私情まみれのお仕事 外伝2 もう一つのお家騒動

赤川ココ

第1話

 鬼塚おにづかただしは、元々は古谷ふるや家の弟子だった。

 旧姓は岩切いわきりで、岩切しずかとは従兄妹に当たる。

 小売業の社長の岩切まなぶと父親が兄弟で、次男坊の直の素行を嫌った父親が、子供のいない兄夫婦に押し付け、その夫婦の知己だったのが古谷家の当主だった。

 この地に来た時、直はかなり荒れていた。

 が、岩切学、由紀ゆき夫妻の元で暮らす内に落ち着き、更に古谷氏に心境の面を助けられ、支持するようになった。

 中学生に上がる年で、その力の強さから、術の方の古谷家を継ぐ人材として、期待され始めていた。

 僧侶としての技量には乏しく、それならばと保育士を目指して日々励んでいたのだが、高校を卒業して成人を迎えるころ、突如心変わりした。

 熱愛が、心境を変えてしまったのだ。


 現在二十三の直は、女房を連れて里帰りしていた。

 といっても、本当の自宅でも、岩切学の家でもない。

 鬼塚家は、男を立てるのを良しとする家柄で、婿養子となった直にも実の娘に対するよりも風当たりが優しい。

 婿の実家に送り出され、嫁であるももも、内心安堵しているようだ。

 直が戻る家と言うのが、本物の実家でも伯父宅でもなく、古谷家だと言うのも心を安堵させる要因だろう。

 しかも、年末のこの時期、古谷家は別な意味で忙しい。

 当主の古谷氏は、年中忙しいのだが、その弟子と妻子もこの時期、別な意味で忙しくし始める。

 大みそかの前日、決まって行われるある一戸建ての大掃除が、多忙の原因の一つだった。

 前日は古谷家に泊まり、翌朝早くその山へと向かう。

 勝手知ったる家の中を、隅々まで磨き、空気を入れ替え、傷んだ部分は修正する。

 今回は人数が多い気がするが、数日前の騒動を思うと、仕方ないと思う。

 働き者の作業者が増えると、掃除も順調に進み、昼前には殆どの部分を終えていた。

 やり残しがないかと、直が雑巾にお湯を浸したバケツを下げて、家の中を徘徊していると、客間の座敷の中に立ち尽くす人に気付いた。

 同じようにバケツを手にしたままの金髪の若者は、こちらを背にして炬燵机に目を落としている。

 その目の先に、新聞があった。

 珍しいと思いながら、直は声をかけた。

「座って、読んだらどうですか?」

 我に返って振り返る若者は、そのまま曖昧に答えて立ち去ろうとするが、直は更に言う。

「もう、あらかた終わってます。お茶でも入れますから、座っててください」

 返事を待たずにその場を去り、バケツを片付けて茶の用意をする。

 何だか、久しぶりの雑用だ。

 今日いる人数分の湯飲みを出し、茶菓子と共に急須と茶葉とポットを盆にのせ客間に戻ると、若者は立っていた位置にそのまま座っていた。

 いや、持っていたバケツはないから、一度片付けてから腰を落ち着けたらしい。

 わらわらと作業員が集まる中、セイは机の上の新聞に目を落としたままだ。

 その見出しを読んで、その横に座ったエンが言う。

「物騒な話だ。銃で、撃たれたって?」

「え、どこでですか?」

 驚いて、直はつい、新聞を覗きこんだ。

 大きな見出しと共に、見た事のある屋敷の物々しい現場の風景が、載っていた。

篠原しのはらさんのところ? 十代の子供が撃たれたって、どう言う状況なんだろ?」

 みやびもエンの隣から覗きこみながら、その不自然な襲撃に首を傾げる。

「犯人が逮捕されていないようだから、逃げてるんでしょうね。しばらくは注意しながら外出した方がいい、君らも」

 集まった面々を見回してエンが優しく言い、黙ったままの若者を見た。

「どうした?」

 まだ、その記事を凝視している様子が、妙に不自然だ。

 返事をせず視線を落としたまま、セイは男の名を呼んだ。

「エン」

「何だ?」

「出かけたいんだけど」

「駄目だ」

 気持ちいいほどの、即答だった。

 一瞬詰まり、若者はエンを見上げた。

 見返す目を見据え、ゆっくりと言う。

「篠原さんとは、顔見知りだ。見舞いに行きたいんだよ。それ位、いいだろ?」

 笑顔を絶やさずにいた男の顔が、更に濃い笑顔になった。

「約束は、約束だ。それに、今言っただろう? その子を撃った奴は、まだ捕まっていない」

「……」

 立場的に弱いセイは、そこで黙ってしまったが、茶を飲み終わるまでその記事を凝視したままだった。

 すでに掃除も殆んど終わり、昼食の準備にかかった夫人たちを尻目に、暇になった直はそっと、自室に引っ込んだ若者を訪ねた。

 襖を開け放ったその畳部屋に座り、窓の外をぼんやりと眺めているセイに、男はそっと声をかけた。

「若、何か、気になる事でもあるんですか?」

 その声に、振り返ることなく無感情に答える。

「気になるけど、流れに任せるしか、無いみたいだ。やっぱり、練習しておくんだったな……」

 ぼんやりと、反省しているのだが、何を後悔しているのか、いまいち分からない。

「流れに任せても、何かに障らない事なんですか?」

 襖の縁の前に正座し、直が尋ねる。

 十代に満たない頃から古谷を行き来していた為、自然に適度な礼儀は身についた。

 この人とも、その頃からの付き合いだから、こんな時の心境も何となく理解していた。

 眠っているのか起きているのか分からない、ぼんやりとした状態の時、セイは大いに反省している。

 そして、そんな時の若者は、反省しながらも打開策を思考している。

「障る。だから困ってる。世間的な面はもう間に合わない。動けないんじゃあ、どうしようもない」

 大きな溜息と共に、やっぱり今からでも……と、真剣に目論んでいる。

 何を考えているのかは分からないが、深刻な事態の様だ。

 この数日の話を、古谷氏にも聞いた。

 保育園のあの最悪な事件も動き、関係者は近い内に逮捕に踏み切られるだろうと言う。

 この地を離れていた直は、送迎バスの件も部外者として話を聞いた。

 昔の自分が想像もしない熱愛によって、結婚するに至った事に後悔はないが、疎外感は面白くなかった。

 今も忙しい合間をぬって、この地に根を下ろした家の人たちが、活動しているのを、内心やきもきして見守っている。

 大きな事件には、係れない。

 鬼塚家は比較的自由な家柄だが、限度がある。

 だが、目の前で何か目論む若者を、黙認するのは後が怖い。

「……若」

 改まって声をかける直を、セイはようやく振り返った。

「何か、用か?」

 ぼんやりと上の空だった目が、いつもの無感情なものに戻っていた。

 その目に笑いかけながら、男は切り出した。

「あなたの周囲の家は忙しくて、あなたの個人的な憂いを晴らす暇はない」

「そんな必要もないだろう。私の憂いとやらは、私だけの悩みだからね」

「その憂いは、世間にも障るんでしょう?」

 男を見つめた若者が、ああ、と呟いて頷いた。

「あんただったのか、相槌打ってたの」

「……」

 その言葉につい、笑ってしまった直を見とがめ、セイは眉を寄せた。

「何だ?」

「いえ、気を遣わなくてもいいですよ」

 本当は、いたのか? と言いたかったのだろうと、男は笑った。

 直がこの地に来たての頃、同じような場面があった。

 その時は、つい声をかけた少年に、若者は本音を漏らしてしまい、思いっ切り体当たりされた。

 実の親たちに、言葉にすることを全否定され続けていた直は、今思うと本当に荒れていた。

 何せ、この若者に、未だに気遣いを思い出させるほどだ。

 今では直も、あの時のセイが、周囲に誰がいるのか分からない程、素に戻って油断していたのだと、知っていた。

「……あんた、古谷の誰かに、体当たりを教えてないよな?」

 少し前に、誰かにそうされた記憶があるのだがと、目を細める若者に直は首を傾げた。

「教えなくても、やろうと思えば誰でもできるでしょう。それより、若」

「ん?」

「噂、うちの方にまで届いていますよ」

 改まった指摘に、どの噂か判断がつかずに、セイは目を瞬く。

 真顔で、男は主張した。

志門しもんへの、あの程度の教えが、弟子入りしたって事になるなら、オレもそうですよね?」

「弟子?」

 黒々とした目が、今度は丸くなった。

 やっぱり、と直は思う。

 周囲が、そう思ってしまっているだけだ。

 なまじ、似た年格好の他の二人が、同じ時期に同じ位の年齢の少年少女の面倒を見始めていた為、セイまで一緒くたにされただけだ。

 訂正したところで、出回った話は消せないだろう。

 志門は公式な弟子と思われていると、直に聞いたセイは小さく唸った。

「あんなのでいいのか? 弟子取りって?」

 それでいいのなら、昔に遡ると、何人もの弟子がいる事になると言う若者に、直はそうだろうと何度も頷く。

 志門も、昨夜つい意地悪で指摘した時、目を剝いていた。

 そんな恐れ多いと慄く少年を、言い過ぎたかと宥めたほどだ。

「弟子は大げさでしょうが、オレや志門を含めて、そう言う子供が何人もいることは、忘れないでくださいよ」

 志門には、便宜上そう考えとけと言っておいたが、セイが面倒を見た連中を、どう呼ぶべきなのかは、考える余地がある。

 だが今は、その名をつけて貰おうなどと言う、恥ずかしい思いでこの話題に触れた訳ではない。

 言いたいことは、ここからだ。

「あなたの憂いを晴らす、お手伝いがしたいと考えるのは、何もこの地の人たちだけじゃない」

 真顔で切り出した直は、まじまじと見つめる若者の目に耐えながら、続けた。

「オレで役立つなら、いくらでも使って下さい」

「そう言う機会があれば、お願いするよ」

「え、今回は、その機会でしょう?」

 思わず声を張り上げる直に、セイは宥めるように言った。

「あんた、自分の奥さんが大変な時に、こっちに係る気か?」

 鬼塚桃は、今妊娠四か月だ。

 安定期に入った時期に、年末が来て幸いと、古谷の方に避難して来た形だ。

 何せ、初孫への期待が、鬼塚家では過剰なほどなのだ。

 このまま、出産までいさせて欲しいと、古谷の師匠に交渉中である。

「勿論、女房一人置いておく気はありません。だから、当分はこっちにいますから」

 産休育休を取ったと言う直に唸り、セイは考えながらも頷いた。

「それならお願いするけど、奥さんの体の事も考えて、大事にしてやれよ」

「勿論ですよ。何やりますか? さっきの篠原家の件、調べましょうか?」

 勢いよく言う男に首を振り、若者は切り出した。

「篠原家のあの事件で、動きやすくなった奴が、一人いる。どう動きだすか分からない奴だ。そいつの監視をお願いしたい」

「え? その、篠原家の嫡男に会わなくても、いいんですか?」

「流石に、まだ目は覚めてないんじゃないのか? どんな銃かは知らないけど、撃ちどころ次第では、意識が戻るのも先の話だ」

 その間に、見舞える時期が来るかもしれないと、セイは希望的な見方をしている。

「若らしくないな。時間に望みを託すなんて」

「意識云々の前に、その詳しい情報は、近く入るはずだ」

 篠原家の嫡男の名は、和泉いずみ

 高校一年の少年で、市原いちはらなぎ高野たかの晴彦はるひこの幼馴染で同級生、だ。

「……ん? って事は……志門とも、同級生ですかっ?」

「あ、そっちを気にするか。そうだな、あの子とも、顔見知りのはずだ」

 セイが言いたかったのは、刑事二人の子供たちが、和泉の幼馴染だと言う事だ。

「子供に甘いわけじゃないけど、あおいさんも高野さんも、早めの解決を考えるはずだから、ある程度の情報は運んできてくれる」

 幸い、年末年始は、頭脳派の連中も顔を揃えるから、意見を求めてくるかもしれない。

「なるほど、その件は、待ってればいいわけですね? その、動きやすくなった奴ってのは、誰ですか?」

 身を乗り出す直に答えたのは、女の声だった。

「ああいう裕福な家は、人間にも私たちのような奴にも、狙われやすいんだよ」

 廊下に、雅が立っていた。

 つい慄いて体を反らした男を、清楚な美少女はあっさりと部屋に放り投げ、自分も座敷の中に入ると襖を閉めた。

「こういう内輪の話の時は、閉めててもいいから」

「聞かれて不味い話は、してないけど?」

「不味くはないけど、大きな声で話せる事でも、ないだろ?」

 雅の行動に首を傾げたセイにはそう返し、女は直に説明した。

「篠原さんの奥さんのいつきさんは、旦那さんにその手の者が憑かない様、無意識に対策できる人だったんだけど、亡くなってしまったから。意気投合した妖しが、これまではそれとなく、斎さんの代わりをしていたんだけど、和泉君の事件で、血が流れただろう? そのせいで、力を大幅につけて動き出した奴がいるんだ」

 斎とは面識があったと、直は頷いた。

 結婚した後のごたごたで、香典だけ古谷氏に託す形になった事が、今でも悔やまれる。

「そうですか、あの人の代わりが務まるか分からないですが、最善を尽くします」

「入院して、家を離れてる和泉君は心配ないと思うけど、そいつがどの程度力をつけたか、ここじゃあ見当もつけられない」

「かと言って、今この子は動けないし、私も下手に動いたら、怪しまれる。直君が動いてくれるなら、協力者を紹介するよ」

 直が提案に頷くと、女は一人の人物の名を上げた。

 今現在、篠原家の執事として働く男の、妻に落ち着いている女だった。


 まずは向かい合って、静かに相手を見据える事から、始める。

 二人の若者曰く、顔見知りで親しい者同士の手合わせは、馴れ合いにしかならなくなる。

 それでは実戦を知る二人には、意味がない。

 だから、本当の殺気を込めるのだと、言っていた。

 獲物は木刀だが、殴られれば致命傷になる鈍器だ。

 下手に気を抜いて、要らない怪我をしない為にも、二人は真剣に集中していた。

 突如として始まった打ち合いは、岩切家の道場で行われていた。

 二人とも真剣の時同様の、死を間近に置きながらの打ち合いだ。

 大掃除を手伝うから、道場を使わせろと鏡月きょうげつれんがやって来たのは、朝方だった。

 家中の掃除をし、昼を回る頃には終わってしまった。

 道場の方も掃除を済ませた昼食後、こうして木刀を合わせているのだった。

 最近、成長が目に見える程になった蓮は、そんな体格の違いを感じさせない機敏な動きで、相手の懐に入り込もうとする。

 それを上手に避けながら、鏡月は隙を見つけて、ほれぼれとするような動きで切り込んでいく。

 どちらも目に見えるのがやっとの動きで真似できないが、この二人の打ち合いを黙って見ているのが、静はここに引き取られた時から好きだった。

 道場の片隅に正座し、見続けていた少女の前で、唐突に二人の動きが乱れた。

「っだあっ、いくら打ち込んでも、かすりもしねえっ」

 突然わめき、蓮がまずその場に座り込んだ。

「当たり前だっ。お前らに打ち込まれるようになっては、オレの方が、大打撃だっ」

 年上の威厳と我慢していたのか、鏡月もすぐ後にその場に座り込み、吐き捨てるように返した。

 疲労感が襲う体を宥める若者に、蓮が溜息を吐いた。

「打ち込めねえうちに、こっちが体力を消耗したら、アウトじゃねえか」

「体力お化けが、どう言う心配だ? オレの方が、それは危うかったんだがっ?」

 鏡月は睨み、辛うじてまだ小さい若者が、立ちあがるのを見上げた。

 息が、全然乱れていない。

 舌打ちしたい気持ちを押し隠し、何とか立ち上がって静の元へと歩いて来た若者を、少女は汗拭きタオルを掲げて迎えた。

「お疲れ様です」

「……」

 鏡月が受け取った後、蓮にもタオルを差し出す。

「おう、悪いな」

「冷たいお茶も、用意しています」

 いそいそと準備しながら、少女が二人の世話を焼く。

「大掃除は助かりましたが、蓮は珍しいですね。この時期は、市原さんの所にいると、聞いていましたが」

 黙ってタオルを使い、コップの冷たさに浸る鏡月の横で、蓮は冷たい茶を一気に飲み干した。

「……そのつもりだったんだがな、今年はそうもいかなさそうだ。あの家にいたら、ごたごたに巻き込まれちまう」

 かと言って、セイの所は論外だ。

 今手掛けている件で、出し抜いた連中が、そろそろ再び集まり始めるからだ。

「まあ、間が悪いんだよな。何だってこの時期なんだか。理由の想像は出来るが、正直思い切ったよな」

「ごたごたに巻き込まれると言う事は、葵の奴、事件勃発で駆り出されたのか?」

「ああ」

 この年末の慌ただしさの中で、騒動を起こす輩は多い。

 今年は非番のはずの葵まで、駆り出す程に人手不足らしい。

 やれやれと、首を振る鏡月と相槌を打つ静を見て、蓮は首を傾げた。

「ん? あの事件、知らねえのか? もう、テレビでも新聞でも出回ってるはずだぜ?」

 昨夜、起こった事件だ。

「事件?」

「ああ。ある豪邸で、ガキが撃たれた」

 命は助かったが、未だ意識は戻らない様だ。

「ああ、篠原さんの所ですね」

 静が思い当たって頷いた。

「うちの両親も、心配していました」

 今はあの家に近づけないので、心配するだけしかできないと、新聞を見ながら唸っていた。

「葵の奴はな、事件だから出向いていったし、オレを巻き込む奴じゃねえけど、凪がなあ」

 巻き込まれたのが幼馴染では、尚更犯人捜しに執着するだろうと、若者は苦い顔だ。

「正直、この件はややこしい事になりそうで、触りたくねえんだよ」

「そうですね、市原先輩は、許せないでしょうね。篠原和泉先輩とは、保育園からのお付き合いだと聞いていますし」

「篠原、和泉? あの、斎の息子?」

 鏡月が呟いて、眉を寄せた。

 露骨に嫌そうに顔を顰めるのを見て、蓮が小さく笑った。

「な? 触りたく、ねえだろう?」

「ああ、いくら金が欲しくても、解決を頼まれたくは、ないな」

「だから、逃げて来たって訳だ」

 こういう複雑な話は、傍から見ている方が楽だと、二人の若者は頷き合う。

 意味不明の会話だが、静はいつもの事と聞き流す。

 聞き流しながら、昨夜起こった事件の概要を、思い出していた。

 屋敷内の、高校生の子供の部屋に、何者かが侵入し銃で撃って逃走した。

 その部屋にいた和泉は、肩の辺りを撃たれて重傷、出血がひどく、未だに意識が戻らない。

 警察は、監視カメラの映像を解析し、犯人の特定を急いでいる。

「……侵入者を知らせるセンサーなどは、無かったんでしょうか?」

「どうだろうな。あっても、意味ねえかもな。家の住民なら」

「え?」

 思わず振り返ると、口を滑らせた蓮が取り繕うように咳払いした。

「それは、詮索する事じゃあないだろう。お前は、静かに年末年始を過ごせ」

「お前たちも、セイの所に挨拶に行くんだろ?」

「ええ。年末の明日から、年明けまでいる予定です」

 それじゃあ、静かには無理だと蓮は苦笑するが、鏡月は頷いた。

「志門や健一けんいちにも、よろしく言っておいてくれ。オレはもう、気楽にあの家の敷居は跨げんからな」

「え、どうしてですか?」

「ばったり鉢合わせたくない人が、出入り始めそうだからだ」

 これも曖昧すぎて分からないが、静は一応頷いた。

 そして、思い出す。

「そう言えば、篠原先輩とも、会った事はあります。何だかもてそうなメガネ男子ですね」

「……お前、この国に染まって来たな」

吉本よしもとさんがそんな事を言って、跳ねていました。志門さん、市原先輩に、随分言い寄られているようですよ」

 凪が帰宅する志門を直撃し、それを救い出すのがここしばらくの日課だったと、静は報告した。

 一緒になって話しかける高野晴彦と市原凪の後ろで、静かに苦笑して立っているのが、篠原和泉だった。

「……と言うことは、他の同級生よりは、面識あるんだな。篠原和泉と志門は?」

「こりゃあ、まずいな」

 天井を仰ぐ鏡月の隣で、蓮がその心境を代弁した。

「まずいとは?」

「面識がある同い年の子供が、大怪我して入院って話聞いたら、志門の奴心配するんじゃねえのか?」

「少し、人がいい所があるからな。あり得る。心配して出かけた先で、凪にとっ捕まって、巻き込まれていそうだな」

 静が立ち上がった。

 無言で一礼して道場を後にしようとする少女を、蓮が引き留めた。

「冗談だ、本気にするな」

「ですが、あり得る話です」

「あのな、静」

 やんわりと、若者は言い切った。

「志門は確かに人がいいが、お人好しじゃあねえぞ。出かけ先で凪に会ったとしても、すぐに逃げて来れる」

「そんなこと、分からないじゃないですかっ」

 思わず声を上げる少女を、鏡月はにんまりとして見つめた。

「何だ、お前は志門を妬んでいたんじゃなかったのか?」

 本当は、セイに師事したかったのだと知っている若者の、意地の悪い問いに静は詰まった。

「む、昔の話を、いつまでも蒸し返さないでくださいっ」

 確かにそんな時期はあった。

 父親が自分の名を、憧れた若者の名にちなんでつけたと知った時から、憧れも引き継いでいた。

 鏡月の剣技も好きで、師事した事に後悔はないが、その後でセイが面倒を見始めた志門を、羨ましく思っていたのだ。 

 今は、そんな気持ちは消えた。

 むしろ、あの人がセイの弟子で良かったと、そう思える。

「ほう、いつの間に、そんな心境の変化があったのだ?」

「……深く突っ込むな。まだ早いだろうが」

 楽しそうな鏡月を、蓮が呆れながら窘める。

 静はこれでもまだ、小学生だ。

「ま、明日、あいつらと会うんだったら、その件も話題に上がるだろ。お前が率先して動く必要は、ねえよ」

「そう、でしょうか」

「心配なのは分かったが、過保護にするのは、志門の為にもならねえぞ」

 しょんぼりと肩を落とす少女を、鏡月は微笑ましい気持ちで見つめた。

 数か月前に起こった事で、静にも心の変化があった。

 その変化がいい方向へと向かえばいいと思う若者の隣で、蓮はふと思い当たった。

「ん? 確か、はじめの奴が最近、篠原家と親しくしていると聞いたんだが、まさか健一の奴、この件に興味なんか、持たねえよな?」

「持つんじゃないのか? 知り合いの家の事件で、例の息子は健一の先輩だ。心配より、好奇心で首を突っ込みそうだな」

 意地の悪い指摘に、若者は舌打ちした。

 逃げてきた意味が、なくなってしまいそうだ。

「仕方ねえ。顎でこき使える人材を、用意しておくか」

 あくまでも自分は動かない、そんな気概の蓮は、頭に浮かんだ人材に連絡を入れるべく、傍に置いてあった手荷物に手を伸ばした。

 大事件に隠れてしまったもう一つの騒動が、ゆっくりと動き出していた。


 物々しい現場を見回し、古谷志門はすでに後悔していた。

 顔見知りの少年が、とんでもない事件に巻き込まれたと知り、手が空いた時を見計らって篠原家の前に来たが、野次馬とマスコミの数に慄き、気後れしてしまったのだ。

 大体、目当ての少年はここにはいない。

 どこかの病院に搬送され、治療を受けている最中のはずだ。

 ここで立ち尽くしていても、自分が寒いだけだと溜息を吐き、志門は家路につくことにしたのだが、そんな少年を見とがめて声をかけた者がいた。

「あれ、志門さんっ」

 聞き慣れた声に振り返ると、大柄な少年が大きく手を振って近づいて来た。

「志門さんも、野次馬ですかっ?」

 違うと言い切れず、志門は曖昧に答えてから、少年を見上げた。

「健一さんも、ここに来ていたんですね?」

「はい。だって、こんな大きな家に侵入した奴がいるんですよ。この辺りに潜んでいると思うと、わくわくしちゃって」

 元気よく頷く金田かねだ健一の後ろに、もう一人顔見知りの少年がいた。

「ご無沙汰しています。古谷先輩」

「お久しぶりです。あの節は、お世話になりました」

「そう、それだ、速瀬はやせっ」

 健一が思い出して、友人を指さした。

「お前、街で面白い事、やってるんだってなっ?」

「……その件は、お前の父親にでも、詳しく聞いてくれっ」

 吐き捨てる所を見ると、健一は思い出すたびに、これを一々話題に乗せているようだ。

 どちらの味方もする気はないが、一つだけ気になってその話に乗った。

「今日は、そちらにはいかないんですか?」

「ええ。今の時期は、小父さんの自警団に任せろと、小父さん方代表の方に言われまして、皆冬休みに入りました」

 速瀬しんは答え、周囲を見回した。

「どこかのニュースの中継で、監視カメラには怪しい人影はなかったと、言っていました」

「つまり、あの家の誰かが、篠原先輩を撃ったんです」

「……どういう種類かは知りませんが、銃と言うものはそんなに簡単に手に入るものでは、無いのでしょう?」

 その手の物を持つときは、資格や証明書がいると聞いている。

 志門の指摘に、健一は真顔で答えた。

「篠原さんは、元々狙撃手だったそうですから、そう言う物を持っていたかも」

 何代前の話だと、大人たちが苦笑しそうな話だ。

「篠原君は、まだ目覚めないのでしょうか?」

「ええ、そうみたいです。もし意識を取り戻したら、犯人の顔を見ているかもと、河原かわらさんも言っていました」

 それだけ、間近で撃たれたらしい。

「しかも、揉み合った形跡もあるし、絨毯を這って異変を知らせようと先輩が動いた跡もあるようです」 

「大人しそうな顔してるけど、結構肝が据わってるみたいだよな」

 二人が集めて来た情報は余り役に立たないが、それだけ集められただけでも、上等だろう。

「さっき、市原先輩と高野先輩が、この家から出てきましたよ。現場を見たのかな?」

 事件発生から、半日近くたっているから、現場での捜索は終わっているのかもしれないが、篠原家の嫡男とは、面識が薄い自分達では、中に入るのは難しいだろう。

「あの二人から、見てきたことを訊くのが良策でしょうけど、やっぱり現場は自分の目で見ないと、面白くないですよね」

 好奇心は消えず、健一は歯がゆい気持ちでいる様だ。

 そんな友人を、伸は呆れながらも宥める。

「あの二人の先輩から訊くにしても、どう切り出す気だ? 外から見るだけにして、係らない方がいい」

「正直、あのお二人と係るなら、面識のない人の事件を知る必要は、ないように思います」

 二人と言うより、市原凪を苦手としている志門は、正直に気持ちを吐露した。

「それでも知りたいのであれば、どなたか別のお知り合いが入るのに便乗してはいかがですか?」

「そんな都合よく、篠原家に出入り可能な知り合いが、いるはずないでしょう」

 先輩の提案に頷きつつも、可能性は低いと嘆き、健一も諦めかけた時、幸か不幸かその知り合いがやって来た。

「……何やってるんだ、お前たち?」

 呆れた聞き慣れた声が、志門に呼び掛けた。

 振り返ると、兄弟子が籠を片手に立っている。

「直さん、あなたこそ、どうしてここに?」

 思わず駆け寄った志門に目を見張り、直は答えた。

「年末の挨拶も兼ねて、お見舞いだ。お前たちは、野次馬か?」

「そうです」

 答えた健一の脇を、伸は思わずどついてしまう。

「ん? 見かけない顔だな?」

 その少年に気付き、男が首を傾げると志門が答えた。

「健一さんのご友人の、速瀬君です」

「へえ」

 更に目を見張る直に、伸は丁寧に頭を下げた。

「初めまして、速瀬伸です」

「鬼塚直だ。そうか、お前さんが……いや、話は色んな所から聞いてるんだが、まだ話に係った人間と会う機会がなくてな。良かったな、健一」

 小さい頃から知る少年が、ようやく得た友人を見て、直はつい微笑んだ。

 照れる健一に構わず、志門に尋ねる。

「ここの息子さんが、お前と同級だとは聞いてるんだが、親しいのか?」

「いえ、そこまで親しくは……ただ、顔を合わせる機会は多かったもので、気になりまして……」

「そうか」

 少し考え、少年たちを見回した。

「お前さん達も、事件に興味があるのか?」

「はいっ」

「いいえ。休みにまで、頭を使うのは……」

「興味と言う程では、ありません」

 三人三様の答えだ。

 二人の答えを聞いた健一が、露骨に顔を顰めた。

「興味がないなんて、駄目ですよ、志門さん。速瀬も、何を爺さんみたいなこと言ってるんだ?」

「ですが、私が気になったのは事件自体ではなく、怪我をした同級生で……」

「余計な首を突っ込んで、痛い目見たくない」

 二人の更なる言い分に嘆く少年を、直は面白そうに見返し、切り出した。

「じゃあ、健一だけ、一緒に訪問するか?」

「ええっ、オレだけじゃあ、本当に野次馬になっちゃいますよ」

「現場を見たいだけなら、それで充分だろう?」

 やけにあっさりと言う男に、伸がつい尋ねる。

「ですが、警察の方の邪魔になるのでは?」

「訪問の連絡をしたら、警察の方々はもう帰ったと言っていた。殺人だったわけじゃないから、その分早かったんだろ」

 成程と納得する少年に、健一がにじり寄る。

「速瀬、こんなところ見る機会なんか、滅多にないぞ」

「なくても、困らないだろう」

「話が進まなくなるだろ。頼むから、一緒に行ってくれ」

 何の心配だと呆れる伸は、困って志門へと目を向けた。

 高校の先輩は、直を見ていた。

 その視線に気づいて振り向いた男が、首を傾げる。

「どうした?」

「……この事件、只の傷害事件で、すまなくなりそうなのですか?」

「それは、分からない。だが、若が気にしておられるんだ。動けないのが、歯がゆいらしい」

 戸惑いの目になった少年に、直はゆっくりと尋ねた。

「入って見るか? 志門」

 選択を任せる問いに、志門はすぐに頷いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る