そこに居たのは影だった

鈴風飛鳥

そこに居たのは影だった


 あれは小学校中学年くらいの夏休みの頃だった。

 茹だるような夏の暑さ。空は青く、遠くには巨大な入道雲。


 薄手のTシャツが汗のせいで肌に張り付き、服の袖から覗かせた茶色い腕と隠された白い肌の部分とで、くっきりとした日焼けの境界線ができていた。

 私は額から流れ落ちる汗を持っていたハンドタオルで拭き取り、水筒の水を三分の一ほど飲んで喉を潤す。


 境内に埋められた松の木の幹ではミンミンゼミが元気よく鳴いていた。


いずみちゃーん!」


 神社の階段をかけ登りながら、あやちゃんが待ち合わせ場所へとやってきた。私は座っていた賽銭箱横の段差から立ち上がって、ズボンについた砂埃を払う。


「ごめんね、まった?」

「ううん、さっき来たばかりだよ」

「よかった。早く夏休みの課題終わらせて遊ぼ!」


 私と綾ちゃんは夏休みの課題をやるべく、自分たちが住んでいる地域の昔話や言い伝えをテーマにした自由研究を行っていた。


『影に呼ばれたら振り返るな』、『影から伸びた手をとるな』、『逢魔が時にかげふみ鬼をするな』、『影を喰う鬼が出る』


 この辺は昔から影にまつわる逸話がいくつもある。


 私はちょっとした好奇心もあって、綾ちゃんと夏休みの自由研究課題として一緒に近所のおじいちゃんおばあちゃんに話を聞いたり、神社やお寺を探検して調べたりしていた。


 神社探索の傍らで綾ちゃんが「そういえばさ」と、話を切り出した。


「この間の松おじいちゃんのお話面白かったよね」

「『俺は影を喰われそうになったことがある!』。なーんてさ。私たちを怖がらせて早く家に帰らせるための大人の作り話だよ、きっと」


 私はそのどれもが大人たちの作った嘘だと、子どもを家に早く帰すための作り話のようなものだと思っていた。影が襲ってきたり、呼んだりなどしてくるはずもないことは、子どもの私でも流石に分かる。


「でもこの辺は神社やお寺多いじゃん? そういうところって何か悪いものを閉じ込めたり、お祓いしたりするらしいよ。山の上のボロい神社だって、何もないのに入っちゃダメって言われてるし、ぜーったい何かあるよ!」


 綾ちゃんが手を団扇の形にして涼むようにしながら言った。


 この地域には神社やお寺が多く、通学路にもお地蔵さまや小さな祠が点々としている。大人の作り話だけなら右から左へ聞き流せたのだけれど、そうした神社やお寺の存在が作り話に真実味を帯びさせていた。


 「私たちで影のお化けの正体を暴き、自由研究の課題を完成させるのだー!」


 綾ちゃんは影を捕まえるんだと意気込んで、持っていた虫取り網と虫かごを誇らしげに披露する。

 一見すればただの昆虫採取に来た子どもだ。大人たちは、誰も私たちが影のお化けを捕まえようとしているなんて思ってもいないだろう。


「……本当にいるのかな、影のお化け」


 私は隣にいる綾ちゃんに聞こえないよう、一人ため息を零しながら呟いた。

 

 *


 自由研究課題に取り組むこと十日。


 私たちは鋭く差す陽の光を浴びながら、あちこちの神社やお寺を巡ったけれど、これといって新しい発見などはなかった。

 ただ、お寺見学の時にあった御札が貼られている変な絵や、使われなくなった古い神社に置いてあった鍵のかかった箱を見た時は好奇心をくすぐられた。


 収穫がなかった私と綾ちゃんは近所に住む『物知りうずさん』こと、うずばぁの家になにかネタはないものかと訪ねに行った。


 うずばぁは私たちを快く迎えてくれて、お菓子と麦茶をだしてくれた。二人で「いただきます」をしてからそれらをご馳走になる。


「うずばぁは影の怖いお話についてなにか知らない?」


 私は出されたおせんべいに手を付けながら、うずばぁに尋ねた。


「そうさねぇ。私が産まれるずぅっと前から伝わってることさね。なんでそんな話が生まれたかは知らん」

「じゃあさ、うずばぁは怖い体験したことある?」

「お化けのような類の怖い体験はしたことないが、天狗様にならあったことがあるさね」

「「て、てんぐぅ!?」」


 私と綾ちゃんは驚愕して、うずばぁに詰め寄る。

 そんな私たちの様子を見てうずばぁは大きく口を開け、欠けた前歯を見せながらカッカッカと爽快に笑った。


「そんな驚かんでもぉ」

「いやいやいや! うずばぁ、これはスクープだよスクープ!」

「もうちょっと詳しく聞かせて!」

「大したことないさぁ。ほれ、山の上に神社があるだろう?むかーしはよくあそこで、近所のねぇさまたちと遊んでたんよぉ」


 うずばぁは昔のことを思い出して、懐かしみながら目を細めた。


「ある日、かくれんぼをしててぇなぁ。わたしゃ神社の裏手にある、枯れた古井戸に隠れとった。ところが誰も見つけてくれなくてぇのぉ、私に気が付かんまま帰っとったらしい」

「えぇ!?」

「それって大変だったんじゃ……」

「その通り。わたしゃ古井戸に隠れとったから、見つけてもらえてないことにも気が付けんかった。空が暗くなった頃にようやく、周りが帰ってしまったことに気が付いてのぉ。わたしゃ急いで山を下りた。じゃが昔は街灯も碌にたっとらん。真っ暗な中帰るのが怖くなって、途中で座り込んでしまったのさ」


 うずばぁは私たちの空になったコップに気づいて、麦茶を注ぎながら続ける。


「先に進めず、ずぅっと泣いっとたよ。そしたら『どうしたんだい?』と声をかけられたんさ。驚いて顔をあげると、いつの間にか同じ歳ぐらいの男の子が立っておった」

「分かった、それが天狗様なんだ!」

「まぁそうなんだがのぉ、見た目は普通の男っ子とまぁったく変わらんかったよ。結局わたしゃその男っ子に連れられて、山を下りた。山を下りる時に『あなたはだぁれ?』と聞いたら『僕はね、天狗だよ』と答えおったんよ」

「うずばぁ、男の子にからかわれたんじゃないの?」


 私が胡散臭そうな顔をしていると「よっこらしょ」とうずばぁは重い腰を上げてタンスから何か取り出してきた。白い布に包まれたそれをもって再び座ると、布をそっと捲る。

 現れたのは黒い鳥の羽だった。


「なぁにそれ? カラスの羽?」


 うずばぁは首を振る。


「山を下りた後、男っ子はいつの間にかいなくなっていてねぇ。かわりにこれが落ちていたんさ。ありゃほんとに天狗様だったんだよ」


 *


 うずばぁの話を聞いた後、私と綾ちゃんは山の上にある寂れた神社へとやってきていた。

 木造のそれは長年放置された結果朽ち果て、所々に穴が開いている。屋根も崩れ落ちていて木くずと化し、朱色の鳥居は塗装が剥げ落ちていた。


「おーい、てんぐさまぁ! いるんですかぁ!?」


 綾ちゃんが大きな声で呼びかけた。

 しかし、返事などあるわけもなく、綾ちゃんの声がやまびことなって山中に響き渡る。


「誰もいないね」

「そりゃそうだよ。ここ山ん中だもん」

「あーあ、天狗様に会えたら自由研究捗ったのになぁ」

「私たちの課題は影にまつわる言い伝えについてでしょ、綾ちゃん」

「いやぁ、天狗様に会ってお話聞けたらテーマを変えようかなぁなんて」

「はぁ。いないんじゃどうしようもないねぇ」

「だねぇ……うずばぁのお話も本当かどうか。もうすぐ九十だし」

「……このあとどうする? もう日が暮れちゃうよ」


 空は真っ赤に燃えあがり、夕陽が山向こうに沈みつつある。烏が早く帰れと言わんばかりにカァカァと鳴いていた。


「今日はもう帰ろう。明日また、別のところ調べに行こう」


 私たちは山を下りた後、それぞれ家に帰ることになった。綾ちゃんの家とは別の方角なので手を振って「またね」と別れを告げるとそのまま一人で家路に向かう。

 私は通学路でもある田んぼの畦道を通って帰っていると、


「おい」


 後ろから声をかけられた。知らない男の人の声だ。でも、


 ──あれ、待って……。さっきまで後ろから足音しなかった……よね?


 意識した瞬間ドクン、ドクンと鼓動が強く脈打って、一気に緊張感が私を襲った。その間も後ろからずっと、


「おい」「おい」「おい」「おい」「おい」


 声の主がこちらをひたすら呼びかけている。私は振り向かずにいた。振り向けずにいた。


『影に呼ばれたら振り返るな』


 影の逸話が頭をよぎる。

 私は振り返らないまま「ごめんなさい!」と言って、全力で走ってその場から逃げ出した。


 次の日、電話で綾ちゃんに昨日あったことを話したけれど、


「えー振り返らなかったんでしょ? もしかしたら誰かいて、道を聞きたかったのかもしれないよ?」


 当然信じてはもらえなかった。


「それより今日さ、この後家族で出かけなくちゃいけなくなっちゃって……」

「分かった。じゃあ、また今度調べものしよっか」


 私は電話を切った後、自由研究以外の課題を進めることにした。

 算数のドリル、漢字のドリル、読書感想文、絵日記……ほとんど手をつけずに山積みになっていたそれを睨みつける。どうしてこんなにも小学生の夏は忙しいのだろうか。

 私は一番簡単そうな漢字のドリルから取りかかる事にした。


 *


「泉、ちょっといい?」

「んー? 何、お母さん」


 夕方、私は母に呼ばれてリビングへと向かった。


「ちょっとお買物頼まれてくれない? 母さんこの後、町内会の集まりに行かなくちゃいけないのよ。ちょっと遅くなるから」

「……うん、分かった」


 昨日のこともあって少し返事を悩んだけれど、母に負担はかけられない。

 買い物袋とお金を受け取った私は、十分程のところにある小さな商店へと歩いていった。スーパーのように色々と取り揃えている訳では無いが、必要最低限のものは置いてあるこの商店は、地元の老人たちからは重宝されていた。


「いつも悪いねぇ。はいよ、これはおまけ」


 お店のおばさんは気前が良くて、子どもがおつかいにやって来ると、決まっていつも何かをくれる。今日は小さな飴のようだ。


「ありがとう、おばさん」


 お金を渡して、商品と飴を受け取った。

 もうすぐ日が沈む。早く家に帰ろう。

 私は家路を急いだ。


 昨日と同じ、誰もいない田んぼの畦道を走り抜けようとした時だった。


「泉ちゃん」


 後ろから声をかけられた。聞き覚えのある声にほっと胸を撫で下ろす。綾ちゃんの声だ。


「綾ちゃん? お出かけから帰って、」


 私は見知った声の主に返事をしながら、後ろを振り返る。

 だけど、そこに綾ちゃんの姿はなかった。


「────えっ?」


 そこに居たのは真っ黒な影だった。

 目もなく、口もなく、頭や耳の形はあれど、輪郭が分かるだけで真っ黒な人の姿をした、影。


「泉ちゃん」


 口はないはずなのに、影の方から綾ちゃんの声がする。

 私は影の呼び声に振り向いてしまったのだ。


「っ!」


 その事に気づいた私は、恐怖で泣きそうになってその場を逃げようとしたけど、足がぴくりとも動かなかった。

 よく見ると、真っ黒な影の足の部分が私の影を踏んで逃げられないように・・・・・・・・・していた。


 そして、


「泉ちゃんの影、ちょうだい・・・・・?」


 私の影を踏んでいた方の足から、しゅるしゅると私の影の中へと同化するように溶け込んでいく。


「いや、いやぁっ!」


 泣いて身を捩るも、一向に足が動いてくれない。ピタリと糊で貼り付けられたかのように、地面にくっついているのだ。こうしている間にも、じわじわと奴は私の影の中に溶け込んでいく。

 それがどうしようもなく怖くて、でも足が動いてくれなくて。泣いても、誰も助けてくれない。


 私がもう諦めかけた時だった。


 ──ヒュッ。


 山の上の神社がある方角から、物凄い勢いで何かが飛んできて、綾ちゃんの声を模した真っ黒な影を射抜いた。


「!」


 何が起こったのか、理解が追いつかない。

 そのまま影は音もなく、声も出さぬまま、穴が空いた部分から灰のように散り散りになって消えていった。


 跡に残っていたのは影を射抜いたもの。


 私は立ち上がって、地面に突き刺さったそれを抜いた。


「……羽」


 うずばぁが見せてくれたものと同じ、黒い鳥のような羽。

 まさか。

 私は山を見上げたけれど、もちろんそこには誰もいなかった。


「……ありがとう、ございました」


 山の神社の方角を向いて一礼し、羽を持ったまま私は無事に家へと帰った。


 あれから二十年。私は地元を離れて、都会の会社に就職した。

 お盆や年末になる度に、実家に帰省しては夏の出来事を思い出している。


 あの影が何者だったのか、羽を飛ばしてくれたのは誰なのか。未だにそれは分かっていない。

 けれど、私と同じようにあの地域で起こった出来事を体験した人は皆、口を揃えてこう言うのだ。


『そこに居たのは影だった』















  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

そこに居たのは影だった 鈴風飛鳥 @Ask2456

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ