第2話

 篠原和敏かずとしは、輸血に行っているらしい。

「血が、足りなかったらしくて、昨夜義理の弟さんと一緒に病院にいって、そのまま休んでいます」

 話してくれたのは、藤田ふじた夏生なつおと言う女だった。

 篠原家の執事をしている藤田真治しんじの妻で、少年たちの目から見ても色気のある女性だ。

 が、直は僅かに眉を寄せ、硬直してしまった志門を背に庇う。

「じゃあ、あなたに話を聞いている間に、現場を見せてもらう許可は、取れないって事ですね」

「あら、構わないわよ」

 あっさりと、夏生が答える。

「え、いいんですか?」

「どうせ、警察が入った後よ。勿論、荒らしたら困るけど、少し調べるくらいなら。凪君たちもしていったし」

 篠原氏は許可を出していると、女はあっさりと言った。

「それで、何か分かれば有難いって」

 話が分かるなあと、健一が感心する中、話がおかしいと伸は首を傾げた。

「警察の方は、一定の捜査をしただけ、なのですか?」

「ええ。もしかしたら、身内内のいざこざかも知れないから。人死にが出たら、また違うでしょうけど、未然に防ぐのは、警察の仕事じゃないわ」

 それもそうだと、少年たちは頷くが、直は首を傾げた。

「市原さん達なら、こういう事件でも親身になると思いましたけど、珍しいですね」

「ええ。最低限の検査の材料は、持って行っていたから、そのつもりでしょうけど、今はそこまで、この件には係われないはずよ」

 この地で起きた、史上最恐の事件の犯人の逮捕が、そろそろ近いと聞いている。

 そちらに大部分の警察関係者が向かうのであれば、子供の頼みに答える余裕はないだろう。

「平和だったからなあ」

 長閑で平和な土地は、警察の人員も少ない。

 この地の警察関係者は、少ない分能力が高いのだが、限度がある。

「だからこそ、誰かさん方みたいな連中が暗躍して、人手不足を補っているんでしょ? 雅にはそう聞いてるんだけど?」

「暗躍って程、目立たないようにやって下さるんなら、謹慎する羽目にはならないですよ」

 夏生の指摘に、直は苦笑した。

 女はからからと笑う。

「それもそうね。どうぞ、お入りください」

 玄関を入ると、広い客間に通された。

「ちょっと待ってね、案内役を呼んで来るから」

「すみません」

 夏生を見送った直は、隣に立つ志門を見た。

「オレは、さっきの人から別件の事情を聞くから、その間に和泉君の部屋を、見せてもらって来ればいい」

「別件? 何か、とんでもないお話が潜んでいるのですか?」

「分からんから、話を聞くんだ。詳しい話は、こっちで聞けと言われてきたんだ」

 心配そうな志門が、少年二人と共に案内役の少女と客間を出た後、夏生は茶を運んできた。

「まず、これを……お歳暮と、見舞いの品です」

「わざわざ、有難う。本当に、こんな間の悪い時期に、子供が狙われるなんて」

 溜息を吐く女に、ずばり問いかけた。

「その子の血で、力をつけた奴ってのは、どいつの事ですか?」

「和敏さんの、遠い親戚の一人」

 この大きな屋敷には、その財を頼って住まう親戚が、五人いると言う。

「先代の兄弟の子供たち、つまり、和敏さんの従兄弟たちとその配偶者ね。その内の一人が、化け始めてる」

 先代は兄弟が三人いた。

 一人は妹で、普通の家に嫁いだが、もう二人は兄で、先代が健在の時から、かなり金策を申し入れられたらしい。

「昔はそれこそ、そこまで裕福じゃなかったから、それを考慮した無心だったみたいだけど、今じゃあ図々しく家に入り込んで、その子たちまで居続けているってわけ」

 追い出そうにも、明確な理由が見つからない。

「というか、その証拠が中々見つからないらしくて。もみ消しが、妙にうまくて、難儀していたみたい」

「義理の弟さんの探索があれば、簡単そうなのに……そんなに、上手なんですか?」

「今までは、頼っていなかったんだけど、妙な疑いが出て来てね、最近ようやく、弟さんに依頼したらしいわ」

 そうしたら、目の前が見えなくなる程の埃が出て来たと言う。

「しかも、全員、良からぬ事をしていたみたい。我慢も限界で、家を出すつもりみたいね」

 そんな中での、和泉の事件だった。

「名誉挽回を狙って鬱陶しくなる人もいるし、逆に遠回しに後継ぎ問題を出す人もいる。特に旦那様が留守のこの屋敷は、無法地帯みたいなものよ」

 夏生は、娘の弥生やよいと共に、旦那と主が留守の間、好き勝手やろうとする面々を、それとなく抑えているのだと言う。

「まだ一日目なのにこの苦労。何とかして下さる?」

「何とかできるならしますが、何をどうするのか、全く判断できないんです」

 真摯に頼まれたが、直は正直に答えた。

「……やりにくいわね。どうして、直ぐにうんと言ってくれないのかしら?」

 上目づかいで言われ、直はきっぱりと答えた。

「勢いで承知出来る程、あなたの色気には反応できないからです」

「失礼ねえ。私、そんなに魅力ない?」

「さあ。姐御よりは、魅力的だと思います」

 ただ、魅力的だからと呆ける程、惚れやすくはないと男は続けた。

 夏生の目が、最大限に細められる。

「呆けさせて言う事を聞かせるのが、私の本流なんだけど?」

「それは済みません。話を戻しますけど、オレは、力をつけたやばい奴を見張る為に、ここに来たんです。そいつは、その親戚連中の中に、いるんですよね?」

「ええ」

 睨むように男を見ながら、女は渋々答える。

「なら、そいつらに会わせて下さい。家の中に、いるんですよね?」

「ええ。ただ、呼び出すのは不自然だわ。私、一応従業員ですから。全員が食堂に集まるはずだから、その時に紹介するわ」

 これは、長丁場になりそうだと、直は思いながらも仕方ないと頷いた。


 広い……速瀬伸は、つい呟いた。

 自分の住まいは、一戸建てではあるが、小さな家だ。

 金田家と古谷家もそれなりに大きく、驚いている様子はないが、二階の端にある和泉の部屋は、優に十畳はありそうな部屋だった。

 絨毯が敷き詰められた部屋の片隅にベット、その反対側にオーディオ機器、その向かいに冷暖房器具があり、その向かい側のサッシ窓の向こうにベランダがあった。

 そのベランダも、部屋に応じた広さで、天気がいい時にはそこで昼寝でもできそうな余裕がある。

 黄色いテープを潜り、少年三人と少女一人が部屋に入ると、直ぐ足元に黒いしみがあった。

「ここに、蹲るようにして倒れてたって」

 弥生が、顔を歪ませながら説明した。

 手にオーディオ機器のリモコンを握りしめたまま、少年は気を失っていたと言う。

「大きな音を響かせて、異変を知らせようとしたらしいんだけど……」

 それは、叶わなかった。

 電源を入れたのはいいが、起動したのはラジオではなく、SD再生だったのだ。

 そのSDカードには何も入っておらず、その動きは無駄となった。

「実際には、銃声が大きくて、家にいた全員が気づいたんだもの。錯乱していたんだわ」

 そのリモコンは、血の染みのすぐ傍に落ちていた。

 ちょっと考えて、健一が携帯電話を取り出し、そのリモコンをカメラで撮る。

「篠原君は、その時、眼鏡をしていたんですか?」

 窓際に近い場所にある勉強机に、無造作に置かれた眼鏡ケースを見止め、志門が問いかけると弥生は首を振った。

「それが、していなかったみたい。だから、目を覚ましても、犯人の顔は分からないかも」

「そんなに、視力が悪かったのですね……」

 言いながら、志門は眼鏡ケースを開けてみた。

 見慣れた銀縁の眼鏡が、丁寧に眼鏡拭きに包まれて納まっている。

 何だかしんみりとした気分で、ついその眼鏡を手にした少年は、恐る恐るそれを覗きこんで見た。

「……」

 目を瞬きながらそれをケースに戻し、そっと机に戻す。

「窓は、開いてたんですか?」

「ええ。だから、外に逃げたと思ったんだけど……」

 一々答えてくれる少女の声を聞き流しながら、伸が先に出たベランダの方へ、健一も歩いていく。

「ん?」

 伸の目が、サッシに近い場所の絨毯を、凝視している。

 何を見ているのかと目を凝らし、妙な違和感を感じた。

 その違和感が何か分からない内に、友人の目が動き、ベランダの溝へと移った。

 伸がそっと、ベランダの向こう側を覗くそれに習い、身を乗り出した健一は目を剝いた。

「げっ」

 思わず、変な声を出した後輩に気付き、志門が近づいて同じように身を乗り出した。

「……」

 引き攣った顔の健一と、顔を見合わせた先輩の目は、大きく見開かれている。

 先にベランダから離れた伸は、不審気に二人を見やる弥生に、一つだけ確認した。

「……銃声を聞いたとおっしゃっていましたけど、どのくらいの大きさでしたか?」

「家にとどろくような、大きな音だったわ。初め、雷が落ちたと思ったもの」

 雨も降っていないし、雷雲もないのに変だと思ったと弥生は言い、伸は小さく唸った。

 気を取り直した志門が、再び部屋に戻り見回した。

 眉を寄せて、呟く。

「……あれは、どうしたんでしょうか?」

「あれ?」

 少女に聞き咎められ、慌てて首を振った。

「何でもありません。やっぱり、素人では、全く分かりませんね」

「何かのトリックでもあるかと思ったけど、残念だなあ」

 健一もそう言って笑ったが、少しその笑いは引き攣っている。

 弥生は、溜息を吐いた。

「凪とハルも、そう言って帰って行ったわ。やっぱり、外に逃げたのかしら」

「その方が、安全でいいではありませんか。篠原さん方がまだ帰られていないのですから、もし家の中に犯人が残っていては、危険です」

「うちは、使用人家族だもの、狙われないわ。外に逃げられていたら、今外にいる旦那様や和泉が、狙われるかも、知れないじゃない。家の中に犯人がいるのなら、誰がいなくなっても、すぐに分かるわ」

 確かにそうだと唸る志門の後ろから、部屋に戻って来た健一が、絨毯を見下ろしながら目を剝いた。

「あ、そうかっ」

「金田っ」

「何? 何か分かったのなら、聞かせてよっ」

 少女の懇願に、健一は慌てて首を振った。

 睨む伸の目は、若干呆れを含んでいる。

「篠原君、早く目を覚ましてくれればいいですね」

 しんみりと、少女に聞こえるように志門が言うと、弥生は顔を歪ませた。

「本当だよ。奥様もあんな亡くなり方したのに、和泉までいなくなったら、旦那様は立ち直れなくなっちゃう」

 そう言えば、篠原斎は三年前に事故で他界していた。

「良い、旦那様なのですね」

「ええ。お母さんの借金で頭が回らなくなった時に、お父さんを助けてくれた人なの。一家心中直前だったのを、肩代わりしてくれた上に、職まで与えて下さって……」

「……そうなのですね」

 ゆっくりと頷きながら、志門は先程会った夏生を思い出した。

 詳しい話は分からないが、何となくは察せられた。

 あの雅と同じ気配のする女は、どうやら敵ではないようだと。


 篠原和泉が、意識を取り戻したと言う知らせは、その父親から報告された。

 げっそりとやつれた篠原氏は、塚本つかもと伊織いおりと共に訪れ、挨拶の為にセイの前に正座する。

「銃弾は、貫通していたとは聞いたんだけど、どの辺りを撃ち抜いたんだ?」

「左肩の、下あたりです。丁度、骨の間を通るところだったらしく、骨には異常ありませんでした」

 傍で話を聞いていたエンが、眉を寄せて首を傾げたが、構わず身を乗り出した少年がいた。

「犯人は見たと、言ってました?」

 小柄な少年だった。

 傍にいる父親が大柄な分、余計に小さく見える。

 少女めいた容姿の少年は、幼馴染の巻き込まれた事件に、危機感を覚えているようだ。

「いや、見えなかったと、そう言っていた」

「あいつ、中学入った頃から、目が急激に悪くなってたもんな。今じゃあ、間近の人の顔すら、判別できないってさ」

 市原凪の隣で、高野晴彦が嘆くように言った。

 後ろに座る父親より細身だが、直ぐに親子と知れる容姿だ。

 二人の少年が、父親に連れられてここにやって来たのは、この日の昼前だ。

 すでに宴会を始めていた面々は、高野家の次男坊は兎も角、久し振りに顔を見せた市原家の長男坊に、長らくのご無沙汰を揶揄い、料理や飲み物を勧めながら絡んだ挙句、ようやく本題を切り出せる空気が出来た頃、篠原氏と塚本氏がやって来たのだった。

「監視カメラの映像からは、屋敷の外に出て行く怪しい者はいなかった。だから、内部犯だと思うんだが……」

「やり兼ねない怪しい人は、いるの?」

 叔父の隣でご機嫌で酒を飲むロンが、笑顔で問いかけると高野刑事は苦笑した。

「実は、それも頭が痛い話なんです」

「申し訳ない」

 篠原が、深い溜息を吐いた。

 そんな様子を見やり、エンが笑顔のまま首を傾げた。

「まさか、やり兼ねない人間が、沢山いるんですか?」

「ええ。多くて絞れません」

 絞れても、五人までだと言う高野に、座敷内の客が呆れた溜息を吐いた。

「おい、何で怪しい奴らを、五人も飼ってるんだ?」

 呆れたオキの問いに首を竦め、篠原は答えた。

「父の兄の子供たちなんです。私にとっての、従兄弟たちとその配偶者です」

「傍から見ると、大人しい雰囲気なんだよね」

 優しく、雅が付け加えた。

「でも、その容姿に騙されて泣かされた人は、何人いたかな。中には自殺寸前まで追いつめられた人もいたようだし、逆に恨まれるならまだしも、何で子供を狙おうとするのやら」

 篠原が、気の抜けた笑顔を浮かべた。

「勘違いしているのでしょう。和泉がいなくなったら、うちの会社の後継者候補になれると。冗談じゃない、あんな実力のない者に渡すくらいなら、従業員の中から選びます」

 だから、会社の事は気にするなと、和泉にも言い含めている。

 それは、家の人間なら知っている話なのに、今回和泉が狙われた。

「やはり、斎がいなくなった時に、あの家から出すべきだったのでしょうか……」

「和敏さん」

 塚本が小さく窘めた。

「本人がそう望むならまだしも、そう言う弱気な考えは、感心しませんよ」

「今回の件が、あの連中の仕業だったら、斎があの世から這い出て来て、私を殴りつけそうだ」

「やり兼ねないから、止めて下さい、口に出すのだけはっ」

 思わず顔を引き攣らせる塚本を見て、オキの隣で清酒を呑んでいた人物が首を傾げる。

「元気な方だったのですね、その、斎さんと言う方は」

「ええ」

 答えたのは塚本だ。

「まだ幼かった時、私は修業と称して何度か、命からがらな目に合いました。お蔭でどの歴代当主より早い年齢で、認められましたが」

「……」

 少し考えて自分を見る律に、オキは説明した。

「篠原斎は、旧制塚本、だ。前に話しただろう? 金持ちと恋仲になって、駆け落ち同然に嫁に行った、塚本家の跡取り」

「ああ、結構、近くに嫁いだんですね」

 白狐は頷き、ふと思った。

「そんな家系の方の息子さんが、力負けしたんですか」

 揉み合って撃たれたと言う事は、そういう事かと呟くと、篠原は顔を顰めた。

「こいつや斎と一緒にしないでください。和泉は、運動音痴なんです」

「和敏さんに、似てしまいました」

 しみじみと、塚本が頷いた。

「学校の成績は良いようですから、大学に入るにしても就職するにしても、困ることはないでしょう」

 だがそれは、この先も無事ならの話だ。

「……小父様」

 凪が低い声で、セイに声をかけた。

 目だけ上げる若者に、真剣に切り出す。

「捕まえてよっ。いっちゃんを、あんな目に合わせた奴っ」

「……葵さん」

 その少年を凝視しながら声をかけたのは、その父親の方にだった。

「何だ?」

「何で、わざわざこの子を連れて来たんだ? この時期、あんたの家に、捕まえやすい人がいたはずだろ?」

「逃げられた」

 問われると思っていたのか、葵の答えは簡潔だった。

「何で、御札貼って置かなかったんだ?」

「オレまで出れなくなっちまうかも、しれねえじゃねえか」

「家に貼れとは言ってないだろ。あの人の頭にでも貼っとけよ」

 葵はゆるゆると首を振った。

「そんなことして、剥がした反動で暴れられたら、困るんだよ。お前が止めてくれるってのか?」

「あんたら親子で、何とかなるだろ?」

 投げ槍気味の若者に、高野が控えめに意見した。

「市原さん親子が止めたら、逆に被害が拡大しそうです」

 それに、無理があると言い切った。

「そうか?」

「はい。話を逸らすにはこの話題、無理があります」

 その視線の先には、少年二人がいる。

 不安げに父親を見上げる晴彦と、頬を膨らませてセイを睨む凪は、この件で引く気はない。

「……話には聞いてると思うけど、私はまだ動けないぞ」

「こういう、人の身の危険が迫った話でも?」

 当然の問いかけに答えたのは、穏やかに笑顔を浮かべたままの男だ。

「そう言う約束だからね」

「……話を聞いて、思いついたことを言う位なら出来る。それでいいか?」

 顔を歪ませた少年に、若者は無感情のまま首を傾げた。

「私は動けないけど、これから数日間は暇な奴らが、ここに集まってる。良ければ、好きに使ってくれ」

「頭の出来には自信ないが、一緒に考える事は出来るぞ」

 酒の肴扱いだが、話を聞いて思いつくことを言われるだけでも、参考になるだろうと言われ、凪は隣の幼馴染と顔を見合わせた。


 酒の匂いが充満する中、二人の少年を含んだ面々は、少しだけ大人しい空気になっていた。

 そんな中で、篠原氏が話し始める。

「昨夜の十一時頃です。爆発音に似た音が、家中に響きました」

 酒を大量に飲んで眠った家人の一人も、その音で飛び起きる程の、大音量だったと言う。

「雷にしては、雲が見当たらず、何かの爆発にしては、その後の異臭もない。何だったんだと部屋から出て来た家の者たちと首を傾げていたのですが、何気なく人数を数えて、一人足りない事に気付いたんです」

 しかも、その足りない家族が、一人息子の和泉だと気づいて、篠原は青くなった。

「慌てて部屋に向かいましたが、内側から鍵がかかっていて、開きません。仕方なく……」

 夏生が、ドアの隙間をいじって開けた。

「……こじ開ける、じゃなく?」

「体当たりして壊れる程、脆いドアではありません」

 開いたドアの向こうに、和泉が蹲って倒れているのが見えた。

 救急車を呼んでから、篠原はその部屋の、ベランダに通じるサッシ窓が、細く開いているのに気づいた。

「監視カメラに映っていないのなら、あれは何かの工作だったのでしょう」

 警察も呼び、その後は病院に同行し、和泉の意識が回復した今、報告の為ここに来た。

「残った実弾は、拳銃に該当する種類の銃の物でした」

 短く、高野が告げた。

「掌に収まるくらいの大きさで、貫通したのが不思議なくらいの威力の拳銃だと思われます」

 昔の外国の貴婦人が、護身用として持っていそうな、殺傷能力の弱い拳銃だ。

「それだけ、古い銃、という事か?」

「はい」

 高野が頷くと、雅の隣に座った大男が、天井を仰いで唸った。

「そんな古い銃となると……使える奴も、限られているのではないのか?」

 答える篠原は、苦い顔だ。

「はい。実は……数が月前に、気付いたのですが……」

 今年の夏の終わりに、曽祖父が使っていた銃を取り出す場があった。

「その時に、不思議に思えばよかったのです」

「?」

かい殿の望むライフルを探している過程で、他のケースも開けたのですが、二つほど、中身が空の物が……」

 部屋に緊張が走った。

「ちょっと待て、つまり、事件に使われたのが、その中の物だった、と?」

「というか、戒? 何の為に、ライフルなんか……」

「そ、それは、どうでもいいだろうがっ」

 妙な飛び火で慌てる大男を見つめ、エンが複雑な顔になる。

「あれ、借りものだったのか」

「お断りしておきますと、戒殿にお貸ししたライフルは、直ぐに戻ってまいりました。銃口が使い物にならなくなっておりましたが、暴発する要素は取り去った上で、お返しいただいたようで、今も保管場所に……」

 だから、まかり間違ってもその獲物を借りた戒は、この件には係わっていないと力説されたが、困った顔で天井を仰ぐエンには耳が痛い話だった。

「……なくなった銃の型に、心当たりは?」

「申し訳ありません。私の代では、全く使用しておりませんので、欠片も思い当たりません」

 セイの問いに答え、控えめに続けた。

「ですが、何かの参考にと思いまして、ここに参る前に、保管場にある銃の名を全て、控えて来ました」

 そう言って差し出されたのは、A5サイズの大学ノートだった。

 受け取ってページを捲るセイの傍で、エンが尋ねる。

「容疑者の五人は、銃を扱えるのかい?」

「その辺りの事は、伊織に依頼しました。が、あの保管場所を知る者は、私と他数名で、あの連中には一度も話した覚えはありません」

「他の人が、話したと言う可能性は?」

 相次ぐ質問に、篠原はよどみなく答えた。

「あり得ません。知っているのは私と死んだ女房、息子の三人でしたから」

「……」

 エンの向かいで酒を飲んでいた大男が、無表情のまま首を傾げた。

「あなたが話していなくても、お子さんがうっかり、漏らしているかも知れませんね」

 漏らしているのがその親戚の誰かならいいが、他の誰かなら第三者の容疑者がいる事になる。

「増やすな」

 五人はただでさえ多いのにと苦笑するエンに、大男ゼツは眉を寄せた。

「あり得る可能性は、無視できません」

 直感で容疑者を決めるにも、情報がなさすぎると男は言い切った。

 唸る一同の中で、律はオキとは逆隣りに座る少年を見下ろした。

 妙に大人しいと思ったら、こっそり焼酎に手を伸ばそうとしていた。

水月みずき、お前はどう思う?」

 その手を攫んで止めながら、律は凄みのある笑顔で声をかけた。

「ぼ、僕?」

 余計な口を挟む気のなかった少年は、ついもう使っていない一人称を使ってしまう。

「お前、こういう話、嫌いじゃあないだろう?」

「まあ、好きでもないけど……」

 雅の傍で、いつもの気軽さを出す訳にはいかず、口ごもる。

 逆の手で仕方なくソフトドリンクのボトルを取りながら、水月は一つだけ尋ねた。

「銃で、そんなに古い型なら、分かるんだろ? 硝煙反応、だっけ? その家の人たちから出たら、それで分かるんじゃないの?」

「古くなくても、今の時代では分かるわねえ」

 ロンが頷いて捜索した刑事を見ると、二人は苦笑して顔を見合わせていた。

「それが、誰からも出ませんでした」

「あらま」

 これは俗に言う、密室ではないかと、座敷内がどよめく中、セイが顔を上げた。

「本当に、誰からも出なかったのか?」

「ああ」

「……家の人が、対象なんだよな?」

 念を押す若者には、二人とも無言で頷いた。

 セイが、呆れたように溜息を吐いた。

「計画的の割に、やり口が乱暴だな……」

 呟いてしまった若者を見下ろし、エンは目を細めた。

「セイ? お前、容疑者に心当たりがあるのかっ?」

「誰なんですかっ。捕まえて、ぼこぼこに殴り倒してやるっ」

 隣の男と向かいの少年が身を乗り出すが、若者は反応せずに答えた。

「あっても、裏付けを取るための動きを制限されてるから、はっきりとは言い切れない」

 当てこすった訳でもないが、エンが声を詰まらせた。

 ロンが咳払いをして、助け舟を出す。

「その裏付けを得るために、あたしたちを使うと言う考えは、浮かばないわけ?」

「浮かばなかった」

 その言葉で、座敷内の酔っ払いが、一気に乱れた。

「そ、それはないだろうっ? 古谷や高野は使うくせに、なんでオレたちは使わないんだよっ」

「そうだそうだっ。もっと言ってやれっ」

「あなた最近、あたしたちの扱い、酷くない?」

 わいわいと訴えかける面々に、セイはうんざりとした顔をしているだけだったが、少年たちはその迫力に恐怖を感じてしまったらしい。

 凪ですら顔を引き攣らせてしまったのを見て、葵は子供たちを促した。

「もう帰るぞ。これ以上は、本当に危ないから」

 釈然としないが、確かにここにいるのはもう限界だ。

 凪も渋々頷き、晴彦と共に立ち上がった。

「……裏付け出来るようになって、犯人が分かったら、真っ先に教えてくれる?」

「そうしたいのは山々だけど、その前に治まりそうだ。だから、約束はできない」

「……意地悪」

 また頬を膨らませる少年に微笑み、セイはゆっくりと言った。

「和泉君の部屋も見たんだろう? それと合わせて、今出た話を全部思い返して見ろ。解決に必要なのは、私じゃない。お前たちの方なんだから」

 謎の言葉を贈られ、二人は騒々しい家を後にしていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る