戻ると、その頬を何度となく叩いた。

 5発は叩いた。


「か、風町さん……」


 我に返った女子生徒がやっと、頬の腫れた顔を上げる。


「様でしょう。命の恩人よ」


 美砂は意地の悪そうな顔をして、腫れあがった彼女の頬をおかまいなしにぺちぺちと叩いた。 


「はっ! 風町様、助けてくだすってありがとうございました!」


 女生徒は突然、力の限りに頭を床にこすり付けてひれ伏した。


「ちょ……。ふん、あんたがトロいせいで、こっちも死ぬかと思ったわよ」

「本当に、なんとお礼を言えばいいのか……」

「お礼っていうのは、言うものじゃなくてするものよ」

「そうですよね、私今なにか差し上げられそうなもの持ってたかな。えっと、これくらいしか……」


 そういって彼女は床に財布とスマートフォンを置いて三つ指をついた。


「あんたバカなの? そんなきったない財布なんていらないわよ。それにスマホなんてもらってどうしろっていうのよ」


 美砂が辛辣な言葉を次々と投げかける。

 しかし、彼女は内心焦っていた。

 他人との関わり合いを極端に嫌う彼女は、もし助けた相手が恩に着るようであれば、適当に冷たくして嫌われてしまおうと最初から心に決めていた。

 だが、どうにも目の前の女生徒の態度には調子を狂わされる。


「あ、じゃあお財布は汚いので、中身だけだしますね。携帯の方は最新機種なので、それなりに価値があると思うんです!」

「いらないっつってるでしょ!」


 美砂が差し出された手を振り払うと、小銭が音を立てて床に散らばった。

 女生徒は言葉を失って、それを見つめていた。が。


「私なんかのことを気遣ってそんなふうに……。やっぱりかっこいい……」


 女生徒は顔を上げると、両手を胸の前で組んで羨望の眼差しを向けた。

 美砂がたまらず気味悪そうに後ずさる。


「はぃぃ?」

「風町さん、あっ、ごめんなさい、風町様。私、前々から風町様に憧れていたんです」

「あんた、頭大丈夫?」

「頭は噛まれてません」

「知ってる、てか腕から血ぃですぎ」


 美砂の言うとおり、女生徒のラクダ色のカーディガンの袖はすっかり赤色に染まっており、肘の辺りからは血液が一粒ずつ滴り落ちていた。

 女生徒はそれに一瞬だけ目をやったが、すぐに姿勢を正して向き直った。


「風町様、いつもヤクマン先生と喧嘩してたじゃないですか」

「話、続けるのね……」

「できれば私もあんな風にビシッと自己主張できるようになりたいなって」


 女生徒が怪我をしている方の腕を伸ばしてビシッとポーズを決めると、カーディガンの裾から飛び散った血液が美砂の顔をビシッと汚した。


「そんなんじゃないわ。てか、あんたの腕の自己主張が止まらないんだけど。命の危険を主張してるんだけど」

「私決めました。今日から風町様についていきます! 勉強させてください!」


 (ダメねこれ……)


 美砂は深々とため息を吐き出すと、期待の眼差しを向けて固まっている女生徒の側に座ってその腕を自分の肩に回した。


「ここ、保健室だから。取りあえず中にはいろうね……」


 美砂が力なく扉を引く傍らで、女生徒は実に嬉しそうに微笑んでいた。


「あんた名前は?」

「3年の宝木桜ほうぎさくらです!」

(1個上かぃ……)


 やはり人助けなんて慣れないことをするとものではないと、美砂は後悔していた。






「かっはっ……!」


 三島朱音の体が工事用のフェンスにめり込んでいく。

 何が起こったのかは吹き飛ばされる直前に見えていた。

 片目を潰された鬼の闇雲に振り回した手の甲が朱音の脇腹にあたったのだ。

 正確には中指の先がかすっただけだったが、彼女の小柄な体は凄まじい勢いで吹き飛び、背後のフェンスを捻じ曲げるほどに打ち付けられた。


 (い、息が……)


 体が自分の意志とは無関係に呼吸をすることを拒否する。

 鬼は依然として片目を押さえながら呻いていたが、どう考えてもダメージが深刻なのは朱音の方だった。

 全身をフェンスに打ち付けられた衝撃によって未だ痛覚の戻らない脇腹の辺りを軽く撫でてみると、いつもと違うでこぼことした感触が伝わってくる。

 あばら骨に有るはずの無い関節が、無数に増えているような。


 (だめだ、ぐしゃぐしゃだ。動けないや)


 そうしているうちに、歯を食いしばりながら上体を戻した鬼が、憎悪と憤怒に満ちた視線を朱音に向けていた。

 鬼はゆっくりと立ち上がると、朱音の頭へと手を伸ばす。


「まあいっか……あとは任せて寝てようっと……」


 朱音は唇の端を少しだけ釣り上げて微笑むと、そっと瞳を閉じてしまった。

 鬼の、人の腕ほどもあろうかという指先が朱音の頭を掴もうとした時だった。

 激しいエンジン音と共に、一台のトラックが鬼の側面めがけて突っ込み、まとめてフェンスの奥へと吹っ飛んでいってしまった。


 (わ、私まで殺す気ですか……)


 朱音が、歯をカタカタと鳴らしながら心の中で抗議する。

 ぽっかりと空いてしまったフェンスの奥から、激しい衝突音が繰り返し聞こえてくる。


 春樹だった。

 春樹は組み立て途中のマンションの鉄骨に押し付けた鬼を、トラックを前後に動かして執拗に轢いていた。

 繰り返される衝突の度に、鉄骨が軋み、マンション全体が今にも倒壊してしまいそうなほどに揺れ動いていた。

 春樹はトラックをひときわ大きく下げると、力いっぱいにアクセルを踏み込んで、とどめとばかりに突っ込んでいった。


 とっくに飛び出していたエアバッグをめんどくさそうに押しのけながらトラックを降りた春樹は、ぐったりと横たわる鬼の瞳孔が開ききっているのを確認して、安堵のため息を長めに吐き出す。


「ごめん朱音、遅くなった。大丈夫か?」


 抉れたフェンスの淵に手をかけて、春樹が朱音の顔を覗き込む。


「死ぬかと思った」

「怖かったか?」

「うん……。主にトラックが」

「……」

「でもありがと」

「いいさ。今運ぶからな」


 春樹が腕を回してその体を抱きかかえようとすると、彼女は激痛に顔をしかめた。

 春樹は驚いてすぐに腕を引き抜くと、朱音のブラウスをまくり上げて青ざめた。


「ひどい怪我だな……」


 その脇腹は真っ青にうっ血し、まるで中に石でも詰められているかのように、砕けた肋骨の凹凸が、呼吸に合わせてうごめいていた。

 緊張が解けた朱音は、同時にもどってきた痛覚のせいで息を荒くして額に大量の汗をかいていた。


(早く手当しないといけないってのに、これじぁゃあ動かせない)


 春樹は朱音の頬に手のひらを当てて、その悲痛な表情をじっと眺めながら考えを巡らせていた。

 病院がこの状況でまともに機能しているのかは相当に怪しい。

 そもそも電話が使えなくなっているため、救急車も呼ぶことができない。

 となると、まずは安全な建物の中へと運び込むことが先決だったが、この怪我では迂闊に動かすことができない。

 尽くせる手が見つからず、人手を探してあたりを見やるが、建物の窓から様子をうかがっている住民たちは、目が合うとすぐにカーテンを閉めて姿を消してしまう。


「お姉ちゃん!」


 声の主は先ほど朱音が助けた少年だった。

 彼は駆け寄って朱音の側にしゃがみこむと、心配そうにその顔を覗いていた。


「お、おい。君、避難していなかったのか? お母さんは?」


 この状況下で、また独りになってしまったのではないだろうかと心配し、春樹が尋ねる。


「お母さん! 早く! こっちだよ!」


 少年は春樹の問いかけに答えるかのように、振り返って大きく手を振り始めた。

 遠くから息を切らせながら駆けてくる少年の母親。

 それと、制服に身を包んだ警官が二人。

 手に持った拳銃の銃口を下げてあたりを警戒しながら母親に付き添って走っていた。


「お母さんと一緒にお巡りさん探してたんだ」


 少年はそう呟くと、朱音の方へ視線を戻した。


「君たち! 無事か!」


 年配の警官が声をかける。


「僕は大丈夫です。けど、この子が脇腹に重傷を抱えています。本当は病院に運びたいのですが、この状況では……」



 置き去りにされた無数の自動車が道路上で列をなしていた。

 春樹が拝借したトラックもその一つ。

 鬼が吹き飛ばしたスペースを除いては、道路のほとんどが立ち往生した自動車で埋め尽くされている。

 警官たちも搬送が不可能であることは十分に理解していた。

 町の混乱ぶりは尋常ではない。

 あの「声」の後、派出所に詰めかけた人々が口々に訴える「化け物」という言葉に対して、半信半疑ながらも飛び出した彼らは、それを探して町を駆け回っていた。

 自動車が突っ込み煙の上がるコンビニエンスストア、なぎ倒された電柱、駅に詰めかけて将棋倒しになっていた人々。

 警官たちは全く状況を掴めずに奔走していたところに「女子高生が化け物に襲われている」と親子が必死に訴えかけてきたのだった。



「病院までとは言いません。まずは安全な場所へ運びたいと思います。手を貸していただけますか?」

「わかった。少し待っていてくれ」



 年配の警官は辺りを見回し、近くにあった衣料品店へと駆け込むと、そこから大き目のコートを二枚ほど持ち出してきた。

 そしてそれを朱音の上半身と下半身にそれぞれ潜り込ませると、片側からそれを掴み、春樹たちに目で合図を送った。


「せーの! よし、いいぞ。あそこを借りよう」


 年配の警官が顎でしゃくりあげた先には、重厚な煉瓦造りの美容室があった。

 店内はすっかり人の気配がなくなっている。

 春樹と警官二人、少年の母親を含めた四人がコートの端をそれぞれ掴み、揺らさぬようにそろりそろりと朱音を運んだ。

 そして割れたガラス戸をまたいで店内に入ると、奥にあった休憩室らしき部屋にゆっくりと朱音を降ろした。

 朱音は激痛と闘いながらもなんとか微笑んで、ありがとうと小さく呟いた。


「ふぅ、これでよし。お前さんは周囲の警戒にあたってくれ」


 年配の警官の指示どおり、若い警官は足早に表通りへと駆けて行った。


「こんなときにすまないが、名前を聞いてもいいかな」

「天羽春樹。高徳高校の二年生です。この子は三島朱音、同級生です」

「ほぅ、君たちも高徳高校なのか」

「も?」

「おっとすまない、私は斎藤というんだ。息子もあそこに通っていてね」

「ひょっとして兼光先輩ですか?生徒会長の」

「おお、知っていたかね」

「知らない人の方が少ないと思いますよ」

「そうかそうか!」


 斎藤警官は嬉しそうに声を上げたあとで、自らの不謹慎に気が付いて、ばつが悪そうに咳払いをした。


「斎藤さん、この町は一体どうなってるんですか?」

「見ての通りさ。見ての通り以上のことは私たちも何も掴んでいないんだ」

「そうですか……」

「ところで、君は化け物を見たかね?」

「見たというか……。トラックで轢き殺しました。無免許なのに、すみません」


 斎藤警官は目を剥いて驚いたあとで思わず吹き出しそうになっていた。

 朱音の様子を心配そうに見守る親子が彼に白い目を向けると、再び咳払いをした後で真剣な顔を作り直す。


「そうか、ではその轢き殺された化け物を見ておきたいんだが」

「向かいの建設中のマンションの付け根に転がっているはずです」

「よし、少しみてくるとしよう。君たちは何とかレスキューに連絡がとれないか試してみてくれ」


 そう告げて斎藤警官が部屋から出ようとしたときだった。

 突如鳴り響いた銃声に血相を変えて斎藤が飛び出す。

 春樹もまさかと思いその後を追ってみると、あの鬼が工事現場の入り口で若い警官と対峙していたのだった。

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MMOリアリティー/オープンβ うおのめ @uonomez

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