MMOリアリティー/オープンβ

うおのめ

第1話 天使のラッパは鳴り響く

『やあ、地球の皆さん、こんにちわ。いきなりで悪いんだけどさ、今日からこの世界、俺のものだからね』


 それはあまりにも突然ことだった。

 当然、天羽春樹あもうはるきにとっても、三島朱音みしまあかねにとっても初めての経験だった。

 二人は高校からの下校途中、突如響き渡ったその声に耳と頭を疑っていた。


 大音量の男の声が春樹たちの脳を揺さぶり続ける。


『なあ地球の皆さんよ、毎日毎日退屈じゃないかい? 退屈はいけないだろうよ。生きてる心地がしない。んで、なんで退屈なんだと思う? 人生が上手くいかないからか? 世の中が不安で満ち満ちているからか? ちがうねえ。お前らが退屈なのは、そもそもこの世界がクソゲーだからさ! だから、俺からのささやかなプレゼントを受け取っておくれよ』


「頭が割れそうだ……。一体、何を言ってるんだこいつは……!」


「わ、わかんないっ。けどこれ、普通じゃないよ!!」



 朱音の言うとおり、その声は異常だった。

 必死で耳を押さえてもボリュームは少しも下がる気配がない。

 まるで頭の中から声が聞こえてくるような感覚。

 平和な通学路が一瞬にして混乱の渦に巻き込まれていた。

 道行く誰もが頭を抱えて地面にうずくまり、運転を誤った自動車が次々と衝突を起こしていく。



『おっと、わりぃ。ボリュームMAX! だったわ。これでよーし。あーあー、聞こえますかどうぞー。ちなみにこの放送は、全カ国語同時翻訳でお届けしております』



 やっと声が小さくなり二人がなんとか顔を上げたとき、暴走した自動車が歩道の縁石を蹴り上げて宙を舞っていた。



「危ない、春ちゃん!」



 朱音はとっさに春樹の制服を鷲掴みにして地面に押し倒した。

 間一髪。

 自動車は二人の傍らにあったガードレールにぶつかってさらに飛び上がると、頭上を飛び越してそのままコンビニの自動ドアを突き破った。



『それじゃあ、楽しい冒険活劇の始まりだ。皆楽しんでくれよな。アッハハ』



 下卑た男の笑い声が響いたあとで、辺りは耳鳴りだけを残して静まり返る。



「春ちゃん、大丈夫?」


「あ、ああ。けどこれは……」



 春樹は朱音に礼を言うのも忘れ、胸に手を当てて心臓の鼓動を宥めていた。

 先ほどコンビニの店内へと突っ込んでいった車が黒煙を上げて轟々と燃え始める。

 どうやら無事だったらしいコンビニ店員が慌てふためきながら店内から飛び出して、二人に背を向けたままへたり込んでしまった。


 燃え盛る車の窓に、人の腕と思しき影がぶら下がっていたが、やがてそれは朽ち果ててぼとりと力なく地に落ちた。

 春樹は朱音の両目を手の平で覆うと「見るな」と小さく呟いた。








「どうだ、そっちは」


「ダメ。つながらない」


「俺の方もダメだ。どうなってるんだよ」



 警察、消防、自宅、どこに掛けても電話は繋がらなかった。アナウンスどころか呼び出し音すらも流れはしない。



「まずは朱音の家に行ってみようか」



 春樹がそう提案しかけた時だった。

 ジリジリとノイズのような音がした後で、再び何者かの声が頭の中で勝手に話し始める。



『皆さん、逃げてください! この世界の仕様が改変されてしまいました。 多分……間もなくモンスターが世界中に出現します……。今は細かい説明をしている時間はありません、とにかく急いでなるべく頑丈な建物の中などに避難してください!』



 今度は若い女の声だった。


 前回とは違い、頭を抱えるほどの大音量ではなかった。

 だが、その声色はひどく切迫しており、なおかつ困惑しているようでもあった。



「聞こえたか?」


「うん。……春ちゃんはどう思う?」


「実にバカバカしいな。けど、悪意があるようには思えなかった」


「モンスターがでるから頑丈な建物に避難して、だっけ」


「だったな。内容はさて置いても、建物内に避難するのは賛成だ」


「そうだね、なんだか町中普通じゃないし」



 朱音は、道路にぎっしりと詰まっている自動車の渋滞を眺めながら眉をしかめた。

 渋滞と言えば聞こえが良いが、最初の大音量の声が原因で、あちらこちらで自動車が玉突き事故を起こしており、交通は完全に麻痺していた。



「どのみちこの様子じゃあ電車も動いてないだろうな。とりあえず学校にでも引き返してみるか?」


「そうだね。皆、学校に避難してるかもしれないし、行ってみようよ」



 二人は騒然とする町の中を、学校へと向かって走り始めた。









「おい、静かにしろ! 黙れ、黙らんか!」



 春樹たちの向かう学校の校庭では、体躯の大きな体育教師が顔を真っ赤に染めながら声を張り上げていた。

 部活動の真っ最中だった生徒たちは、ユニフォームや剣道の防具などを身に着けた格好のまま校庭に集められている。


 数人の教師が生徒たちを宥めようと奮闘していたが、その言葉に耳を傾ける者など当然おらず、先ほどの『謎の声』の話題で大いに盛り上がっている。

 そのほとんどが笑い声であり、誰もがこの状況を楽しむかのようにニヤニヤと頬を釣り上げていた。



「お前ら、いい加減静かにせんか!」



 ついに耐えかねた体育教師の薬師寺満やくしじ みつるが烈火の如く怒り、剣道部の生徒から竹刀をむしり取ると、その先端が折れ曲がるほどに激しく地面に叩き付ける。



「今、校長先生が警察署に確認を取りにいっておられる! 何が起こっているのか知らんが、こんなときこそ冷静に行動しろ!」



 一斉に静まり返る一同。 



「冷静になってないのはヤクマンのほうじゃない」



 一瞬の静寂のあと、そう呟いた風町美砂かざまち みさに向かって、折れた竹刀の先端が飛んできた。

 美砂は頭を寝かせてさらりとそれをよけると、何食わぬ顔でそのまま髪を解かした。



「風町、貴様ぁ……。軽率なのは格好だけにしておけよ!」


「あら、格好だけでも許してくれるんですね」



 そういって美砂が短いスカートの裾を掴んでひらひらと振って見せると、薄手の黒タイツから浮き出る肌色に、男子生徒の目が釘付けになった。

 胸元を開けたブラウス、これでもかと瞼にびっしりと並ぶ長いまつ毛。

 美砂は鬼の形相で叫ぶ薬師寺の怒声を聞き流しながら、緩やかに巻き上げられた栗色の髪の毛を、ピンクの付け爪が伸びる指先にくるくると巻きつけて遊んでいた。



「薬師寺先生、今は非常事です。取りあえず彼女のことは置いておきましょう」



 そういって薬師寺を宥めたのは生徒会長の斎藤兼光さいとうかねみつ


 教師にも生徒にも信頼の厚い彼の申し出を、さすがの薬師寺も無下に扱うことはできず、激情を押し殺すようにして鼻で荒く深呼吸をした。



「まあいい。とにかく今は、指示があるまでは軽率な行動をとらず、ここで静かに待つように!」



 薬師寺がそう言い残して他の職員の元へと戻ろうとしたときだった。再び一部の生徒たちがざわめき始める。



「貴様ら! 何度言ったら―――――」



 振り返りざまに怒声を上げようとした薬師寺だったが、生徒たちが騒いでいる原因、異変に気が付くと、目を丸くしてじっと裏門の方を見つめた。



「なんだあれ……」


「見たことないぞあんなの」



 生徒たちはそれを形容する上手い表現が見つからず、やがて誰もが固唾を飲んで座視していた。

 彼らを取り囲むようにして虚空に出現した黒い渦は、低い電子音の唸りを発しながら、回転の速度を増していく。

 やがてそれは周囲に激しい電光をまき散らしながら、緩やかに形を変えていった。








 そのころ、学校へ向かう春樹と朱音の行く手を、あの黒い渦が遮っていた。



「春ちゃん……」


「嘘……だろう」 



 学校へと向かう春樹と朱音の行く手を遮るように出現した黒い渦が、ゆっくりと姿を変えていく。

 粘土でもこねるかのようにして形作られたのは、身の丈が街灯ほどもあろうかという、巨躯の人間だった。

 しかし春樹はすぐに思い直した。これを人間と形容するには無理がありすぎる。

 ごつごつとした筋骨を覆う血のように赤黒い皮膚、毛髪の無い前頭部から真っ直ぐに伸びる巻き角。

 丸太のように太い腕の側部からは、まるで刃物のように鋭利なヒレが飛び出している。

 そしてそれはゆっくりと二人の方へと歩み始めていた。

 一歩、また一歩とその歩を進める度に、アスファルトが悲鳴を上げながら陥没していく。


 (着ぐるみ? 特殊メイク?)


 春樹はそれが無害である可能性を探っていた。だがすぐに頭を過ったのはあの声の主の言葉。

 そう、『モンスター』だった。



「な、何かの撮影かな春ちゃん」



 朱音も春樹と同じようなことを考えていたらしい。



「そうだな。俺だってそう思いたい……けど」



 怪物は既に二人の目前でその歩みを止めていた。そしてゆっくりと両の腕を、振り上げる。



「どうみても有害だろうこいつは!」



 春樹はそう叫ぶと同時に朱音の体を抱き寄せて後ろへと飛んだ。

 叩きつけられた怪物の拳はアスファルトを爆裂させ、砕け散った破片が二人の頭上に降り注ぐ。



「冗談じゃねえぞ……」



 先ほどまで二人の立っていた辺りの地面は、大地震に引き裂かれたかのように抉れていた。



「朱音、動けるか?」


「な、なんとか大丈夫」


「今の内に逃げるぞ」



 怪物は地面に深々と刺さった自分の腕を引き抜けず、低い唸り声を上げていた。

 春樹は朱音の手を取って起こすと、震える足で走り始めた。







 春樹たちが商店街で巨躯の鬼に出くわしていた頃、学校の校庭では集められた生徒たちが身を寄せ合って震えていた。



「ひ、ひぃ……!」


「あ、ありえねえ、ありえねえよ!」



 生徒たちは眼前の光景を、到底受け入れることなどできなかった。

 学校の校庭に突如あらわれた野犬が、いや、野犬などより二回りは大きいであろうその生物のうちの2頭が、目の前で「食事」をしていたのだ。



「い、痛いぃ! やめてぇ!、やめっ……でぇ……」



 その悲鳴は、一斉に群がった他の獣たちの歓喜の歌によってかき消された。

 獣たちは鮮血が吹き上がる最中に顔をうずめて、我先にと獲物の五体を奪い合っていた。

 その凄まじい光景に、ある者は嘔吐し、またある者は完全に気を失って白目を剥いていた。

 その場を恐怖が支配し、誰もまともに動くことは許されてはいない。


 やがて獣たちは血溜りがからゆっくりと顔を上げると、次の生贄を品定めするかのようにうろつき始める。

 生徒たちは座り込んだまま後ずさるようにして距離を取ろうとするが、下がった分だけ獣は前にでてくる。

 まるで小魚の大群が数匹のサメに追い込まれるかのようにして、生徒たちは一か所に小さく集められていった。

 教師たちもただ茫然とその光景を眺めるよりほかにできることがなかった。

 あるいはいっそ、数名の教師はその場からいつのまにか逃げ出して姿をくらませていた。


 獣の一匹が、牙をむき出しながらじわじわと生徒たちとの距離を詰めはじめる。

 その口元からは先ほど餌食となった女生徒の長い髪の毛が、無残にも垂れ下がっていた。



「あ……あああっ! やめ、やめて、来ないでぇ!」



 集団の最前、獣たちの間近に座っていた女生徒の一人が、たまらず振り絞るようにして悲鳴を上げると、獣の一匹がその金切声に呼応するかのように飛びかかった。


 人と同じか、それ以上はあろうかという巨躯の獣は軽々と女生徒を押し倒すと、唸り声を上げながらその腕に喰い付いた。



「い、嫌ぁ!!! ……た、助けて…助けて!」



 腕に牙を喰いこませながら、引き千切らんばかりの勢いで力任せに女生徒を人の群れから引きずり出す獣。

 他の数頭も孤立した彼女の元へと舌なめずりをしながらゆっくりと近づき始める。

 誰もがこの後再び起こるであろう惨劇に備えて目を瞑っていた。



「ギャン!!」



 直後、そう悲鳴を上げたのは意外にも獣のほう。

 何者かに突き飛ばされた獣は、地面に打ち付けられたあとですぐに起き上がると、よろめきながら群れの後方へと下がっていく。

 真っ直ぐに伸びた木刀の先端と斎藤兼光の鋭い眼が、たじろいだ獣の方を見据えていた。



「せ、生徒……会長?」



 助けられた女生徒は凍ったままの表情で、顔から様々な体液を垂れ流しながら彼を見つめていた。



「早く後ろに下がるんだ」



 獣たちから視線を逸らすことなく、兼光がそう促す。


 しかし、女生徒の足腰はとっくに力を失っており、うつ伏せになったまま這うことすらままならなくなっていた。

 獣たちは恨めしそうに唸り声を上げて兼光を睨みつける。

 それでもなお、下がるどころか前へとじりじりと前進していく兼光。

 獣たちがその気迫に気おされて二歩三歩と後退を始めた。



(恐らく少しでも弱みを見せれば一斉に僕の方へと飛びかかってくるだろう。いや、それならまだいい。一番まずいのは一匹だけが僕に飛びかかってきて、残りが他の生徒たちを襲うケースだ。奴らが僕に気を取られている今のうちに皆が逃げてくれれば……)



 誰もの頭の中が真っ白になっている中で、兼光は冷静に思慮をめぐらせていた。

 さらにはこの状況において、自分以外の人間の命をも勘定に盛り込むほどに強烈な倫理観が彼の中には有った。

 誰もが信頼する剣道部部長兼生徒会長。

 しかし、ひどく冷静な頭の中とは裏腹に、彼の額や首筋からはとめどなく濁った汗が溢れだしていた。



「早く立ちなさい……っ。なにやってんのよっ、愚図」



 へたりこんでいた女生徒に肩を貸しながらそう呟いたのは、風町美砂だった。



「ほら!! あんたらも今の内に校舎の中へ走り込みなさい!!」



 美砂の叫び声に正気を取り戻した生徒たちは、獣達がたじろいでいる今がチャンスとやっと気が付き、一斉に校舎の中へと駆け始めた。

 美砂は逃げる最中に、行きがけの駄賃とばかりに白目を剥いて失神している男子生徒の脇腹を蹴り上げていった。

 目を白黒とさせながら起き上がった男子生徒が懸命に手足を動かし始める。

 逃げ遅れた彼を追撃すべく駆けだした一頭に、兼光が一閃を浴びせる。

 顔面を力いっぱいに貫かれたその獣は、眼球の一つをこぼしながら盛大に吹き飛ぶと、真っ黒な煙を上げて消滅していった。



「さあ、次はどいつだ? なんて、これを一度言ってみたかったんだ、僕は」



 兼光はそういって唇の端を釣り上げると、汗の滲む木刀の柄をぎゅっと握りなおした。

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